エピローグ【そして最強は、地に落ちた】
「がはっ!?」
幾度目になるかわからない血反吐をいなほは撒き散らす。胸部で爆発した拳の弾頭は、一発でいなほの全身の神経を蹂躙して、動くことを不可能とする。
決着。
疲弊していた、怪我をしていた、消耗していた。
そんな言い訳を浮かべる余地も無いほど、圧倒的な力による決着。
「う、ぁ……」
「堪能したぜ? ぼろっぼろのナリにしては、いぃパンチだったじゃねぇか」
そう言いながら、ころねは倒れ付すいなほの顔面を踏みつけた。
「強いな。あぁ、テメェは強い。強すぎて、これまで自分を疑ったことなんて、ないんだろ?」
問いかけのようでありながら、ころねはそうなんだろうと断言しているようであった。
かつて己がそうであったように。
そして今の己がそうであるように。
この男は、こうして倒れる今も尚、己の強さを疑っていないはずだ。
だからこそ、敗北せよ。
無敵を歌い
最強を誇れ。
圧倒的な力を持って。
頂点をいつまでも吼えていろ。
「でも足りない。でも届かない。テメェは強いから、強すぎたから、そこにいる。弱さを知らねぇから、行けもしない。知るしかねぇんだよ。弱さを、弱者を、雑魚を、紙くず当然の自分を」
だからこそ、敗北するのだ。
いなほがどう思おうが、生殺与奪を奪われ、頭を踏み躙られているその様を見て誰が敗北していないと思うだろうか。
「ふざ、けんな……! そんなの知ったこっちゃねぇ……!」
土を噛み締めながら、首より下が一切動かない状況に追い詰められているというのに、いなほは不屈を叫ぶ。
「わかるよ。テメェのそれは、よぉく分かる」
その全てがころねにはよく分かった。
痛いくらいに良く分かる。
何故ならかつての自分も、お前と同じように盲目に最強を吼えていたのだから。
「だがなぁ、最強で在り続けるために、俺達は知らなきゃならねぇのさ。最強の下にひれ伏す雑魚のことを知らずにどうやって上り詰めるつもりだ?」
「知る必要、なんざねぇ……!」
「それも答えの一つだ……だが、甘ぇよ。んなのはただの夢物語だ」
子どものように己だけで完結することは出来ない。
最強という険しく高い山の過酷な現実を知り、そのうえで朗々と歌い上げられなければならない。
「俺がテメェに現実を教えてやる」
弱っちいくせに、吐き出す言葉だけは一丁前のガキの性根を叩きなおすために。
「そんで、さっさとこっちに来い。テメェのそこは、まだ常識だぜ? この最っ高の力をよぉ! 開放できる最高の状況をよぉ!」
醜い笑みを浮かべるころねのかつての姿を知る者なら、変わり果てたその姿に衝撃を受けるだろう。
かつてはそうではなかった。
暴力は振るっていた。
気に入らないことには躊躇いなく力を行使した。
だが、こんな、こんな虐殺をするような人間では、なかったはずだった。義侠に溢れ、不器用な優しさを持つ、誰もがその背中に憧れるような人間だった。
だというのに、今そこにいる化け物は、最早化け物と形容する以外になかった。
「いい加減にしろ……戦闘狂が」
そんな化け物の前に立つ男が一人。天と地が再び暴れだし、雷鳴を身に纏ったトールが立ちふさがった。
『災厄招来』。再度解放した究極の力を四肢の全てにかき集めたトールと対峙しながら、ころねの笑みは決して崩れない。
むしろ嬉々としてトールの抵抗を歓迎してさえいた。
「オイオイ、無茶すんじゃねぇよ魔道兵装。テメェの『ソレ』、日に二度も使えるような代物じゃねぇのは俺にだって分かる」
「……いなほさんを離せ。ハヤモリ」
「聞く耳もたねぇか……参ったねぇどうも」
面倒くさそうに頭を掻き毟る。『災厄招来』を使用したトールの今の能力は、敵性存在と同等の力がある。ならば幾ら強靭な肉体を持つころねであろうが、余裕をもって相対は出来ないはずだが。
「再稼動のせいか? 残り数秒分しか残ってねぇだろ? 止めとけ。今のテメェとやりあってもイけねぇわ」
ころねに余裕があるのは、トールの『災厄招来』の限界時間を見抜いているからに他ならない。そこらの有象無象ならともかく、幾ら敵性存在の力を用いたとしても、数秒ではころねを倒すのは不可能だ。
「それに俺が今興味あんのはこいつだけだしよぉ……」
見下ろした視線の先、必死にもがくいなほは歯噛みしていた。
ころねの足はどんなに力を込めてもまるで動かない。単純な力で敵わない。究極の暴力を体現した化け物は、力に酔った表情で恍惚としている。核弾頭の発射スイッチを手に入れた子どものようであった。無邪気ゆえに、暴力を躊躇わない。その化け物は、力に狂った化け物だった。
対するトールも、最早言語を超越していた。覚悟を決めたトールの力がさらに渦巻く。混沌を孕んだ極限の暴力は、無言の圧力で力を増大し続けている。消耗しながら、それでも乾坤一擲。侮れば、ころねを絶殺するほどの力を未だに宿している。
どちらも化け物だった。異常を常識とする化け物であった。
その中にあって、早森いなほは、あまりにも凡俗でしかない。
「味わっておけよ。絶頂だぜ? テメェ」
そして、男を踏み潰して嘲笑するころねは静かに笑う。
拳を掲げ、極限の暴力を漲らせ。
その挙動を皮切りに、対峙していたトールが絶叫しながら突撃した。
目の前の化け物の名前を叫び、猛り、怒り、咆哮する。
「ハヤモリぃぃぃぃ!」
その呼び声に応じるように薄い笑みを貼り付けると、ころねは再度拳に極限の暴力を宿して、その最強を天に示した。
「遅いんだよ! クソ雑魚がぁぁぁぁ!」
振り下ろされる断頭の拳。
遅れて破裂する四つの極限。
その板ばさみにあったいなほは、何も出来ない己の無力を呪い──
「無、力……?」
どうすることも出来ない現実。抗いようの無い絶対の力の存在。
否定できない事実を噛み締めて、早森いなほはついに己の弱さを認識する。
突きつけられた敗北の真実。
今、最強は地に落ちた。
強引に飲まされた苦汁。敗北の汚泥は臓腑を満たし、認めたくない事実だけが、ただ空しく心に穴を穿つ。
倒れた体は頼りなく。
屈した心は闇へと消えて。
辛酸が混じった咆哮は、伽藍の胸に木霊した。
プロローグ【それでも君は──】
例え半ばで朽ち果てると知っていても、抗うことが命の光だから。
ただひたすらに、薄汚れた最強を天に掲げろ。