第十五話【燃えよヤンキー(中火)】
意識が朦朧とする。
白熱しすぎて逆に冷たく凍りついた思考能力のまま、おぼろげな視界を頼りにして拳を振るう。
炸裂した拳が敵の肉体の一部を削るのと、己の肉体が裂傷を負うのは同時だ。背中を炎の爆発で焦がされ、たまらず倒れそうになる身体を意思の力で抑え込み、砕けそうな両足に活を入れて前を向く。
六本の腕のそれぞれに武装をした鬼人が上下左右、ありとあらゆる方向から腕を振るってきた。回避は至難、ならば迎撃。
疲弊しきって尚、鬼人を上回る生身の五体が六つの内の三つを迎撃して、残りの三つは筋肉の鎧で受けきった。
「ぐ、ぁぁぁぁぁ!」
千切れそうな意識を搾り出した声で繋ぎ、右半身に突き刺さった刃を、突き立ったまま筋肉の収縮でへし折る。
合わせて鬼人の腹部に槍のように鋭く尖らせた右足の爪先が刺さった。肉と臓腑を切り分けて足の甲。普通なら致命傷となりえるが、いなほは深く抉った足を即座に引き抜き、立て続けに駄目押しの手刀を傷口に突き込む。
どす黒い鮮血が鬼人の腹部から溢れて、身体を塗らした。視界も真っ赤に染まるなか、背後より忍び寄る竜人の槍を半身になって振り向くことなく避ける。
そして飛翔。突きたてた手を引き抜く動作と共に後方へと宙返りを行う。
「ずらぁ!」
その勢いのまま竜神の頭に蹴り足を叩き込む。竜人は鋭く動きを察知して、突き出した槍を戻して頭上に掲げた。
半円を描く蹴りが槍の柄と激突する。全身の力を注ぎ込んだ足の威力は、槍と竜人の身体を通して、大地を吹き飛ばす。
竜人の肉体は、衝撃で支えとなる地面を砕くほどの威力を槍越しとはいえしっかりと受け止めていた。あるいはこの肉体に最初ほどの力が残ってないのか。
だったら搾り出せばいい。槍を足蹴に飛びのいたいなほは、こちらを腹部を抉られながらも痛みにもだえることなく襲い掛かる鬼人へと迎え撃つ。
戦いは熾烈を極めた。
さらに残りの数を二体まで減らしたいなほだったが、代償として四肢の骨と肋骨と内臓の幾つかを損傷し、肉体も火傷、凍傷、裂傷、さらに背中に幾つも突き立った魔法の武器によって、まるでハリネズミのような様になっていた。
突きたった武器が邪魔だが、抜き払うような暇すらない。魔眼によって歪められた視界は、自分と敵の血によって殆ど使い物にならないほどであり、さっきから断続的に意識が飛んでさえいた。
これまでにも幾度と窮地を経験してきたが、その中でも極めつけであった。今、目の前にいるのは二体だが、まだ増援が来るかもしれないという焦りや不安も噴出しそうになる。
ビビるな。一気に付け込まれるぞ。
活を入れて正面へ飛び出す。口からあふれ出すのは咆哮であり鮮血だった。自身の倍の体躯を誇る鬼人とぶつかる。鬼人は、その長大なリーチを生かして、いなほに負けじと心胆が震えるような雄叫びをあげて剣を振るった。
踏ん張りを利かす。迫る剣を前に地面にめり込むくらい足に力をこめたいなほは、今放てる最大を、他の武器に構うことなく狙い済ました武器一点に向けて解放した。
鋼は砕け、拳は止まることなく鬼人の腕の一本を骨と筋肉が混ざり合ったミンチと変える。代償に身体に幾つもの裂傷と、脳をしたたかに揺らす鋼の棍棒の一撃がいなほを吹き飛ばした。
暗転する意識。断続的に切れた意識が口に入った土と砂の味で目覚める。湧き上がる憤怒、土を舐めさせられた屈辱が疲弊しきった身体から力を漲らせる。
追撃をかけてきた竜人の刺突が無防備ないなほの背中を襲った。迫る殺意を地面を転がりかろうじて逃れるが、脇腹が浅く斬られて熱を帯びる。
今はこの痛みが心地よい。痛みで意識を手繰り寄せて起き上がる。迫りくる巨躯、握り締めた拳はまだ確かな感触を己に、込められた怒りを叩きつける。
憤怒の弾丸豪雨が鬼人の五つの怒涛を超える。五つの武装が己に届くよりも速く、紫電すら超える生身の人体。
物理法則の壁すらも叩き壊して、一瞬の間に鬼人の武器が、その手のひらもろとも砕け散った。
果たして何処からその力が湧き上がるというのか。脅威と恐怖の中に、鬼人は魔法も使わず、ただ己の五体だけで、種族としての身体能力も人類を遥かに凌ぎ、ましてや強化によってさらに底上げされた己と拮抗するどころか遥かに超えていく姿に尊敬の念すら抱いた。
「見事……!」
ただ一人の戦士として、惜しみのない賞賛の言葉が漏れる。
「だが、只ではやられん……!」
鬼人もまた、致命傷を刻まれた肉体を動かして、いなほの身体に砕けた六本の腕ごと抱きついた。
一瞬だけでいい。この男の動きを止めることさえ出来れば。
「やれぇ!」
叫ぶまでもなく。
好機を逃すことなく全力の刺突を放った竜人の一撃が、鬼人もろともいなほの身体を貫いた。
「ご、ふ……」
竜人の一閃で絶命した鬼人と共に串刺しにされたいなほだったが、辛うじて貫かれたのは脇腹だった。心臓を狙って竜人が刺突してきた一瞬、鬼人ごと射線から僅かに退いた結果だが、それでも腹部を貫通されたのは致命的だった。
「けど、よぉ!」
「何!?」
竜人が動揺を露にする。それはまだ声を張り上げることが出来るいなほに対してではなく、槍がいなほと鬼人を貫いたまま引き抜くことが出来なくなったことに対してだ。
身体を貫く槍を掴んだいなほは、身体の傷口から血が噴出すのも厭わずにその手に全ての力を動員した。
魔力と鋼によって無類の強度を誇る槍が、単純な握力の前に千切り潰される。手のひらの中で圧壊した槍の残骸を残したまま、いなほはしゃがんで鬼人の抱擁から脱すると、武器を失いながら、魔方陣を構成して迎撃を試みる竜人へと走った。
「遅ぇ……!」
「だがこれが我の──」
互いに熱血で上手く声は出ない。
代わりに熱く滾るこの拳で己の全てをぶつけて伝える。
振りぬいた拳が魔方陣を透過して、竜人の堅牢な鱗を紙のように引き裂いて奥深くまで抉りぬく直前。
「勝利条件だ」
竜人は壮絶な笑みを浮かべて、迫る必殺を回避するでもなく、魔方陣に全ての魔力を注ぎ込んだ。
許容量を遥かに超えた魔方陣が形を保てずに崩れていく。半ば朦朧としたいなほだったが、拳を引くことも出来ずにいた。だがその魔方陣に接触した拳に溶解した鉄を押し当てられたような熱と痛みを感じて、竜人が何か恐るべきことを行おうと察知したが、すべての行動はあまりにも遅かった。
「おぉぉぉぉ!」
いなほは引くではなく進むことを選択した。溶解する魔方陣もろとも竜人の肉体をいなほの拳が貫く。
それを待っていたと、竜人は最後に口元を邪悪に歪め、己の死を享受した。
そして、失われていく命全てを注いだ魔方陣が爆発する。術者である竜人の身体を砕くほどの破壊の渦は、すぐ近くに居たいなほの身体を、その意識ごと飲み込んで、黒い魔力で染められた粉塵が描く暗黒の花を天高くまで咲かせた。
余波だけで、ただでさえ戦いによって荒れ果てた大地が根こそぎ削られていく。
命を賭した自爆魔法。
敵を殺すためだけに己の全てを投げ打った竜人の特攻の果て、爆発に吹き飛ばされたいなほは、今度こそ意識すら奪われ、天高く舞った後、地上に力なく叩きつけられた。
「ぅ、ぁ……」
それでも、まだ呼吸は確かにあった。竜人の自爆によって肉体に重度の火傷と損傷を受けながら、途切れた意識の中、握り締めた拳だけは解かない。
想像以上の死闘だった。幾つもの窮地を経験と勘を頼りに潜り抜けた先、肉体の限界を超えた先にまでいなほは追い詰められていた。
指先の感覚はおろか、四肢の全てが深海の中に沈んだように重たかった。薄皮一枚まで削がれた意識は、休息を訴える肉体の主導権を指先に頼りなく引っ掛けているだけだ。
戦いは終わったのか。敵はもう居ないのか。視界に頼らずあらゆる感覚を動員して周囲を警戒する。
「終わった、のか?」
トールに聞いていたよりも人数が遥かに少ないのが疑問だが、幾ら気配を探っても、いなほの知覚に反応する存在は、『暗球』の元から感じられる壮絶な二つの気配ばかり。
「くそっ……」
露払いが、限界だった。
いや、本当はわかっている。たかが露払いというには、いなほが戦った相手は、いずれも極上と呼んでいいほどの実力者だった。その程度と切り捨てるのは、死闘を演じた相手に対して失礼であるということもわかっている。
わかっているが。
だというのに、この胸にこみ上げる言いようのない屈辱は何なのか。
「俺は……!」
その先に続く言葉を吐き出すことは、いなほのプライドが許さなかった。決して『暗球』の下で繰り広げられているだろう極限の戦いに届かないと思っているわけではない。
だが自分はこうして、無様に傷ついた身体を晒して、強者同士の壮絶な戦いに参入することすら出来ないでいる。
それがたまらなく悔しくて、その悔しさが朦朧とした意識をぎりぎりで繋ぎ止めていた。だがいつしか憤怒で保っていた意識も限界を超え、ぼやけていた視界が狭まっていき。
「どうやら、我が盟主の下僕達は、最低限の仕事だけは果たしたみたいね」
今まさに千切れようとしていた意識が、新たに現れた何かの声によって浮上する。いなほはまともに動くことも出来ない身体で、何とか顔だけを起き上がらせて、その顔面を痛烈に踏みつけられた。
「ぎ……!」
「賞賛しましょう。『暗球』の加護を授かった我が部隊の第三席から第十席までと戦って、未だ息をしていることはおろか、五体満足のうえ、意識まで保っていることを」
傲慢な口調に、途切れていた意識と肉体とのリンクが怒りという線で結びつく。しかし身体は限界を超えており、激痛を発する肉体は意識と繋がっただけでは指先を動かすのが関の山だった。
「あぁ、自己紹介が遅れました。私、ジューダスが副隊長。クー・ライクと申します。短い間ですが、どうかよろしく」
フードを脱ぎ捨てると、光を反射することのない黒い瞳がいなほを無感動に射抜いた。
美しい女性だが、能面のような無表情と、生気を一切感じない表情のせいで、まるで人形のような印象を覚える。
だが立ち上る魔力は、表面上には現れないどす黒い邪悪な漆黒であり、ただの魔力でありながら、その場の空気すら重くしているようであった。
強い。しかも、道中で戦ってきた誰よりも強いのをいなほは感じた。おそらくは、万全の状態のいなほであったとしても勝敗の分からない戦いになるほどの脅威だ。
いなほの脳裏に絶体絶命の四文字が浮かび上がるが、即座に彼岸へと投げ捨てる。
「そう、言うなよ……まだまだ楽しもう、ぜぇ!」
出血と激痛を無視して、強引に動かした右手が頭を踏みつける足首を掴んだ。
動けるはずがないと思っていた相手の思わぬ反撃に、クーの顔に浮かぶ小さな驚愕。
いなほは掴んだ足首ごとクーの身体を投げ捨てた。慌てず空中で体勢を立て直しなクーは、その間にゆっくりと立ち上がったいなほを懐疑な瞳で見つめる。
「解せません。最早、勝敗は火を見るより明らか。だというのに、何故貴方は立ち上がるのですか?」
答える余裕はいなほには残っていない。ぐらつく身体を踏ん張らせ、ゆっくりと両腕を持ち上げて構える。
力など残っていない。覚醒筋肉を行うにしても、それによって使用されるカロリーも底を尽きた今、使用したところで大した恩恵は得られない。
だが、やらないよりはマシだ。か細いオレンジがいなほの身体より溢れ、再び肉体へと還元されていく。
残された力で脇腹に空いた穴を強引に防いだ。そこで覚醒筋肉の力も尽きて、残ったのは魔法による恩恵も、超絶的な身体能力すらも奪われた男が一人。
対するのは、ジューダスの中でも二番手として君臨する魔女。しかも未だ動くいなほに警戒して、油断することもなく、二本の杖を取り出して、その先端をいなほに向けてさえいた。
杖の先に込められた魔力が漆黒の光の塊となって収束する。
その先を見据えながら、ただ思うのは拳のこと、つまりは己への埋没だった。
身体が重い。
さっさと意識を手放してまどろみに全てを委ねたい。
もう十分だろう。
十分に戦った。
満足したはずだ。
そもそも、こんな無謀に赴くことが間違いだった。
「ってのは……カスの、言い分だ」
今、この場で考えられるありとあらゆる弱気な考えを一笑して、たった一つの答えだけを胸に誇る。
いつかと同じく、この零秒すらも超えて。
俺は、いつだって俺を超えていくのだ。
「来いよ、抱きしめて、やるぜ?」
震える肉体に力を込めて、青ざめた顔に大胆不敵な笑みを称え。
握った拳に込めるのは、不倒不屈の信念を。
ちっぽけな自尊心を拳に秘めて、満身創痍の最強が、傷ひとつなき暗黒の魔女へ挑むのだ。
次回、死を越えろ。
感想、ポイントなどなどお待ちしておりマッスル。