第二十八話【ヤンキーと少女。飲食中】
エリス=いなほの頭装備
ギルドに帰るでもなく、商店街をぐるぐる回るいなほは、とりあえず色んな商店を見て回っていた。アイリスはどうせ言っても聞かないことはわかっていたが、一応「先に戻って依頼の報告だけはしておく」とだけ言うと、いなほとはそこで別れてギルドのほうに行ってしまった。
そして一人になったいなほはといえば、別にギルド街へあえて行かなかったというわけではなく、一週間一人だったエリスに何か土産でも買ってやろうと思い、こうして商店を見ていたのだった。決してギルド街への道を間違えた言い訳ではない。ないのである。
金のほうは帰り際にルドルフが「これは個人的なお礼です」と渡してきた銀貨が五枚。どの程度の金額かわからないが、多分色的に百円くらいといなほはあたりをつけていた。
しかし今日は街の様子が何処となく変である。数日しかこの街にいないいなほだが、明るく盛況な商店街の様子は変わらないというのに、僅かに影を落とした人間が見かけられた。
別段、人の心も千差万別なので落ち込む人間がいてもいいだろう。だがやはりおかしい、少しばかり思案したいなほだが、考え込むのもらしくないと違和感を頭から追い払った。
さてさてと、食べ物から武器防具、日用雑貨まで様々なものが売られている商店街の店を見ながら、いなほはどれがエリスの土産にいいか考える。
武器防具──これはありえない。あのチビが剣と防具着けたら、いなほは笑いすぎて死ぬだろう。
アクセサリー──ガキには早い。
衣服──女の服なんか知らん。
「なら飯だな飯。あいつは背も体も貧相だしな」
結論が出ると動きは速い。何よりも肉つきをよくするなら肉がいいだろう。銀貨を手で遊ばせながら、いなほはとりあえず香ばしい肉の良い匂いのする方に向かっていった。
「へへ、ついでだし俺も一個……」
「いなほさーん!」
唾液を滲ませながら歩くいなほの背にかかる聞き慣れた声。
振り返れば、赤が目立つシャツとパンツルックのエリスが、二つにまとめた髪を揺らして人ごみを飛ぶように掻き分けて近づきながら、いなほに向かって手を振っていた。
「おう、帰ったぜエリス」
「おかえりなさいいなほさん!」
「仕事はどうした?」
「お昼休憩です。そしたらいなほさんの頭が見えたんですよ。エヘヘ、いなほさんおっきいから分かりやすかった」
「だろう? 俺ほどになりゃ漲る気迫だけで誰かわかるってもんよ」
いなほの腕に飛びつくエリスと、それを当然のように持ち上げるいなほ。
そして恒例となった肩車ポジションに収まって、二人は顔を突き合わせて笑った。エリスが悪夢にうなされていなかったか心配だったいなほだが、どうやら杞憂だったらしい。
一週間前よりも明るくなった風に見えるエリスの姿を見て、安堵する自分を感じたいなほは、俺も丸くなったもんだと苦笑した。
「そいやホラ、ちょうどいいから好きなの買えや」
いなほはエリスに持っていた五枚の銀貨を手渡した。エリスは渡された銀貨を見て「わわっ、こんなに貰えないですよ」と慌てて返そうとするが、いなほは笑って首を振るだけだ。
「……じゃあ、一緒に何か食べましょ? 私、この一週間で美味しいご飯を出すお店を見つけたんですよ」
「決定だな。全部使い切るまで食いつくすぜ」
「もう! 銀貨五枚分も食べれるわけないじゃないですか!」
冗談を言い合いながら、エリスが指差す方向に歩を進める。移動型ヤンキータクシーの通行を遮る根性のある人間などいるわけもなく、実にスムーズに目的の飲食店に到着した。
ちょうど昼過ぎで人で混んでいたが、どうにか席を確保出来たので、向かい合うように席に座る。
「どれにします?」
「任せるぜ。金のあるだけ頼みな」
「じゃあじゃあ私は──」
そうして店員に料理を頼んで暫くして運ばれてきた料理は、エリスがお勧めする通り実に美味そうだった。
まずテーブルの中央には鮮やかな色合いの野菜と、一口サイズに切られ、柔らかくなるまで煮こまれた肉だ。そこにとろみのついた餡がかかっており、香ばしい匂いで嗅覚を震わせる。脳まで響く匂いは、すっかり腹の減ったいなほの空腹を一層刺激した。しかし主菜は一つではない。肉がよくほぐれるまで煮込んだ魚が一尾と、茶色くなるまでよく煮込まれた大根らしき物が載せられた大皿も一つ。
そしてその周りを彩るのは、同じく新鮮な野菜を使ったスープ。様々な具を挟んだサンドイッチ。いずれも取れたてで瑞々しい野菜を使ったものである。
「いただきます」
軽快な音を立てていなほが両手を合わせてフォークを手に取った。まずは餡のかかった肉を野菜ごと一口。甘辛い味付けに舌鼓。勢いよくサンドイッチを空いた手に取り食いちぎる。柔らかいパン生地と、挟まった野菜とハムっぽい何か、そしてしつこくない辛さの味付けが餡かけによく合う。
フォークを掴んだ右手はスプーンに変えて、野菜スープを一口。野菜の味をしみ込ませたスープは、口の中の味を一旦リセットさせながらも、暖かく落ち着く味付けで舌を泳がせる。
そして待ってたとばかりにフォークを持って魚の身をほぐす。骨ごと蕩けた肉はあっさりと取れ、肉から汁を滴らせる。熱くもなく程良い温度、ほぐれた肉なのに、味はしっかりとしみ込んでおり、どうやら肉のようにはほぐれてはくれない。噛めば噛むほど汁を滴らせ魚の味が口内に行きとどく。締めは大根、軽くフォークを刺すだけで簡単に切れてしまうくらいに煮込まれている。
美味い。大根を飲み込んだいなほは、充分にエリスがお勧めする料理を満喫していた。その表情だけで全てわかったのだろう、エリスも嬉しそうに、いなほの様子を見ながら、その小さな口にサンドイッチを運んでいる。
リスのようにちびちびと食べるエリスとは対照的に、いなほの食べ方はとにかく豪快だ。一通り楽しんだ後は、大口を広げて次々と食事を詰め込んでいく。
「そういえばいなほさん。依頼のほうはどうだったんですか?」
半分ほど料理が片付いたところでエリスがそんなことを聞いてきた。怪我がないように見えたので安心したが、そういえばいつものタンクトップではなく白いシャツなのに気付き、何かあったのではないかと思ったからだ。
「……いんや、途中服を引っかけて破いちまったが、なんもなく終わっちまったよ」
僅かな逡巡の後、つまらなそうに鼻を鳴らしていなほは答えた。
未だ悪夢の中にいるかもしれないエリスを思えば、クイーン等という凶悪極まりない魔獣とタイマン張ったなどいなほは言えなかった。
いずれはエリスの耳に入るだろうが、いらぬ心配をさせたくはなかった。何せ守ると誓ったのだ。ならばいなほはエリスを悲しませてはならない。
「そ、そうですか」
安堵のため息を漏らすエリス。今のエリスにとって、いなほという存在は精神の支柱のような存在だ。何とかこの一週間はゴドーと共に眠ることで悪夢を見ても寝れなくなるということはなかったが、それでもやはり彼女にとっての希望はいなほだった。
だから無事に帰ってきて何よりも嬉しい。安堵に弛緩するエリスを見てから、いなほは店内の様子を見渡した。どうにも店内の様子がおかしい。
やはり変だ。明るい大衆食堂では忙しなく人が動き、談笑が至る所で繰り広げられているが、緊張の面持ちの者が何人も存在する。いずれも鍛えた肉体等から見て、冒険者のようであった。
こういう賑やかな場所で陰鬱な面を見るのはあまり好ましいものではない。だが張りつめた糸のような緊張感のある彼らの様子から、飯が不味くなると文句を言うには、流石のいなほにも憚られた。
「……変なんですよね。ここ数日」
エリスがそんないなほの様子を感じ取ったのか、メニューを片手にエリスが呟いた。
幼い少女にも、街に立ちこめる言い知れぬ緊張感は感じ取れたらしい。表情を曇らせつつ続ける。
「火蜥蜴の爪先でも、少し前から突然重苦しい空気が流れ始めたんですよね。私、ゴドーさんに聞いてもみたんですが、ゴドーさんは心配することは何もないって言うだけで……でも、ギルド街はもうずっとあの人達みたいな人が沢山いるんです」
「なんかあった……って聞くのも野暮だな。なんかあったんだろ」
何気なく呟いた言葉は的を得ている。帰ってきて早々嫌な気分になるが、苦々しく歪みそうになる表情をいなほは無理矢理抑えた。目の前のエリスの顔が曇っているからだ。
だからつとめて明るく笑ってみせると、机に影を落とす、少女の金色の髪をそっと撫でた。
「まっ、安心しろ。ともかく今は飯だ。美味いの期待してっからよ、不味いのだしたら承知しねぇぞ?」
「はい……!」
手で撫でられるのに任せる。不安で一杯になる小さな体も、この大きな掌があれば全部を吹き飛ばしてくれるに違いない。
大きな男への全幅の信頼があるからこそ、エリスは釣られて向日葵のように暖かな頬笑みを浮かべた。
次回、ヤンキー、敵を知る。
どうでもいい用語説明。その二。
『火蜥蜴の爪先』
現在Cランク。ギルドのランクは、そのギルドに属する者の戦力を合計して出る。つまりギルド員全員で応じれば、理論上はCランクと闘うことが出来る。でもあくまで理論上。実際やれば多分負ける。戦いは火力だよ兄貴!
本部はアードナイ王国北部にある迷宮都市シェリダンにある。その他に二つの支部がある。いなほが属しているのは正確には火蜥蜴の爪先、マルク支部となる。Cランクは結構優秀なギルドで、マルク内でもトップランクといってもいいだろう。
ギルドマスターは炎の魔法を使う獣人。ランクはE-。最近切れ痔になった。