第十八話【ヤンキーと料理話】
街道の道中、草原の一画でいなほ達の野営の準備は始まった。
とはいっても寝床はそのまま馬車を使うのでそこまで準備するものはない。精々馬車に布を敷いて、あらかじめ持ってきていた薪を組んで炎を灯し、そして魔獣の嫌いな匂いを発する香水を馬車を中心に大体百メートルに撒く程度だ。一応ということで、アイリスが普段使っている半日程の効力があるランク無しの魔獣を弾く結界を展開してから、いなほとアイリスの二人は魔性の花を探しに森の中に入っていた。
日も傾きオレンジ色に染まる世界。森の木漏れ日からの斜陽は都会育ちのいなほの目には幻想的だった。
少しばかり歩いたところで、アイリスが立ち止まる。
「見つけたぞ。あれが魔性の花だ」
ほら、とアイリスの指差す先には、紫色をしたタンポポが幾つも木の根っこの傍に咲いていた。魔性の花の名の通り、毒々しい見た目でありながら、艶やかな印象を覚えるのは魔のなす美か。アイリスはその内のひと際大きな物を一つ摘みとった。
「さて戻ろうか。大丈夫だとは思うが、今回の依頼の最高戦力は我々だ。居たほうが依頼主側も安心するだろう」
「わかった……つかよ、それ一つでいいのか? これかっこむだけでテメェらの使ってる魔力ってのが出るようになるなんざ、疑うわけじゃねぇが、やっぱどうにも信じられねェからよ」
「私としては、いや、私達としてはこの花のことを疑う君のことこそ信じられないといった感じだな。いずれにせよこれを君が飲めば大なり小なり魔力が覚醒するのはまず間違いない。というか私としては君のその馬鹿げた筋肉のほうが魔法染みてる気がしてならないがな」
と言いながら、隣のいなほのタンクトップから伸びる浅黒い腕を見る。
ゴブリン戦後馬車に乗った際、ガントはいざ知らず、鍛えているとはいえ全体的に細身かつ、鎧も付けていないいなほの乗った部分がぎしりと悲鳴をあげたのを聞いて、試しにいなほの腕を持ってみたアイリスはそのあまりの重さに驚いたものだ。
この世界での体重の単位は違うため実際の体重はわからなかったが、いなほに聞いたところ「二百キロ位あるぜ」とのことだった。それがどの程度の重さかは知らないアイリスだが、どう考えてもいなほの体は見た目以上に重すぎる。
「改めて君の筋肉には驚かざるをえないよ」
拳で軽くいなほの二の腕を小突く。力を入れていないにも関わらず、その肉は鉄のような固さを持っていた。人の限界を超えた筋繊維の密度。これこそいなほの人外の秘密なのかもしれない。
「へへっ。俺は馬鹿でろくでなしで良いとこなんざ殆どねぇが、こいつだけは俺の自慢よ」
得意げに鼻を擦り、いなほは見せびらかすように腕に力を込めた。くっきりと浮かび上がる三角筋と上腕二頭筋と三頭筋等々、およそ完璧といっていい程の美しい曲線を描く筋肉を見て、何故だかアイリスは言いようのない敗北感を覚えた。
「確かにな。君のそれは女の私から見ても羨ましい。同性から見たら妬みの対象だろうさ」
隠す必要もないだろう。アイリスは内心の悔しさを隠すでもなく吐露しつつ、掌で魔性の花を弄んだ。
日が落ちるのは早い。太陽がその半分以上の姿を隠した頃、二人は野営地へと溶着した。
「アイリスさんこっちデス!」
燃え上がる焚火の傍から二人の姿を確認したネムネが手を振ってくる。焚火を囲うように、ルドルフ、ガント、そして少し離れてやさぐれたキースが座っている。馬車を操っていた従者も別の場所で焚火を囲って、早速食事を始めていた。
勿論こちらの焚火にも簡単な料理が置いてある。保存魔法により鮮度を保ったままの肉は焚火の火にあぶられ、既にこんがり焼けており、美味そうな肉汁を滴らせていた。当然それだけではなく、村で取れた新鮮な野菜はそのまま一口サイズに切られ皿に盛り付けられてある。使い古されてはいるが、よく洗われ磨かれている軽い金属を使ったマグカップには並々と注がれたアルコールで満たされていた。
「何だネムネ。ガキの癖にいける口か?」
「何言ってるんデスかいなほさん。お酒くらい子どものころから飲んでるデスよ」
「へぇ……まっ、アメリカじゃそれもありなのかもな」
いなほとアイリスはガントとネムネの間に座り、カップを受け取った。
「駆けつけ一杯」
「その前に乾杯だ」
早速飲もうとしたいなほの口をアイリスが押さえた。何となくムカついたので口に当てられた指を舌で舐める。「うわひゃ」とアイリスの悲鳴と共に手が離れた。
「乾杯!」
いなほがカップを掲げて叫ぶと同時に口を付ける。炭酸とビール独特の苦みの向こうで存在を主張するフルーツの甘さが舌を楽しませる。突き抜ける炭酸の刺激を口だけではなく喉でも感じながらいなほは一息で飲み干した。勢いよく胃になだれ込んだアルコールの熱が心地よい。
「くぁぁぁぁ……ッ! あー、やっぱこれよ」
歓喜に震える。芝生の大地にカップを置いて、いなほは次に良く焼けた肉に手を伸ばした。串に刺さった肉は、一ブロック丸ごと使ったかのように分厚い。熱くなった串の熱など気にせず、串ごと肉を持ち上げたいなほに、ネムネは近くに置いたナイフを差し出した。
手渡されたナイフを片手に、空いてる皿の側に近づき、その上で肉にナイフを刺しこんだ。僅かな抵抗の後突き刺さったナイフお切り口から零れ出す油と焼けた肉の匂いが目と鼻に多幸感を引き起こさせる。口に溢れる唾液を呑み込み、落とさないように慎重に、だが早く食べたい一心で肉を切り分けた。
皿に落とされた肉を一枚、二枚、三枚切ったところでいなほは隣のガントに肉とナイフを渡した。
絶妙なレア加減で焼かれた肉の色彩の美しさは、他では見れない野生の紋様だ。いなほの目は隣で肉を切るガントと、舌で舐められたことを怒っているアイリスを見ていない。フォークに似た形状の食器を持ち、ふんだんに持った水も弾けるキャベツっぽい何かを肉の上に置く。
いなほはその二つをもろとも突き刺して、一口で口の中に放り込んだ。肉汁の濃い味を包みこむ歯ごたえある野菜の触感が、そのままではしつこそうな肉の味を抑えながらも引き立てる。
噛むごとに零れ出す肉汁が唇を濡らした。いなほは口を拭うと、満足げに息をつく。
「美味ぇ。何だ、随分いい飯だなオイ」
「私、お肉焼いたの私デス!」
片手にフォークに刺した肉を持ちながらネムネが得意げに言った。
ガントとルドルフも満足そうだ。特にルドルフは自身が持ってきた食料に満足してもらえているのが嬉しいのか、いつも以上に笑顔が晴れやかである。
「これでも本業は様々な食糧物品の卸売なので、こうして私の商品を喜んでいただけるのは嬉しいです」
「最高だぜルドルフのおっさん。戻ったら貰った金でテメェの所の飯たかりに行くから覚悟しとけよ! こんだけ美味ぇ飯出すんだ! 金のある限り食ってやるからな!」
カップを掲げていなほは叫んだ。隣で必死に手を拭いているアイリスとの対比は何とも言えないシュールな光景である。
「うぅ……最悪だ。筋肉馬鹿に汚された……」
「んだよ。食わねぇなら貰うぜ」
さめざめと泣くアイリスの前の皿を問答無用で奪おうとするいなほだが、その手が皿に触れようかというところで氷の柱が手と皿の間に壁となって突き立った。
「危ねぇじゃねぇか」
「知るか! というか勝手に食べようとするな!」
キッといなほを睨みつけ、アイリスは皿を掴むと作法など気にせず口の中に野菜と肉を流し込んだ。
そして頬をリスのように膨らませながら、マグカップの中身も瞬く間に飲み干す。
「勢いいいな」
「誰かさんのおかげでな」
鋭い眼光なんのその。いなほは低く笑って次の一杯をアイリスのカップに注いだ。
なんやかんやで酌を受け取り一口。まだ一週間程度の付き合いだが、すっかり二人の間に遠慮はなくなっていた。あるいは豪気ないなほの性質が噛みあったためか。
「あっ、ところで魔性の花摘めましたデスか?」
「ん……ここにあるぞ」
「じゃあ擦っちゃうのでくださいデス」
アイリスは持っていた魔性の花をネムネに投げ渡した。
「……そんなん何に使うのさ」
そこで一歩引いていた所に居たキースが声をかけてくる。ネムネは空いている皿の上に魔性の花を置き、いつの間にか作った粗削りの丸い棒を用意すると、キースの方を見た。
「実はいなほさんがまだ魔法はおろか、そもそも魔力すら出すことが出来ないらしいデスので、丁度いいから花を使って魔力を出せるようしようってことデス」
「魔法どころか魔力もって……冗談、だろ?」
「それを今から確かめる。魔力を出したことないなら、これを飲めば花の魔力で暫く紫色の魔力光になるはずだ」
信じられないといった様子のキースにアイリスがそう続けた。そうこうしている内に、強化の魔法まで使って勢いよく擂り潰しを行ったことで、魔性の花はすっかり紫色のペーストとなっていた。
もう誰から見ても飲んだら死ぬ色をしていた。折角美味のオーケストラを楽しんでいた口内が、目の前のヘドロっぽい何かを見たせいで後味も忘れてしまう。
「……おい。やっぱ俺いらね──」
「ハハハ、まさか君ほどの男とあろう者が、まさかたかだか擂り潰した花を見ただけで、まさかまさか怖気づいたわけではあるまい」
「っ!? おうおう! 誰がビビってるだってぇ!? 上等じゃねぇか! おいヘッピリ! それ寄越せ!」
アイリスの安い挑発に乗せられたいなほが、言うが早くネムネの手元から皿を奪うと、素手で一気に流し込んだ。
次回、ヤンキー魔力に目覚める。その二