レッスン10【それでもと叫ぶから】
ガントさんの背中で揺れながら、朦朧とした意識で私はまるですぐ傍に居るようなキングバウトの圧力を感じていた。
移動不可能な空中に飛ばしたおかげで稼いだ十秒、そして腹部の直撃によるダメージから動けるようになるまで数十秒。後者は私達に余力がないことを知っているために、確実に殺すための僅かなインターバルだと考えて、導き出される解答は、死だ。
最早、生き残るのは絶望的だ。だけど、どちらが生き残る可能性が高いかと言えば、きっとガントさんのほうだろう。
何せクイーンバウトを殺したのも、キングバウトに一撃を与えたのも私だ。そしてアイツは私がクイーンバウトを殺したことをきっと臭いか何かで知っている。今思えば、出会いがしらに頭を食らうことも出来たのに左腕を食らったのは、女王を殺した罪人に対する王が下した罰といったところだったのかも。
駄目だ、思考が変な方に向かってる。
ともかくそういうことだから、もしかしたら私を殺すことで溜飲を下げたキングバウトはそのままガントさんを見逃す可能性が、少しだけ残っているのだ。
「……降ろしてください。私が殿を引き受けます」
「黙っていろ」
「すぐにアイツが来ます。アイツの狙いが私なら、もしかしたらガントさんは見逃してもらえるかもしれません」
「黙っていろ」
「ガントさん……!」
「黙っていろと言った!」
有無を言わさないガントさんの言葉に押し黙る。何故、この人が殆ど他人でしかない私を捨てていかないのか分からない。私よりも年長者で、冒険者としての経験も長いなら、私を見捨てたほうが生き残る可能性があることくらい分かるはずなのに……。
「俺は本来、あそこで死んでいた身だ。それがお前のおかげでこうして今も走っている」
「でも、結局このままじゃ……」
「それでもだ。それでも俺はお前を見捨てない。それをしてしまったら……仮に生き残っても、胸を張れない」
そんな、くだらない意地。論破しようと思えばできるような幼稚な答え。
「だから、俺はお前を見捨てない」
くだらないことだ。
くだらないと、口にしようとして。
「俺は、あのハヤモリという男の真っ直ぐな瞳から、目を逸らしたくないのさ」
だけど、そんなくだらなさを何よりも貫きとおした人の背中を、私も知っているから。
「……私、は」
いなほにぃさんと肩を並べられなくても、せめて胸を張って堂々と会いたいからという、ガントさんの愚直な決意。
それは意味も無く、くだらなく、だけど、私が憧れたのは、そうしたくだらなさだったはず。
ならば私はもうにぃさんの隣に立つ資格なんてないのだろうか。最大最後の可能性を手にして尚、あの王の牙城を崩せずに敗北した私は、くだらない意地をくだらないと言いかけてしまった私には。
そんな私を必死で助けようとするガントさんに申し訳なさを感じる。これまで大切にしていた矜持を、乗り越えられない壁を目にした途端に手放した私なんか、いっそのこと見捨てられてしまったほうがよかったというのに。
「■■■■ッッッ!」
だがもう全ては遅い。地鳴りのように心胆を震え上がらせる遠吠えが響き渡ったのとほぼ同時、ガントさんは腰の鞘より両手剣を引き抜いて振り返った。
「やらせるかぁぁぁぁぁぁぁ!」
負けじと咆哮して、先程よりも遥かに衰えた強化魔法を展開し直してガントさんが走り出す。
当然、片手で掴まっていた私はその勢いに耐えられずガントさんから手を離してしまって飛ばされた。
いや、それは言い訳だ。
腕も。
魔力も。
何よりも心をすり減らした私には抗おうとする気持ちすら残っていなかったから――。
「あ……」
地面に落ちるまでの一瞬、背を向けたガントさんが森の木々をへし折りながら現れたキングバウトに立ち向かう。どんなに足掻いても一瞬すら稼げない無意味な抵抗。誰が見ても無謀だと嘲笑う、投身自殺にも似た突貫。
その背中に思わず手を伸ばす。進ませてしまえば呆気なく潰えてしまうガントさんを引き留めようと、残された力を全て注いで指先すら真っ直ぐに。
そして、呆気なく惨殺されるはずだったガントさんは――真っ向からその爪を受け止めてみせた。
「聞けエリス!」
それはどういった奇跡なのだろうか。傷だらけの体で、遥かに衰えた魔力を振り絞って、耐えきれないはずのキングバウトの猛攻を防ぐガントさんは、地面に落ちた私に向かって叫んでいる。
「俺は! 俺はいつ死んでもよかった! だがあの男と会い、あの男の生き様を知り、かつての自分を思い出せた!」
一合ごとにガントさんの身体に裂傷が刻まれる。そのどれもがも今すぐに治癒しなければ危険な深手で、放っておけば死に絶えるはずなのに、遥かに格上であるはずのキングバウトは、ガントさんという壁を未だに超えられずにいる。
その奇跡を見届けながら、私はそれ以上に心を揺さぶるガントさんの言葉に聞き入った。
命を燃やし尽くして、超えられない壁に抗う男の激情。
きっとそれは、にぃさんとは違って己の死を覚悟している敗者の咆哮。
だけどそれは、信じている者に何かを託そうとする希望の証明。
「だがエリス! それ以上に俺はお前の、弱者でありながら遥か格上の相手にすら挑んだお前の熱に魅せられたんだ! 勇者としての道を進むあの男に憧れるだけではない! それがどんなに困難な道だろうと! ハヤモリに比肩しようとするお前の在り方に!」
防ぐ。防ぐ。
そうしてまで時間を稼ぐのは何故なのか。
――分かっている。
そうしてまで抗う理由は何なのか。
――分かっている。
そうしてまで、心まで屈してしまった私を奮起させようとしているのは何でなのか。
「そんなこと……!」
そんなこと、分かっているじゃないか……!
「だから立てエリス! お前がハヤモリなら! お前があの男の隣で歩もうとするならば! その歩みを少しでも支えられる俺は! ハハハッ! 英雄を支えた男になれるからなぁ!」
「ッ……! ぁぁぁぁああああ!」
ガントさんは私に託そうとしている。
どう足掻いても覆しようのない現実。それを打ち砕いてしまう力と心を持つ、いなほにぃさんにではなくて!
自分と同じ、いや、自分よりも力がないのに打ち砕こうとする私こそが!
「エリス! お前が俺の、俺達の!」
それでもと抗い、倒れ、屈してきた者達。
その理不尽を超えて行く弱者に私はなるって決めたんだ!
「ガントさぁぁん!」
だから全てを振り絞って立ち上がる。
擦り減った心なんてまやかしだ。立ち上がろうと思えば、人は何度でも立ち上がることが出来るから!
「来い! エリス!」
「はい!」
死にかけのガントさんに並び立とうと走り出す。策なんて何もない。だけど立ち向かうことだけは止めたくなかったら。
だから行くんだ。
行って、進むんだと私は誓っ――。
「■■■■ッッッ!」
瞬間、キングバウトの魔力が膨張する。背筋が凍り付く。再び立ち上がった心よりも前に、肉体を砕き散らすような絶望の予感。
堪らず片手剣を離して右手を突き出す。言語は省略、守護の意を敷き詰めた魔法陣を展開して、持てる力の全てを注ぎ――足りない!?
「ッ!」
私は死ぬ。だけど決して目を逸らしたりはしない。例え力で及ばなくても、心だけはもう二度と負けたくないと思ったから。
だから負けてやるものか。お前が私を殺しても、私はお前に勝ってみせる!
僅かな間。死の直前を感じて停止した世界で、最期の抵抗をしようとした私だったが、その直前に鉄壁の盾のようにして、ガントさんが私の前に――。
「ガン――」
「生きろよ、エリス」
聞こえるはずのない、最期の言葉。そして濃密すぎる魔力の奔流の最中、振り返ったガントさんは、何もかも悟りきった透明な笑顔で私を見つめ。
キングバウトより三つの魔力光の斬撃が放たれた。一部の上位種の魔獣が扱える魔法は、単純にして苛烈。鋭利な三つの奇跡は私の障壁は当然、盾のように構えたガントさんの剣を寸断し、その体を縦に三分割した。
「うあああああああ!?」
衝撃で吹き飛ぶ。
身を挺してくれたガントさんのおかげで、突き出した右腕の肩の部分までが三枚おろしにされて辛うじてぶら下がる肉塊になった程度の怪我で済んだ。
だけど。
だけど、ガントさんは……!
「ガント、さん……!」
キングバウトの魔法で舞い上がった粉塵から、立ち上がるための腕をどちらも失って地面に倒れた私の眼前に剣の欠片が突き立てられる。
それを見て、私は心の奥からこみ上げる感情に唸り声のような声をあげた。
あの瞬間、ガントさんは私のために己の命を盾にしてくれた。そのおかげで私はこうして生き恥を晒しながら辛うじて生き残った。
悔しかった。
己の無力が、結局誰も救えなかった現実が。
どう足掻いてもお前にはハヤモリと並び立つことは出来ないと告げているみたいで、ガントさんには申し訳ないけど、そのことが何よりも悔しくて。
『もう、諦めたまえ。勝敗はついた。短い間で残念だったがこれまでだ』
気付けばここまで黙っていたぬれぞーが、感情の抜けきった言葉で最後通牒を叩きつけてきた。キングバウトの最期の一撃の衝撃のせいで鎖が外れたのだろう。視界の隅で転がっている刀もどきの姿は、まるで両腕を失った私の姿に重なった。
もしかしたら、ぬれぞーはずっと今の私と同じ気持ちだったのだろうか。
剣としての機能を失い、封印を施されどうしようも出来ずにただ眠るだけの日々。
私なんかよりもずっと長い間、抗えない現実に辟易し、すり減らし、軽薄な口調はそんな現実から目を逸らすための苦し紛れの姿で。
だからこそ、諦めろって、君も言うのか。
『これ以上抵抗して苦しむよりも、ここで諦めて死を受け入れたほうがいい』
そんなことは猿にだって分かってる。誰だって同じ状況になれば、アトちゃんだって潔く死を選ぶかもしれない。
だけどな。
それでもって叫んで、私に託してくれた人が目の前で殺されてさぁ……!
『君はよくやった。格上相手に一撃を与え、結果こそ及ばず心を壊しながら、僅かな間に立ち上がって抵抗してみせた。結果はこの様だが、それでも君の健闘は――』
「うるせぇぇ! 私はもう! あいつをぶっ殺さないと! 気が済まないんだよ!」
私は耳障りの言い負け犬根性丸出しな言葉を吐き出し続けるぬれぞーを真っ向から否定する。
腕が無い。
立ち上がることすら難しい。
諦めたほうが賢明だ。
だから、どうした?
「……勝つんだ」
『エリス。君は……』
「勝つんだよ……あのクソッタレに、私の腕とガントさんを殺した落とし前をつけさせなきゃなぁ……!」
何よりも、あの強敵に勝っていなほにぃさんに堂々と胸を張れるように。
「面白いじゃないか……!」
そうだ。
両腕が使えない? その程度がどうした?
「丁度いい。イヌッコロ相手ならこれで対等ってもんですよ」
何度も土を舐めながら、ようやく立ち上がる。そのころには粉塵も風に流され、王の風格で堂々と私を待ち構えるキングバウトの姿も見えた。
鋭い視線に込められた殺気の圧力だけで倒れてしまいそう。両腕を失ったことによる失血も相まって視界も殆ど暗くなってる。
私の死は決まっている。
だがそれは、この強敵を打倒した後の前のめりって決めた!
「どうしました? ビビッて声もでねぇのですか?」
キングバウトからすれば、死にかけの獲物に挑発されるなんて意味不明だろう。そのことを考えて動きが止まっていたのだろうけど、ゆっくりと前傾姿勢となる。
迷うことすらくだらないと思ったのか。
まぁ、獣の思考を推測しても意味無いと思えば、くだらないのはお互いさまか。
だから、ここからは正々堂々真正面から!
「行きます……!」
この極限状態。絶対に不可能と思える現実こそが相応しい。
エリス・ハヤモリの『やんきー』は!
何よりも、『ここ』に焼き付いたこの熱の衝動に任せて!
「私はエリス! エリス・ハヤモリ! お前をぶっ倒す……『やんきー』だ!」
張り上げた声にもう迷いはない。そしてこれは死ぬまで変わることのない、とっておきの宣誓。
やんきーを張る。
いなほにぃさんに追いつく。
そのための障害は、何であろうとぶっ倒すという覚悟の証。
『早森……あぁ、そうか……だからこそ……』
ぬれぞーが何かを言うがもう構わない。
初速から最高速で。いつもと変わらず、いつも以上の力を込めて。
立ち塞がる絶望を砕くことに専心し、前へ前へ、ひたすら前へ――。
『――だからこそ、我が名を叫べ!』
瞬間、これまで感じたことのないような荘厳な雰囲気が周囲一帯を埋め尽くした。それだけじゃない、周りの全てが、まるで時が止まったかのように停止している。
な、なにこれ。
っていうか私の身体も、動かない!?
突如として起きた異常事態は、走馬灯による時が緩やかになるようなものとは違う。完全に制止した世界の中、私の視界の隅で地面に突き立っていたはずのぬれぞーが、私の顔の前に一瞬で現れた。
その刀身から、まるで月より滴り落ちる雫の如き光が溢れだす。ぬれぞーの流す涙のようなそれは、たちまち地面に波紋を作り、そのまま地面を光で染め上げていく。
何かが起きようとしている。
それも、人知を超えた何か。いや、本能が理解した。
これは、『私』だ。
『我が名を告げよ! 我が名に望め! 我こそ星の傷口、無に降り立つ時の使者! 濡れ滴る月光の牙なり!』
その間にもぬれぞーの宣誓が続く。
まるで望みを欲する彼こそが何かを望むように。命じるようでありながら、私に祈るように告げてくる。
気付けば地面に浸透した光が、私の足元から全身を包み込んできた。
体の末端から刷新されるような不快感。何かを告げたわけでもないのに勝手にこちらを浸食する不条理に憤りながら、全身に流れ込む力の濁流がその感情すら洗い流す。
そしてその光が脳天まで覆いつくした瞬間、電流のようにぬれぞーの――星に抗いし極限の一つの名が私の脳裏に刻み込まれた。
「あ、あ」
口が開く。時が停止しているのに動く理由は不明だけれど、濁流によって喪失した感情の鎧の中に眠っていた剥き出しの魂が、蜜のように滴って唇を濡らす月光の雫に滑り、その名を告げた。
星の仇敵。
星を刻んだ災禍。
法に断罪されるべき権能。
七本の爪によって彩られた我が名こそ――。
「ガルツヴァイ・ルールカウンター……」
権能個体。
そう呼ばれ、そう呼ばれ続け、いつしか心を殺した剣の物語が――私の脳裏を駆け抜けた。
次回、天魔絶刀。
例のアレ
権能個体
ルールカウンター。敵性存在よりもレア。権能っていうよくわからん力を使える。