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不倒不屈の不良勇者━ヤンキーヒーロー━  作者: トロ
外伝【不倒不屈の少女勇者・第一章『みるきーうぇい』】
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レッスン9【砕かれた心】


 背後で上がる絶叫に振り返ることも出来ず、ガントは目の前に立ち塞がる銀色の王を真正面から睨んでいた。

 それは戦意からではなく、無理矢理にでも何かを込めなければたちまち膝を屈しそうだから。死線を幾度もくぐってきたガントですらそうしなければ戦う意志を保つことすら出来ない相手、キングバウト。その中でもさらに強大な力を秘めた怪物の視線は、負傷が尾を引いているとはいえ、未だに精強なガントではなく、その背後で左腕を失った痛みに地べたでうずくまっているエリスへと向けられていた。

 その舌が動き、牙に刺さったエリスの左腕を口の中にしまい込む。そして何度かベキベキという咀嚼音をあげた後、かつてエリスだったものの一部がキングバウトの腹の中へと消えていった。

 その間もキングバウトは動かない。そしてガントも剣を構えたまま動くことが出来なかった。


「ッ……」


 ただ立っているだけだというのに、全身から溢れ出る圧力に気圧される。空気すらも重くなったように呼吸が辛く、ガントは睨み合っているだけで自分が消耗していくのを自覚した。

 戦力差は、どう見積もっても絶望的だ。かつて、全盛期だったころのガントであっても一分凌げるかどうか。能力が衰えた今の自分では、エリスを守るための盾にすらなることも難しいだろう。


「フッ……フッ……!」


 だがガントは呼気を浅いものに切り替えながら、強化魔法で輝く体にさらなる魔力を注ぎ込んだ。

 諦めてはいない。最早、命は捨てると覚悟はしたが、ただでやられるつもりはなかった。

 せめて、エリスが止血を終えて動けるようになるまでの時間は稼ぐ。

 絶望無き決死の覚悟。後など一切考えず、ガントは死線を一歩踏み越えようとして――。


「■■■■ッッッ!!!」


 そんな覚悟を嘲笑うように、キングバウトの咆哮が大気を割り砕いた。


「ぐぅ……!?」


 堪らず踏ん張ったガントを無視してキングバウトが巨体に見合わぬ軽やかさで跳躍した。突然のことに反応しきれなかったガントを悠然と飛び越えて、その口は地面に倒れるエリスを飲み込むべく大きく開かれた。


「ッ……ぁぁぁぁぁああああああ!」


 だがそんなことはさせない。立ち合いの間に多重にかけた強化魔法によって何倍にも増幅した身体能力でガントはエリスとキングバウトの間に立ち塞がると、振り上げた両手剣をキングバウトの鼻っ面へと叩きつけた。

 鋼鉄に刃を突きつけた抵抗感と、鉄と鉄が弾ける音色。剣を通して伝わる凶悪な重量にガントの両手の筋肉と骨が悲鳴をあげた。


「おおおおおお!」


 しかし、そのまま吹き飛ばされるわけにはいかない。地面に沈み込む両足が折れるのすら厭わずに踏み止まり、ガントは雄叫びをあげながら虚空にいるために踏ん張りの効かないキングバウトを叩き飛ばした。


「■■■■……ッ!」


 唸りながらキングバウトは地面に着地して、ガントを警戒するように頭を下げて前傾姿勢を取る。先程まで眼中になかった相手、だが今の認識は周囲を飛ぶ羽虫程度には認識が上がったか。

 どちらであっても敵にすらなりえないことは分かっている。それでもガントは、記憶にある早森いなほという男が浮かべていた笑みと同じものを顔に張り付けて己を鼓舞した。


「どうした。俺の剣はまだ折れてはいないぞ」


 そう言うが、既に両腕は衝撃によって骨に罅が入り、筋肉も寸断されて激痛を発している。踏ん張った両足も骨は折れていないものの、立っているのもやっとのダメージを受けている。対してキングバウトはガント渾身の一撃を体毛で覆われていない鼻先に受けたにも関わらず、切り傷すら負っていない。

 たった一合。しかもキングバウトとしては戯れの一撃だけで、勝敗は決しようとしていた。


「起きろエリス! 聞こえているならば今すぐに逃げろ!」


 ガントは痛みを噛み殺してうずくまるエリスに叫んだ。


「ガント、さん……」


「こいつは俺が抑える! その間に逃げて、この情報をマルクに持ち帰れ!」


「で、も……私、は……」


 左腕の傷口を抑えながら、エリスは涙ながらに体を起こした。

 思考は冷静ではない。痛みで考えがまとまらない。

 だが、逃げるのだけは嫌だったから、エリスは傷口に治癒用の魔法陣を魔力の糸で描き止血を施すと、落ちていた片手剣を拾ってキングバウトへと構えた。


「何を……」


「に、逃げても無駄です……どのみち、こいつの足からは、逃げきれない……!」


 間合いの外から一瞬で詰めて左腕を食いちぎった。その意識外の襲撃を行えた最大の理由は脚力。


「……こいつは、ただの、キングバウトじゃないです……!」


 既にエリスは目の前のキングバウトが通常のそれを遥かに逸脱した危険な存在であると感じていた。


『正解だ我が主。緊急故に説明は省くが、こいつのランクは推定でCランク。速度だけならばBランクにも匹敵する』


「わお……素敵……」


 絶対無敵と信じている早森いなほの実力がCランク前後であることを考えれば、このキングバウトはまさしくいなほと同レベルの化け物。いや、トロールキングの一戦での苦戦を考えれば、いなほであっても敗北する可能性すらある魔獣。

 そんな敵を相手に、既に左腕を欠いた状態で戦わなければならない。その冗談みたいな現状に対して、エリスは思わず笑みを漏らしていた。


「だけど……勝つのは私だ……!」


 勝算は皆無。そもそも生き残れる可能性すら存在しない。

 それでも吼えた矜持こそ、エリスが張れる唯一の強さだというのに。


 ――お前の窮地はお前だけの窮地ではないかもしれないんだぞ?


 脳裏を過るガントの言葉が、張り続けると誓った意地さえも霞ませている。

 そんな不安を振り払うようにして、エリスはこちらの戦意を感じ取って魔力を放出したキングバウトを真っ直ぐに睨んだ。


「負けて……たまるかぁぁぁぁ!」


 足りない血潮を激情で補填して、エリスは小さな流星と化してキングバウトへと踏み込んだ。


「■■■■ッッッ!」


 キングバウトが咆哮する。物理的な圧力となった咆哮の壁は、突撃するエリスの体を容易くその場に縫い付け、両足を痛めていたガントが耐えられずに吹き飛ばされる。

 ただ叫ぶだけで動くことすらままならない。片手剣を地面に突き立てて何とか踏ん張るエリスは苦悶した。

 そして再びキングバウトの巨体が動く。巨体の重みなど一切感じさせずに空へと舞い上がり、振り上げた四肢の一本がエリスの首を狩るように薙ぎ払われた。


「ッ!?」


 咄嗟に飛び退いた直後、爪の軌跡を象って地面に三つの大きな断層が刻まれる。

 片手剣では受け止めることすら出来ない。その威力に顔を青ざめさせる間もなく、エリスは優雅に着地したキングバウトの無防備な脇腹へと地面を這うようにして走り出した。


「こ、のぉ!」


 未だ残っていたポーションの効果で熱を発する切っ先を突き出す。しかし虫でも払うように振られた銀色の尾が、虫同然にエリスの身体を薙ぎ払った。

 軽く払われたとは思えない衝撃。みしみしと骨が軋み、幾つかの骨が渇いた音色を幾つか奏でる。

 それでもエリスは地面を跳ねるように吹き飛ばされながら辛うじて体勢を立て直す。右腕の骨が異常を訴え、肋骨がへし折れて、口内に血の味、内臓も痛めた。

 しかし待ってくれない。片手剣でブレーキをかけて停止したエリスが顔を上げれば、視界を埋め尽くす牙と、鼻をくすぐる獣の臭い。


「おぉぉぉぉ!」


 直後、キングバウトの体が僅かに横へ逸れた。

 その隙に何とか身を捩じって牙に貫かれるのを回避する。

 後少しで食われかけたエリスを救ったのは、体ごとキングバウトへ体当たりしたガントだ。そのガントも次の瞬間にはエリスと同じく尾に弾かれて地面を転がる。


「ぐ、ぬ……」


 しかしガントもまた戦意を失わずに剣を突き立てながらもなんとか立ち上がった。

 エリス程ではないが、ガントもダメージが積み重なっている。後、一合、奇跡が重なっても二合。それだけキングバウトと打ち合えば限界を迎えるだろう。


「エリス! 女王を屠った技を使え!」


 そのための時間を稼ぐ。キングバウトを挟んで向かい合ったガントの覚悟を感じ取ったエリスは、小さく頷くことで答えた。

 偽・肉体言語。

 クイーンバウトを一撃で叩き潰したアレならば、確かにキングバウトに痛打を与えることも可能かもしれない。

 しかし、アレは展開時間も数秒。さらに言えば魔力回復用のポーションは残り一つ。偽・肉体言語は魔力の過剰回復による余剰とエリス本人の魔力も併用して辛うじて一撃の展開が可能であるため、撃った後のガス欠状態から持ち直す術がなくなる。

 つまり、外せば死。直撃させたとしても相手が生き延びれば死。

 文字通りの乾坤一擲の現実に、知らず背筋を冷や汗が流れた。


「……でも、やるんだ」


 残された時間は少ない。ガントが何とか凌ぎきれている今しか偽・肉体言語の詠唱を行う時間は無い。ならば外した時のことや耐えられた後のことは――今は考えるな。

 残った魔力を全て解放する。立ち上る魔力の奔流を見て、キングバウトがエリスのほうを振り向くが、そうはさせじとガントが無謀な突撃を行った。


「ぬぉぉぉぉぉぉぉ!」


 エリスが片手剣を地面に捨ててポーションを飲むのと同時、ガントが己を鼓舞するように叫んだ。

 ガントもまたここで死力を尽くす覚悟だ。命すらすり減らして捻出した魔力を全て注ぎ込み、一時的にだが全盛期のころと同じ、否、それ以上の身体能力を発揮してキングバウトへ両手剣を振り抜く。


「『其は水面を現す肉』『描く空想を質量へ』『我が創造は本物に比する贋作なり』」


 豪風を巻き起こす剣戟の威力は、流石のキングバウトも周囲を舞う五月蠅いハエではなく、こちらを害する敵だと認識したのだろう。詠唱を開始したエリスから視線を外して、限界を超えた剣の舞を踊るガントへと集中する。


「『小さき腕は不屈を映す』」


 だがCランクの怪物相手に刃を合わせられたのは僅か数秒。その数秒を稼ぐためだけに全てを注ぐガントの期待に応えるべく、エリスはその細く頼りない右腕を掲げた。


「『肉体投影・右腕(サイドパッケージ)』――『装填(アクティブ)』」


 今、この時だけ。か弱き少女の頼りない右腕は、不倒不屈を謳う男の肉体を模倣する。

 贋作でありながら真作。本物に勝るとも劣らない最強の一撃をその身に投影したエリスは、魔力切れによって動きを止めたガントにトドメを刺そうとしたキングバウトの懐へと一瞬の内に滑り込んだ。


「くたばれ……!」


 先程の意趣返しとばかりに、王に反応させる暇すら与えない。その無防備な腹の下へと入ったエリスの両足が重低音を奏でながら地面に沈み込んだ。

 刹那、両足の骨に亀裂が走る。踏み込みの苛烈を吸収しきった親指に至っては爪すら砕け散った。

 だが構わない。

 構うという余裕すらない。

 噛み合った歯が撃鉄を叩くような音を鳴らし、軋む。投影された右腕の性能を全て引き出すべく、矮小な少女の身に降り注ぐ過負荷は、反動だけで体を砕き散らす悪魔の契約。

 その程度の代償で、この強敵を薙ぎ払えるなら安いものだ。

 覚悟は決まった。

 胎は括った。

 こいつを殺す。

 私が殺す。

 この手で殺して。

 あの日に見送った背中へ私は追いつくんだ――!


「ぉぉぉぉぉぉおおおおおおあああああ!!!!」


 魂すら乗せた絶叫ごと、投影された不屈の拳がキングバウトの腹部へと叩き込まれた。

 発生した衝撃波が周囲の木々をへし折る程の破壊がキングバウトの体内で弾ける。幻想で編まれた筋肉が紡ぎ出す破壊のカタルシス。天すら貫かんと振り上げられた拳はそのままに、王の苦痛の音色すら置き去りにして、その巨体が遥か上空へと舞い上がっていった。


「ッ……はぁ、はぁ……」


 ――これ以上ない、一撃だった。

 エリスは再び開いた左腕の傷口を抑えながら、魔力切れによる貧血にも似た症状に気を失いそうになりながら膝をつく。

 すぐ傍では、奇跡的に衝撃はで吹き飛ばされながらも、一際太かったおかげで衝撃破に耐えきった大木にぶつかり、何とかこの場に留まれたガントが息も絶え絶えといった状態でこちらを見ている。

 そんなガントの視線に答えようとエリスは右手を上げ――その視線が空へと向けられた。


「う、そ……」


 見上げた空。太陽に重なるように存在する黒い点は徐々に大きくなっていき、日差しを受けて銀色に輝く姿を見て、エリスは言葉を失った。


「■■■■ッッッ!」


 世界全てを呪う呪詛のように、王の遠吠えが迷いの森を震撼させる。

 完璧な一撃だった。記憶にある早森いなほの技術を全て模倣しつくし、さらにミフネとの鍛錬で習得した技術の粋も合わせることで、本物以上の威力を発揮したはずの最強の一手だったはずだった。

 なのに、アレは生きている。アレを受けて、尚も存在を主張するように叫んでいる。

 この程度では折れん。

 この程度では倒れん。

 王としての誇りか。獣としての本能か。あるいはその両方をもって、キングバウトは未だ戦意を漲らせてこちらへと落下をしている。


「な、んで……」


 あれだけ頑張った。死力を尽くし、奇跡すら勝ち取って叩き込んだ拳だった。


「なんで……私は……」


 だが届かない。届きようがない。

 これが真実だ。ランク無しというエリスでは、あらゆる奇跡を勝ち取って、一パーセント以下の勝算に行き着いても、Cランクという不条理の世界には届かない。

 ここに、エリスの限界は証明された。

 魔力も身体能力もない少女が描く最大は、早森いなほの領域には絶対に届かないのだと。

 そして残された只の村娘では、もうこの絶望に抗えない。

 何もかも蹂躙しつくすと決めた殺戮者の殺気に、身が竦む。喉が渇き、目が涙で滲み、逃げ出したいというのに四肢には一切力が入らず、ここで私は死ぬのだと漠然と理解した心は――。


「ッ……! 逃げるぞ!」


「あ……」


 放心するエリスを抱えて、疲労と恐怖で顔を青ざめさせたガントが森へと逃げ出す。

 それがどんなに無意味な行為だとしても、今や彼らに出来るのは敗残兵に相応しき敗走のみ。

 全てを出し尽くし、何もかも差し出した。

 それでも届かない高みは存在し、そしてエリスがいなほを追う限り、きっと永遠に付きまとうだろう覆せない現実。


  ――お前の窮地はお前だけの窮地ではないかもしれないんだぞ?


 あの言葉が、再び脳内で繰り返される。

 全てを使い果たし、消耗しきった瞳には光すら灯っていない。幼き少女の目の前に突きつけられた現実は冷たく、固く、険しく、総じて不可能と呼ばれるもので。


 胸の熱が、感じられない。


 あの日誓った熱すら失ったエリスの耳にはもう、すぐ傍で聞こえる王の遠吠えすらも壁越しのぼやけたものにしか聞こえなかった。




次回、『ここ』の熱。

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