レッスン12【心鉄金剛】
意識が戻る。停止世界に顕在する。
そして私は祝詞を聞く。奏でられる祝福は、悔恨に満ち溢れた鎮魂歌。
『磔刑に晒されるは一の爪。仇を前に憎悪だけを残して折れた凡愚の刃』
復讐だけが全てであった。
だが、行うに足る力が無かったがために、敵を前にして呆気なく砕けた敗北者は憎悪という刃を渇望した。
――憎悪に共感する。その憎しみは、力が無いというだけで届かなかった想いは、他でもない、私という弱者も抱いた祈り。
だから私はこの渇望を求めよう。
『砂上の楼閣に我を捧げるは二の爪。迫る終わりに潰える城にて、想いも溶けろと祈りしは姫君の苦悶』
楽園に腐心するばかりだった。
しかし楽園は永遠ではない。燃え盛る紅蓮に溶かされる楽園に取り残された姫は、いっそ全て溶け爛れてしまえと切望した。
――無力の終わりに涙する。全て消えろと願ったのは私も同じ。魔獣に蹂躙されて、家族も友人も、何もかもを失った私はたまたま助けられただけだから。
だから私はこの切望を求めよう。
『妄執すら枯らした残骸は三の爪。可能性すら思案する安息も奪われた勇者の絶望』
世界を護ることが使命だった。
故に彼の敗北は世界の終焉。世界を食らう捕食者の来訪により、あらゆる可能性を潰されて絶望した勇者が居た。
――絶望に憤る。理不尽は常に隣人だった。可能性なんて何処にも無くて、何処にも無いから嘆き悲しむ。今まさに、可能性を奪われた私も、彼と同じ絶望を共有している。
だから私はこの絶望を求めよう。
『甘美なる毒に身を濡らすは四の爪。怠惰に成り果てた千年を飲み干した娼婦の平和』
完成された平和に取り残された。
だから彼女は搾取した。平和も続けば毒となるのだと、腐敗しきった世界を咀嚼することが娼婦の欲望。
――本当の望みはささやかなものだった。だけど、貴女の欲望は世界を飲み込まなければ叶えられないささやかさ。本当は、ささやかなものこそかけがえのないものだと私も知っている。
だから私はこの欲望を求めよう。
『愚直を貫きしは五の爪。我こそは一点を穿つ矛先なりと愚かを吼えた愚者の栄光』
栄光に眩んだ愚者と呼ばれた。
それでも忘れるな。栄光なき生に意味など無い。貫くことだけが栄誉の証、誉れに羨望した愚者は笑う。
――貴方こそ私だ。手の届かない高みに手を伸ばし続け、結果として沈んだ。努力の有無はあっても、根差した想いはきっと一緒。
だから私はこの羨望を求めよう。
『世界を願望するは六の爪。愚かにも真実の一端に触れた果てにあり得ぬ狂気を望んだ魔法使いの夢』
世界の全てを暴ききった。
ところが全ては暗愚の妄想。底なしの深淵が未だ続いていることを知った魔法使いは、深淵の傍で眠りし獣を願望した。
――その深淵を知っている。そうあれたら良いのにと思うこともよくわかる。私には大きな背中があったから耐えられたけど、立場が同じだったら私も狂っていたはずだ。
だから私はこの願望を求めよう。
『処された罪を包むは七の爪。断つばかりを、溶かすばかりを、砕くばかりを、奪うばかりを、貫くばかりを、夢見るばかりを、そのことごとくを抱きしめると誓った身食らう蛇の吐息』
表裏の永劫、真なる不死は罪と罰。
けど、救いたい人がいた。爪に憑りつかれた恋人に蛇は囁く。黄金すら断つ憎悪だって抱き締めると、輪廻を繰り返す星の敵は希望を見出した。
――友人のためにと言ったけど、本当は恋人の悲しみを汲み取っただけ。だからその悲しみごと貴女は抱き締めた。その優しさに憧れる。
だから私はこの希望を求めよう。
「そうだ……この人達の望みは全部……求めても仕方ないものだったんだ」
だから私も濡れ滴る月光の牙を求めてしまったのか。
どうしようもない現実。
覆しようのない未来。
取り戻せない過去。
その何もかもをどうにかする爪を求めてしまうのは、仕方ない。
そして私もまた、これまでの契約者と同じく爪を求め――結局は逃れられない終末を迎えるのか。
『そして最新と続く爪牙の戦列に八本目の爪を謳う。我が名、ガルツヴァイ・ルールカウンター。汝が我に望む爪は何か?』
「私の、望み……」
今、両腕を奪われ、死という現実しか残っていない私の前にも奇跡は滴っている。
ガルツヴァイ・ルールカウンター。
そうあれと、無形に質量を与える原初を生み出した牙が囁いてくる。
望みを。
これまでの契約者がそうだったように、お前もまた望みをと。
悪魔の囁きのように甘美な言葉は、そのまま受け入れればきっと自分では届かないものにだって手が届くのだと。
「私、は……」
分かっていても心は求めてしまう。これまでの契約者の在り方の全てに共感してしまった。これは仕方ないと心の中の私が囁く。
力を。
私に力を。
そう告げればガルツヴァイは応えてくれる。この身に余る大望を世界に波及させるん物質として化してくれるだろう。
「私は、弱い……」
白状すれば、先程までの猛りは全てやせ我慢だった。
せめて最期くらいはいなほにぃさんみたいに在ろうとしただけだった。
「弱くて……小さい……」
ガルツヴァイは私の望みを聞く。それによって繰り返された悲劇を知りながら、それが己の存在理由だからと祈りを形としてくれる。
それでいいのか?
それでいいんだ。
疑問は即座に打ち消された。
これまでガルツヴァイと契約した人達の記憶と感情を刻まれたことで、心はもう負けていた。
望むのは仕方ないから。
だからもう、自分の弱さを嘆いて――望んでしまえばいいと。
「だから、私は……」
いなほにぃさんと並べる、力を……。
「私が、望むのは……」
――忘れるなよ。
その時、私の脳裏を過ったのは、太陽を背にして笑う兄さんの姿だった。
瞬間、心は立ち上がった。
「ない」
『何?』
「望みなんて、ない……」
奇跡を受け入れてきた過去の契約者を嘲笑うように鼻を鳴らす。
あぁ、その境遇も、感情も、全て理解した。
同じ立場なら私もそうしたと思った。
「あぁ、そうだ」
だけど、私は知っている。
土を舐めて、決定的な死を前にして、及ばないものに打ちのめされて、変えられない現実に悲嘆して。
誰もがもう二度と立ち上がれない終わりの中でも、私だけは知っている。
「……そうだ」
――『ここ』は一緒だ。
そう言ってくれたにぃさんの背中を私は知っているから。
「いらないんだよ……」
溢れる血潮を腹に落として、折れぬ屈強で立ち上がろう。
望みなんていう不確かなものに賭けられる程、私の熱は弱くないと知っている!
この想いは!
この猛りは!
私自身すら超えた、私そのものなんだから!
「望みなんて、無い! 私は絶対にいなほにぃさんの隣に立つ! こんなのは願いでも望みでも祈りですらない!」
だから、必要ない!
にぃさんは言ってくれたんだ!
熱が一緒なんだって言ってくれたから私に奇跡は必要ない!
これは私が自分の足で進む道だ!
立ち上がってやる! 腕が使えないくらいなんだ! まだ私には足がある! 立って走れる足がある!
口があれば刃も握れる! 叫べるのなら食らいつける!
私は終わってなんかいない!
奇跡に屈する愚かに終わらない!
お前がこれまで契約してきた馬鹿共とは違う!
私の『これ』はな! お前すら超える『ここ』なんだ!
「こいつは! この誓いは! 私が『ここ』に刻んだ決定事項なんだ! 奇跡なんていうつまんないもので綺麗にしていいような汚れ物じゃないんだよ!」
これは烙印だ。そしてへばりついた汚れであり、洗えずに残った染みのようなもの。
それは決して煌びやかなものなんかじゃない。
けれど、綺麗なものにはない、血に濡れた誇りで作られている。
だから歯を食いしばれ。血を地べたごと飲み干して、足りない血潮を激情で補填して立ち上がれ。
朦朧とした意識のまま私は立った。それでもという足掻きではなく、迷いなく真っ直ぐを突き進む在り方を示すため。
「私は、こいつだ……!」
動かない腕を誇示するように震わせて。
「こいつなんだ……。自慢なんだ……! 誇りなんだ! 譲れないんだ!! 止められないんだ!!! 進み続けるんだ!!!!」
分かってないなら言ってやる! お前が私の何に望みを見つけたのかは知らないけどなぁ!
答えは単純明快!
この喧嘩は、私のモンだ!
「竿無しのインポ剣はさっさと消えろ。君の奇跡なんて、私の世界に必要ねぇんですよ!」
そう吐き捨てて、次いでに目の前に滴り落ちた奇跡の雫すら、私の足は踏み散らす。
体を染め上げていた光が流れ落ちる。微睡んでいた思考は完全に覚醒し、既に視線はガルツヴァイではなくその向こう、私を食い殺そうとしているワンコロへ。
『……爪など要らぬという汝の意志を、我は是と告げよう』
そんな私を見て、虚空に浮かぶガルツヴァイが感嘆の溜息を吐き出した。
分かってくれたみたいで安心だよ。このままいつまでも濡れ滴る月光なんざで私をたぶらかそうとするなら、あのワンコロより先にぶっ殺すとこだった。
「よし、じゃあガルツヴァイ。さっさとこのよくわかんない状態を解除して――」
だけど、私の意志を理解したはずなのに、停止した世界は解除されるどころか、内側に充満する雫の密度がさらに増大している。
何だ?
こいつ、何をするつもりで――。
『爪では足りぬ汝には、星に比肩する牙こそが相応しい!』
は?
「いや、ちょ!?」
ちょっと、ど、どういうことですか!?
私、今まさにテメェの横やりなんざいらないって言ったのに!?
だけどそんな私の制止も聞かず、ガルツヴァイは今では吐き気をもよおす祝詞を綴っていく。
『信じる心は祈りを持たぬ、望みを持たぬことこそ望み。絶望ではなく、無望という名の新たな望み。望みの物質では足りぬ無形の意志を彩るは、星を貫く牙の一刺し!』
「だから……ッ!?」
あぁこいつ! やっぱ分かってねぇじゃねぇか!?
だからこれまでの契約者は全員バカを見たってわかんないんですか!?
「お前の力なんて――」
私は要らないと叫ぼうとして、全身が心臓にでもなったかのように、体が大きく脈動し言葉を詰まらせた。
「づっ!?」
今も胸を焦がし続ける『ここ』の熱がより鮮烈に燃え上がる。まるで形の無い物が象られていくように、痛いくらいの熱が、胸の内で重さを増していった。
「何、これ……!?」
私といなほにぃさんの心にだけ刻まれた、代えの利かない烙印が疼く。そのことに驚くのも束の間、虚空に佇む柄の先端から溢れ出た光が、再び私の全身に吸い込まれていった。
そして魂そのものとも言える私の熱が、言語を超えた謎の力によって象られていく。消失した左腕を補う、いや、左腕を媒介にして『ここ』が物質として顕現していく感覚。
「これ、は……」
濡れ滴る月光が描く質量の輝き。魔力ですらない異端の力、私の体内で育てられた権能と呼ばれる激流が、月光によって空けられた穴より溢れだしてきた。
咄嗟に抗うが権能の激流は止まらない。だけどそのまま好きにさせるかと必死に体を動かそうとして、私はガルツヴァイが何をしようとしているのか気付いた。
『それが汝の力。汝の魂そのものを有とし在と成した偶像の産物! 誰とも違う無望を元に象りし、汝のみに許された牙! 見ろよ世界よ! 戦けよ世界よ! 遂に我は見出したぞ! 汝こそが我が真実! これまでを超え! これからを作り出す権能の申し子よ!』
そうか。
光り輝く左腕が偶像を象る工程を見ながら、私はようやくガルツヴァイが行おうとしていることを悟った。
違う。
これは、違うんだ。
ガルツヴァイがこれまで描いてきた願望のままに作られた物とは違う。これまで人の身に余る望みを象ったために、己を発揮することで常に悲劇を繰り返してきた狼の悲哀を覆す祈りの証明。
人の身に余る望みを超えるものとは何か?
――それは即ち、己を貫く究極の我心なり!
『今こそ契約はなされた!』
ガルツヴァイの全てが私と融合する。
その身に根差した本当の望みが私に託される。
他でもない、濡れ滴る月光の牙こそが、誰よりも身に余る大望を望んだから。
君は、無頼の私に全てを託すと吼えるのか。
『故に叫べ!』
ならば、己を叫ぶ。
――私は私のまま。
『汝が引かぬなら!』
だから、己だけで立ち上がる。
――私は私のまま。
『汝が進むなら!』
故に、己だけで前へ。
――確信だけをこの身に宿して。
『魂が命じるがままに叫べ! その咆哮こそ! 世界を再び斬り裂く牙なり!』
私が掲げる絶対最強が、望みなんて無いという望みが、牙が望んだ真実の輝きだからこそ。
この信念よ。星すら震わす牙となれ。
「脆弱に煌めく執念は、心鉄を燃やす月光の牙!」
眩い光の塊を発する左腕を空高く私は掲げた。
いつか、背中に見つけたこの姿。誰よりも自分だけの我を貫く人の背中に今こそ追いつくために。
私もにぃさんと同じ、自分だけの最強を高らかに吼えてやる!
「只この身をもって、血を吐き出しても進むと決めた愚かなる弱者の進む炎獄!」
弱者の今が続くと思っていた。
でもあの人は立ってくれた。弱いだけの私の前に真っ直ぐに。大きな背中で示した先、『ここ』の熱が自分なのだと。だから一人でも進める。誰かに頼る愚かを知った少女は最早、望みを持たぬ無望の無頼。
その名こそがやんきーだって、私は知っているから!
「おぉぉぉぉぉ!」
内に眠りし心の熱量。我すら焦がす紅蓮の情は、天を貫く紅の熱。
その心より上がりし炎の残滓こそ、迫る闇すら照らす月光に濡れた魂。
願望すら超える執念。
理性の極みを頂く我心。
これが手の届かない望みだけで彩られた爪なんかでは届かない牙!
「心鉄金剛!」
私だけの自慢の拳の名こそ!
「私を燃やし尽くせぇぇぇぇぇぇ! 『血を流す魂の炎獄』!」
描かれるは灼熱の左腕。誇らしく吼えた最弱の最強は、世界に蔓延る絶望すら薙ぎ払うように膨大な力と化して、遥か空を貫く一本の柱を生み出した。
次回、血を流しても前へ行け。
例のアレ
心鉄金剛。血を流す魂の炎獄
名称は同じだが、これまでの心鉄金剛とは根底から異なる代物。偽・心鉄金剛。あるいは心鉄金剛真打。あるいは二本目の牙。
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