第三十四話【ヤンキーぱんち(零)】
副題は【アイリスVSトロール軍団】
「グガァァァァァァァァ!」
「来るぞ!」
十体のトロールが同時に襲いかかる。だが互いに背中を預けているために、他の者を気に掛ける余裕はあまりない。ここにいる者ならば楽な相手ではあるが、トロールの攻撃力は存外侮れない。直撃を受けて平気でいられるなどいなほのような奴ではない限り不可能だ。
個々で戦闘に入っていく。アイリスもまた目の前の敵に二刀を構えた。
「氷の女神!」
アイリスの持つ大剣。氷の女神に青色の魔力が吸われていく。直後、氷の女神を中心に、アイリスを包むように霧が現れた。
そこにトロールの棍棒が走る。だが瞬きの間にアイリスに直撃するはずであった棍棒は、霧に触れた瞬間に凍りついて動きを停止させられた。
これぞ氷の女神の持つスキル。害意のある敵の攻撃を凍りつかせる攻勢防御術式だ。本来なら展開に莫大な魔力と詠唱を用いるが、そこは氷の女神の性能。持ち主と認めた主の魔力を僅かに吸いとるだけで、近距離攻撃を封殺する鉄壁の防御を展開する。
「せぇ!」
そしてアイリスは霧をひきつれてトロールの懐に入り込んだ。凍りつくトロールの体に、重量のある氷の女神を叩きつける。
硝子が粉砕するかのようにトロールがはじけ飛んだ。氷の粒と化したトロールの肉塊を全身に浴びながら、次々と現れるトロールを見て舌打ちをする。今はいいが、この調子で来られては本命を討つ前に体力を削りきられてしまう可能性がある。
「ち! 魔獣がこのような戦法をとるとはな!」
奇襲から始まり、間髪いれずに波状攻撃。単純な戦法だが、これを魔獣がやるとは想定しきれていなかったためにすっかり罠にはまってしまった。
だがいなほは逆に歓迎だと言わんばかりに鼻を鳴らす。アイリスと背中合わせになる。互いを見なくてもわかる呼吸。心配する必要のない背中越し。
「へっ! やっこから来るなら歓迎だろうが! 探す手間が……」
拳を打ち鳴らしいなほは叫ぶ。
「省けるってもんだろ!」
全力の前蹴りが、棍棒が当たるよりも早くトロールの腹を突き破る。サンダルは既に脱ぎ捨てた。素足も拳も赤く染める様はまさに鬼。
味方に鬼がいるなら心強い。弱気になりそうになる心を叱咤して、アイリスもまた氷の魔剣を縦横無尽に振るい続ける。
そんな二人の鬼気迫る勢いに感化されてか、他のメンバーも俄然やる気を出していく。
初手は取られたが、逆に士気は高まった。次々に増えるトロールの亡骸を踏み台にして、一同は迷いの森を突き進む。迎え撃つからこその迎撃。打って出るのが今の最適なのだ。
先陣を切るいなほの背中を守るようにアイリスがサポートをする。まるで一個の生物となったかのように一同はトロールを薙ぎ払いながら進んだ。
「いなほ! 任せているが大丈夫か!?」
「安心しな! キてんぜこっちから! ギンとよぉ!」
遮るものは大木であろうが拳で粉砕して走る。進むごとに豊富な森林が筋肉の暴虐に屈して次々と倒れていき、鳥たちが生存本能に従って空に逃げていった。
走りながら、いなほは懐かしい気分に包まれていた。かつてのように、背中を仲間に預けて、自らが道を切り開いていく。いつだってそうだった。そうして自分は仲間たちに背中で自分を語ってきて、その背中を預けてきた。
何も変わらない。信頼できる仲間がいるから、いなほはひたすらに突き進める。
「うおらぁ!」
また現れたトロールをぶん殴り奥にある樹木もろとも吹き飛ばす。
単純すぎて歯ごたえすらない。闘争を望む心は次第に飢えを覚えてきている。もっと強い敵を、さらに戦いを。そういなほが願った瞬間。
視界の隅を光る何かが横切った。
「ッ!?」
咄嗟に身を屈めてそれをかわす。刹那、風を切り裂く音と郷風がいなほの髪を揺らした。
驚く暇もない。いつの間にかいなほの目の前には、全身鎧に身を包み、アイリスの持つそれよりも巨大な鉄の塊を持ったトロールが居た。
「トロールナイト!」
「騎士様の出番かよ!」
流石にこれまでとは違う雰囲気を感じ取ったのか、いなほは目の前の敵から距離を取って構える。
トロールナイト。ランクGの危険な魔獣だ。トロールよりも知能に長けて、僅かながら剣術も扱えるうえに、トロール以上の腕力を持ち、全身を包む鉄の防具により防御力も高いので危険な魔獣として上げられている。
そんな相手が一体どころではなく、立ち止まったいなほ達を取り囲むように全部で十体現れた。さらに背後には最初に比べては少ないが、トロールの群れが控えている。
「どうやらここが本命らしい」
「だな」
互いの武器を構えて、いなほとアイリス、そして冒険者と教員達が気を引き締める。立ちこめる闘気に反応して、トロールナイトが持っている武器を大上段に構えた。一撃必殺、超攻撃的な構え。
「嫌いじゃないぜ」
いなほは言った。答えの代わりに、まずいなほの前にいたナイトの一撃が走る。
だがクイーンの速度を体験したいなほには遅い速度でしかなかった。血管を浮き上がらせた左拳を腰溜めに引く。右手は疾走する鉄の塊の腹に添えて、僅かな力で横にいなした。刹那の見切り、そして体勢を見事に崩したナイトの胸元にいなほは飛びこむように踏み込む。
「ハァ!」
そして、鉄が大地を抉ると同時に、いなほの拳も、固い鎧に覆われたナイトの腹部へと目がけて進む。鉄の鎧をまるでスポンジか何かのように引き裂くだろう拳の脅威を感じ取ったのか、ナイトは驚異的な反射神経で鉄から片手を放すと身を捻じって絶殺を逃れた。
大気を引き裂くのみで終わった拳。彼我の距離はほとんど密着状態。そしてその距離ならば、いなほのほうが圧倒的に優位である。拳を避けられた怒りもそうそうに、繰り出す次手は、またもいなほの必殺一手。
「フッ!」
僅かに呼気を漏らして、いなほはナイトの腹に鉄を逸らした右手を添える。完全な密着状態。直後、しっかりと根を張っていた両足が、何の予兆もなしに大地へと沈んだ。
「コォ……!」
踏み抜いた大地から得たエネルギーを腰を突き出すようにして射出。我流で編み出した寸勁の一種だが、その動きは達人のそれ以上の技量を持って行われる。
零距離からの最大攻撃。持てる技量の粋を尽くした必殺の武術。人間の研鑽が産んだ技術を、人外筋肉が放つ拳閃一本。
「カァッ!」
捻じりこむように放たれた寸勁が、ナイトの鉄の鎧を引き裂いて腹部を切り裂く。生温かい感触がいなほの拳を包んだ。殺害の確信。犬歯を剥いたいなほはさらに駄目押しとばかりに右腕を引き抜くと同時に、その顎目がけて掬うように一撃をお見舞いした。
ナイトの口から血が溢れる。他愛ないとは言わない。互いの技量の末に生まれた一撃のみの攻防。
成し遂げた戦いの余韻にいなほの背中がブルリと震えた。
「誇りな。俺に避けさせたのは自慢していいぜ」
例えいなほであっても、ナイトの膂力と鉄の重さが合わされば、直撃することでダメージは必至だった。もし一対一だったならば、あえて受けたかもしれないが、今回は戦争だ。最小限の力で最大効率。この一点に限る。
そして今は、お前を相手にする時間すら惜しい。
ナイトの亡骸から拳を引き抜く。背後では未だアイリス達が戦っているが、いなほはそれを無視して前で待ち構えるトロール、否、その先を見た。
「そうかよ」
戦いに夢中になってるアイリス達は気付いていない。だがいなほだけは、遠くよりこちらを威圧するその存在に気づいていた。最初の襲撃からここまで、その威圧感を追ってここまで来たのだ。
そしてその持ち主は、遠くからでもあのクイーン以上の能力を持っていることがはっきりとわかる。しかも隔絶とした力の違いだ。以前、いなほはクイーンを極上と評したがとんでもない。この先にいる奴は、明らかに『群を抜いている』。
「売られたら、買わないとよぉ」
そんな相手が自分を誘っていた。極上の美女を前にしてもこうはいくまい。周りの全てが知覚出来なくなる。あの存在を強く感じた時、いなほの全細胞はそいつにのみ意識を集中させた。それは裏を返せば、そうせざるを得ない程の強敵ということに他ならない。
「……」
真っ直ぐに突き進む。道を阻むかと思ったトロールも何故かいなほを邪魔することなく見送った。
「いなほ!?」
一人進むいなほに気付いたアイリスが声をかける。だがさらに何かを言おうとしたアイリスだったが、ナイトとの戦いの最中、僅かにこちらを振り返ったいなほの横顔を見て言葉を失った。
笑っている。殺気を漲らせて獣が笑っている。邪魔をすればお前だって容赦はしないと言わんばかりの眼差しに何も言えない。そして、そんな余裕を見せられる程、目の前のトロールナイトは弱い敵ではなかった。
「ゴォォォォォォォ!」
「くっ!?」
勇ましい声と共に鉄塊を振り下ろすナイトの一撃を、攻勢防御で減速させて、氷の女神の刀身で受け止める。それでも爪先まで響く重量感にアイリスは顔を顰めた。
そして、その間にいなほはもう振り向かずに走り出す。どの道、この先にいるのが『奴』ならば、ある意味では足を引っ張りかねない自分達は、ここでいなほの元にトロールが行かないようにするしかない。
「せめて、死ぬなよ……!」
先に待ちかまえるのは本当の大将戦。アイリスはただただそう願うしか出来なかった。
だがそんなアイリスの願い等かき消すようにナイトの刃が横一文字に走る。
「ハッ!」
アイリスは受けるのは難しいと判断して後ろに大きく下がる。同時、刃を走らせて無防備なナイトに躍りかかろうとして、その背後から現れた新たなナイトに目を疑った。
「二体目!?」
「ゴォォォォォォォ!」
突貫したアイリスに、この好機を逃すまいと大上段から鉄塊が落ちてくる。
回避は間に合わない。詠唱も遅い。腕力は敵側が優位。目まぐるしく動く戦局、アイリスは覚悟を決めてさらに踏み込んだ。
「これでぇ!」
片手剣を捨てて、氷の女神を両手持ちで構える。分が悪くても迎撃をするしかない。全身のバネを使ってアイリスは回転する勢いで氷の女神を襲いかかる鉄塊に合わせた。
ぶつかり合う巨大な剣。だが剣の質量は負けてはいなくても、担い手の腕力が如実に表れ、アイリスは氷の女神ごと地面に叩きつけられた。
「グゥ!?」
打ちつけた背中が痛い。肺の空気を全て吐き出してしまったかのように苦しくなる呼吸。
だが、怪我はしていない。再び真横に刃を放ちアイリスを断とうとしているナイトを見据え、空気を無理矢理吸い込み、魔力を解き放つ。
「『氷の盾!』」
魔力を込められた言葉は、その意味の通りにナイトの射線上に氷塊を生み出した。一メートルはある分厚い氷に阻まれ、さらに攻勢防御で止まる刃。続いてアイリスは未だに自分を押さえつけるナイトの鉄塊を睨んだ。
「『凍てつく風、迫りくる者をことごとく凍り尽くせ!』」
以前ゴブリンを足止めした魔法の詠唱簡略版にして、充分に魔力を込めた完全な魔法。それはゆっくりと防御魔法によって凍ってきていたナイトの武器と腕を忽ち氷で覆い尽くした。
「ゴォ!?」
突然凍った自分の腕にナイトが困惑の声を上げる。アイリスはその隙を逃さずにナイトの束縛から逃れると、その横に回り込み氷の女神を振りかぶった。
「ハァァ!」
おまけにナイトの足も凍らせたことによって逃げる時間はない。乾坤一擲。窮地の中見出したチャンスを逃がさずアイリスは飛び上がった。
呆然とこちらを見るナイトのアホ面。所詮はトロール、その程度の存在が!
「騎士を名乗るな!」
氷結の騎士、アイリス・ミラアイスの誇りを乗せて放たれた一撃は、兜と鎧の隙間に吸い込まれるように入りこみ、その首を跳ね飛ばした。
まず一体。だが喜びも束の間、空中で身動きのとれないアイリスに、氷の盾より武器を取りだしたナイトが、攻撃の体勢に入っていた。
「ゴォォォォォォ!」
「クッ!?」
咄嗟に氷の女神を前に掲げて盾の代わりにするが、叩きつけられた衝撃でアイリスは風にあおられた木の葉のように吹き飛んだ。
大地に再び叩き落とされたアイリスの全身を痛みが走る。骨が軋む音が聞こえた。
「カハッ!」
内臓を損傷したのか、アイリスの口から血が吐き出された。常ならば美しい顔を血で濡らし、脳震盪のせいで一瞬意識が飛ぶ。
だが休む余裕などない。散らばった意識を慌ててかき集め覚醒。目覚めれば止めの一撃を行おうとするナイトが自分に影を落としていた。
「……ッ!」
横に転がって、自身を真っ二つにせんとした冗談を辛うじて避けて立ち上がる。
見れば、ナイトの他に、自分を取り囲むように立ち並ぶトロールの群れ。絶望的な状況、生存等殆ど不可能に近くて、誰だってこの状況なら膝を折ってしまうだろう。ダメージは甚大、膝は震え、氷の女神がやけに重い。呼吸も喉に残った血のせいで上手く出来ず、回復にはいくらかの時間が必要だ。
心の何処かで弱気な自分が鎌首を上げる。今すぐ逃げ出せ。無駄死にする必要はない。何故こんな無謀な戦いをする必要がある。
だがアイリスは誰に感化されたのか、それら弱気を一切合財封じ込め、余裕がまだまだあると言わんばかりにニタリと笑って見せた。
「いなほ、君ならこんなときどう言うかな? ……そうだ」
氷の女神を片手で肩に担ぐ。そして空いた手でナイト達を挑発するように手招きした。
「ほら、かかってこいよ、三下共」
──戦いは激化していく。
次回、ヤンキー咆哮