レッスン7【考えたくもなかったですが……】
「大丈夫ですか?」
一先ずぬれぞーの記憶については後回しにして、怪我を負って後ろに控えていた冒険者さんへ声をかけることにしました。いや、ぬれぞーの記憶が戻らないってことは自爆オチに繋がるので後回しにしちゃいけないんだけど。
って今はいいの。うん。
「……すまないがポーションを持っているだろうか?」
片膝をついて呼吸は荒い。体のあちこちに怪我をしていて、出血もそれなりにしているけれど、受け答えは問題ないのを見て私はほっと一息。
「いいですよ。警戒はこちらでしておきますので少し休憩していてください」
「助かる」
腰のポーションキットから回復用のポーションを取りだして手渡す。それを一息で飲み干した冒険者さんは、ようやく人心地ついたのか地面に胡坐をかいた。
「……自己紹介がまだだったな。俺はガント」
「私はエリスです。エリス・ハヤモリ」
「知っている。お前は有名人だからな。あのハヤモリの妹分だろう?」
そう言ったガントさんに私は微笑を返しました。普通なら驚くことなんだろうけど、実はこのやり取りは何度か行っているので慣れたものである。
何せマルクの街でいなほにぃさんのことを知らないのは最近来たばかりの新参者くらいで、昔から街に住んでいる人なら誰もが知っている有名人だ。そしてそのいなほにぃさんの装飾品として私のことも結構な人が知っていたりする。
曰く付録。
曰くヘルメット。
曰くペット。
曰く筋肉の妖精。
最後のはちょっとムカつくが、まぁ世間様から見た私の評価なんてそんなもんだ。だから大抵は好奇の視線で見られたりするのだが、意外にもガントさんが私を見る目は珍生物を見たようなものではなく真摯なものだった。
「やはりな」
「やはり、とは?」
「周囲の噂など当てにならないということだ」
ガントさんが言うには、いなほにぃさんにいつも引っ付いていた私の評価は好意的に見ても笑いのタネでしかなかったらしい。
正直、聞いていて言った奴をぶっ殺し……半殺しにしたくなるような内容だったけど、ガントさんは「実にくだらない」と一笑した。
「俺はあいつと依頼を共にしたから分かる。いや、あいつと依頼を共にした奴らは全員知っている。あの男がただの保護対象を傍に置くはずがない。ハヤモリという男を認めさせる強さをあの小娘は持ってるんだってな」
そして、その証拠を今まさに見せてもらった。
ガントさんはクイーンバウトが吹き飛んだ先に視線を移す。まさにあれこそ私がいなほにぃさんの隣に立つ証拠なのだと。言葉にせずとも、いなほにぃさんを知っている人から認められたことが嬉しくて、私は満面の笑顔で答えた。
「へへへ、そりゃ私も新米とはいえやんきーですからね!」
クイーンバウトも倒したことだし、私はようやく胸を張ってそう答えることが出来た。
力無き宣誓には意味なんてない。だけど、今の私なら、私がやんきーなんだって自信を持って言える。
そんな私の答えに、ガントさんは怖そうな顔を少しだけ柔らかくして笑ってくれた。
「……ヤンキー、か。あぁ、確かにお前はあの男の妹に相応しいよ」
「へへへっ」
「さて……すまない。ポーションもだいぶ効いてきた。とりあえずいつまでもここに居るのは不味い。急いで脱出をしたいのだが……」
「あの、ところで他の方々は?」
本来ならザウスさんというリーダーを中心とした冒険者チームが護衛の依頼を受けていたはずだ。
それなのに見つかったのはガントさんだけ。しかも彼はチームとは別に雇われた冒険者なのだけど……。
「……全滅だ」
苦しそうにガントさんが呟く。それは体の傷ではなく、遭遇した何かを思い出したことによる恐怖の発露。
「俺達は奴らによって正規ルートを外れ、そのまま奴らの狩場に追い立てられ分断された。依頼主は当然として、あいつらも全滅しているだろう」
「で、でも、はぐれただけならまだ探せば――」
「同行したザウス達のチームは全員がH-ランク、俺と同じくらいだ。俺も偶然が重なって生き延びたにすぎん……あいつらはもう既にやられていると見た方がいいだろう」
それでもまだ生存しているのではないかと言おうとして、私は悲壮な表情を浮かべるガントさんを見てグッと言葉を飲み込んだ。
あるいは生きている可能性もあるかもしれない。けれど疲弊したガントさんを放置して探しにいって無駄足になったあげく、ガントさんまで魔獣に襲われて死んでしまったら意味が無い。
「……分かりました。今はすぐにでもこの場から離脱することにしましょう……っと」
瞬間、眩暈がして私はよろめいた。
「大丈夫か?」
「……大丈夫じゃないですけど、問題はないです」
そう言いながら懐のポーションを二本取り出して纏めて一気に飲み干す。たちまちからっけつの体に魔力が漲り、今度は突然注がれた魔力に体が驚いたせいで激痛が走った。
「ふぅ……」
『先程の魔法の副作用かね? まぁ無理もあるまい。あの魔法は君の手に余る魔法だった……術式は完璧、制御も上等、だというのに魔力を無理矢理絞り出しただけでこれとはね我が主の根性には賞賛を送りたいよ』
ある意味皮肉ともとれるぬれぞーの呟きに応じずに、私は手を差し出してくれたガントさんをやんわりと断って前を向く。
偽・言語魔法は私の必殺魔法だけど、その分代償は高い。無論、威力はランクの壁を越えてクイーンバウトを一撃で沈めたのだから折り紙付きだけれど、撃つたびに一々魔力欠乏による貧血に似た症状と、魔力供給による体への負荷は思ったよりきつかった。
何より、再現された左腕は暫く使い物になりそうにない。大地の衝撃を吸収した足はまだ大丈夫だけど……これだと偽・言語魔法は後一回が限度かな。
「乗れ」
そんな私の様子を察したのか。ガントさんが体を落として私に背中を向けてくれた。
「えっと……大丈夫ですけど」
「お前の実力はよくわかった。だが諸刃の剣であることも理解した。ならば、必要となるまでお前の消耗を最小限に抑えるのが、戦力としては役に立たん俺の役目だろう」
『役割分担だね。我が主よ。君が意地を張りたいという気持ちも分かるが、ここは矜持を折ってまで自分が足になると言ってくれた彼の言うことを聞くのも正しい選択だと私は思うよ』
「……そういうことなら」
ちょっと納得いかないけど、私は渋々ながらも二人の説得を受け入れて、ガントさんの背中に体を預けた。
「よし……方角については任せてもいいか?」
「自動書記で街道までの道のりは記載しています。『道標の灯火よ』……この光に付いて行ってください」
ガントさんの前に光球を生み出すと、ガントさんは「了解した」と一言、ふよふよと進みだした光球の後を追って迷いの森の中を歩きだしました。
その背中にしがみつきながら、ふと思い出すのはいつも乗っていたいなほにぃさんの大きな背中のことだった。
強烈な出会いをしてから別れるまでの間、私はいつもいなほにぃさんの背中か肩の上に乗っていたような気がする。周囲からはからかわれることも多かったし、アイリスさんからは馬鹿が移るから離れなさいとも言われたけれど、でもあの大きな背中の上こそが私の定位置なんだって、今でも思う。
「そう言えば、ガントさんはいなほにぃさんと同じ依頼を受けたことがあるんですよね?」
「あぁ……その時もクイーンバウトの襲撃を受けた。確かあいつはあれが初依頼と言っていたな。もしかしてだが、お前もこれが初依頼なのか?」
「は、はい。情けない話ですけど……」
「そんなことはない。あいつもそうだったが、そうか……お前ら兄妹は揃って初依頼で危険な魔獣と一対一での戦いを制したということだな」
手放しの賞賛に私は少しむず痒い感覚を覚えた。何というか、まぁ、アレ。褒められるのに慣れてないんですよね。
「へへっ、で、でもいなほにぃさんがやった相手ですからね。私だってそれくらい出来ないと妹の名折れってやつですよ」
「……そうか。お前は、本当にハヤモリを目指しているんだな」
そう言うガントさんの口調はどこか優しく、勘違いでなければ憧憬が混ざっているように思えた。
「……俺は冒険者として働き始めてからかれこれ二十年になる。今ではH-ランクにまで衰えたが、ハヤモリと同じ頃の年の時はGランクの実力があったんだ」
「えっ……」
Gランクであったということへの驚きよりも、そんな人がH-ランクにまで衰えたことへの驚きで言葉に詰まる。
普通は、どんなに衰えたとはいえ一定以上の実力者のランクが一段階以上下がることはあまりない。しかも未だに現役として活躍しているガントさんの実力がGからH-まで下がっているのは異常とも言えた。
それこそGランクというのは見栄であると考えたほうがまだ現実的だと思ったけれど、ガントさんの言葉に込められた感情が、そうではないことを如実に語っていた。
「俺にもかつて仲間がいた……だが、ある日、ゴブリンの巣を潰す依頼を受けて、そこでヘマをして仲間は全員死に……何とか俺は生き延びたが、臓腑の一つと右腕の感覚をやられた。そしてその結果、H-までランクが下がり、今ではあの日のことが脳裏を過って仲間を持たずにヘルプで依頼のサポートを受ける日々だ」
最初の印象は寡黙そのものだったというのに、ガントさんは饒舌に己の身の内話をしてくれました。
確かに冒険者として生きていくためには必要な大事な話だとは思う。けれど、私は全てを語り終えたガントさんに問わずにはいられなかった。
「……あの、なんでその話を私に? 言っちゃあれですけど、いなほにぃさんの妹ってだけで私はガントさんとそこまで親しくは……」
「いずれ、お前はあいつに追いつくんだろう?」
「……はい」
言葉を被せるように言ってきたガントさんに私は頷きを返す。「そうか」と横顔に乾いた笑みを浮かべたガントさんは、「だからなんだ」と続けた。
「ハヤモリを追うのは止めておけ」
そして続いた言葉は、普通なら一蹴するはずなのに、何故か即答できない迫力があった。
「エリス、お前は確かに凄い。増長した結果仲間を失った俺とは違って、慢心も増長もなく、不可能と言われる戦いにすら確信をもって挑むのだろう」
「勿論です」
「だが、お前の力はどんなに背伸びをして足掻いたところで、クイーンバウト一体を倒すのがおそらく限界のはずだ。幾ら俺に才能が無くても、いや、才能が無いからこそ分かることもある。お前の身体は、ハヤモリの土俵に届かないんだ」
それは、アトちゃんにも、ミフネ師匠にも言われたことだった。
きっと、絶対に早森いなほには届かない。そしてこのままどんなに足掻いたところで身の破滅は免れられないと。
だけど私はそんなことは分かっていると二人に対して胸を張って答えた。そして、私がいなほにぃさんの隣に立つのは決定事項なんだとも宣誓した。
でも。
何故だろう。
才能があるあの二人の言葉よりも、私と同じくいなほにぃさんを見上げるしか出来ないガントさんの言葉のほうが、胸に詰まった。
「あぁ。お前は俺とは違う。自分というものを過信して仲間を失った俺とは違って、自分の限界を知りながらそれでも高みに挑もうとしているのだろう。だがなエリス、しかしなんだよエリス……お前の覚悟がどんなに気高く、死すらも厭わないものだったとしても……その時、お前の窮地はお前だけの窮地ではないかもしれないんだぞ?」
「ッ……」
「それでも、お前はハヤモリを追うのか? 俺が仲間を失ったような事態が待ち受けると分かっていながらも、進めるのか?」
「私、は……」
「……すまない。命の恩人に対して失礼な質問だったな。だが、お前のことを案ずる年長者のお節介として少しでも考えてくれると嬉しい。……さて、ともかく今は出口に向けて急ぐとしよう」
それから暫く、私は黙々と歩くガントさんの背中に揺られて口を閉ざした。
私だけの窮地ではない。その意味することはつまり、絶対絶命の窮地の時、もしもいなほにぃさんがその場に居たとしたら……。
考えたことも……いや、きっと考えないように逃げていたのかもしれない。もし私の窮地にいなほにぃさんが、アイリスさんが、知り合ってきた人達が巻き込まれたらどうするんだろう。
きっと、いなほにぃさんならこんなことは考えないだろう。だって、いなほにぃさんは強い。心も、体も、培ってきた技術も。全てを用いて自分の窮地を自分で乗り越えるだろう。
でも、私は弱い。心だけは負けないと息巻いても、その心に体が追いつかない以上、いずれ精神論では超えられない限界にぶつかるはずだ。
そして、いなほにぃさんの隣に立つ以上、体の弱い私は数々の窮地に出会うはずだ。
――迷惑をかける。
――いなほにぃさんの前進を、妨げてしまうんじゃないか。
「……じゃあ、どうすればいいんです」
それでも居たいと思っている。
迷惑をかけるのを承知で、肩を並べようと抗っている。
その道中で立ち塞がるありとあらゆる障害は全て叩き斬れるという覚悟が、いや、確信がある。
でもそれでも。
だけど、どうしても。
――いなほにぃさんの足を引っ張ったら、どうしよう。
自分が死ぬことより、そのことのほうが私には心が冷え切ってしまうくらいに怖かった。
次回、ピンチは続くよ何処までも