第十九話【馬鹿ヤンキーと秀才少年】
「モガッ!?」
いなほの口の中を猛烈な苦みが襲う。「アルコールに薄めると何故か苦みがなくなるから、普通それから飲むんデスけどね。それと私の名前はネムネデス」とぼやくネムネの言葉も苦みに苦しむいなほの耳には届かない。
だがそれでも男の面子かただの意地か、顔をまさに言葉の如く苦汁に染めながらも、いなほは悶えたり叫んだりはせず、ただ全身に力を漲らせ果てなき苦みに耐えていた。
すると、闇夜に紛れながらではあるが、魔性の花と同じ紫色の光がいなほの体から零れ出してきた。
魔力は普通、個人個人によってその色が異なる。例えば同じ黄色でも、よく見れば薄かったり濃かったりと、一つとして同じ色はない。
だが例外としてこの紫色の魔力光がある。黒の魔力光はあるのだが、何故かこの紫はどの種族でも紫は魔性によって染められる時しかないのだ。
魔力とは本来無色の力であり、肉体にではなく魂にその発生器官があるとされる。よって魔性の花を使い魂と肉体との通路を開けない限り、放出は出来ないのだ。
そして無色だった魔力は、肉体と繋がることでその肉体に侵され、暫くしてから様々な魔力光に変貌する。なので解放した当初は、通路を開けた切っ掛けである魔性の花と同じ色になるのだ。
ちなみに魔力を解放した人間に改めて魔性の花を飲ませても、本人の色に染まっているため紫になることはありえない。
つまりいなほの体から紫の光が溢れたことこそ、いなほが魔力を使えないという決定的な証拠となるのだ。
「……本当にその年まで魔力を使ったことなかったのか」
実際に紫の魔力光がでているのだから間違いない。そして同時に、アイリスの脳裏に仮説が一つ生まれる。もしあの時のランク測定が魔力を加算されていない数値だとすれば、もしかしたらいなほの潜在的なランクは──
「ケッ、う、美味ぇもん、だったぜ。この程度なら、ジョッキで、いけ、いけオェェェェ……」
「ギャー! い、いなほさん強がりはいいデスけど吐くなら向こうでやってくださいデスー!」
顔面蒼白のいなほが紫色の毒々しい色の魔力を放っている様は、まるで余命幾許もない病人を思わせる。
アイリスはそんないなほの哀れな姿を見て、先程のセクハラへの怒りの溜飲を下げ、仮説のことも忘我した。「ほら」とカップに飲み物を注ぎ手渡す。
一瞬で奪われたカップの中身をいなほは飲み干し、何とか人心地といたのか、盛大にため息を吐きだしてから、繕うようにニヒルな笑みを浮かべた。
「超、余裕」
「無理するな」
乾いた笑みを浮かべるいなほの頭をアイリスは軽く小突いた。
ともかく、これでいなほは魔力を放出することが出来た。早速、垂れ流しになっている魔力を閉めなければならない。
「それじゃ次は魔力の放出を止める練習に入ろう。流しているだけだとすぐに枯渇してしまうからな」
「おう」
「では早速──」
まずはお手本をと思ったアイリスの横で、いなほは誰に聞くでもなく魔力の放出を抑えて見せた。
「なんで出来る……」
「あったのを知らなかったとはいえこいつも俺の一部だ。だったらこの体を一番理解してる俺がこの程度出来ないわきゃねぇだろ」
滅茶苦茶理論である。これにはアイリス達はおろか、ガントとルドルフも苦笑いせざるを得なかった。この男に常識を求めるのも今更かと、半ばアイリスは諦め気味ではあったが。
そんな一同を放っておいて、いなほは未だ自分色には染まってはいない紫の魔力を出したりしながら一人でテンションを上げていた。
「でよアイリス! 早速アレだ……あー、アレ、そう、魔法教えろよ!」
魔力放出を止めていなほがアイリスに詰め寄った。キラキラ輝く目がキモい。堪らず視線を切ったアイリスは、「では、初歩的な魔法からいこう」と言うと、その体から青色の魔力を漲らせた。
「『一握りの灯火よ』」
延ばした人差し指の先から小さな炎が現れる。エリスも使っている日常で役に立つ言語魔法だ。
「コツは、今私が出している炎と同じイメージを脳裏に浮かべ、溢れる魔力を言葉と共にイメージに注ぎ込む感じだな。出来るか?」
「任せろ」
ではやってみろとアイリスが促すと、いなほは少し色が薄まってきた紫の魔力を全身から放出して目を閉じた。
一秒、五秒、そして十秒。全員の視線がいなほに注がれる。
全身から迸る魔力の波をいなほは知覚した。脳裏にはアイリスが起こした炎のイメージ、否、それでは生ぬるいのでなんかスッゲー燃える勢いの感じのアレだ。そして脳裏の破壊的なイメージはそのまま、いなほは初めて使う魔力をまるで自分の一部のように自在に操り、想像を現実と化す詠唱に魔力を通す。
上がる劇鉄、言霊に漲る魔力。そしていなほは勢いよく目を開き、掌を頭上に突き出した。
「一握りのぉ! 灯火よぉぉぉ!」
「そこまで気合いはいらないよ!?」
アイリスが堪らず突っ込みを入れるも、当の本人は火が出なかったことが不思議なようだった。
「出ねぇぞ」
「出ないよ!」
「? 気合いで出すんじゃねぇの?」
「君は私の説明の何を聞いてたんだ!」
「知るか! つか詠唱だとかイメージだとか注ぎ込むとか訳分からねぇんだよ!」
「あ、一応聞いてたんだね……じゃなくてわざわざ叫ぶ必要はないだろう!」
「魔力は込めたぞ!」
「むぅ……問題はそこだな。詠唱はややヘンテコではあったが合っていたし、魔力の注入も完ぺきだった。なら何が……まさか」
ふと何か思いついたのか、アイリスは顎に手をあてて何かを考えだした。
「君は、その、文字は読めるか?」
「日本語ならな」
「ニホンゴ? いや、これだが」
そう言ってアイリスは地面に棒で自分の名前を書いて見せた。無論いなほにそれが読めるわけもなく、アイリスはそういうことかと頭を抱えた。
「いなほ、言いにくいが、君はある程度の教育を受けていたかい?」
「教育? おう、学校ならサボりまくってたぜ」
「この際学校に行ける程そこそこに裕福な家庭の癖にサボっていたことは置いといて……いなほ、魔法には理解が何よりも必要不可欠だ。つまりイメージだけではなく、そのイメージをさらに強固にするために、多種多様の事柄について理解、つまり勉強をしなければならない。詠唱に使う言葉の文字の意味、とかな」
どの場所でも魔法は生きるために必要不可欠なので、文化レベルは地球には劣るが、この世界の読み書きの習得率はほぼ百パーセントである。おろか、魔法使用のための語学勉強は地球のそれよりもレベルが高いといっていい。言葉の理解を怠ることは、必然魔法が使用出来ない、つまり日常生活に支障が出るため、人々は必死に勉強をするのだ。
ちなみにエリスの村では、駐在している王国の兵士と各家庭の親により読み書きと魔法を扱う上での基本的な語学は勉強することになっていた。
閑話休題。
「つまり、君は言葉の理解の足りない馬鹿だから、理解していない言葉に魔力を込めただけで、そこから魔法を発動することが出来ないんだ」
数学でいうなら、式とそこに当てはまる数字まで作ったが、その数式の意味がわかっていないので、魔法という答えに辿りつかないということだ。しかも足し算レベルの数式のである。
この世界の常識なら考えられないが、悉く常識と無縁のいなほだ、何となくその理由がしっくり来たアイリスだった。試しにちゃんとした詠唱でもう一度挑戦したが、いなほは魔力を乗せることは出来たが、それ以上は出来ず魔法を使うことが出来なかった。
「……つまんねぇの」
十分程悪戦苦闘して、いなほはふてくされたように唇を尖らせた。自分が馬鹿だから魔法を使えないということだったが、なるほど、いなほ自身も不機嫌になりながらも理由事態には納得していた。
自分が馬鹿なのは分かっている。そして魔法が学問ならお手上げだ。今から勉強することも可能だが、生粋の勉強嫌いであるいなほは、魔法という不可思議経の興味があっても、勉強だけはする気にはなれなかった。だがそれはともかく、折角だから魔法を使いたかったというのがいなほの本音である。
「……ふざけるなよ」
その直後だった。今まで沈黙をしていたキースが静かに口を開いたのだ。焚火に照らされ揺れる瞳はいなほに向けて敵意どころか殺意を放っている。
キースは怒っていた。というのも、自分の全力の魔法を打ち破ったのが、ただの一般市民ですら使える魔法を一つも使えない魔獣並みに馬鹿な人間だったのだ。
強い魔獣に防がれるならまだいい。でもただの人間の拳一つ、ダメージも与えられず魔法が消されたことが認められない。
「ふざけんなよお前! 何でお前みたいなふざけた人間が!」
そして、そんな男がこの場所の中心人物となっていることが気に入らなかった。
キースは、端的に言えば優等生だ。入学一年で既にGランク手前、学年でもトップ5に入る実力を持ち、周りから羨望を受けていた。いつも中心人物として活躍し、教師同伴の迷宮探索でも、常に前に出て周りの称賛を浴びていた。
だから今回の正式な依頼を受けるという実戦授業でも、熟練の冒険者すら平伏する実力を見せつけるつもりだった。
だが蓋を開ければ、偶然一緒になった同級生のネムネを除き、残りの三人は自分のことなどまるで眼中になかった。アイリスはまだいい。Fランクという常人を超えた実力者なのだ。むしろ認めてもらえるように燃えた程だ。
しかし他の二人はムカついた。ガントなどぎりぎりランクを持ってるだけなのに、初めて会ったときは自分のランクを聞いてもまるで態度を変えなかった。
そして一番気に入らないのはアイツ。そう、早森いなほだ。完全に上から目線で、自分のランクを聞いても、むしろそんな自分を蔑むように接してきた。
「どう考えてもおかしいだろ! チームの調和なんて考えていないでかい態度で、しかも魔法が使えない癖に! 魔法が使えない落ちこぼれ以下の屑が何で上手くやってんだよ!」
それは正しい意見だ。いなほの態度は少なくとも好感を得られるようなものではない。現にキースは嫌っているし、アイリスも常にいなほの我がままに怒っている。ネムネもいなほの険相を怖がるし、ルドルフも普通なら依頼主に敬意を全く払わない態度に嫌悪感を覚えるだろう。ガントについては何とも言えないが。
ともかく、それなのに場の中心にいるいなほが憎かった。まるで自分の居場所がとられたかのようだった。
キースの糾弾を、いなほは口をはさむことなく全て聞いた。
いや、納得である。自分の態度は正直言っていいものではないだろう。だがそんな自分の在り方を変えられるなら、いなほはヤンキーなんぞガキの頃からやってはいない。
いなほはキースに再びあの関心のない冷めた眼差しを向けた。視線に晒されたキースの喉が引きつり、次の言葉が出ない。
「だからつまんねぇんだよテメェは」
いなほはただ自分を見るしか出来ないキースの側に近寄った。敵意も殺意もない。路傍の石ころに意識を向ける者がいないのだから、いなほにとってキースがそれと同じ存在である以上、興味の対象ではない。
だが、それが路傍に転がる糞だったら話は別だ。嫌悪感がいなほの表情に沸々と現れてきた。
「魔法が使えねぇってわかっただけで怒鳴りやがって、第一んなことほざいてるテメェはどうなんだ? 俺と大して変わらねぇ糞ったれじゃねぇか」
「お、俺は、あんたみたいな奴とは違う」
声を震わせるキース。いなほはニヤリと肉食獣の笑みを浮かべた。
「いいねぇ優等生。俺と違うってことは良い奴ってことだ。で? 良いとこの坊っちゃんはわざわざ八つ当たりで仲間に向かって魔法を使うのかい?」
「あれは……あれは、避けれる速度で放ったし、第一突っ込んで来たのはあんただろ!」
「そりゃそうさ。俺ぁ馬鹿だからよ、テメェに向かってきた拳にはつい突っ込んじまうのさ」
いなほはそう言い終わると同時にキースの胸倉を掴み上げた。
片手で容易くその体を持ち上げられ、キースが息苦しさに顔を顰める。
「まだ何か言いたいか? いいぜ、ガキだから無視してやったがよ、さっきみてぇに俺に汚ぇ花火ぶっ放すような売られ方したら買うのが流儀ってもんだ。この依頼終わって戻ったらやってもいいぜ。それともアレか、溜まっちまって今すぐやらねぇと気がすまねぇってか? 俺ぁどっちでも構わねぇぜ」
「っ……!」
漏れ出た殺気がキースを射抜いた。恐怖に体を竦ませるのを感じて、いなほは手を放すと先程までいた場所に戻る。
「だからつまんねぇんだよ。ガキはさっさと飯食って寝な」
「畜生……!」
キースは自分の分のご飯の盛った皿を持つと、捨て台詞を残してその場を後にした。
「いなほ……大人げないぞ君は。まだ先は長いというのに、関係を悪化させてどうする」
「私も、出来れば皆様には仲良くして欲しいものですな」
アイリスとルドルフがいなほにそう忠告するが、当の本人は素知らぬ顔で食事を再開し、反省をしている様子はない。
互いに目を合わせてアイリスとルドルフがため息を吐きだす。魔獣の心配はないが、前途多難の旅路に不安を積もらせ、夜は更けていくのであった。
次回、討伐会議。その一