第十一話【それでも前へ】
紅蓮の跡地が四方数百メートル以上広がっていた。例え枯れ木と砂のような乾いた土ばかりの土地だろうと、抉られた大地や今も燃え続けている木々の数々を見れば、そこで壮絶な何かが起きたのだろうことは感じられる。
その破壊の果てで、体中に裂傷を帯びたいなほが一人立っていた。
とはいえ膝に両手をつき、呼気を荒げている様を見れば無事ではないのはわかる。そのすぐ近くには、最後の最後まで抵抗を続け、ついに倒されたカーストの亡骸があった。
周囲には他にも十にも及ぶ死体が散らかっている。いや、原型を留めているほかにも、いなほもろとも相打つために身体ごと燃やされたのを合わせれば、その総数は二十には届くだろうか。
それだけの相手と戦った。
それだけの数としか戦えなかった。
葛藤は脳裏を幾つも過ぎり、苦戦を強いられた己の弱さを嘆く一方、この強敵達と戦って勝利した自分を誇る己もまた存在した。
「……そっちも終わりましたか」
背後からの声に振り向くと、服の至るところがぼろぼろになりながらも、ほぼ無傷のトールと、こちらは完全に無傷のリリナが居た。
「十八、いや、二十ぴったし……ジューダス相手にここまでやるなんて、流石はヤンキーですね」
「嫌味かよ」
「そ、そんなつもりはないですって」
凄みを利かせたいなほの言葉に、しどろもどろになるトール。
だがトールの賞賛が嫌味に聞こえたのも無理はないだろう。
「テメェは、幾つやった?」
「俺は……えっと、弱いのばっかきてくれたんで、三十程」
「リリナは怖いからすみっちょで震えてたの。戦うのこわーい」
リリナのやかましい言葉は無視して、いなほは「そうか」と言ってからうつむかせていた顔を上げた。
弱い相手ばかりだったとしても、ジューダスの構成員が強かったのは事実だ。ならば怪我はおろか呼気を乱すこともなく立っているトールと、傷だらけのいなほにはそれだけの差があるということだろう。
「……こんなとこに、あの野郎レベルの奴が居たなんてな」
「え?」
「何でもねぇよ」
トールの未知数な強さから連想したのは、あのおぞましき人外、アート・アートの姿だった。
だが今はあの化け物のことを考える暇はない。呼気を整えたいなほは、とりあえずトールと現状について話をすることにした。
「それで? まさかアレで抵抗は終わりってわけじゃねぇだろ?」
「多分、ですが……まさかここで半数をぶつけるとは思ってませんでしたが、おそらく俺達をここで足止めするつもりだったのでしょう。してやられたって感じです」
トールは苦虫を噛み潰したような顔で遠くの空を眺めた。
「ありゃぁ」
「『暗球』と呼ばれる術式の完成体です。どうやら周囲一帯の魔力を根こそぎ奪い取って強引に完成させたってところでしょうか」
つられてその方角を見たいなほはが見たのは、遠くからでもわかるほど巨大な黒い球体だった。
それは一滴ずつタールのような液体を垂らしており、その雫の一滴があまりにも醜悪な色を滲ませていた。
「わかりやすい目印じゃねぇか」
目指す先には絶望の結晶。いなほはその正体を分からずとも、肥大した『暗球』が発する力を感じて、それがどれ程危険なものなのか理解した。
「で? これからどーすんだ?」
「隠密行動をしようにもここら一帯は彼らの庭なので、直ぐに居場所は特定されますから……とりあえず、このまま三人で固まって『暗球』に──」
「はいはーい! このまま仲良く進んでも妨害されて『暗球』がさらに凶悪な状態になって、手がつけられなくなると思いまーす!」
二人の間に片手を挙げて割り込んだリリナが明るい口調で状況の悪化を告げた。
「オイクソガキ。今はテメェに構ってる──」
「いや、いなほさん、少しだけ彼女の意見を聞いてくれ……それは、本当なのかい? リリナ」
これまでのリリナの態度から懐疑的になっていたいなほを宥めてから、リリナに続きを促した。
「まっ、間違いないよ。固まって動いたところで、戦力を集中されて強引に押し留められるだろうからさ。彼らにとっての一番の目的は、『暗球』の密度をさらに高める時間だしね。こうして会話してるリリナ達に攻撃を仕掛けてこないことがいい証拠だよ」
本来ならば撃破出来るが最高だ。
だが先程の激闘で、トールといなほによってジューダスの面々は半数もの人員を削られた。しかもトールは無傷ときている。
ならば自分達で倒すことはほぼ不可能と思うのは当然だろう。そんな彼らに残された切り札であるエネルギーの結晶体『暗球』の密度を高めるのは、勝利のために絶対必要な条件だ。
「だったら尚更先を急がないと……!」
それを理解したトールは、焦りを滲ませながら『暗球』へと足を向けるが、遮るようにリリナが立ちはだかった。
「何を……」
「ここからは別々に分かれて行動しようよお兄ちゃん」
リリナの提案はある意味博打のようなものだった。
「このまま纏まって行動しても駄目なら、戦力を分けて『暗球』に突撃して、場をかく乱するほうが可能性があるんじゃないかな? ほら、正体不明のリリナちゃんが別行動しちゃえば、相手もこっちを確実に押さえるために戦力を割くかもしれないし」
現状、その能力が分かっているトールといなほとは違い、リリナの能力は未知数だ。
ならば三人が別々に動いた場合、ジューダスの面々は、三方向への戦力の分散をどうすればいいのか非常に難しくなる。
リリナが弱いのなら捨て置けばいい。
だがもしも、リリナがトール並みとは言わずとも、いなほと同等の力を持っていた場合、捨て置く訳にはいかない。
弱いと判断してリリナが強かった場合、少人数ではただ悪戯に兵力を失うことになり。
強いと判断してリリナが弱かった場合、大人数を送れば残りの二人が『暗球』へと容易く乗り込むことが出来る。
とはいえ、中途半端な人員をリリナに送ったとしても、いなほとトールは障害をあっさりと突破して『暗球』へとたどり着くだろう。
「この方法なら、二人のどっちかでも直ぐに『暗球』に辿り着けるかもしれない」
「いいのか?」
得意げなリリナに、いなほは真剣な表情で問いただした。
リリナの言うとおりに戦力を三方向に分散すれば、上手くいけば『暗球』へ直ぐに辿り着けるだろう。
だがこの作戦には一つだけ穴がある。
「テメェが弱っちかったら……死ぬぜ?」
リリナの実力がこの中で一番低いのを勘違いして、最大戦力をジューダスがリリナに投入した場合、彼女は容易く死ぬことになる。
その可能性を問ういなほに対して、リリナは本人以上にトールが目を丸くして驚きをあらわにした。
「何だ? 変なこと言ったつもりはねぇんだけどよぉ」
トールのその態度に不信感を表したいなほだが、「い、いや、なんでもない」と慌ててごまかしたトールは、咳払いを一つして話を戻した。
「リリナのことなら心配ないですよ、いなほさん。彼女がそれを望むなら、俺には何も言えないし、むしろ都合がいい」
「そりゃどういうこった?」
「説明する時間も今は惜しい。俺は左回りに向かいますので、いなほさんは正面から一気にお願いします」
まるで説明するのを渋るようにいなほに背を向けたトールは、いなほが二の句を告げる前に『暗球』へと駆け出した。
「おい! ……ったく、あの野郎、逃げやがった」
「ホント、まぁ説明する時間がないのは本当だけどさ」
いなほは、トールの背中が見えなくなるまで見送ってから、己もまた真っ直ぐに駆け出すために、気合を入れるように拳を手のひらに打ち付けた。
少し遅れたが、自分もまた行こう。決意を新たに一歩踏み出したいなほだったが、その背中に、同じくこの場に残ったリリナの手のひらが触れた。
「リリナの心配より、いなほお兄ちゃんのほうが心配だけどなぁ」
「そいつぁどういうことだ?」
「分からないなら言うけどさぁ……この作戦、私と同じくらいいなほお兄ちゃんもヤバイの分かってる?」
「そんなの、百も承知だ」
いなほは、カースト達との死闘で傷ついた己の身体をそっと見下ろした。
先程の戦いはまず間違いなく、他のジューダスの者達に知られているだろう。容易く戦いを制したトールと、傷つき、疲弊しながらも勝利を手にしたいなほ。
もしも、ジューダスの面々がトールを相手取る無意味を悟り、こちらの戦力を削る方法を取ったのなら。
「多分、いなほお兄ちゃんのさっきの戦いぶりを見て、次は確実に殺しきるだけの戦力を投入するだろうね」
そして残りをリリナの方へと叩きつける。
残ったトールに関しては、ジューダスの隊長が直々に相手をすることになるはずだ。
「まっ、そりゃそうだわな」
「気楽だねぇ」
「テメェには関係ねぇだろ?」
「だけど、リリナは興味津々なのさ」
一歩の距離を詰めて、リリナはいなほの背中越しに両手を胸元に回した。
そこには他者をおちょくっていた少女の姿はなく、母親に抱擁されるような安堵があった。
これが本来のリリナの姿なのか。
あるいは、これすらも偽りの姿なのか。
「あえて死地に飛び込んで、自らの限界を超えるってところかな? まぁやり方としては王道的だけどさぁ……幾らお兄ちゃんでも、多分死んじゃうよ?」
「ありえねーよ。俺が負けるわけねぇだろ」
「……マジでそう思ってるんだからなぁ。お兄ちゃんのその胆力には驚きを隠せないけど──そういうところ、気に入っちゃった」
頬を赤らめて、熱い吐息を吐き出すその姿は、少女とは思えないほど扇情的だ。
だがその程度の色気は今のいなほの興味すら引くことは出来ない。
「話がわかってるなら早ぇ。ムカつくが俺が今の俺を越えるにはこれが一番手っ取り早いんだよ」
トールの無傷の姿を見て思い出したのだ。
未だ己の力では届かない先に立つ者達の力。そこに行き着くために必要な己だけの武器・
「掴めてたんだ。なら、むしりとってでも手に入れてやる」
あの戦い。ミフネとの激戦の果てに手にした零秒。
己だけが手に入れた唯一無二の一撃をもう一度。
そのために必要な死地は、トールと同じ戦場に居ては手に入らないのだ。そのために必要な戦場を与えてくれるというならば、いなほにとって本望だった。
「死ぬよ?」
「死なねぇ」
根拠にすらならない確信がいなほを突き動かす。理由など要らなかった。手の届く先に己の強さがあるならば、身を滅ぼすリスクすらも飲み干して掴みとりにいくのがいなほという男だから。
「ならこれ以上は言わないよ……でも、露払いはしてあげる」
「あ?」
「ほら、行った行った」
どういうことだと問おうとしたいなほの胸を押し出すリリナ。その顔に浮かぶ鮮烈な笑顔に何を思ったのか。いなほは疑問を唾と共に飲み干すと、別れの言葉すら言わずに『暗球』目掛けて駆け出した。
その後姿を見送ったリリナは、いなほの姿が見えなくなっても楽しそうに笑いながら、おもむろに胸のペンダントをいじった。
次回、超越生命。
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