第二十一話【その悲劇を胸に刻め】
膨大という単語ですら足りないほどの魔力が込められた言語魔法が告げられると、世界を震撼させる全ての自然現象がトール目掛けて殺到した。
あらゆる自然がトールの体を埋め尽くす。
いや、トールの体が自然そのものへと作り変わっていく。
再構築される肉体。
真紅の瞳に光を灯して、雷光と暴風によって構成された肉体が現出する。
エビルもいなほもそれを知らない。
だが世界はその存在を知っている。
星の敵たる化け物、敵性存在。
その第四位に名を連ねる異端の名こそ。
「敵性存在第四位。『災厄招来』ゼウシクス・ディザスター。我が母の力を行使する権利を与えられたこの姿こそ俺の本当の姿だ」
これが魔道兵装。
世界に内包されたありとあらゆる自然を司る化け物、ゼウシクス・ディザスターの能力を限定的にだが使用することこそ、トールが魔道兵装と呼ばれる真の由縁。
敵性存在の実子。
生まれながらにして最強を確約された化け物の尖兵よ。
無双の力を世界に示し、最強という名の重さを突きつけろ。
「これ、が……A+ランク……」
絶望的な面持ちで呟いたエビルだが、しかし折れかけた矜持を積み上げた執念が辛うじて支えた。
ぎりぎりで後退を踏みとどまり、激怒の炎に身を焦がして、神域を突破した化け物に相対する。
「上等だぁ! その力も食らって! 俺が! 世界に! 吼えてやるよぉ!」
己自身の最強を信じて。切望にも似た叫び声が、体に残された全ての魔力と、霧散した『暗球』の魔力すらも全て収束して巨大な闇の塊を上空に生み出す。
小さな山と同等の規模まで膨れ上がった破壊の渦。もてる全て、Aランクという一つの頂に立つ魔王が、自身が崩壊するのも厭わずに力を具現化させた。
「くたばりやがれぇ!」
煮えたぎる暗黒をその身に纏ったエビルがトールへと突撃する。
世界すらも砕かんという鋼鉄の意志を束ねられたエビルは、こちらに視線を向けるだけで動く気配を見せもしないトールに身体ごと激突した。
破壊の力に変化した『暗球』のエネルギーは、触れただけでも常人なら灰も残らず消滅させる呪いの塊だ。
直撃は、すなわち死と同義である。それを避けることなく甘んじて受け止めたトールの光り輝く体は、案の定闇に飲まれてその場から消し飛んだ。
「ハハハッ! 様ぁねぇなぁ!?」
漆黒の暴風と化し哄笑するエビルだったが、次の瞬間には笑い声をあげて目の前の光景を信じられないといった様子で見ていた。
「無駄だよエビル。その程度、避ける必要すらない」
「何!?」
消し飛んだトールは先ほどと同じ姿のまま、同じ場所に平然と立っていた。
──空間転移? それとも防御壁? いや、しかし直撃をしたはずだぞ!?
脳内で目まぐるしく思考を張り巡らせるが、答えはまるで見つからない。手ごたえは確実だった。確かに身にまとう漆黒の一撃をたたきつけたはずだ。
直撃ならば、万全のトールであろうと無傷ではいられないはず。
「重ねて言うぞエビル。無駄なんだよ。分かりやすい形として、俺は今こうして肉の姿を象っているが」
「今の俺には、姿形など関係がない」
「!?」
背後から聞こえてきた声にエビルが振り返ると、そこには炎の塊で象られたトールが浮遊していた。
しかし、エビルの眼下には雷光と暴風で象られたトールが同じように存在している。
「分身!?」
「それら全てが一つの意識を共有する俺自身だ。どれか一つが本物などという甘い幻想は捨てろよ?」
腐食の大地が盛り上がり、草木が生えてくる。樹木と土の肉体を持つトールが現れると、続いてそこから染み出た水滴が一気にその量を増して新たなトールが生まれた。
敵性存在第四位、『災厄招来』ゼウシクス・ディザスター。それはアースセフィラと呼ばれるこの広大な世界そのものの意志を司る存在だ。
海も、空も、土も、風も、およそ世界に存在するありとあらゆる自然の全てがゼウシクスの子であり、そしてゼウシクスの肉体そのものである。
つまり、その力を限定的ながら扱うことが出来るトールもまた、この世界そのものと言っても過言ではない。
「今の俺を殺すなら、先の見えぬこの無限地平そのものを消滅させるつもりでかかってこい」
人族を司る『超越生命』。
魔族を司る『魔神皇帝』。
世界を司る『災厄招来』。
生命の始祖。原点にして頂点に君臨する三体に並び立つことを一時的に許されたトールを殺すということは、世界そのものを相手にするということだ。
エビル・ナイトリングはトールの言葉ではなく、地平線の彼方まで続く、怒り狂ったように逆巻く雷雲の空を見上げて全てを悟る。
災厄招来の名の通り。
あらゆる災いを行使することを可能とするこの化け物に、何をどうやって抗えというのか。
「……だがなぁ! 俺はそれでも!」
世界に比べて小さすぎる自分だとしても。
「それでも俺は! お前に、お前らに勝つために走り続けた!」
屈辱を乗り越えて、いつか必ず頂点に君臨する異端の者を越えてみせると決意したのだ。
「それだけは! 譲れねぇんだよぉ!」
勝ち目がないことはわかっている。
僅かどころではなく、どう足掻こうが敗北の未来しかないことがわかっていながら、それでもエビル・ナイトリングは吼えるのだ。
かつて、世界を落としてみせた魔王として。
誰でもない、一人のエビル・ナイトリングという存在として。
「くたばれやぁ! 『魔道兵装』ぉぉぉぉぉぉ!」
余力など存在しない。寿命すらも叩き込んだ暴虐をさらに圧縮し、身に纏っていた破壊は掌に収束する。
内在する力は、国を一つ滅ぼすのも可能とする規模。それをやせ細った掌の内側に押さえ込み、薄れいく意識を執念で燃え上がらせてエビル・ナイトリングの全存在を叩き込んだ。
「『轟雷灰燼』!」
再び槍は現出する。その規模は一撃目を遥かに上回り、同ランク帯ならば直撃すれば即死。それ以下ならば余波だけで殺し尽くす凶暴を振りかぶり、エビル最大にして最後の神罰を解放した。
「『幕切れに捧げる神罰の終わり─イードメネオ・マキーナ─』!」
幕切れを冠するのならば。
目の前にあるこの悪夢にすら幕切れをもたらしてみせろ。
エビルの祈りを乗せた神罰がトールへ迫る。命を賭した一撃に対して、トールは何をするでもなく、静かに神罰を睨み。
「散れ」
たった一言。
それだけで、エビルの全存在は、消滅した。
「あ?」
放たれた神罰は、トールの命令に従って大気に溶けて消え去った。世界全ての自然を操るとは、そこで生まれた全ての存在への介入権を持っているということだ。
つまり、あらゆる自然とは、作り出された無機物にすらも作用するということに他ならず、エビルの使用した手は、トールの能力を省みれば最も打ってはならない悪手であった。
砕けた神罰と共に、エビルもまた力尽きて大地へと沈んだ。
トドメを刺すまでもない。全存在をたった一言で掻き消されたとなれば、矜持はおろか、妄執すらも潰えるのは必然。
「……『封印固定』」
突っ伏すエビルから戦意が失われたことを確認したトールがそっと瞼を閉じると、雷光と暴風で象られた肉体にその体を封じていた包帯やベルトなどの拘束具がまとわりつき、肉の体へと戻った。
その体にはエビルに刻まれた怪我やなくなり、失われたはずの左腕も再生を果たしていた。
とはいえ、先の開放は想像以上の付加がかかるのか、トールの息は乱れている。
しかし決着の形を見れば一目瞭然だ。無傷のトールと、魂ごと妄念を砕かれて抜け殻と化したエビル。
決着はあまりにも呆気なくついた。いや、むしろ彼我の能力の差を見れば、その決着の淡白さは初めから決まっていたのかもしれない。
絶対強者。
A+ランク。
敵に抗う力を持つ超越者よ。
「……よぉ」
「いなほさん……」
全てを見届けたいなほは、脇腹を庇いながらも、地力でトールの前へと歩み寄った。
振り返ったトールの表情は疲労でやや青ざめているが、笑顔すら浮かんでいる。
「いやぁ、助かりましたよ。まさか自分で展開した結界で自分の首を絞めるなんてことになるとは思いもよらず」
「どういうこった?」
「いなほさんも見たと思いますが、俺の切り札『災厄招来』は、俺の所属するギルドの総隊長二人の許可が必要なんですけどね。結界のせいで通信が出来なくて、あのままだと殺されていましたよ」
ありがとうございます。
感謝の言葉と共にトールはいなほに頭を下げるが、いなほの心境は複雑だ。
「……気にすんな」
いなほは放心しているエビルを眺めながら応えた。
本来は、トールが苦戦しているのなら代わりにエビルと戦うつもりだった。実際、結界を砕いた後はそのつもりだったし、ボールのように吹き飛ばされた後も、戦意だけは滾らせ、トールを殺される前に食らいつくつもりだった。
だというのに、いなほは動けなくなった。
この世界における極限の一つ。敵性存在と呼ばれる化け物と同じ力を行使してみせたトールの姿を見て、いなほは絶対的な力の差を、まざまざと見せ付けられ、動けなくなったのだ。
屈辱だった。どんな敵にも屈することのなかった自分が、そんな信念すらも嘲笑う力に僅かでも動揺してしまったことが。
そして憤りも感じていた。遥か高みに存在するトールの実力に嫉妬をしてしまう己の醜い心に憤っていた。
「いなほさん?」
そんないなほの心中を知らず、不思議そうにいなほを見上げるトールの視線から逃れるようにいなほは乱雑に己の頭を掻き毟った。
「何でもねぇよ。ところであいつどうすんだ? ケリつけるんだろ?」
「まぁそうなんですけど……生命力も枯れ果ててますからね。放っておいてもくたばりますし、アレのしたことを考えればそんな死に方も自業自得かなぁって」
何をしたのかわからないが、魂の抜けた無様を晒しながら死んでいくとは悲しいものだ。
戦闘者としてのエビルしか知らないいなほは僅かな憐憫を感じた。
もしくは、最強に挑み、敗北したエビルに己の姿を重ねたか。
自分も、この無謀の果て、何れはエビルと同じく最強へと挑むときが訪れる。
そのとき、自分は何を思うのだろうか。
何を支えに戦うのか。
気づけば無意識にエビルのほうへと足が向いていた。「気をつけてくださいよー」という気楽なトールの言葉を耳から流して、地べたへ視線を向けるエビルの前に立ち、片膝をつい目線を合わせる。
「……無様だな」
答えはない。己の魂を砕かれたエビルは、惨めにその魂の抜け殻を晒すだけだ。
最早、あの妄執の魔王は存在しない。ここに居るのは、積み上げ全てが無意味と唾棄された哀れなる道化。
「だが、テメェの喧嘩、響いたぜ」
それでも、この魔王の挑戦を踏み躙るようなことは、誰にもさせるつもりはなかった。
最強を誇るために、妄念に成り果てようがエビルが積み重ねてきた年月を思う。
例えその力が及ばなかったとしても、歩んできた歳月は本物で、積み重ねてきた結晶は、後一歩のところまで最強を追い詰めた。
結局、最後の最後で運が足りなかったが。
「最強を、最後まで吼えたんだな」
エビル・ナイトリング。底辺から這い上がった執念の魔王。
その穢れた漆黒の決意にだけは、敬意を一つ。せめて最後は上を向かせたままいかせようと、いなほは俯いたその顔に手を伸ばして。
手が触れる直前、エビル・ナイトリングは頭上から音もなく降り立った何かに押し潰されて『破裂』した。
どうにもならない偶然が、君の心を傷つける。執念を散らす理不尽の結晶。非情なる現実は、覚悟を与える暇もなく、君をひたすら壊していく。
笑う獣は嗜虐を尽くし、破壊の雨は決着した全てを注ぎ、洗い流す。
それでもと伸ばした愚直すら、この理不尽には頼りない。
次回、早森。
激流に抗う力はもう残ってはいない。
「だからこそ、敗北しろ」
ならばこの呪詛は、最強を裏切る牙なのか。
例のアレ
ゼウシクス・ディザスター
トールをひり出したロリ。