第三十話【ヤンキー、斡旋所へ行く】
頭上で輝いていた太陽が沈み、五つの月が放つ淡い輝きが世界を満たす夜の街。普段ならそれでも賑やかさを損なわないマルクは、街全体を包む不気味な気配のためか、いつもよりも何処か静かな雰囲気に包まれていた。
火蜥蜴の爪先の二階。今はいなほとエリスの部屋となっているそこも、何処か神妙な空気が流れていた。
「そんじゃ俺ぁちょっくら酒引っかけてくるぜ」
そう言って、ベッドに横たわり今にも落ちそうな重い瞼を懸命に持ち上げているエリスの頭を撫でたいなほは、本当に何でもないといった様子で立ち上がった。
「いなほさん……」
「大丈夫だ。どうにも目が冴えてるからよ。一杯飲んだらすぐ戻る……テメェはさっさと寝てろ」
「ふぁ……い」
限界が来たのか。エリスの瞼がとうとう降りる。同時に、可愛らしい寝息がその口から洩れた。
「ケッ、緩い脳みそしてんぜテメェは」
口は悪くても、表情には穏やかな笑みを浮かべるいなほ。だがエリスに背を向けたと同時、その顔がきつく引き締まる。
エリスを起こさないように、ゆっくりと扉を開くと、そこにはもう準備を済ませたアイリスが立っていた。
「行くぞ」
「ハッ、命令すんなよアイリス。付いてきな」
いなほは気力を漲らせて、アイリスの前に出ると先を行く。その背中に従うようにアイリスも歩き出した。
道中に会話はない。まだ街をうろついている人の横を抜けて、二人はあっという間に斡旋所に到着した。うっすらと室内から放たれている灯りが、何処か街全体の陰鬱さを映しているようにも見えた。構わず入り口のドアを開けると、カウンターには依頼を受けた時にもいた女性がいて、こちらに気づくと軽く会釈した。
「アイリスさんと……あの時の方でしたよね」
「いなほだ。早森いなほ。こいつに言われてな、仕方なく来てやったんだよ」
「……こういう奴だ、まぁ害意があるわけではないので許してやってくれ」
常の威圧感を思う存分発揮するいなほを指差してアイリスが申し訳なさそうに苦笑した。受付嬢も愛想笑いを浮かべて応じると、「ではこちらにどうぞ」と二人を先導して奥にある普段は立ち入り禁止の階段を上って行った。
いなほも誘われるがまま行こうとするが、その肩をアイリスが掴んで抑える。何だ? と振り向けば、別の意味でも深刻そうな表情をしたアイリスが一言。
「今更だが態度を改めろよ」
「あ? 何を今更──」
尚も言い募ろうとするいなほの言葉を遮るように、どんよりとした暗い何かを瞳の奥に灯らせながらアイリスがさらに顔を近づける。というか目が死んでる。
「頼むからこれ以上火蜥蜴の名前を落とさないために頼むから本当に頼むからやらなかったら一生後悔させるからなそして夜な夜な夢に出て筋肉野郎ってずっと呟いてやる!」
「お、おう」
「はい言った! 今言ったからな! 今言ったこと聞いたからな!」
あまりの剣幕(むしろ懇願)に思わず頷いてしまういなほ。未だ不安は残るが、一応は納得したのだろう、アイリスは懐疑そうにいなほを見るが、肩から手をどけて階段を上っていく。
「……ったく、信用ねぇな俺もよぉ」
アイリスの背中を見ながら一人愚痴る。だがその表情は、真っ直ぐに自分と向き合ってくれる彼女への好意からか、淡い笑みを象っていた。
そして遅れて階段を上がったいなほは、大きめの扉を開けて中に入るアイリスに続いて入室した。
「……」
室内はどうやら会議室だったらしく、とても大きな作りとなっていた。既にほとんどが集まっていたのか。部屋の会議用テーブルの無数の椅子には斡旋所の人間も含めて十人、内五人がアイリスも知っている冒険者で、三人が魔法学院の教員だ。誰もが歴戦の勇士といった者達が座っていた。入室してきたアイリスといなほ、特に新参者であるいなほに彼らの好奇の視線が注がれる。
当然、堂々とした態度でいなほもまた彼らを見渡した。全員が強者、内の獣が目の前の極上の餌を前に牙を剥こうとするが、今はそのときではない。冷静を装っていなほがアイリスの隣に着席すると、この場の代表である斡旋所側の一人が立ち上がった。
「まずは急な招集に応えていただき感謝する。中には見慣れぬ者もいるが、ここにいる者が連れてきたということは信頼のおける者なのだろう。皆は知っているだろうが、一先ず自己紹介をしよう。私はこの斡旋所の所長、カール・イズルという。自己紹介はしておくかね?」
初老の男、カールの視線がいなほに注がれる。いなほはそれもそうかとゆっくりと立ち上がると、周囲に視線を配ってから口を開いた。
「ちょっと前に火蜥蜴に入った早森いなほだ。まぁ頼むぜオイ」
それだけ言うとすぐに座ってしまう。まるで紹介にもなってない。頭を抱えそうになりながらも、アイリスがその後を引き継ぐように立ちあがった。
「あー、すまない。彼は実は本当につい最近ここに来たばかりでな。そして斡旋所のほうは知っているだろうが、今回の案件の証人にして立役者でもある」
「立役者?」
座っていた冒険者の一人が疑問を上げる。アイリスは頷きとともに返答した。
「トロール総勢十八体。殲滅したのはこの男ただ一人だ」
その言葉に室内が騒然とする。だが斡旋所の人間が懐疑的なのと対照的に、集まっている冒険者の驚きは、「強そうには見えたがそこまでとは」という驚きからだった。
「ランクはD+。今回の案件での切り札になると私は思っている」
「なんと……もしやいなほ殿は何処かの貴族様では?」
カールが興味深げにいなほに問いかける。
だが返事をしたのは当の本人ではなく、疲れた風に肩を落とすアイリスであった。
「それは断じてあり得ない。先に断っておくが、この男、戦闘力は保障するが性格は飢えた獣よりもタチが悪い。皆も必要以上に刺激しないようにしてくれ」
「……俺は爆弾かっつーの」
アイリスのキツイ言葉に、いなほはツッコミと共に嘆息を零す。だが事実ではあるので、別段怒ることはない。「ではよろしく頼む」そう締めると「そして、もう一つ聞いて欲しいことがある」と、そのままアイリスは先日の依頼のことについても語り始めた。
「……と、言うことだ」
「迷いの森のクイーンが負傷した状態で村まで降りてくる……キングは死んだと見ていいだろう。しかし、まさかそこまでのことになっていたとは……」
「ちなみに件のクイーンもこの男が」
「むぅ……君には感謝してもしきれないようだな」
「気ぃすんなよ。俺も楽しかったしよ」
本来クイーンの討伐など楽しむべくもないのだが、アイリスはともかく、室内の人間はいなほの発言を場を和ます冗談と受け取ったらしい。
そしてアイリスが座った所で、カールが再び立ちあがった。
「……さて、ではミラアイスからの報告も終わったところで本題に移ろう。ここにいる者はおそらく全員知っているだろうが、十日程前、ミラアイスが得た情報によりトロールの大規模な集団が発生したという話を受けた。だが先程の発言の通りなら、彼、いなほ君が大部分を殲滅したらしい。しかし、その後我々が招集した人員が調査に向かったところ、帰還者は一人もいなかったことより──斡旋所のほうではこの一件が終わっていないという結論に至った」
カールの言葉は誰にとっても予想通りだったのだろう。全員が話を聞いて神妙な面持ちとなったが、それに関しては今更といった様子だ。
問題なのは敵の規模。そこに尽きるのだから。直後、冒険者の一人が手をあげて質問をする。
「想定される敵は、トロールナイトか? それとも──」
「トロールキングと考えて事に当たった方がよかろう」
カールが間髪いれずに答える。「だろうな」と質問した冒険者の男も肩を竦めて皮肉げに笑った。というよりか笑わなければやってられないといったところか。
もし敵がキングならば、確かにここにいる面子全員で当たらなければならないレベルだろう。いなほを入れて総勢七人の少数精鋭。そして相手は王を頂点に置いたトロールの軍。
五年前を知っている人間ならば、この戦いが過酷を極めるだろうことを理解しているだろう。そして知らない者ですらこれまで積み上げた戦いが、今回の戦いの過酷を思い描き真剣な表情をしていた。
だがここに、一人だけの例外が存在する。
「でよぉ、アイリスからも聞いたが……そいつは強いのか?」
手をゆるりと上げてそんなことを言ったのは、その他の人間とは違って随分とリラックスした姿のいなほだ。一応空気を読んでか笑ってはいないが、目だけは喜悦の光を宿している。
いなほの内の輝きに気付いていないカールはゆっくりと頷いた。
「あぁ。確か君はD+だったね? あのトロールキングはC。あるいは君ならば一対一で打倒出来るかもしれないが、それは難しいだろう」
「クイーンバウトと比べたら?」
「……あまり詳しく比べることは出来ないが、おそらくクイーンなら五体程度は圧倒するだろう」
「ふ、ひゃ……それだけ聞けりゃ充分だ」
思わず漏れそうになった笑い声を噛み殺し、いなほは立ち上がるとその場を後にする。
背中にアイリスが自分を制止する言葉が聞こえたが無視だ。
「クイーン五体を圧倒だってよぉ? あの極上を五体だ……五体だぜぇ」
何せ自分は今こんな状態だ。強敵と戦うと思っただけでこんなにも胸が高まる。言葉で表すなら恋に似ていた。間違いなくいなほはまだ見ぬ敵に恋してる。
だが込み上げる喜びは、唐突に脳裏を過ったエリスの寝顔によって、途端に罪悪感に変わった。
「……あいつは、トロールがいなけりゃ今も変わらなかったはずだ」
他ならぬ自分に呆れてしまう。エリスの仇だと理解しているはずだったのに、それ以上に強敵を喜ぶ自分に。
だがこれだけは変えられないし変わらない。いなほという人物の中心にはいつだって『自分が最強である』という概念がある。それがあるからこそ、強者という存在が自分の最強を証明するから欲しくなる。
単純すぎる自分勝手。身勝手な自分本位。いずれは己を滅ぼす自意識故に、いなほは決して止まらない。
「全部ひっくるめて叩いて潰す。それでシめぇだ」
明日を思う。臓腑に溜まったマグマを吐きだす瞬間はすぐそこだ。
次回、永遠の誓い。そして決戦へ