第二十二話【氷結女の、ドキドキ魔獣狩り講座】
アイリスとネムネのコンビの討伐は、男性組とは違いとても穏やかな物であった。
森の中を戦闘態勢に入りながらではあるが、まるで散策しているかのように二人は談笑しながら進んでいる。
「懐かしいものだ。私も君のように初めての担当教師のいない依頼は緊張したよ」
余裕のあるアイリスと違い、いつ襲われるか不安げに辺りを見渡すネムネを見て、懐かしむように目を細めてアイリスはそんなことを言った。
「アイリスさんがデスか?」
あり得ないとばかりに目をまん丸にして驚きを表すネムネに頷き一つを返す。
「あぁ。特に私の場合は、嫌味な話になるかもしれんが、その、周囲から期待されていてね。他の学生とも組まず、ベテランの冒険者の同伴もなく一人でゴブリン討伐に出かけたものだ」
あの時は本当に怖かったと、その時の心境を正確に伝えるために身振り手振りで当時のことを説明するアイリス。
依頼を受ける前は、キースのように自身のランクを過信し、いざ現場に向かったら方向が分からなくなって迷子になっただ、戦闘のとき疲弊していてゴブリンの群れから必死に逃げだした等、時に笑い、時に恥ずかしそうにアイリスは語る。
「……私、もっとアイリスさんは最初から何でもできる人なんだって思ってたデス」
「そうでもないさ。それに今となってはあの一人で赴いた依頼は良い経験になったと思う。あの頃の私は一年目にして既にGランクでね、迷宮でも敵はいなかったから自惚れていた。もしあそこで挫折を味わっていなかったら、私は今の自分より遥かに弱い人間になっていただろう」
仮定の話だが、実際最初の依頼で大ポカしなかったら、アイリスはFランクという領域には到達できず、精々がG+にいったかどうかといった所だっただろう。
アイリスの持論だが、人間はどん底に一度落とされなければならない。でなければ今いる場所に安寧し、気付かぬうちにずるずると堕落してしまうのだ。
「だからネムネ。これから出てくるウルフは君一人で討伐してもらう」
「ハイ! ってえぇ!?」
再びの驚愕は先程よりも大きかった。まさかの一人討伐に一層緊張の色を濃くするネムネに、「安心しろ。なるべく一対一になるようサポートはするさ」と慰めるアイリスだが、ネムネ的には結局戦うしかないのには変わらないので、なんとも微妙な表情になってしまう。
そして決意もつかぬままに、バウトウルフが二人を警戒するように低く唸りながら現れた。数は二。「右は任せろ」とアイリスは言うが早く、バウトウルフ目がけて走り出した。
応じてバウトウルフも向かってくる。言葉の通り、一匹はアイリスのほうに行き、もう一匹はネムネ目がけて駆けてきた。
「たたたた『戦いの力をこの身に』ぃ!」
慌てて詠唱。光が体を包むのと同時にバウトウルフが口を大きく広げてネムネの顔めがけて飛んだ。
「そいつの顎は子どもの首を容易くへし折るぞ!」
「ひぃぃぃぃん!」
アドバイスというか脅しに近いアイリスの助言に涙目になりながら、ネムネはガントレットから突出した刃を交差させてバウトウルフの噛みつきを防いだ。
がちりと刃に噛みつく魔獣の唾液が飛び散り、ネムネの顔にかかる。怖すぎる! 泣きそうになりながら、ネムネは力任せにバウトウルフを振り払った。
だがその程度では当然ダメージにもなりはしない。空中で器用にバランスを立て直したバウトウルフは、着地と同時に再び四肢に力を込めて飛びかかる準備をする。
「飛んだ瞬間に屈んで刃を頭上に突き出せ!」
既にウルフを斬殺したアイリスが助言を送る。ネムネは言われた通りバウトウルフが鋭利な牙のひしめく口内を見せながら飛んだ瞬間にしゃがみこんだ。
バウトウルフは基本的に敵の首を狙って飛びかかる。その習性を利用して、その俊敏さを苦手とするものは、ある程度の憶測を立てて攻撃するのがウルフの攻略方法である。時間がないため説明出来なかったが、ネムネはアイリスの言葉の通りの動きを律儀にしてみせた。
頭上を過ぎ行く刹那、ネムネが見上げる先で腹を見せて頭上を過ぎようとするウルフ。ネムネは強化された反射神経でそれを見切ると、その腹に三つ又を突き立てた。
腹を切り裂き、骨にぶつかり刃が止まる。
「やった!」
ネムネが初めての討伐に歓喜の声を上げた瞬間、頭上で串刺しにされたウルフの切り口から、盛大に血が流れて真下のネムネに降り注いだ。
「にょわぁぁぁぁぁぁ!」
絶叫。そう、絶叫である。花も恥じらう乙女目がけて落ちてくる魔獣の鮮血。咄嗟に目は瞑り視覚はカバーしたが、制服と頭には見事な返り血が付着してしまった。
「うぇ……」
むせ返る血の臭いを嗅ぎながら、ネムネは口にも入った血を吐きだした。
名づけるなら鮮血ピンクというところか。場所が場所ならホラーになりそうな姿に、アイリスは苦笑した。
「ま、まぁ無事倒せたから良かったではないか」
「うぇぇぇぇん! もうしゃがみぶッ刺しなんてやらないデスよぉぉぉ!」
これまで我慢していた涙が決壊してぼろぼろと溢れだす。それすらも頬で血と合流するものだからホラーはさらに三倍増しだ。
「……良し、では今日は一旦帰るとするか。ほら、明日頑張ればいいだろ」
「えぇぇぇぇぇん! もう頑張りたくないデスぅぅぅぅぅぅ!」
駄々っ子のように泣きじゃくるネムネ。
結局私は苦労するのか、とか思いながら、アイリスは血を洗おうと流水の魔法を唱える。
「ウォォォォォォォォォォンっっっ!!!!」
その時、森の中を巨大な遠吠えが響き渡り、アイリスとネムネは同時に遠吠えの方を向いた。
バウトウルフのようで、その実ただのウルフより遥かに威圧感に満ちた叫び。遠くからでもわかる魔力の昂りを感じて、アイリスとネムネの体に震えが走った。
「ひ、ぃ……」
「これは……!?」
恐怖に涙が引っ込んだネムネを気にする余裕はない。脳裏を走るのは本来ならあり得ない状況。だがこの遠吠えを聞いて、楽観になれるほどアイリスは腐ってはいない。
「まさか、クイーンバウトだとでもいうのか!?」
木々の奥の奥。アイリスですら苦戦を強いられるだろう強敵は、既に標的に狙いを定めていた。
次回、ヒャッハー