レッスン13【やんきー、始めます】
それは最早己を紅蓮に投じる愚行だった。
熱して爛れていく身体の芯が、消耗される己を嘆いて悲痛を叫ぶ。
勢いのままに解放した力の代償は、私という代えがたい己を消耗するという悲劇であった。
「づぁぁぁぁ!」
だからどうした。
口や鼻はおろか、眼球からも血を流して叫ぶ私の口角は自然に笑みを象っていた。
苦痛、上等。
むしろ切れかけていた意識を繋げる、この激痛が心地いい。
覚醒と共に吐き出した自我が空に隠された雲海を全て散らした後、陽光の温もりに己を温める。
これで充分。試射で死にかけたけど……死にかけなのはさっきも同じ!
『気は繋げたか!?』
不意に地面に突き立ったぬれぞー……もといガルツヴァイが私の身を案じて、らしくもなく声を震わせていた。
その声に答える前に、私は失われた左腕の肘より先に新たに装着された籠手を見た。
蒼穹を思わせる青を基調とした鋼鉄の籠手。だがその美しい色彩とは裏腹に、装甲部分は蛇腹状に展開され、指先に至っては悪魔の指先が如く鋭く尖っている。神々しさと禍々しさ、その両方を合わせ持った究極の鋼。
これが、私だけの熱量を体現する心鉄金剛。
名を『血を流す魂の炎獄』。
存在そのものを食らい尽くす諸刃の刃。その代償は、先程空に解き放った一撃が証明している。
魂そのものが削られる激痛は、全身から出血する痛みすら生温い。
でも、大丈夫。
私は大丈夫だと新たなる左腕を拳に象り、紅蓮に燃やされて尚赤く輝く胸の『ここ』を力強く叩いて答えた。
「ばっちり合点!」
『ならば行け! その在り方にて、私は無限に積んだ後悔の払拭を果たす!』
言い回しは立派だけど、ようは他力本願なガルツヴァイの柄を軽く小突く。
問題は無いし、無限の後悔なんてどうでもいい。
というか、君の考えるあれこれなんて関係なく!
「私が! アイツを! 砕いて貫く!」
喪失した左腕の代わりに手にした心鉄金剛。私の心を具現することだけに特化した武器を顔の前に掲げてみせる。
突如として産まれた左腕への違和感なんて無かった。まるで生まれた時からこの左腕だったように、自在に動き、自由に操れ――これの使い方が手に取るようにわかった。
「私を燃やせ! 血を流す魂の炎獄!」
左腕から見えない炎が体内へと逆流してくる。この左腕は代償もなく莫大な力を得られるこれまでの心鉄金剛とは違って、私そのものがなければ起動すらもままならない代物だ。
そして、そのために支払う代償は――悶死するくらいの体内の圧搾。
「ぐ、ぉぁぁぁあああ!?」
生身ではなく、生身に守られた剥き出しの自我を燃やす激痛は、筆舌し難い。内側から自我を溶かされ、爛れていく感覚は、生きたまま地獄に落ちるような凄惨な状況に喉から激痛が絞り出される。
だからこその、血を流す魂の炎獄。
過去、七本作られた心鉄金剛と同じく、一点特化したこいつの能力もまた一つ。
自我、精神、あるいは魂。私という肉体を突き動かす、根幹の部分にあるものを燃やすことで得られるエネルギーを、魔力でもない別種の力――権能と呼ばれる無垢なる質量へと変換して吐き出すというもの。
その力は、魔力や身体能力に乏しい私にとって今最も必要なもの。威力に関しては天空すら貫いて現在も飛翔し続けている一発目を見れば分かるだろう。
だがその代償として、この力を使う度に私の精神は擦り減っていく。魔力を使用することで積み重なる精神的疲労なんて比べ物にもならない。文字通り魂から血を流しているのだから。
ともすれば戦う以前に心を喪失して動けなくなってしまいそうになる可能性が脳裏を過る。だがそんな可能性など、眼前の敵が未だに息をしている事実を思い出せばすぐに消えうせた。
「そしてぇぇ!」
私を燃やすことで汲み取られた力が左腕に流出する。それはまるで青白い炎。弱弱しく見えながら、紅蓮の赤熱よりも恐るべき、冷たさすら感じる激情の証明。
これが血を流す紅蓮の炎獄。
これが私という心鉄金剛の在り方。
膨大な魔力とも違う。
世界を構成する物質ですらない。
「超必殺の! エリス砲ぉ!」
これは、私という力そのものだ!
鋼鉄に合わせて束ねる我意をもってして、質量無き想念を偶像と化して質量の権化とする。まさに心鉄金剛という外法の極地を体現した青色が、世界すら震撼させた力を目の当たりにして思考停止したままだったキングバウト目掛けて解放された。
「■■■ッ!?」
だがその直前、本能で危機を察したキングバウトは辛うじて射線より逃れてしまう。
しかし、螺旋を描きながら突き進む閃光は直撃を免れた程度でどうにか出来るものではない。周囲の木々を根こそぎ巻き込んだ一撃が発生させた暴風によって、私の数倍はあるだろうキングバウトの巨体が木の葉のように宙を舞った。
「どんなもんですかこん畜生! 私の特大! 躱して終わりたぁ言わせませんよ!」
衝撃によって全身を切り刻まれたキングバウトの悲鳴が木霊する。しかし決して相手が屈したわけではない。遥か上空、螺旋の力が突き進む間に白濁した思考を正した王の眼が地べたに立って尊大に笑う私を射抜いた。
来る。
次弾の装填は間に合わない。バランスを整えて着地したキングバウトが、着地した勢いをそのまま四肢に伝達させて飛びかかって来た。
「そいつぁ許すかぁ!」
僅かに残していた力の残滓を地面に吐き出し、その反動で私は狼王の斬撃の軌跡より身を躱した。
さらに着地の隙を晒す背中に残りカスの権能を叩き込む。カスとはいえ私の魂を削り取って溢れた力の残滓は、城壁よりも堅牢なキングバウトの体毛ごとその肉を抉った。
「■■■■ッッ!?」
「ここを……!」
苦悶の声が私の腹を震わせる。
無論、臆することなく再度炎獄で魂を燃やして力を補充。再燃した自我の炎を纏った左手で、地面を叩き、
「貫く!」
地面の反発で飛翔した体ごとキングバウトの顔面へと私は着弾する! 続いて貫手に構えた血を流す魂の炎獄をキングバウトの無防備な右目へと突き立てた。
「■■■■ッッッ!?」
激痛に暴れ狂うキングバウトの流れに逆らわず虚空に舞う。その間に私は消費しつくした権能を再チャージするべく、籠手に封じられた炎を体内へと解き放った。
「ぎぃぃぃぃ!!??」
これで三度目。覚悟していても声を噛み殺すことは出来ない。精神を直接炙られる苦しみは、肉体を傷つけられるものとは比べ物にならない。あえて似たようなものを挙げるなら、引きずり出した神経を直接炎で炙る感覚か。
いや、それでもこの痛みには届かない。激痛に意識を失い、激痛で意識を覚醒する。瞬きの間に数十回も気絶と覚醒を繰り返した私は、再び左腕に青白い炎が装填されたのを感じ取った。
だけど後何回、血を流す魂の炎獄は使えるのか。心の限界は近い。擦り減った精神は弱気を訴え、思考すらもおぼろげにさせていく。
でも、力がこの手に充満している。
だから大丈夫だ。
私はまだまだ戦える!
「『強化』『相乗』『風林火山』!」
足りない魔力の代わりに装填した権能を使って強化魔法を展開する。しかも使用すれば魔力が持たないと言われてアトちゃんには禁じられた強化魔法の強化魔法という禁じ手だ。
だが今の私には魂の痛みにさえ耐えられるならこれまでは使えもしなかった膨大な力が行使できる。
だから出し惜しみはしない。膨大な力に強化された肉体は、キングバウト程ではないけれどその動きに付いて行ける程度の出力。そして相手の動きを見据えられる眼が手に入ったなら、ミフネ師匠より授かりし神楽の演舞は敵を逃さない!
「ッ!」
キングバウトが初動の起こりを見せた瞬間、私は王が踏み抜くはずだった場所に体を滑り込ませた。
踏み出そうとした場所を占領されたキングバウトの動きが固まる。走り出そうとした瞬間に異物が一歩目の場所に現れたら、それがどんなに矮小とはいえ固まるのは自然の理。これは獣であろうと変わることはない。
先んじて陣を奪い、歩を制限させ演舞にあわさせる。神楽逸刀流に伝わる無数の型とは別に秘伝とされた歩法の基礎にして奥義を持って、私はこいつの速度を制限する。
「ハァ!」
そしてこれまでベルトに大事にしまっていた、とっておきの一手を引き抜く。向こう側の景色が透けて見える青色の刀身の短剣は、かつてアイリスさんに手渡された護身用の短剣『氷の天使』。魔力を通すことでアイリスさんの『氷の女神』と同レベルの攻勢防壁を展開出来る魔法具に、権能の力を直接ぶち込む!
激流の如き力が流し込まれた氷の天使が悶えるように輝く。その危険を察してキングバウトが噛み砕こうとするが、それは悪手だ!
アイリスさんには申し訳ないけど――私は振り上げた氷の天使をその口の中に放り込んだ。
「くたばりな!」
どさくさ紛れにキングバウトの鼻っ面を蹴り飛ばして、その反動で後退すると同時、キングバウトの牙に噛み砕かれた氷の天使の攻勢防御がその口内で暴走した。
「――ッッ!!??」
無数の氷柱が口内で暴れ狂ってはキングバウトも叫ぶことすら出来ない。しかも権能によって限界を超えた力を蓄えた氷の天使は、幾つもの氷塊でキングバウトの口内をぐちゃぐちゃにしたのち、衝撃で私の髪が靡く程の爆発音を奏でて弾けとんだ。
「うぉっしゃぁ! かましてやったぜ畜生が!」
氷の爆発でキングバウトの口から大量の氷と共に砕けた牙と鮮血が飛び散る。口内も頑丈とはいえ体毛程の耐久力は秘めていない。そこに牙すら砕く火力が発生したのだから溜まったものじゃあないですよねぇ!?
「■■■■ッッッッ!!!!」
しかしキングバウトは沈まない。脳髄も揺らされて四肢が震えているというのに、辛うじて持ち応えて残った左目で私を睨みつける。
上等じゃないですか。大方、目玉を奪われて自慢の牙も砕かれてムカついてるってところでしょうけどねぇ。
「ケッ! 目ん玉と犬歯がどうした? テメェは私の両腕奪ってガントさんまで殺したんだ! その程度で済むと思うなよワンコロちゃんがぁ!」
「■■■■ッッ!」
「グダグダ吼える暇があったらかかって来いよぉ! 今ならもれなく脳天粉砕ゴキゲンコースってやつです!」
そう言って己を鼓舞しながら、消耗した権能を装填し直す。
激痛で心が悲鳴をあげる。体内を焦がす紅蓮はくまなく魂を出血させ、私の強気すらズタズタと切り裂く感覚に心が燃え尽きそうだった。
――いっそのこと殺してくれ。
脳裏によぎった言葉を激痛に包んで腹の底に沈め、私は充電された権能によって青白く輝く血を流す魂の炎獄を顔の前に掲げた。
「もっともっと! 私を焼き尽くすには熱さが足りない!」
燃え続ける魂が奮起し続ける。倒れ、屈しても、何度だって私の魂は立ち上がる。
だがそれはキングバウトも同じ。先程よりも遥かに力を増した私に傷つけられながら、殺気はけっして衰えない。
こうなればどちらの根が尽きるかで勝敗は決まる。
だとしたら俄然やる気が出てきた。こちとら体も魔力も足りないけど、負けん気だけなら誰にだって負けはしない!
「行くぞぉぉぉぉ!」
「■■■■!!!!」
そして、小さな私と強大な王は再び激突する。互いに互いを削り合うような消耗戦。
拳が振るわれ、爪が薙がれる。打ち込む一撃の痛恨に歓喜して、切り裂かれる肉体に悲哀する。
それでも、気付けば象る笑みの理由を、私はもう知っていた。
「これが……ッ! こいつが……ッ!」
己を上回る強敵と互角に渡り合い、確実に勝利という道程を突き進めているという確信。
その衝動がもたらす興奮が、いつの間にか笑みとなって顔に現れている。
だから進める。だから戦える。
熱に侵され、心を爛れさせながらも私は行けるから。
「私は! お前を!」
ここで、超える!
そして何度目かの激突の瞬間、振るわれた爪で体を裂かれながら、ついに私の左腕はキングバウトの元に辿り着いた。
「■■――」
「その吠え面負けワンコロ染みてて最高っ!」
激昂の雄叫びすら許さない。
間髪入れず鉤爪で肉ごと抉りだすようにキングバウトの顔面を鷲掴みにする。勢い余って本当に引きちぎりそうになったけど、鋼鉄を凌ぐ毛皮と肉の奥、頭蓋の骨に指が引っかかって掴むことに成功する。
よし、ここで――!?
「■■■■!!??」
「ぐぅぅぅぅ……!」
キングバウトも己が死線を超えようとしていることを察したのだろう。なりふり構わず顔を振り回して私を引きはがそうとする。
だけど私は必死に左手を食い込ませて離されないように堪えた。ここを逃せば確実な勝機はない。だから、今ここで全ての力を出し尽くすんだ!
「だから……私を燃やせぇぇぇぇ! 血を流す魂の炎獄!」
そう、このゼロ距離で全てに決着をつけるために!
千載一遇の機会に血を流す魂の炎獄を再び稼働させ――。
「――ぁ」
瞬間、声すら出せない程の痛みに心が死んだ。
私の覚悟なんて風前の灯の如く呆気なく燃え散る。力を得る前に自分自身が居なくなって消えてなくなりそう。
だから、どうした。
その程度で負けてたまるか!
「うおおおおおおお!!!」
熱に負けない熱を何度だって再燃させる。魂をすり減らしてでもつかみ取りたい勝利という美酒のために、私は充満する権能を掌に掻き集める。
そうだ。この先なんて知らない。
お前をぶち殺せるなら、私がくたばることなんて些細なことだから!
「貫けぇぇぇ!」
間髪入れずに掌に収束した炎が、反撃も回避も、そもそも思考させる暇すら与えずにキングバウトの顔面を貫いた。
力はそれだけではとどまらない。キングバウトの頭の半分を奪い去った力は、その射線上の木々を地平線が見える範囲まで根こそぎ奪い去った。
これ以上は、望めない。
覚醒の時に放った一撃と同レベルの破壊力によって、キングバウトの体から力が抜けるのを感じた。
眼球はおろか頭蓋を破砕し脳髄を炭にさせた確信に私は改心の笑みを浮かべる。
同時に、脳髄を貫かれたキングバウトの巨体が力を失って地面に倒れ伏した。
「……や、った?」
意外に、呆気ない終わりに、思っていた歓喜の念は心に溢れださなかった。
いや、それも仕方ないかもしれない。
疲労は蓄積していて、そもそも左腕は生えたものの、右腕は三枚に裂かれて痛みすら感じられないくらいにやばい。全身も万遍なく擦り傷やら打撲やらで酷いし、左腕の使い過ぎで心も弱っているという実感がある。
だから、勝った実感が薄いのか。
倒れて動かないキングバウトを見ても、自分が勝利を手にしたという喜びがこみ上げない。クイーンバウトを倒した時はあんなに嬉しかったのに……。
「でも、私の勝ち、だよね……」
良かった、のだろうか。
いや、全部は疲労のせいなんだろう。あるいは私自身が未だ勝利の美酒になれていないせいか。
それとも、私を庇ったせいで死んだガントさんが……。
「……ガントさん」
戦闘の余波に巻き込まれたガントさんの死体があった場所、そこに突き立つ折れた両手剣を引き抜く。
「敵は、取りましたよ」
その折れた両手剣を腰のベルトに挟み込んだ私は、戦場の端まで吹き飛んだガントさんの死骸を一瞥し、背後で存在を主張するぬれぞーへと振り返った。
「お待たせぬれぞー……っていうか、ガルツヴァイとでも呼んだほうがいいですか?」
『いや、ぬれぞーでいいさ。ガルツヴァイ・ルールカウンターは、君という無望をもってして砕け散った……ならば、私もまた新生した君と同じくぬれぞーとして新生するとしよう。ふっ、ニューフェイスな私に、惚れちゃってもいいんだゼ?』
「やっぱ死ねよ」
「あ“あ”あ“あ”あ“! 鎖は痛い痛い痛い痛い! 実は余裕こいてただけでその鎖はずっと痛かったんだよマイマスター!」
構わず鎖で締め上げながら、少しだけ頬が綻ぶ。
しかし何処となく以前よりもすっきりとした口調。良く見ると光沢も増しているような……。
まぁ別にどうでもいいか。
「よくわかんないけど、ぬれぞーがそれでいいならこれからもそう呼びますね」
鎖を解くと、改めて拾ったぬれぞーを腰のベルトに差す。来る前はポーションでいっぱいだったのに、すっかりさみしくなったなぁ。
まっ、帰って寝たらまずはポーションの制作から始めよう。
何にせよ、本当に疲れた。
とても、とっても。
もうこれ以上は――。
『しまっ……!? 終わってないぞマスター!』
「え?」
突然の警告に振り返り、言葉を失う。
そこに立っていたのは、顔を半分失っているというのに立ち上がったキングバウト。
死んだはずの王の執念が、私を射抜いていた。
「■■■■ッッッ!」
咆哮が周囲に衝撃波となって私の身体を圧した。
そんな!?
あの一撃をまともに食らってまだ生きてる!?
「ど、して……」
『呆けるな!』
「あ……」
ぬれぞーの叱咤に息を詰まらせる。四肢は震え今にも倒れて死にそうな獣の王だったが、残された片目に宿った意志は間違いなく闘争を諦めない王者の風格があり。
ようやく、悟る。
勝った実感が無いのは当たり前だった。
私はあそこで、トドメを確実に刺すべきだったんだ――。
「■■■■ッッッ!」
だが後悔は遅い。おそらく最期にして全霊の力を捻出したキングバウトが突進してきた。
何もかも、私の油断。
心を消耗したせいで、詰めるべき一手を怠ったから。
違う。それは言い訳だ。
だけど、事実として私の魂は。
衝撃。
余分な思考で回避という選択肢すら失った私に出来たのは、左腕で王の渾身を受け止めることだけだった。
このままでは先程の二の舞だ。鋼鉄の残響を響かせて激突した牙と腕を挟み、超至近距離で真っ向からの睨み合い。
「ま、だ……!」
それでも、ここからまだ逆転できるはずだ。
幸い、左腕に食いついてくれたおかげで何とか拮抗は保てている。だから後はこの状態で再度私自身を燃焼させればいい。
キングバウトの牙に挟まれた血を流す魂の炎獄が、私を再び燃やしだす。
だが激痛に酔いしれる時間はほとんどない。目の前には現実の激痛。あの牙が左腕ごと私を食らえば、一瞬の痛みの後に死という安息に飲まれるだろう。
死ぬ。
食われて、死んで、私は終わる。
私を燃焼することで力に変えるこの心鉄金剛は、逆に言えば使えば使うほど精神を擦り減らすということ。
だからなのか、弱気な思いが次から次に浮かんでくる。
駄目だ。
死んでしまう。
右腕は三枚おろしで使えない。
痛い。
なんでこんなことに。
残心を怠ったから。
私がうっかりなんてしたから。
弱い私。
悪い私。
だから死ぬ。
殺されて、死んじゃう。
第一、生き残ったとしてかつての生活はもう戻ってこない。
左腕も失って、右腕も治癒したとして使えるか分からないんだ。
もしかしたら一生、誰かと生身で手を繋ぐことは出来ないかもしれない。
温もりなんて感じられない、鋼鉄の如き未来しかないかもしれない。
そう思うと怖かった。
私はただの村娘だったのに。
ほら駄目だ。
結局私には何も出来ないんだ。
あの日、いなほにぃさんに助けてもらってから何も変わってない。
駄目なまま。
駄目駄目なんだ。
じゃあどうする。
力で負ける。
押されてる。
食われる。
ほらもうすぐそこ。
死ぬ。
死んで、終わり。
何が終わり?
私。
私が終る。
そうだ。
それでいいぞクソッタレ。
「ようやく、全部出てきやがったな私ぃ……!」
腐臭を漂わせる膿の如き臆病な私が全て吐き出される。
むしろその弱気に感謝したい。だって、お前がここで全部現れたってことは、今この瞬間こそ、弱かったかつての私にお別れを言えるって……あぁもうめんどくせぇ!
単刀直入に言おう。――ここで死ねよ、お前!
私は、弱気を囁く私を嗤った。
それはつまり、過去が完全に私から切り離された証拠。
だからここから、始めてみせる。
「私は勝ちたいんだ……!」
お前はこのまま死ね。
だけど私が負けることだけは許さない。
弱い私が勝手に死ぬのはいい。
でも、こいつに食われて死ぬってことは、負けるってことなんだ。
負けるっていうのは、我慢できないってことなんだ。
嫌だって思えるんだ。
死にたくないっていう当たり前なんかどうでもよくなるくらいに、負けるのが大っ嫌いなんだ。
「なら、さぁ……!」
納得できるわけがない。
いなほにぃさんの隣に立つ私が、敗北なんて受け入れられるか!
『ここ』が燃えているんだ!
心鉄金剛の熱すら微風に感じられる紅蓮の炎が私にはある!
私の、私達だけに授けられた、名前の無い灼熱の烙印が疼いてるんだ!
お前はこれでいいのかって!
死ぬのはいい!
だけど!
敗北して死ねるかって叫んでる!
どうせ死ぬなら勝ってから死ねって煮えたぎってるからぁ!
「そうだ! 敗北なんて要らない!」
圧搾される精神が、死よりも絶え難い敗北の二文字に憤り膨れ上がった。
そして、この心に応じるように牙に抑え込まれた左腕がゆっくりと動き出す。
そう、諦めなんて殺し尽くせ!
ここから始まるんだ。これまでの弱かった私を捨て去って、私は胸を張ってにぃさんの隣に並べるんだって言えるように!
『やんきー』だって、叫ぶために!
「だから!」
――私が私を張るために!
「知らしめろぉ! 血を流す魂の炎獄!」
愚直なまでに貫いてみせる!
嗤われるくらいの信念を突き進め!
意志が力に変わっていく。擦り減った魂が活力を取り戻し、新たにくべられた魂の薪を燃焼して、体内の炎を紅蓮の勢いを加熱させているのが分かる。
そうだ!
魂が無くなるような失望も!
肉体を喪失していく絶望も!
死という安息を求める希望も!
どれでもなく私が欲しいのは!
「こいつが私の必殺無敵ぃ!」
膨れ上がった炎が腕に噛みついていたキングバウトの顎を弾き飛ばす。
そして、弾かれた勢いで宙に浮いたその顔面に、私は強く強く握りしめた拳を腰に構え――。
「ヤンキーパンチだ! クソッタレぇぇぇぇ!」
断末魔の悲鳴すらあげさせず、蒼炎の揺らめきは蒼穹もろとも世界を貫く。
そして、咆哮する野性すら飲み干す絶叫の信念の煌めきは、こうして抗えないはずの大きな壁すら突き崩した。
「どんな、もんだ……!」
権能の残滓が降り注ぐ世界。今にも倒れそうな体を気合いと根性で支えながら、私はキングバウトの消えた空を見上げた。
全力の一撃によって、周囲の雲が円状に霧散して、一面の青い空が視界を埋め尽くす。
だから、ここでさようなら。
薙ぎ払った王の遺体と共に。
弱い私は、ここで死んだ。
「だって今日から……私も、『やんきー』なんだから」
――そうだよね? いなほにぃさん?
胸の灼熱は、応じるように一際熱く私を焦がした。
次回、新米やんきー誕生日
例のアレ
氷の天使
アイリスから貰った短剣。どこで貰ったかは第二章を読み直してみよう。