第十八話【立ち止まらないこと】
次回、不屈の拳。
そろそろクライマックスです。
果たして何度目の覚醒になるのだろうか。
僅か数時間の間に、意識の暗転を繰り返したいなほの意識が再び目覚める。暗黒がゆっくりと光にこじ開けられ、広がった世界に映るのは眩しいばかりの。
「起きた?」
「リリナ……?」
「うぃ。皆の妹、リリナだよぅ」
一瞬で気が抜けるくらいに緩い笑みを浮かべるリリナの顔が今はありがたい。呼気を一つして酸素を全身に送ったいなほは、意識とともに覚醒した全身の激痛に小さく表情をゆがめた。
「何分眠ってた?」
「さぁ。リリナが着たときはいなほお兄ちゃんくたばってたからねぇ。その時からなら二十分程度かなぁ?」
「……そうかよ」
左腕を支えにいなほは半身を起こそうとしたが、それを慌てた様子のリリナがその額を抑えて留めた。
再び地面に頭が触れる、と思いきや、先程からもそうだったが、後頭部に柔らかな感触。リリナの膝枕に再び戻ったいなほは、邪魔者を見るようにリリナを睨んだ。
だがその視線に怯むことなく、むしろ面白そうに目じりを緩めたリリナは、額に置いた掌をそのまま頭にもっていき、いなほの髪を優しく撫でた。
「無理は良くないよいなほお兄ちゃん。ほっといたらやばい傷は私の魔法で治したけど、身体のいたるところの骨が砕けてるし、失った血や体力だってまるで戻ってないんだよ?」
「だから?」
「ドクターストップでーす」
「知るか」
頭に置かれた手を乱雑に払うと、今度こそいなほは身体を起こしてゆっくりと立ち上がった。
リリナが言うとおり、両手足の砕けた骨は繋がり、脇腹の穴も塞がり、停止したはずの心臓を含め、損傷した内蔵も表面上は回復したらしい。
だが動けるのに最低限の回復しかされていないのは事実だ。断裂した筋肉、砕けた右肘を含め、未だ砕け、皹の入ったままの骨はそのままである。
立ちくらみでふらつくところから、血と体力もまるで足りない。
試しに魔力を放とうとしたが、どうやらそちらは完全にガス欠らしく、オレンジ色の輝きは微塵も肉体から流れなかった。
「良し……回復ありがとよ。行って来るわ」
だというのに、いなほは見上げた先に広がる虹色の障壁に向けて歩みだした。
「待ってよいなほお兄ちゃん」
その進路を遮るようにリリナが両手を広げて割り込んでくる。
「治してもらったのはありがてぇが……邪魔すんなよ」
「いやいや、邪魔なのはいなほお兄ちゃんだって」
苛立ついなほとは対照的に、リリナの声はこれまでと違って何処までも冷たく、無感動な響きがあった。
そのあまりにも唐突な冷徹さにいなほの顔に驚きが浮かんだ。何よりも驚いたのはその一言。
「俺が、邪魔だと?」
「うん。今のいなほお兄ちゃんじゃ、トールお兄ちゃんのところにいっても、糞の役にすらたたないって言ってるの」
辛辣な物言いだが、リリナの言い分は正しかった。
先程までいなほは瀕死だったのだ。そんな人間が頂上決戦の場へと赴いて何が出来るというのだろうか?
只でさえ、万全の状態でもいなほではトールとエビルの戦いに介入するには地力がまるで足りない。ある程度の助力は出来るだろうが、その程度。
「はっきり言って、不要だよ」
力なき者には戦う権利すらない。
あらゆる闘争の場で通じる不変の原理。早森いなほに力が無いなら、力無き者は只傍観するのみだ。
「だからどうした?」
故に。
その全てを知って尚、早森いなほは赴くのだ。
「確かに俺は、テメェが来なかったらそのままくたばったかもしれねぇ。しかも相手は腐るほど存在した有象無象だ。あそこで戦ってるトールと、もう一匹の力は俺にだってわかる。あのふざけた虹色の壁の内側から響いてくる力の全てが圧倒的だろうなぁ」
「だったら──」
「だからこそ、行くんだよ」
絶望的な力量の差も。
超えられるはずのない壁が待ち受けていても。
諦めたならば、挑戦することも出来ないのだ。
「どうでもいいんだ。ただ行きてぇから進む。前があるから歩く。壁があったら……」
強く握った拳を掲げて。
「何であろうと、こいつでぶち抜く」
無茶と無謀を笑われようが、誰もが無理だと叫ぼうと。
早森いなほはこれなのだ。
これだから早森を名乗るのだ。
「だから、そこを退け」
進み続けることを止めない自我は屈しない。前を遮るリリナの横を抜けて、呆けたまま立ち尽くすリリナを置き去りにいなほは一人、傷ついた身体を押して駆け出した。
「まいっちゃうなぁ……まっ、そうだろうとは思ったけど」
リリナは広げた手を下ろすと、疲れたような溜め息を吐き出す。
わかっていたけれど、柄にもなく説教をしてまで彼の歩みを止めたくなった。
真っ直ぐ進み続けるその意思は、人間らしさなんて何処にも見つからないけれど、きっと人間の誰もが望む高潔な意思に違いなく。
「まいっちゃうね。どーもさ」
あんな人間が、まだこの世界に存在したのか。
その喜びに身震いをするリリナだったが、突如その顔を空へと向けて目を見開いた。
そして、見る見る内にその口元が横に広がり、歪んだ笑みを象った。
「オイオイ……そいつは予想してなかったぜ」
遥か彼方、地平線の向こう側を見据え、今にもあふれ出しそうな笑い声をかみ殺してリリナは全身を愉悦に震わせる。
演技をする余裕すらないのか、意図的に高くしていた声は、少女とは思えないほどに、獣の唸り声のような響きすら感じられた。
「やりやがったなあの野郎……ここで刻み込むつもりかよ」
この場で全てを理解しているのはリリナだけだ。只一人だけ、これまで歩んできたありとあらゆる全ての道筋が『繋がった』ことを確信したリリナは一人つぶやく。
「アタシがここに来るのも『織り込み済み』ってやつかよ……いいぜぇ」
──だったら望むとおりに踊ってやるさ。
唯一無二の答えだけを風に乗せて、リリナは一人薄気味悪い笑い声をあげながら、理不尽をもってして完成された舞台の全てを見届けられる場所へと向かっていった。