レッスン11【天魔絶刀】
これは、濡れ滴る月光の牙である己より生み出された七つの爪の物語。
敵性存在が天魔絶刀。ガルツヴァイ・ルールカウンターが、新たなる契約者であるエリス・ハヤモリに刻み込まれるのは、その殆どが悲劇に終わる望みだ。
――家族を、故郷を、ただ理不尽に蹂躙された。その執念すら、力の前には屈するしかないのか。
刀身が無い故に奪われることなく男の最期まで傍に居た狼は、この時まで自我というものが存在していなかった。例えるなら眠り続ける童の如く。安寧を貪るように沈黙していた狼は、その男の心より絞り出された絶叫にて覚醒する。
『殺してやる殺してやる殺してやる! 我が憎悪を忘れるな! 我が復讐に怯え続けろ! この俺の全てを奪った貴様らを俺は永劫忘れるか! 俺を殺した程度で! 業火で灰と撒いたところで! 俺の憎しみが消え去ると思うなよ屑共が! 灰となったとしても俺はいずれ貴様らの喉元に必ず食いついてやるぞ! 必ずなぁぁぁぁ!』
その咆哮は、男を燃やす炎の渦と、それを嘲笑う人々の哄笑、高みから道化を見るように見下す王と貴族達には届かない。
それでも男は叫ばずにはいられなかった。力及ばず刃を砕かれ、拷問により四肢を潰され動くことすらできなくなり、こうして炎に炙られて苦悶の果てに死のうとしながら。男には苦痛や死というもの程度では、その憎悪をすり潰すことは出来なかった。
『殺す、殺して、殺し尽くす。貴様らを……俺は……絶対に……!』
このままでは死んでもしにきれない。だが、何かを成そうにも力がない。
心よりも先に訪れた肉体の限界。死すらも超越する復讐の炎ですら、人々の象る欲の牢獄は突き破れないのか。
――ならば、我が名を呼べ。
『何……?』
――その祈りを像とし在と成す。我が名を叫び、我に連なる爪となれ。
『だったら……寄越せ! 俺にこいつらを殺す力を寄越せ! 復讐するための牙と爪を!俺に全てを殺させろぉぉぉぉ! ガルツヴァイ・ルールカウンタァァァァ!』
憎悪のままに渇望された刃は世界を断つ。後に広がるのは無限断層によって切り開かれた世界。その一振りを最後に絶命した男の傍で、こうして規定を破る狼は己の存在意義を理解した。
これが延々と続く狼の絶望が始まった瞬間。世界を断ち切った刃の広げた傷口を眺めながら、目覚めた狼は己が存在に小さな疑問を思い浮かべた。
―
それから、再び長い時が流れた。
目覚める前の微睡みと同じものに沈んでしまうくらいの、長い時。
その最中、声を思い出す。
――ねぇ、君の好きな世界は何色?
だが微かによぎった言葉も、冷めた鋼鉄の身では温もりを感じられない。
生まれてからの記憶など無いはずなのに、身に覚えのない言葉。だが、疑問に首を傾げるという機能すら、狼には存在しない。
何せこの身は■■■■の残骸。
■■■■を救えず■■■■によって■■■■を――
――黒。君の髪。とても暖かくて、とても冷たい、優しい黒。
記憶は飛ぶ。君を置いて、■はまた飛ぶ。
何を、考えた?
―
――全てが燃える。貴方も私も、世界も全て紅蓮に燃えて、溶けるみたいに。
次に目覚めた日。狼の視界に広がったのは紅蓮に染められた煉獄の如き光景だった。
城下より炎の音色に混ざり人々の悲鳴が無数と連なる。下劣な兵士達は哄笑し、逃げようとする者は一人残らず殺し尽くす。
戦争でも侵略でもない。
これは只の蹂躙だ。理解したところで、狼は自分が誰かに握られているのに気付く。
『……』
肌が白くなる程強く握り締められた掌の先、その力強さとは裏腹に、瞳からあらゆる感情を喪失した少女がそこに居た。
豪華なドレスに身を包んでいる姿と城住まいであることから察するに、この国の姫なのだろう。そして今や滅亡しようとする王国の哀れな姫君となろうとしている。
『……』
逃げようともせず、何かを語ろうともせず、ただ眼下の光景を見続ける。その光景に心を砕かれたのだろうか。そう考えた狼は、興味本位でその心を覗きこみ、常軌を逸した心象風景に無いはずの喉を鳴らした。
溶ければいい。
何もかも溶けてしまえばいい。
どうか、どうか。あらゆる全てが溶けてしまって、この紅蓮に溶かされて、全部溶け爛れてしまえばいい。
お願いします。
どうか、どうか。お願いします。
溶けてください。この想いも、この身も、魂もろとも。
たったそれだけです。
それすらも、神は許してくれないのですか?
何もかも奪われるのなら、いっそ全てが溶け爛れてしまえばいい。国も、人も、世界そのものも。そして何よりこんなことを望む己自身を。
――ならば、我が名を呼べ。
『……』
――その祈りを像とし在と成す。我が名を叫び、我に連なる爪となれ。
『なら、全てを溶かして……ガルツヴァイ・ルールカウンター』
苦悶の果てに切望された茨は世界を溶かす。始まりの爪を産んだ彼と同じく、この少女も天地を噛み溶かす茨によって、魂ごと融解した世界、唯一飲まれることなく残った狼は鋼鉄の檻で涙する。これが存在する意義のままに力を生み出した罪と罰。ただの鋼鉄で在り続ければいつまでも続く悲劇。ならば、次は違えないようにしよう。そう決意した狼は、再び始まった孤独の日々に耐えながら、次の主を待ち続けた。
――だが彼は気付いていない。まさにお前こそ、今やただの鋼鉄に過ぎないという事実を。
―
さらなる時が流れた。
もう、微睡みに屈しようとはしない。
それでも、長すぎる孤独に――少しだけ、眠りたくなった。
――ねぇ、君の嫌いな世界は何色?
どうでもいい言葉を思い出す―どうでもよくなかったことに悲嘆する―。
――赤。君の血。君が流す、血は赤すぎる。こんなに流れて、君を彩る。
苦しいくらいに悲しかった、身を切られるのだってこんなにも痛くはなかった。
そこでふと考える。あの少女もきっと、赤色が嫌いになったはずだ。
そう思うと、やはり言葉を交わすべきだったなと、狼は鍔を震わせた。
過った言葉はもう、忘れていた。
―
――きっと、いつだって理不尽だった。世界の外に在る世界。その侵略者に僕達は成す術もなかったんだ。
長い時間が流れた。溶けた世界に流されて、運よく海に投げ出され、新しく隆起して完成した世界の土の底に沈み、そして発掘されて遺跡の中の宝箱に封じられた。それからずっと暗闇に眠っていた狼が目覚めたのは、開かれた宝箱よりこちらを覗く少年達によるおかげだった。
勇者とその一行を名乗る彼らによって、狼は長年の孤独とこれまでの爪に対する罪の意識で摩耗していた感情を徐々にだが回復させる。
狼には剣としての能力は無かった。牙でありながら牙を失った彼に出来るのは、契約した勇者にいつ得たのか分からない知識を提供することだけ。だがその知識によって幾つかの窮地を脱した彼らは、狼をただの剣ではなく仲間として扱い、狼もまた彼らを大切な仲間として扱った。
そして遂に彼らは人類を脅かす魔王と激突する。かつてない程の死闘。何度も膝を屈しそうにもなった。その戦いで狼に出来るのは叫ぶことだけだった。必死になって彼らの背中を声で支えるだけだった。
その声に彼らは答える。傷だらけの体を起こし、ボロボロの刃を構え、僅かな魔力を燃焼させ――ついに彼らは魔王を滅ぼすことに成功する。
契約の力を行使する必要などなかった。彼らは人では超えられないはずの力を支え合うことで超えてみせた。望みに託すことなど存在しなかったのだ。
だから狼はこれでいいと思った。人の身に余る望みを叶える必要などない。人は、人と人が支え合うことで個人では余る望みすらも叶えることが出来るのだと。
そんな狼の願いを、ソレは世界ごと食らい尽くした。
『なんで……こんな……嘘だ……嘘だ……』
周囲を海に囲まれた孤島で、かつて勇者と呼ばれた青年はこの孤島が出来てしまった時のことを思い出す。
魔王を滅ぼして平和を取り戻してから数年、その怪物はある日突然現れて、そして全てを食らい尽くした。
文字通りだ。人や獣、有機物や無機物の区別どころではない。
その怪物は世界を食らった。
何もかもをその腹の中に収め続け、果敢に挑んだ者達を腹に収め、そして一日も経たずに怪物は世界の殆どを捕食しきって、偶然にも生き残った勇者など眼中にも入れずに海の彼方へと消えて行った。
そして唯一残された僅かな土地で、彼は世界に残された最後の一人となったことに心が折れてしまった。
『分かった……分かっちまったよ俺は……俺達が世界って呼んでるものは本当はちっぽけなもので、世界の外にはアレみたいな怪物が大量にいて……俺達はちっぽけなカスを守っていい気分になってただけなんだ……』
それは違うと叫べたらどれだけよかっただろう。だが最後の最後まで、愛する女が自分を庇って食われる瞬間まで諦めなかった勇者に告げられる言葉は狼にはなかった。
何よりも彼は知っていた。世界の外にはさらなる世界が広がっていること。あの怪物はそうした世界を横断して、目に付く世界を、腹を満たすためだけに食らう魔猿だったということも。
アレは極限の一席。百八の頂点に名を連ねる怪物の一体。その脅威を前に、まだ可能性はどこかにあると言えるはずがない。
何よりも、可能性というものを世界ごと食らい尽くされた勇者にはもう、立ち上がる気力は無かった。
『こんなことなら……こんな絶望が待ってるなら……初めから何も感じない物に生まれたかった……』
――ならば、我が名を呼べ。
『お前……』
――その祈りを像とし在と成す。我が名を叫び、我に連なる爪となれ。
『あぁ、頼む……絶望を感じるこの心を喪失させてくれ……ガルツヴァイ・ルールカウンター……ごめんな、相棒』
絶望の果て、絶望を認識する知性を剥奪する眼は、生み出した主を見据え、その知性を奪い尽くす。そして絶望を感じる知性を失って、ただの獣となった主の末路を見届けた狼は、最期は契約を完遂してしまう己の存在に苦悶する。だが狼は勇者のように知性を剥奪されることも、存在理由と孤独に耐えきれず狂うことすらできない。
その身は鋼。生まれ、育ち、そして死ぬ。そんな生物らしい当たり前からかけ離れた一本の牙。
――ならば、この存在理由に殉じよう。せめてそれだけが、今の狼に出来る些細な抵抗だった。
―
また孤独の時が続いた。
今度も長い。だがその孤独すらどうでもよくなるくらい、鋼鉄の檻に閉じ込められた心が痛かった。
その痛みに悶える。苦しむ。知性を奪われた勇者が羨ましくなる。
だけど、数百年もすれば彼の顔も声も思い出せなくなり泣いた。
――だってほら、この世界はこんなにも綺麗だよ。
泣きながら、過った言葉を彼方に放り捨てる。捨てなければよかったと、忘れた頃に後悔する。
――自画自賛だな。……嫌いじゃないけど。
――ううん。私は貴■を褒めているの。
――■を?
――だって、私の世界は……。
彼らの望みは、望まれる事にその思いを狼に蓄積させる。人の身に余る望みを叶える代償なのか。これまでの契約者が鋼を生み出す度に、彼の感情は回復し、同時にこれ以上ないくらいに摩耗する。
とても疲れた。
ひどく、疲れた。
だけどもう、微睡みに佇んで最悪の時点で覚醒なんてしたくない。
覚悟を決めた。決めたと言い聞かせた。つまりは覚悟なんて決められなかったということだった。
言葉が消えた。悲しみは続く。記憶が消えていると知ることも出来ない。悲しみは繰り返す。
―
――欲望は際限ない。私の欲は死んでも満たされることのない煉獄に違いないのさ。
孤島で勇者が死に、その骨すらも風化し、孤島が自然の力で隆起して再び世界が産みだされ、そこに根差した新たな生命が、かつて勇者が居た頃と遜色ない程の発展を遂げた程度の時間が経過した。
狼は世界の起点として、最も広大な山脈の頂上で静かにたたずむ鋼鉄だった。そこにいつのころからか捨てられた人々が集まり、狼を神の化身と崇め、小さな集落が出来上がった。
そこは世界より捨てられた者達が辿り着く最後の理想郷。生まれてから死ぬまでの全ての行動を法律で規制されるという恐ろしい世界に弾かれた者達は、そこで自由を謳歌していた。
狼がそこで自由の象徴として静かに過ごしていた時、その女は現れた。
法律で規制された息苦しさを嫌い、だからといって自由を謳歌すると言いながら狭苦しい村で細々と暮らすことにも飽き飽きしていた女。聞けば、裏に隠れて娼婦として暮らしていた女は、その飄々とした性格からこの村でも異端視されていたらしい。
『アタシはあれよ、平和っていう名の息苦しさも、自由っていう名の息苦しさも嫌いなだけさ。まっ、それをどうにかしようも出来ないから、こうしてここで同じ穴の狢ってわけなんだけどね』
――ならば、我が名を呼べ。
『そりゃ……あぁ、そういうことかい』
――その祈りを像とし在と成す。我が名を叫び、我に連なる爪となれ。
『ならアタシがこの世界を面白おかしく貪れる力をくださいな……ガルツヴァイ・ルールカウンターさん』
これまでと違って、死を前にした人の身に余る願望ではない。だが生きながらそれと同じ願望、欲望を宿した彼女の奇妙な在り方に興味を持った狼は契約を果たす。
この世界を法律で固められる根源。つまりは魔力を咀嚼しつくすだけの爪。所有者の魔力すら吸い尽くすこの爪と、娼婦として培った力を持って、彼女は世界に対して反旗を翻す。
法律で規制された全てを吸い尽くし、己の欲望をひたすらに満たし続けた女は、いつしか世界を混沌に導いた魔王として君臨する。
だが彼女は止まらない。何もかもを欲し、何もかもを吸い尽くし、そして人々の苦悶など知りながらも嘲笑う。
しかしその在り方に狼は救われた。これまでの爪はそのどれもが使用されると同時に契約者を破滅させた。だがこの女は違う。例えその在り方が世界を蝕む毒の如き存在だとしても、これまでと違うというだけで狼は救われた。
その果てに待ち受けていたのは、爪を腕ごともぎ取られ、腹に剣を突き立てられた女だった。
何故こうなったのかと狼は問う。敵が多いことを知っていた彼女が、何の気まぐれか自身の城に招き入れた子ども。その手によって殺されたのだから。
『ザマぁない。あれだけ欲張ったのに、これが結末とはね……まっ、ツケを払うときが来たってやつさね』
あの子どもがお前を殺そうとしていたことは再三忠告していたというのに。狼は尚も問う。
『なんでだろうね……あぁ、そうだ。あの子、昔、捨てられる前に過ごしていた家の、弟に、似ていて、あの子と、自由に、暮らせたら……』
そんな望み、お前なら簡単に叶えられたと狼は言う。だが女はその言葉に目を丸くして。
『ははっ、アンタには簡単、でも……アタシには、こうなるまで、考えもつかないような、そんな、夢が……欲しかった、の』
そして、女は息絶えた。結局、身に余る望みを普通に生きながら抱いていた彼女が本当に望んでいたのは、誰もが普通に得られて当然の当り前だった幸福。
だが、全てを法律で規制されていた世界では、異端とも取れる――望外の幸せ。
狼は嘆く。人の望みを具現化させる己が、その実、望みの大小は人によって違うことすら分かっていなかったことを。
どんな望みでも、それが本人にとっては自分には叶えることが出来ない望みに成りえる。そこを違えて、ただ惰性で表層の望みを具現してしまった己の罪。
何を、覚悟した。
覚悟したつもりで、逃げただけだろう?
――存在する意味にすら殉じず、目を背けて続けた我が罪は誰が正す? 何度だって間違え続ける自分は、もしかしたら初めからそういった存在だったのではないかと狼は心の中で自嘲した。
―
――身に余る? 故に誉れ! 私の槍は栄光のためだけにこの手にあるのだ!
孤独の時はそう長く続かなかった。
女の亡骸の傍から回収された狼は、再びその美しい見た目から新たに産まれた王族達のシンボルとして奉られる。
考える間もなく、再び神格と扱われる己を嘲る間も無いままに。
儀礼用に使われていた狼は、ある日、公爵の次男坊に紆余曲折を経て渡された。
その男は英雄譚の勇者に憧れる愚者であった。
ただ家柄がよかっただけで、才能も無ければ努力もしない。だが授けられた槍と狼だけを誇りにしただけの哀れな男。
身の丈を弁えずに、未だ秩序が奪われ混沌渦巻く世界の戦場に現れたところで、男は槍を突き出すこともなく、適当に射られた流れ矢に胸を貫かれて倒れてしまった。
『ぐぉぉぉぉ……この痛み、まさか伝説に謳われた竜王の一撃だとでもいうのか!? くっ、油断した。しかし俺の手から槍が無いということは竜王に一矢報いたということ! ふははっ! これで俺も英雄だ! しかし、竜王を貫いた矛が無く死ぬというのは……』
――ならば、我が名を呼べ。
『おぉ……!? これはまさか神のお告げか!?』
――その祈りを像とし在と成す。我が名を叫び、我に連なる爪となれ。
『ふははは! ならば我に最強の一振りを! あらゆるものを貫く究極の槍を!』
こうして、何も知らずに勝手に英雄譚の英雄と己を謳いあげた愚者が羨望した槍だけが残された。
愚者に相応しき木の枝にしか見えない誉れの槍。しかし、それを最期まで竜王を貫いた槍だと喜んだ男の笑顔に――救われなかったと言えば嘘になる。
少しだけ、救われた。妄想に殉じた愚者とはいえ、笑いながら死んだ男がいてくれたことに安堵する。
――そうやって手慰みを続けても意味は無い。結局、自分はまた男が真に望んでいることを具現化させることもせず、目を背けたに過ぎないのだろう。
―
そして再び時は流れる。
いつまでも続く孤独の日々。世界が終っても終わらない己の自我。
続くばかりの日々。
今度こそ永遠に孤独に居るのではないかと思うと、寂しく―安堵し―、辛く―喜び―、あぁ、苦しい。
――貴方の名前、そして、私だけの、大切な心。
空虚にもがきながら、しがみついた言葉を底に沈めて浮上する。
――■■■■の心か。怖いな、それじゃ■は未来永劫……。
いつまで続く?
いつまで続けばいい?
世界の終わりが来るまでか? 終わらなければ、終われないのか?
その思考を何故か嘲笑う自分を見つける。
――そうよ、だって貴■と私は……永遠に続くもの。
その言葉を叩き潰す。忘れるたびに涙するくらい守りたかった言葉すら、今は自分を殺す毒だったから。
―
愚者の居た世界が、過剰な発展を発見され、集合無意識により崩壊してから暫く、漂流していた狼を拾い上げたのはとある魔法使いだった。
その魔法使いはこれまでの凡人達とは違い、いずれは百八の席にすら座する才能を秘めた天才だった。これまでの契約者が凡人だったから、望外の望みに苦悶したのだと考えた狼は、喜んで魔法使いと契約を果たす。
それからは彼の数えるのも馬鹿らしい孤独と苦悶の日々をゆっくりと癒す静かな日々が続いた。
魔法使いの望みは世界の深淵を知ることだった。だがそれは狼に願わずとも達成できる願望。事実、魔法使いが狼に望んだのは、狼を依代として世界の仕組みを解き明かすことだけだったのだから。
だがその日々もたったの数百年で終わりを告げる。いよいよ魔法使いが世界の深淵、星という存在の一端に触れようとした瞬間、ソレは現れた。
『あははは! 何だアレ! あんなものがこの世の底に存在するって!? だったら僕らの存在はなんだ! 赤子に寄生する寄生虫よりも性質が悪い! 馬鹿げている! 超越者も! 例外個体も! 敵性存在も! 王の奴らもその他全員! どうしてアレを見てまだ抗う気力が保てる!? 勝ち目なんてあるわけないじゃないか! わかるぞ放逐者共! 今ならお前らの言ってたことが全てなぁ! だけど僕違う! アレを成す! アレを成して僕はゴミ屑ではないことを――』
――ならば、我が名を呼べ。
『ん……?』
――その祈りを像とし在と成す。我が名を叫び、我に連なる爪となれ。
『は、ははは! ひゃははははは! いいのか敵性存在!? 君が今やろうとしていることはそういうことなんだぞ!? ……本気か。だったら寄越せ、僕にあの黄金の獣を! 第三法の力を寄越せ! ガルツヴァイ・ルールカウンター!』
そして、星の配下にして世界の敵、黄金に輝く無敵の獣を模した衣を手にした魔法使いは――一瞬にして現れた鮮血の魔女によってその命を奪われ、本懐を成すことも出来ずに絶命した。
鮮血の魔女。自分と同じ敵性存在と呼ばれる彼女に回収された狼は理解する。魔法使い程の天才であっても望外の望みは存在し、そしてその手に自分があるとき、自分は迷うことなくその力を行使してしまうと。
『まったく、随分とつまんない刀ね。ちょっとムカつくからこの鮮麗で繊細かつ扇情的な魅力を持つおっぱいお姉ちゃんことアタシが預かってあげるわ。なぁに、アタシと居れば退屈はさせないぜ? ヒャハッ』
魔女はそう言って暫く狼を従えて様々な世界を転々とした。人の望みを叶える狼は、生命を超越した彼女に連れまわされ、ようやく感情らしい感情を、命として当たり前のものを手に入れる。
だがそれは結局、表面を取り繕っただけのもの。どんなに軽薄を装い、同じ敵性存在達という同種の存在に救われても、これまで望みを叶える時には全てが遅かった契約者達への贖罪の念は消えなかった。
―
――貴方が私達姉妹を救ってくれたから、身を捧げてもいいかなって思うの……ありがとう。大好きよ、愛してるわ。
そして狼は己の罪と向かい合う。
敵性存在である表裏の魂を持つウロボロスの少女。鮮血の魔女より彼女に手渡された狼は遂に、始まりの一振り、心鉄金剛と名付けられた罪の一つと相対する。
刃毀れする憎悪。
狼の自我を目覚めさせた復讐の権化が生み出した究極の切断現象。振るえば敵性存在すら永劫に切断し続ける刃に苦戦する少女。だが苦戦の理由はそれだけではない。
何せ、それを振るうのが愛する男なのだ。自分を助けるために刃毀れする憎悪を奪い取り、その呪いに犯された男を、どうして少女が攻撃出来るだろうか。
そして追い詰められた少女は、観念したように淡い笑顔を浮かべて両手を広げる。もうそれだけしか、想いを伝えることが出来ないから。
狼もまた観念する。敵性存在の身に余る願望。それが発露されることが意味することはつまり――。
『いいよ。抱き締めてあげる。貴方になら私達、殺され続けても、愛し続けられるもの……でも、せめて、もう一度だけ名前で呼んでほしかったな』
――ならば、我が名を呼べ。
『……そう、私でも結局、貴方の望みを覆すことは出来なかったのね。でも、この場合はちょっと無粋かなーって』
――その祈りを像とし在と成す。我が名を叫び、我に連なる爪となれ。
『あはは、飲まれちゃってるか。ならせめて貴方の望みに合うようにしてあげる。だって、私が望むのは身に余るものじゃないから……あぁ、だから身に余る願いではなく、友人である貴方を救うために一つ――包み込ませて、ガルツヴァイ・ルールカウンター』
そして、まるで彼女そのものを具現化したようにとぐろを巻く刀身が二つ合わさったような剣が現れる。それは心鉄金剛を抱きしめるだけの心鉄金剛。振るうと同時に消滅した刃毀れする憎悪は、その勢いで所有者である男を汚染していた呪いも漂白させていく。
だがそこまでだ。呪いが無くなったことにより、呪いで保たれていた男も消えていく。その覚悟で少女は願望を具現化させたのだ。
駆け寄り、消えて行く男を抱きしめて涙する少女を地べたに転がりながら狼は見る。
きっと彼女はどちらでもよかったのだろう。
ここで永遠に彼に切られ続けるのも。あるいは彼を救い出して、人のまま死なせてあげることも。
どちらにせよ、救いはないと知っていたから、せめて友人を、狼だけは救ってあげようとしただけのこと。
その思いに狼は泣く。契約者は生き残った。だが彼女が本当に望むことは叶えられなかった。
望みを叶えながら、真の望みを叶えられない。
これはいつまで続く。
いつまで続ければいい。
『なら眠るんだ。眠って、君が望む契約者が現れることを願って――』
そして狼は鎖に包まれて意識を消失させる。その最後の契約者が生き残ったことだけを幸福と感じながら。
せめて、次の契約者こそ、真の望みを叶えられるように。
そういった存在である狼は、そうあるべきだと信じ続ける狼は眠る。
――私の名前は■■■■。貴■の名前は?
最期の言葉が消える。
――■、■は……。
『あぁ、そういえば私はかつて……』
眠る。そして今、新たな契約者は、狼の前に現れた。
次回、心鉄金剛。
例のアレ
世界を捕食した猿
ギガガ・ゴゴゴロア。A+、クソ強い
集合無意識
ムゲン。A+ランク、激強い。
例外個体
A+超えた奴。やばい。
王の奴ら
異世界ヒャッハー。敵性存在クラス。
ウロボロスの少女
敵性存在。不死身。刃毀れする憎悪をまそっぷした少女。