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不倒不屈の不良勇者━ヤンキーヒーロー━  作者: トロ
外伝【不倒不屈の少女勇者・第一章『みるきーうぇい』】
178/192

レッスン1【名前を呼んで】

お待たせしましたぁん!




「まっ、景気づけに」


「乾杯です!」


 アードナイ王国の王都、王国際が明けて一週間は経過しているが、依然として変わらない賑わいを見せる街の酒場の一角で、風変わりな恰好をした男女が手にしたジョッキを打ち鳴らした。

 一人は巨漢の男である。浅黒い肌と異国の風貌、そして何より目を惹くのは鍛え上げられた肉体。至る所に包帯を巻いた痛々しい姿ながら、決して弱弱しさなど感じられない屈強な男は、怪我も癒えていないというのに、昼間から大ジョッキ一杯の酒を一息で飲み干した。

 そんな男の前に陣取っているのは、男と比べると小動物と見間違うような少女である。だが男とはまた別の意味で人目を引く格好をしていた。

 見た目は男と違って凡庸そのものだ。小さな村の美少女とでも言うべき見た目ではあるものの、少女程度の可憐さなら王都では道を歩けば幾らでもいるだろう。

 だが少女が他者と違うのは、その身に纏った装備であった。まず目につく白のタンクトップには、背中と胸の部分に大きく『やんきー』という異国の文字が書かれている。そのシャツだけでも注目を浴びるだろうが、それ以上に奇妙なのは、左手の肘から指先まですっぽりと覆った美しい籠手であった。

 少女の小さな腕より二回りは大きいその籠手は、見ただけでも何かしらの魔法具であることは素人でも容易に分かる。それこそ、伝説級のダンジョンの最奥にある秘宝と言われてもおかしくない装備であるのは明白だった。

 肉体で人を惹きつける男と、装備で人を惹きつける少女。差異はあれど、賑わいを見せる酒場に現れたこの男女がその酒場の視線を集めているのは確かだったが、二人はそんな視線を気にした様子も見せずに、久方ぶりの二人だけの食事を楽しんでいた。


「で、どうだったんだ?」


 テーブルが隠れるほど置かれていた食事も殆ど無くなった頃、不意に男が頬一杯に肉を詰め込んだ少女にそんなことを問いかけた。

 その問いの意味を考えながら口の中の肉を咀嚼して数秒。水ごと肉を胃に落とした少女は、満面の笑顔を浮かべる。


「楽しかったですよ。嘘じゃないです」


 そう、楽しかった。

 男に追いつくこれまで。追いつこうとしたこれまで。

 沢山の涙を流し、沢山の悔恨に苛まれた。それでも自分はここに居て、こうして笑えることが出来るから。

 楽しかったのだ。

 そしてこれからはもっと楽しくなると信じている。


「ならいい」


 少女の笑顔に男は口許を僅かに緩めた。まるで心配はしていなかったけれど、少しの間だけ離れていた時間で、この小さな少女は大きな何かを手に入れて、自分の隣に並んだのだ。

 それだけでいい。

 充分だと思えた。


「んで?」


「え?」


 首を傾げる少女に苦笑。

 それだけでいいとは思った。

 充分だとも思えた。

 だがここは、何もかもをつまみに出来る酒の席だろう?


「肴が足んねぇんだ。楽しかったならよぉ、酒の肴でも歌いな、エリス」


 そう言って男は少女、エリスに手にしたジョッキを掲げる。

 その意味を察したエリスも、得意げにジョッキを掲げてみせた。


「にひひ、分かりました。じゃ、折角だから聞いてください、いなほにぃさん」


 再度打ち鳴らすグラスが甲高い音を響かせる。

 早森いなほが知らないエリス・ハヤモリの日々。

 楽しかったとこうして言える苦痛の日々を。

 ではこれより、辛酸に塗れながらも手にした奇跡の在り方の欠片を、面白おかしく語るとしよう。






 人生に置いて幾つか重要な分岐点というのは誰にでも存在する。

 ならばきっとあの日、振り返ることなく先へと走り出したいなほにぃさんを見送ったのは、私にとっての人生の分岐点であったのだと思う。

 だからなのだろうか、時折、例えば今こうして大空を見上げているときなんかにどうでもいい『もしも』を思ってしまうことがある。

 もしもあの日、いなほにぃさんに付いて行ったらどうなったのだろうか。

 きっと、それはそれで楽しかったに違いない。弱いながらに旅の間に私は独学で魔法を勉強して、おバカなにぃさんの代わりに色んな魔法に対しての知識を発揮しながら、その背中に張り付いていなほにぃさんの道を一緒に歩いたことだろう。

 でも、私が望んだのは違った。

 誰にも告げることなく単身、吸血鬼の元へとボロボロの身体で行ったあの人が心の中で流した涙。あの涙をその場で共有できなかったから、私は共に歩くだけではなく、共に切り開いていけるような関係を望んだのだ。

 だから、別れた。

 だから、追いかようとしている。

 だから、うん。


「そら、さっさと立たんか阿呆」


 太陽に被さる影が私の顔面目掛けて落ちてくる。

 現実逃避、終了。


「わゎゎ!?」


 咄嗟に体を転がして顔面に叩き込まれようとした木刀から辛うじて逃れる。そして回転の勢いを生かして立ち上がって手にした木刀を構え直した。


「ったく、稽古の最中に呆ける阿呆はお主くらいだ」


「だからって乙女の顔面に躊躇なく木刀突き立てようとしないでくださいよぉ!」


「お主にはそれくらいがちょうどいい」


「ふふん、師匠もようやく私の図太さに脅威を覚えたってところですか」


 強がってみせるが、そんな私の虚勢など完全に見透かしている目の前の美男子はジト目で私を見据えている。女性かと見間違える程の美貌なのに、腹を空かせた獣のような凶暴性を秘めたその人こそ、いなほにぃさんが居なくなったその日から私に剣の稽古をしてくれているミフネ師匠である。

 いなほにぃさんとの一戦で吹っ切れたのか、これまでは隠していた長い耳は白日の下堂々と晒されていた。人目を惹く美貌と長く先がとがった耳、エルフと呼ばれる人類種の中でも特に優れた彼を好奇の視線で見る人はまだまだ多い。

 でも最近では火蜥蜴の爪先の客人として、街で色んな依頼を受けては完璧にこなしているために、街でもだいぶ受け入れられてきていた。

 まぁ何はともあれ、あのいなほにぃさんに負けたとはいえ、死闘を繰り広げたその実力は本物。せめてその足元に届きたいなぁと稽古をつけてもらってから早一週間、こうして木刀とはいえ剣を合わせていると、改めてミフネ師匠の凄さが分かった。


「減らず口を叩けるならば良し。……では続いて四十から八十まで、行くぞ」


「はい!」


 何とか私にも反応出来る程度に加減したとはいえ、放たれる斬撃の数々はどれも実際に受けて改めて恐ろしいと痛感した。

 ミフネ・ルーンネス。神楽逸刀流と言う剣術の始祖の末裔で、その流派を長い時間をかけて修めた達人である師匠の剣捌きは、まるで舞い踊るかのように美しく、正確で、だからこそ怖い。

 あらゆる状況に応じた無数の型を一定のリズムで正確無比に振るい続けることで、相手をその流れに乗せ、最後に流れもろとも相手を断ち斬るのが極意らしいけれど、そういうの関係なしに最適最速の軌道で走る剣筋はそれだけで脅威だ。

 最速で最短で、だから強い。シンプルに突き詰められた術理の真髄に最初は驚いてばかりだったけど、慣れてきた今こそ恐ろしく感じられるのはこの流派に込められた執念染みた何かを感じ取ったからか。

 そうこう余分な思考を挟みながらも、私は必死に全身に叩き込まれてくる木刀の軌跡に手にした木刀を合わせて食らいつく。

 縦に一つ。

 横に二つ。

 斜めに三つ。

 点が四――。


「ぃい!?」


「遅い」


 四つの突きを払ったところで、最後の一突きが額の皮に触れたところで停止した。

 後数センチ突き出されていれば、額を突き抜けた衝撃がそのまま私の小さな頭を爆発四散させていたに違いない。

 あ、危ねぇ。

 あとちょっとで死んでたぞ……。

 危うく私、死んでたわ……!


「お、おぉ……即死手前」


「ふむ、死ぬ直前を悟れるくらいには見えるようになってきたか」


 ミフネ師匠は言葉も無く額に触れた木刀を見る私に満足げな頷きを一つ。


「……はー。これで四百二十七戦五百九十六敗ですよ。いつになったら師匠から一本とれるんですかね私」


 敗戦数が多いのは、一度の戦闘で何度も即死を食らったせいである。


「阿呆。お主如きに稽古とはいえ一週間で一本取られたとなったらその場で腹を切るわ」


「むっ、そういうの偏見ですよ師匠」


「そうは言うてもなぁ……なぁエリス。お主は筋が良い」


「おっ、褒め殺しとは憎い演出ですね」


「茶々を入れるでない。……ったく、ともかくだ。お主は筋が良い。いや、天才と言ってもいいだろう。僅か一週間で神楽逸刀流の基礎、神楽の流れを修めつつある。悔しいことだが、お主の才能は拙者を遥かに超えた恐るべきものだと言わざるをえまい。ただな……」


 師匠は珍しく言いづらそうに言葉を濁すと、私の頭に豆だらけの掌を優しく乗せた。


「……体力が足りぬ。魔力が足りぬ。お主の常軌を逸した才覚に、お主自身の肉体がまるで追いついておらぬ」


 知っている。

 それは私自身が誰よりも知っている。

 だけど私はそんなこと全然気にしていないから、今更そんなことを告げる師匠に内心ちょっとだけ不満を抱いた。


「でもでも、これから成長期を迎えてですね」


「無理だ。一週間も鍛えれば分かる。お主の骨格ではそれ以上の筋力は足枷にしかならず、魔力に至っては外法でも使わん限り劇的な向上はあり得ぬ」


 ぐぬぬ。あー言えばこー言って、言いたい放題言いやがっちゃてさ。


「だからなんだって言うんですか?」


 私は乱雑に頭に乗った掌を払って不満を爆発させようとしたけど、見上げた師匠の顔は何処か悲しげで、言うべき言葉はすぐに腹の底に引っ込んでしまった。


「お主は、いなほにはなれん」


 そして告げられるのは、分かっているけれど、聞くたびに胸が痛むような一言。


「確かに才覚だけならばお主はいなほに届く逸材かもしれん。だがなエリス。いなほは才覚だけではなく、それに見合った肉体がある。恵まれた肉体と天賦の才と、本人は否定するだろうが、ひたすらの鍛錬で磨き上げた奴の力は、いずれ我が神楽の目標とする頂に挑む権利すら掴みとることだろう」


 だが私にはその権利を握る力がない。

 そんな私がいなほにぃさんの後を追えば、いずれきっと、間違いなく道半ばで破綻する。

 咲を告げずとも、師匠が言いたいことは痛いくらいに伝わってきた。

 分かっている。

 分かっているのだ。


「それでもお主は――」


「愚問ですよミフネ師匠」


 それでも私は笑った。

 強がりではない。

 分かっていても、私は笑える。


 だって――。


「私は、いなほにぃさんに追いつくんですから」


 追いつきたいのではない。

 追いつければいいのではない。

 追いつくのだ。

 辿り着くのだ。

 単純な方程式。決まりきった絶対の解答。


「だって、私は『やんきー』ですから」


 エリス・ハヤモリ。

 私が手に入れた新しい名。

 早森という存在証明。

 いなほにぃさんがくれた、一番大事な宝物。

 だから私は、大丈夫。

 それに、そうだ――。


「それと、私にはとっておきの師匠がついてますからね」


 私の一言にミフネ師匠は少し得意げになって、ちょっと後ろめたさを感じる。

 だって私の師匠はミフネ師匠だけではなくて後一人。

 とっておきの化け物が私にはついているのだ。


 より正確に言えば、今より一週間程度前、ミフネ師匠の弟子になる数時間前の話になる。






 唐突ではありますが、美とは何ぞや? と問われれば、私はこう答えるでしょう。

 あ、目の前で鼻くそほじってる人ですって。


「うっすー、久しぶりぶりだねエリスちゃーん」


「……何と言うか、この人だらけきってますねマドカさん」


「彼が居なくなってからずっとこんな調子よ。よっぽどいなほ君のことが気に入っていたようね」


 隣に立っているこれまた美人さんです。マルク魔法学院。正式名称はもうちょっと長いですが、この中立都市マルクにある魔法学院の理事長秘書を勤めているのが銀髪の美人さん、マドカさんです。

 そしてそのマドカさんが秘書として影日向に支えている理事長こそ、目の前で鼻くそほじりながら椅子にふんぞり返って座っている、中性的な見た目の性別不明な美人、アート・アートさん。

 並んで歩けば街中の視線を独り占めするだろう美人の間に挟まれていると、どうにも居心地の悪さを感じてしまう。


「というか、何で私ここに居るんですかね?」


 などと言うのも、話は一分程前。今日も元気に火蜥蜴の爪先の受付兼ウエイトレスとして汗を流していた私が、ちょっとゴミを捨てに宿の裏口の扉を開いたらいつぞや訪れた理事長室であったというオチ。

 私自身、色んなことに慣れてきていたつもりだったけど、突然の出来事にさっきからちょっとばかりあれです。ぶっちゃけ混乱の極みです。


「ごめんなさい。本当はもう少し手順を踏んでから呼ぼうと思ったんだけど、そこで鼻くそ掘ってる馬鹿が今すぐ貴女に会いたいだなんて言うから」


「だってー! 暇なんですもーん!」


 ……言葉を覚えたての幼児か何かですかね。

 そうツッコミを入れたくなるのをグッと堪えて、未だに鼻に指先を入れて回転させている我儘幼児ことアート・アートさんは無視することにした。


「……まぁ私としては昨日の今日で早速呼んでいただいたのは嬉しいですけど」


「流石に急すぎよね。でもね、実は貴女がいなほ君と別れた瞬間にそこの鼻くそ野郎ったらさっさとエリスを呼べーってうざ……うざくて」


「おい、言い直しきれてないよマドカ」


「はいはい、鼻くそほじってていいので黙ってくださいよ」


「ふぇぇ……酷いよぉ」


 情けない声とは裏腹に、頬を染めてハァハァと熱のこもった呼吸を繰り返すアート・アートさんの姿はドキっとするくらい綺麗だけど、即座に鼻に突っ込まれた指先を見て冷静になります。

 危ない危ない。私ってば鼻くそほじってる馬鹿にときめくところだった……。


「エリスちゃん、今失礼なこと考えたよね」


「ところで、ここに呼ばれたってことは私に魔法のことを教えていただけるんでしょうか?」


「無視ですね! 知ってた!」


 目の前の雑音は二人揃って無視。マドカさんは私の質問に一つ頷くが、何故かその表情は少しばかり硬い。


「……改めて聞くけど、本当にこいつでいいの? 確かに貴女が彼の強さに並び立とうと言うならまともな方法では無理だとは思うけど……私が貴女を鍛えてもいいのよ?」


 マドカさんの提案はとても魅力的ですが、私は首を左右に振りました。


「嬉しいです。マドカさんがとても強くて凄いのは分かりますから、きっとマドカさんの下でなら私は強くなれるはずです」


「なら……」


「だけど、私はすぐにでもいなほにぃさんの隣に立ちたいんです」


 分かっている。目の前で鼻くそほじっているだらしない人だけど、この人がどれだけの異常者で、私程度でも分かるくらいに恐ろしく、関われば取り返しのつかないことになるかもしれないくらい。

 でも、私は我慢ならないのです。

 いずれ隣に立つのではない。

 私は本当なら今すぐ隣に並びたいのです。

 こんな私を認めてくれたいなほにぃさんを少しでも待たせるのが申し訳ないから。


「だから私、アート・アートさんに教えていただきたいんです」


 つまり、そういうことなのです。

 私は早くいなほにぃさんの隣に立ちたいから、我儘を言って自ら破滅に飛び込みたいだけなのだ。


「……分かってるならいい。ならこれ以上は野暮というものね」


「ごめんなさい。心配していただいたのに」


 くーるびゅーてぃーな人だけど、こんな私も心配してくれるくらいに優しい人です。そんな人の心配を無碍にする申し訳なさでいっぱいですが、マドカさんは何処か後ろめたさを感じる笑みを浮かべて頭を下げようとする私の肩を抑えました。


「いいのよ。これは心配とかじゃなくて、くだらない執着だから」


 そう言っていつの間にか頭を揺らして眠りかけているアート・アートさんを見たマドカさんの瞳から感じたのは、僅かな殺気。

 でもすぐにいつもの冷たい眼差しに戻ったので気のせいでしょう。うん。


「じゃ、私はもう行くわ。おそらく当分は戻ってこないから……頑張って」


「じゃーねーマドカ。お土産にカレーヌードルよろしくね。インスタントのやつ」



「……あの、箱買いした分は?」


「食べちゃったぜ」


「……了解です」


 疲れたように肩を落として部屋を出て行ったマドカさんの苦労を思うと少し同情してしまいます。


「よっし、じゃあこっち来てエリスちゃん」


 内心でマドカさんにエールを送ったのも束の間、早速アート・アートさんに呼ばれた私は立派な机を挟んで前に立ちました。

 そんな私を上から下までアート・アートさんは頷きます。


「うーん。改めて見ても、君ってホント才能ないねー。ゾウリムシと比べたほうがいいくらいだぜ」


 何と比較されているのか分かりませんけど、かなり酷いことを言われているのは分かります。でもグッと堪えるのが大人の一歩。私ってば凄い。


「……それで、何をすればいいのでしょうか?」


「そうだねー。まっ、僕の見立てが間違いなければあれだね。多分、一ヶ月くらいでここに来た当初のいなほくらいならぶっ殺せるようになれるよ」


「へっ?」


「何だいその豆が鳩に食われたような面は」


「で、でも私、才能がないって……」


「うん。才能無いよ」


 だけど。私の言葉を遮ってアート・アートさんは言いつのります。


「そりゃ肉体面での話さ。惜しいねー。肉体が魂に見合ってたらアンナと同じだったのにさ。例えるなら君は、ジェットエンジンを積んだゾウリムシみたいな奴だ。まぁ僕がそこらへんを探せば幾らでも居るレベルだけど、僕が探さないと見つからないくらいには希少な人材だぜ?」


 つまり、です。


「私、強くなれます?」


「うん。強くなれるよ」


 アート・アートさんの確かな言葉に、少しばかり残っていた心の重荷が完全に払しょくされるのが分かりました。

 本当に強くなれるのか。もしかしたらいなほにぃさんの隣に立てるほど強くなれないのではないか。

 そう思っていた私も、確かな保証を恐ろしいくらいの化け物に言われたからこそ安堵出来ました。


「良かった……」


「でも、それ相応の代償は必要だよ」


 だけど世の中はそう上手くはいきません。当然の如く告げられた代償の一言に緊張を覚えます。

 でも、それくらいは覚悟の上です。弱い私が強くなるのだから、当然、何かを犠牲にしなければならないでしょう。


「……その代償とは?」


「あはは、覚悟はもう決まってるみたいだね? うんうん、それくらいしてもらわないと、いなほのお眼鏡には適わないからなぁ」


 ありったけの思いを込めて真っ直ぐにアート・アートさんを見つめれば、その思いを全部汲み取ってもらえたみたいです。


「じゃあ早速、第一のレッスンといこうか」


 ゆっくりと立ち上がったアート・アートさんが私の前に立ちます。身長は殆ど変らないはずなのに、まるで巨大な山脈が目の前に現れたような威圧感に少しだけ押されますけど、この程度では屈しません。

 とても鋭く、そして底の見えない眼差しが私の顔を覗きこみました。そのまま飲み込まれそうになるのを堪えて、私はアート・アートさんの眼差しから視線を逸らしません。

 覚悟の証でした。いなほにぃさんの隣に立つのならば、この程度では決して怯めません。

 さぁどんなレッスンでも来いってものです。

 まずは何からするのでしょう。

 劇薬を飲み干す?

 肉体改造?

 それとも恐ろしい魔獣の元に叩き落される?

 何でも上等。

 いずれもオッケー。

 私の覚悟は初めから完了している!


 などと一人シリアスに覚悟していたのも束の間、心まで溶かすくらいに柔和な笑顔をアート・アートさんは浮かべて。


「アトちゃん」


「へ?」


「レッスン1は。俺ちゃんのことをアトちゃんと呼ぶことでーす」


 ……あ?


「……あの、代償とかは?」


「え? 代償? 何それ? 怖いわぁ」


 こ、この人外おばけ……!

 代償が必要みたいなことを言いながらそれか……!

 心外だとばかりに肩を竦めるアート・アートさんに怒りがこみ上げますが、顔を真っ赤にして堪えた私は多分大人。ちょっと憧れたくーるびゅーてぃー。

 お、落ち着け。

 私のシリアスをぶち壊してゲラゲラ笑ってるこの人に怒ったらそれこそ思う壺です……!

 そんな私の真鍮など知らずに、アート・アートさんは悪戯が成功した子どものように無邪気にはしゃいでいます。


「あははは! まっ、でもいきなり劇薬飲ましたり肉体改造したり魔獣の群れに叩き込むとかそんなことしないって普通。それに焦ってもどうにかなる問題ではないからね。まずは親交を深めるのも大切なことなんだぜ?」


 むむっ、そう言われると確かにそうです。

 意外に真っ当なことを言うアート・アートさんの言に納得していると、「ほら、じゃあ早速呼んでみて!」なんてせかされます。


「えっと……」


「うんうん! あ、僕も君がアトちゃんって呼んだらエリちゃんって呼ぶからね!」


 ……なんだか小っちゃい子同士が初めてのお友達になる感じのアレに思えて仕方ないですが、まぁこれもレッスンの一つだとするなら安いものです。

 そうです。これも強くなるための一歩。

 私が初めて踏み出す一歩だとすれば、ちょっとした気恥ずかしさくらい何のその!


「……アトちゃん?」


「はい、エリちゃん」


「えへへ」


「むふふ」


「あはは!」


「ぬはは!」


 気恥ずかしさからか、共に何とも言えない空気を笑って誤魔化してしまいます。

 そうして、私は何ともグダグダな感じでアトちゃんのレッスン1を無難に――。


「そりゃ」


 その一撃は、なんというか痛烈でした。

 目にも留まらないスピードで目の前に現れて服を剥かれたお腹にワンパン。見事に突き刺さった掌は、もう文字通りに私の腹にズブリと入っています。

 形容する言葉が見つかりません。

 痛烈としか言いようがないというか、言葉を変えるなら、致命的というか。

 あれ、これってもしかして。


 私、死んだ?


「が……ぃ……」


 だが冷静に状況を解説する思考とは裏腹に、口から吐き出される真っ赤な血は腹に刺さった腕に斑な模様を幾つも描き、吸い出されるように口から溢れ続ける鮮血のせいで呼吸は不可能。

 そのせいで朦朧とする意識の中、こりゃもう駄目ですねと察するのに一秒もかからず。


「私、死、ぬの、です……か?」


「うん。死ぬよ、エリちゃん」


 女の子として悔しいくらいに眩しい笑顔を浮かべてそんなことを告げてくる化け物に看取られて、私ことエリス・ハヤモリの短い人生は呆気なく終わったのでした。





次回【新生】


エリスちゃん。即死コース。

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