第三十七話【ヤンキー破砕】
何度も襲いかかる暴君の腕。何度目になるかわからない衝突、一合ごとに全身を突き抜ける痛み。
「楽シイナ小サキ者!」
「笑えよ緑野郎がぁ!」
防戦一方である。いなほはその事実に苦虫を噛み潰したかのような表情を浮かべた。
黒を纏う暴君の腕。いなほの取った選択肢は力をいなすようにその拳の横を全力で叩くことだった。
隣で新たなクレーターが生まれ、発生した風によっていなほの体が吹き飛びそうになる。何とか踏みとどまれど、次にくるのは軽自動車のように巨大な足。当たれば骨折ではすまないだろう。いなほは飛び上がって爪先を回避して、脛を蹴って何とか逃れる。
爆発。キングの爪先から生じた風がその先に合った全てを根こそぎ削り、大地が悲鳴を上げて宙に舞う。
「避ケルダケカ!」
「ほざけ!」
挑発の言葉にまんまと乗せられたいなほは、着地と同時に一気に駆けだした。迎え撃つキングの懐に飛び込むと、真上に一気に飛ぶ。
「どりゃあ!」
鳩尾に渾身の右拳。トロール十体をまとめて引き裂くことが可能な力を持つイカれた拳は、それ以上に化け物染みたキングの腹筋を貫くには至らなかった。
それでも手首まで沈みこんだいなほの拳。どんな相手でもこれを食らえば悶絶させた。そんな自慢の一撃を。
「安イ!」
キングはそう、断じて捨てた。
いなほがその顔を見上げれば、まるでダメージを感じさせない余裕のあるキングの表情。それが獲物を狙う肉食獣のような笑みを浮かべた。いなほも笑う。冗談じゃねぇぞテメェ。
キングがまるで蠅を払うように拳を突き立てたいなほを手の甲で打った。直撃、信じがたい激痛がいなほの体を突き抜け、そのままいなほは地面に落ちた。
「ガハッ!?」
爆発音。土に沈んだいなほが、人生で初めて口から血を吐きだした。
まるで効いていない。自慢の拳が、それ以上の力の前では全く通用しない。未知の体験。だが恐怖ではなく怒りが吹きあがる。本能は復讐を誓った。このまま舐められてていいのか?
答えノーだ。
「ってんなよクソがぁぁぁぁぁ!」
一撃でここまでのダメージを受けた重たい体を無理矢理動かしていなほが飛ぶ。穴倉から飛び出したいなほを、待っていたとキングが迎えた。
「楽シイゾ。ココマデ抗ウ小サキ者ハオ前ガ初メテだ!」
「そう言ってられんのも今のうちだろうが!」
いなほが血を吐きながら叫ぶ。
応、と言う言葉の代わりに、キングの拳が走った。技量もなにもない。しかしいなほの渾身を凌駕する一撃が再び襲いかかる。
「ぎぃぃぃりゃぁぁぁぁ!」
それでも凌ぐ。絶叫、悲鳴のような声。最初に剣の腹を折ったとき以上の一撃を、負傷しながらもいなほはキングの拳にぶつけ──成す術もなく吹き飛ぶ。
荒波にもまれる木の葉よりも、今のいなほは頼りない。錐揉みしながら真横に飛んだいなほ。しかし虚空で無理矢理体勢を立て直すと、地面に足を引っ掛けて踏みとどまり、激痛の走る右腕を抑え込んだ。
「づぃぃ……!」
右腕が内出血で青く変色している。頼りなく腕は震え、手は握りこもうとしても上手く握りこめず指は痙攣を繰り返すばかりだ。
生涯、全てを突き崩してきた拳だった。そしてそれはもう過去の栄光だ。この無様で最強は謳えない。でも己の最強を疑ってはいない。
いなほは震える指を左手で無理矢理折り曲げて拳を作った。
「オイオイ。しょっぱすぎて手が湿気っちまったじゃねぇか」
笑う。笑え。いなほは軽口を叩くと、あえて震える右腕を前に上げて構えをとった。筋繊維は断裂し、骨にも罅が入っている。体中に脂汗、腕だけでなく、突き抜けた衝撃は全身に許容量を超えたダメージを与えている。
汗が目に入って視界が閉じる。いなほはわずらわしいと左手で汗を拭うと、手には真っ赤な赤が付着していた。
「へっ、脳天割れてやがんの」
他人事のように呟く。見れば、上半身の至る所から血が流れていた。何でもかんでも初めての経験で楽しくなってくる。
痛みはとっくになくなっていた。そんな余分を感じる暇があったら、この敵ともっと濃密な時間を過ごしたい。
それに、自分の力が全く通じていないわけではないのだ。
「中々ドウシテ、ヤハリ望ンダ敵デアッタカ」
キングはそう言いながら、青痣だらけの腕を摩った。いなほ程ではないが、渾身の拳によって逸らされた腕は、その拳の直撃を受けた分だけ痣を増やしていた。
決して負けてはいない。ぼろぼろになりながら与えた力は、確実にキングの体も削っていた。
だったらもっとぶつけるだけだ。体は動くし闘争心は最大を超えてさらに勢いを増している。
肩で息をしていて、体はずたぼろ。
「おぉぉぉぉぉぉぉ!」
「来イ! 強キ者ヨ!」
いなほが飛びかかる。キングが迎え撃つ。大砲よりも強烈な一撃が再びいなほを捕らえようとしたが、その拳をいなほは飛んで避けると、腕に着地してさらに飛翔。
目がける先は再び顔面。滾らせるのは男のど根性。貫けと真っ直ぐに重いを乗せて、
「温イゾ!」
そして容易くいなほは横合いからの黒色に吹き飛ばされた。
土の味を再び噛みしめて、むしろいなほはそのまま地面を食らって溢れる熱血ごと一気に胃に落とすと、ふらつきながら立ちあがる。
「……素晴ラシイ」
キングはそんな姿を美しいと思った。土と血に汚れ、小鹿のように体を震わせて、だがその目に宿る闘志の炎は、油断をすれば容易くこちらを取って食らってしまうだろう。今、二人はまさに対等の立場だった。互いが全力を尽くすに相応しい強敵だった。
だからこそ、その幕切れが近いことを両者は理解していた。
「俺も、最高だよ……王様ぁ」
いなほは左肩をキングに向けて、左腕は力を入れずに肩まで掲げる。足は肩幅に開いて、僅かに腰を落とす。右拳は装填された弾丸のように腰に添えて握り拳。呼気はゆっくとしたものだが、心臓は血液を送るために早鐘を打っている。
鼓動を繰り返す。それは生きている証明ではなく、戦うための戦士の鼓動。これまで積み上げてきた命の全霊を、いなほはこの一撃に込めるために筋肉の全てに気力を張り巡らせる。
いつも通りの姿勢だからこそ、最強の一撃はここから生まれる。始まりの姿勢、故に終わりにはこれ以上のものは存在しない。
これ以上ない一撃が来る。その決意が伝わったのか、キングも一層に表情を引き締めると体を思いっきり捻じり右腕を振りあげる。単純明快の分かりやすい姿勢だ。弓のように引き絞った体と、矢である右拳。おそらく放たれるのは軌道すら見て取れる程簡潔な握り拳。いなほのような技巧を尽くした一撃ではない。
だがそこには黒い魔力が満ちている。そしてその黒い魔力が包むのは、全長十メートルの緑色の魔を司る巨人。素の状態ですらいなほと拮抗する力を持った人外が、常人を超人に変える魔法によって強化されているという魔のなせる奇跡の結晶。法外な魔力は、王の力を常時の倍、いや、五倍にまでは膨れ上げさせている。
奇しくも対立する構図は、人の限界が、魔という人外に挑むというものだ。いにしえの勇者が、圧倒的な魔に挑む武勇伝の在り方だ。おとぎ話の決戦場だ。
だがここは幻想の終わりがまかり通る場所ではない。事実、魔は幻想と呼ばれるものではあるが、その戦いは現実だ。無駄な幻想や奇跡が入りこむ隙なんて何処にもない、力と力、至ってシンプルな比べ合いが結果を生む、無常無情で、いなほが望んでやまなかった血と血の交差する闘争だ。
では終幕を始めよう。劇的なものは何処にもない決着を見せつけよう。分かりやすい敗北と勝利の分岐を見せよう。
誰から見てもわかる勝利と敗北の軌跡。そして灼熱の瞬きは、咆哮と共に開始する。
「ゴォォォォォォ!」
キングが身を捻じったまま飛び出した。踏み込んだ直後、地震でも起きたかのように世界が揺れる。地鳴りが発生したときには風を切る魔の砲撃。王が、全てを闇飲み込む破滅を引きつれた拳をいなほ目がけて振り下ろす。
風圧で、周囲の木々が、大地が、台風に巻き込まれたかのように震え、弱い物は忽ち吹き飛んで消える。容易い一撃ですらいなほに甚大な怪我を与えたというのに、その渾身とはどのようなものか。大気が引き裂かれ、大地が悲鳴を上げているその一瞬を切り取るだけでも、その異常はわかるだろう。
およそ刹那。いなほに残された時間はそれだけしかない。限界を超えた集中。頭が脳内麻薬で溢れ、世界の動きが停止する感覚。巻き上がる砂塵の一粒すら止まって見える世界。動いている者はキングの体といなほだけだ。二人だけしかいない異次元空間。砂粒を砕いて右拳は動いた。土を踏み潰して右足も飛んだ。放つのは正拳突き。単純でありながら、最強の破壊力を持つ技。これはまず踏み込んだ足から得られるエネルギーを集めるところから始まる。
得られた力は回転という無限のエネルギーを引き起こす形に筋肉のサーキットを伝うことで変化すると、次は筋肉自身がそれを受け取って燃焼させ、拳という弾丸を射出する火薬に変貌する。
その力はいなほという空前絶後の筋肉砲台によって、戦車砲以上の力を漲らせ、伸びゆく拳の駄目押しの反発力となって飛び出す。
タイミングは完璧、キングの拳に着弾を果たすとき、いなほの拳は最高の速度と力を持つに至る。この戦いで何度も塗り替えられた自分の全力をさらに塗り替える一撃。今の自分にはこの上は望めないと思えるくらい完璧で究極の一撃。
──ぶっ殺す!
駄目押しに殺意をたらふくトッピングして、破壊をもたらす鬼の一撃はキングの拳と激突した。
まず砕けたのは、指だった。
「あっ……」
スローモーションの景色。どうして声が出せたのか不思議だが、それよりも不思議なのは、キングの拳に触れた右手の指があらぬ方向にへし曲がったことだろう。続いて、破壊の限りを尽くしてきた拳の骨が砕けて、キングの拳が振り抜かれていき、いなほの腕は頼りなく虚空に弾かれていく。そして異常な衝撃に、手の甲から次々と、断絶した毛細血管からの出血が肌を引き裂き空に舞って行く。筋肉が引き裂かれ、ちぎれていく、その腕に引っ張られる形でいなほの体も浮き上がった。
迫りくる拳。待て。困惑をよそに胸に触れる王の拳。待て。メキメキと悲鳴を上げる胸骨と肋骨。待て。揺らぐ視界、ゆっくりと等速に戻る世界。待て。白熱の思考が、流れる熱血と共に冷たくなっていく。待て。足が地面を離れて、拳に連れて行かれる。待て。内臓がぐちゃぐちゃになった気分、脳がシェイクされて、イメージはジェットコースター。待て。成す術なく拳に押され、かき消えていく意識。待て。世界は等速に、いなほが終わる。まだ俺は──
「死ネ、人間」
敗北。これが、現実だ。
次回、不倒不屈の少女勇者