第二十九話【ヤンキー、敵を知る】
五年前、アードナイの現女王の尽力によって四カ国同盟は結ばれた。これは北のエヘトロス帝国の侵攻を防ぐためという名目があったが、実際は北の帝国と四カ国の間に『あった』大国、アドラク共和国に現れた三体のAランク魔族によって、大陸の至るところで突如行動を開始したその他の魔族を殲滅するためというのが真の理由であった。
魔族。それは、魔獣が進化した存在とされていて、その力はほとんどがDランクを超える能力を持っている。これがAランクの魔族、現在は三大魔王と語り継がれている存在が活動したことにより、大陸中の魔族が動き出したのであった。
大陸中の国々は暴れる魔族の対処に追われることになり、王族貴族、そして人族と比較的友好的な関係を持つ鬼人や竜人達による善戦により、村々を幾つも滅ぼされながらも何とか拮抗を保っていたが、三体の魔王は次々と魔族を大陸の至るところに召喚し、その間に共和国は魔王の手に落ちてしまった。
このままでは自身の首も危ういと感じた四カ国同盟と周辺国家、そして帝国は、海を渡った大陸にあるA+ギルド『傾いた天の城』に魔王討伐を依頼。共和国内の三大魔王は、ギルドが派遣した人材によって、僅か半日で国ごと殲滅されたのだった。
現在、大陸の中央には国一つ分の巨大な湖がある。そして魔王が死んだことにより、各地で暴れていた魔族も次第に鳴りを潜めるようになり、尚も暴れる者は殺されたのだった。これが俗に言う魔王戦争であり、その傷跡によって、未だに四国家と北の帝国との間に、冷戦ともいえる状態が築かれることになったのだ。
だが危険がすぐそこに迫っているかもしれない。依頼の報告を終えたアイリスは、深刻な面持ちで、調査団が今なお帰ってきていないことをゴドーから聞いていた。
「まだギルドのランク持ちと商人のトップ連中しか知らない。今回の調査団の派遣先は、表向きは時期の早い冬に向けた大規模な食糧運搬の護衛になっているから、後一週間は帰ってこなくてもマルクの奴らに動揺はないだろう」
「だが既に魔族の所に調査団が向かったという噂は流れている、と言ったところか」
ゴドーが小さく頷く。「クソっ」と、アイリスらしくない汚い言葉がその口から零れた。
「まさかこうも早くギルドが動くとはな……いや、私が自分の影響力を過小しすぎたのが原因か。せめてもう少し早く動いていれば私も同行出来たというものを……怠慢と油断か。早く行動してほしいと思っていながら、そんな可能性を否定した自分が愚かだった」
「自分を責めるのはよせアイリス。お前の行動はなんら間違えてはいない」
「こちらからは誰が出た?」
「いや、調査に出向いたのは結局新鋭ギルドの者らしい。彼らには村の救助依頼だと伝えたと報告があった」
「斡旋所の老人共が……! 所詮、奴らから見れば出たばかりのギルドなど代わりのきく物でしかないのか……!」
カウンターテーブルを強く叩く。テーブルがきしんだが、アイリスは構わず怒りに震えていた。
その叩きつけた拳の隣に、ゴドーが冷たい水の入ったグラスを置く。
「落ち着け」
「……すまない」
アイリスはグラスを持つと、一息で全てを飲み干した。沸騰していた心に沁み渡る冷たさのおかげで、幾許かの落ち着きを取り戻したアイリスだったが、その表情は曇ったままだ。
二つ名に騎士という言葉がある通り、アイリスは責任感の強い女性だ。今回の出兵に間接的にとはいえ自分が関わっていることを自覚しているが故に、感じている重責は一入だろう。
そんなアイリスの心情がギルドに彼女が入ってからの付き合いであるゴドーにはよくわかった。だが幾らアイリスが強くなり、聡明になろうがどうしようもないことがある。
「アイリス。今晩マルクの全ギルドのF-ランク以上の者に斡旋所への招集がかかった。出てくれるか?」
「無論、これは私の過ちだ。私が正す。心の何処かでエリスといなほの証言が過大だったと思っていた。その過ちをな」
普通ならばトロールの群れの襲撃など信じるわけがない。疑う気持ちはあったものの、二人の証言を信じたアイリスは例外とでも言っていいだろう。現にゴドーはアイリスからそのことを聞いた時も、アイリスでなかったなら信じはしなかったし、代わりに村に調査に行った者も、その目で確認するまで疑心に溢れていただろう。
僅か五年前の悲劇があったからこそ、人は目先の脅威を信じられないのだ。同じ過ちは繰り返さない。現実はそれが驚異的であればあるほど、人は過ちを見ようとはしない。
そして結果として悲劇は繰り返された。悠長に一週間の依頼を受けことを今は後悔している。いや、あれはあれで人々の脅威を取り除いたのだから、結果的には正しい選択だったのだが。
いずれにせよアイリスは状況を楽観していた。だがもっと強く進言しなかったいなほとエリスを攻めるようなことはしない。エリスは村で生活していたため、そもそも五年前の悲劇など知りもしないだろうし、いなほに至っては魔獣すらつい最近初めて会ったかのようだった。
だからこれは全てアイリスの責任だ。誰でもなくアイリス自身がそう思っている。
故に怒りは胸の奥。再び上げられた顔には常の凛々しき佇まいが戻っていた。
「あの兄ちゃんとエリスにはどうする?」
「……いなほには私が伝える。エリスは──ことが終われば必ず、な」
「何を誰に伝えるって?」
不意の声に振り向けば、ギルドの入り口、扉に背中を預ける形でいなほが立っていた。どうにも穏やかではない雰囲気を察したのか、短い言葉には刺々しさが溢れている。
いなほの傍にはエリスの姿はない。先に戻るといって、大量の昼飯の後処理を任せてきたのだ。今頃泣きながら満腹の胃袋に料理を詰め込んでいる最中だろう。
「……聞いていたのか?」
「今さっきな。エリスはいねぇよ。へっ、俺の勘も馬鹿にはなんねぇ」
壁から背中を放して、いなほはアイリスの隣に座った。ゴドーが静かに新たなグラスに水を注いで置く。
躊躇いなくいなほは水を飲み干した。よく冷えた水が喉を通り潤わせる。だが渇きを覚えている心はどうしようもない。
「言えよ。ゴキゲンな話なんだろ?」
猛禽類を思わせる鋭い眼光。話を聞かなくても、いなほという男は既に新たな強敵の匂いを敏感に感じ取っていた。
そんないなほが怖いとアイリスは正直思った。何せこの男は、誰もが忌み嫌うか恐れるしかない魔族の話を聞いたとしても、必ずや変わらぬ笑みで変わらず前進し、例え死の間際でも高笑いしていそうなのだ。
闘争本能の塊。今ならはっきりとわかる。クイーンの亡骸を見て感じたいなほに対する予感。この男は、もしかしたらこの戦いのために、ここに現れたのではないのだろうか。
「……君は、以前戦ったクイーンより何倍もの強さを持つ化け物と戦うとしたら、どうする?」
答えの分かりきった問い。是非もない。いなほは興奮に目を剥いて肩を揺らした。筋肉を隆起させると、今にも暴れ出しそうな、獣気とも呼べる気をまき散らす。
「殴る」
さらに。
「蹴る」
そして。
「勝つのは、『俺』だ」
絶対的な自信が言葉の節々から溢れていた。気負いもなく、息を吸うのと同じように自分の勝利を疑っていない。
勝つのだと。どんな敵が相手だろうと勝利するのだと。男の眼は何よりも雄弁に語っていた。
アイリスは僅かに押し黙った後、降参とばかりに嘆息をついた。
「そうだな。君は、そういう人間だった……早速本題に入ろう。以前、君が遭遇したトロールの群れ、もしかしたらアレの後ろに魔族がいるかもしれないことがわかった」
「魔族?」
「高度な知恵を持った魔獣、とでもいうかな。そして今回の場合、トロールが相手だったのならば、相手はおそらく……小国ならば存亡の危機があるレベル。Cランク、トロールキングだろう」
トロールキング。魔族の中では知能が低くはあるが、魔法すら使う高度な知能、そこにトロールの数倍以上はあると言われる膂力と十メートルはあるという体躯。純粋な身体能力ならば、魔族の中でも上位に入ると言われる接近戦の得意な魔族だ。
そして周りにはトロールの群れを従えており、単体でのランクはCだが、これら全てを相手にする場合、C+並みの危険な戦いになるだろう。
「迷いの森から出るということはおそらくないだろうが、エリスの村と同じように、今後、トロールの群れを使って地道に近隣の村を襲撃するおそれがある。いや、おそらくもう二つか三つは潰されたとみてもいいだろう。普段は定期的に来るはずの村からの商人が来ていないらしい……そしてなるべく我々の目を欺くためだろう、生き残りは一人も残さず全滅させているはずだ。でなければ誰かが応援を要請しているだろう。正直、君達の報告がなかったら、今頃も我々は違和感しか覚えなかったはずさ」
淡々と語りながらも、アイリスの胸の奥には怒りが渦巻いている。
対照的にいなほは怒りを隠そうとはしなかった。眉を歪め、アイリスの話を歯を食いしばりながら聞いていた。
「また、あれが起きてるってのか」
吐きたくなるほどに凄惨だった村の光景を思い出す。生き地獄のような世界。あの時に感じた怒りは、今でもいなほの中に燻ぶっている。
もう終わったとばかり思っていた。酷な言い方だが、エリスの村の者の生存がないと分かった時点で、後は事後処理だけが残ってるものとばかりだといなほは楽観していた。
甘かった。そう、戦いによる高揚におぼれていたいなほは、あの集団を指揮している存在をすっかり失念していた。
少し考えればわかることだというのに、俺はエリスの仇をまだとっちゃいねぇ。
歯ぎしり。怒りは自分と敵の両方に。混ざり合う感情の波を今すぐにぶつけたい。
いなほは無言で立ち上がると、出口に向かった。
「何処へ行く」
「潰しに行く」
「何のために」
「行くためだよ」
躊躇いないいなほの返答だが、こればかりは頷くわけにはいかなかった。今回の戦いは、いなほという戦力こそ一番の要になるはずだ。
「待て。幾ら君でも、いや、君だからこそ一人で行かせるわけにはいかない」
アイリスが先回りして出口の前に立つ。邪魔だと目で訴えてくるいなほを真正面から睨み返し、確然とした態度で対峙した。
「あぁ? おいアイリス。テメェの言葉、俺が負けるって聞こえるぜぇ?」
「あぁ。今回に限っては、貴族でも子爵以上でなければ単独で赴くのはただの蛮勇だ。そんなところに、未だ魔法の一つも使えない君を送ることは出来ない」
「……笑えるぜアイリス。俺がこれまで一度だって魔法に頼ったかよ?」
「いいか。相手はクイーン以上の身体能力を持つ。確かにそれだけなら君でも戦いになるだろうが、さらにそこに魔法が加わるのだぞ? しかもおそらくは強化の魔法……トロールの数倍の腕力が、強化でさらに数倍以上に膨らむ。この意味がわかるか?」
強化の魔法。これは冒険者になるには必須の魔法と言われている。効果は至ってシンプル。自身の身体能力を爆発的に肥大させることだ。
これにより、ちょっと力の強い少女のネムネですら、強化が使われている最中は馬の速度とトロールの一撃に辛うじて耐えられる腕力とタフネスを得られる。
そうして人族は魔獣と戦うことが出来るのである。常識的に考えれば、これまで強化も使わず魔獣と互角以上に戦ったいなほが異常なのだ。
そして、魔獣と戦うための力を、通常ですら人間を遥かに超える力を持つ魔の者が使う。これが魔族の恐ろしさだ。人族にある知恵という武器すら、奴らは使用してしまう。
「ちっ……わぁったよ。で、どうすりゃいんだ?」
アイリスの説得に根負けしたのか、いなほの体から溢れていた攻撃的な気配が霧散する。
この男のことだから無理してでも行くと言うかと思っていたアイリスは、意外な反応に目を剥くが、慌てて応えた。
「とりあえずは今晩斡旋所で行われる作戦会議に来てくれ。明朝、おそらく迷いの森に行くことになる」
「あいよ。じゃあまた後でな」
今度こそいなほは止まることなくギルドを後にした。
扉を後ろ手に閉めて、前を向く。眼には強烈なまでの戦意があった。
「確か、迷いの森って言ったな」
そこに行けば、自分よりも強い奴と会うことが出来る。そして、エリスの人生を滅茶苦茶に壊した奴にケジメをつけることも可能だ。
沸々と込み上げる怒りと歓喜。
「……仇はきっちりつけてやるからな」
決戦は明日。いなほは握り拳を作ると、逸る気持ちをぶつけるように、勢いよく掌に叩きつけた。
次回、作戦会議
どうでもいい用語説明。その三
『魔王戦争』
三体のAランクの魔族(正確には全員A-ランク)、通称三大魔王による大陸中を巻き込んだ戦争。各地で魔族が動き、幾つもの小国が滅んだ。歴史に残る災厄。このことがきっかけで北の帝国への防衛体制が出来たのはある意味では不幸中の幸い。
ちなみに魔王達はボインボイン姉貴に弄ばれたあげくヒャッハーされた。
以下戦闘内容。
魔王×3「無理だよぉぉぉ。全部ヒャッハーされてるよぉぉぉぉ」
姉貴「ほらぁぁぁぁぁ。もっと鳴けよイモ野郎がぁぁぁぁ」
ヒャッハー(国家消滅)
こんな感じ。実際はもっとシリアスでかっこいい戦いでした。