第三話【拘束青年とウザい妹】
四大王国の中でも特に広大な国土を誇るアードナイでは、未だ開拓されていない土地もあり、そんな土地を勝手に縄張りとして、近隣の村々を襲撃する冒険者崩れの賊や魔獣の集落が幾つも存在する。
そう言った類の相手は、開拓村の領主たる貴族や雇い入れた冒険者の手によって何度か討伐がなされているが、貴族自身はあまり自ら動くことはせず、雇うはずの冒険者も、いつの間にか賊の仲間になっていたり、さらには未開の土地に生息する魔獣による問題等。開拓地を巡る問題は、様々な要因によって解決と問題の発生がいたちごっことなっている。
だからといって賊や魔獣の討伐をしないわけにはいかず、アードナイの開拓は結果として一歩進んで一歩下がるの前進と後退を繰り返していた。
そしてそんな開拓されていく土地の一角。これまでその近隣を石で出来た砦を中心に、『鮮血女王』と名乗るB-ランクの女性型魔族、リーゼロッテ・エルレインが支配するこの土地は、貴族同士の利権争いと、彼女自身の策謀とその高い実力によって、長い間不可侵領域とされていた。
豊富な鉱山資源を有するその一帯は、現場の人間や冒険者によって何度も攻略が行われたが、終ぞ今までリーゼロッテ一味を排除出来てはいない。
そんな魔族の支配する領域に、二つの影が存在していた。ただでさえ危険な森だというのに、ヴァンパイアの本領が発揮される月夜を、その影は平然と歩いている。
一人は黒髪と黒目で、彫の浅い顔つきは大陸全土でも珍しい顔立ちをしているが、それでも別段美形でもなく、ましてや醜悪ではない。やや視線は集めるだろうが、直ぐに誰もが忘れてしまうようなそんな没個性的な青年だ。
だが青年の服装が、そんな没個性的な雰囲気を一変させていた。長旅のためかぼろぼろになっている茶色のロングコートの下、上半身と下半身は黒皮のベルトのような物が、服の代わりに青年の体に幾つも巻きついて、一部の隙もなく埋め尽くしている。さらに両腕と両足は、専門家が見れば目を疑う程の強力な封印の術式を刻み込まれた汚れのせいで黄ばんだ包帯に肩と股の付け根までを、体と同じく隙間なく巻かれている。その上に駄目押しとばかりに、ランクに換算してCランクにも届く、危険な封印魔法具の鎖が両腕両足に絡みついていた。
重犯罪を犯した人間ですらこのような措置をとらないだろう。最早拷問のような拘束具を纏った青年だが、しかし動きには支障はないようで、リーゼロッテの森を一歩一歩確かな足取りで進んでいる。
「えっと……」
その手には体を拘束する魔法具とは裏腹に、木を削っただけのシンプルな杖が握られており、杖の先端は障害物を探るように青年の前方の地面を探っている。
よく見れば、青年の瞳には光が灯っていなかった。完全な暗闇は、そのまま青年が盲目であることを示している。
全身を拘束された上に、眼すらも見えない。本来なら魔族が支配するこの場には似つかわしくない青年の隣、木々を注意深くかき分ける青年とは裏腹に、まるでピクニックに来ているかのように笑顔で唄を歌いながら歩く小さな少女が居た。
「ヘヘヘヘーイ! オオォゥイエェェェェイ! ウォォンェェェェ! ベェェェイベェェェ!」
訂正。それは唄と言うにはあまりにも汚らしく、リズムも何もあったものではない奇声の如きものだった。
だが少女はそんなことはお構いなしに、唄的な奇声を上げて青年の隣を行く。青年の見た目が没個性で、服装が個性的であるならば、少女は逆に見た目が個性的で、服装は没個性的であった。
森の緑と真っ向から反発するような真っ赤な髪は、左右に二つ、ツインテールに結われている。それだけでも目を惹くだろうが、燃えるような髪とは裏腹に、小動物のように瑞々しく丸々とした、太陽の如きオレンジ色をした大きな瞳と筋の通った綺麗な鼻と、髪の色よりは控え目な色の小さな唇。僅かに日に焼けた肌は少女特有の健康的な色合いをしており、全体的に重苦しい青年とは対照的に明るさの象徴のような愛くるしい少女であった。
その代わりというか、服装はそこらの村娘が着ていそうな茶色のローブであるのは、道行く者が見れば少々惜しいと感じたかもしれない。
それでも村娘のような服装をしていても、少女の可愛らしさは貧相なローブすら華やかに変えてしまうほどだった。
だがまぁ、可憐な声を濁声に変えて鼻唄にもならない奇声をあげている時点で、何かもう色々と駄目だろうが。
盲目の全身が拘束された青年と、その隣を歩く奇声を上げ続ける美少女。
傍から見なくても、人伝で聞いた上で珍妙過ぎると思われるだろう奇妙な二人組は、当然ながら魔族が支配する領域にはあまりにも不釣り合いだ。
しかし迷い込んでしまったと思われるだろうこの二人は、事実はとある噂を聞きつけて、自らこの場に現れたのであった。
「……今回も外れかぁ」
草木を杖で掻き分けて、器用に転ぶことなく歩く青年が疲れた溜息を漏らした。
そんな青年の様子に少女は見た目相応の無邪気な微笑みを浮かべる。例え顔を見ることは出来なくても、笑うことに意味があるのだと言わんばかりの眩しい笑顔は、盲目の青年の疲れた心にも届くだろう輝きがあった。
「そう落ち込まないでトールお兄ちゃん。何となくだけど近づいてる感じはするし、もうちょっとだって! 頑張ろうよぅ! ねっ!」
「だといいけど……でも、リリナ……さん、には本当に僕の用事に付き合わせてしまって申し訳ないというか……」
「気にすん──コホン。ううん。気にしないでお兄ちゃん。アタシ、トールお兄ちゃんのためなら例え地獄だろうがあの世だろうが三途の川だって付いてちゃうもん! でも空中要塞は勘弁ね!」
それと。そう言いながら少女は青年の前に回り込むと下から覗きこむように体を屈め、可愛らしく、あるいはわざとらしく人差し指を立てると青年の胸を指差した。
「アタシのことはリリナさんじゃなくてリリナちゃんって呼ぶこと。それと敬語は無しって言ったでしょ。全くもう、『塔』のアイドル、リリナ・ジュエルビー相手だから緊張するのはわかるけど、いつまでも緊張しっぱなしはプンプンだよお兄ちゃん!」
そう言って頬を膨らます少女、リリナに対して、青年、トールは何とも言えぬ微妙な表情を浮かべて頬を掻くと、今度は諦めの溜息を吐きだした。
「わかり……わかったよリリナ。これでいいんだろ?」
「うん! 百点満点だよお兄ちゃん!」
トールの言葉に機嫌を良くリリナは満面の笑みを浮かべると、再びトールの隣に回り込んでその腕に自分の両手を絡ませた。
腕に感じる柔らかな感触は、天使の衣よりも極上の柔らかさと温かさだ。さらにトールの鼻をリリナの甘い体臭がくすぐった。常人ならそれだけで卒倒しそうなリリナの絡みだが、しかしトールは特に表情を変えることなく、むしろわずらわしそうな表情を浮かべていた。
「っと……歩きにくいんだけど……」
「えー。アタシに抱きつかれて反応それだけなのお兄ちゃん。それって男として色々不味いよー……ハッ!? もしかしておっ勃たない病気なのお兄ちゃん!? リリナショックだよ! シオシオなお兄ちゃんなんて見てられない!」
「うっぜ……うわ、うっぜぇ、この人」
とうとう我慢の限界を超えたのか、本心が思わずトールの口から駄々漏れる。
そもそも。
そもそもの問題は、今腕に絡みついてる少女の気まぐれのせいだ。
トール自身、随分長いことリリナとは旅をしてきて、色々な我がままを聞いてはきたが、今回のこれはちょっと気持ち悪い。
だがまぁこれくらいでへこたれていては従者の役割など夢のまた夢。深く深く、そして長く息を吐きだしたトールは、とりあえず腕に絡んだリリナの手を優しく解くと、静かに後ろを振り向いた。
「ったくもう、大声出すから気付かれたじゃないか……」
「ほぇ?」
「知らんぷりは──あー。もう面倒だなクソ……敵が来る。下がっていてください」
トールは何が起きているのかまるでわからない『フリをしている』リリナを後ろに下がらせると、草木を砕いてこちらに迫ってくる何かを待ちかまえた。
「■■■■ッッッ!」
雄叫びをあげて現れたのは、野生のよりも装備が充実しているトロールナイトが三体だ。通常のそれと違って、魔法具の装備で固められたトロールナイトの戦闘力は、少なく見積もってもF-ランク相当。
そんな化け物が三体。普通なら勝ち目のない状況だが、さらに駄目押しとばかりに、トール達の上空から、翼のはためく音が幾つも響いた。
「おぉう。凄いよお兄ちゃん。蝙蝠が一杯だよぅ」
リリナが感嘆の声をあげるのも無理はない。夜空、月光に影を落とす幾つもの翼は、まるで月に咲いた華のよう。
吸血種族、ヴァンパイア。彼らはロードたるリーゼロッテを頂点に、血を吸われた人間によって構成されている。かつてはランク無しの人間であっても、B-ランクのリーゼロッテの眷族となった今、彼ら一人一人の能力は平均的な冒険者数人分、Gランク相当の能力を持っている。
そんな化け物が夜空一面にいた。領主たるリーゼロッテはいないが、それでも盲目の男と愛らしい少女を葬るには過分な戦力なのは確かだろう。
まさに絶望的な状況、しかし。
「きゃー! お兄ちゃん! リリナとっても怖いよぅ!」
「キモいから離れてくれませんかね?」
「キモっ!? アタシがキモい!?」
「うん、わりと本気で」
「マジかよ……」
そんな絶望的状況下にありながら、トールとリリナはまるで余裕の態度を崩してはいなかった。トールとしては出来ることなら穏便にこの場を抜け出したかったのだが。
ちらりと隣を見れば、自分の言葉に傷ついて膝をつくリリナの寂しげな背中。
「あぁもう……あなたはいつも争い事が好きですよね……!」
なら従者として、その期待には応えてみせよう。トールは左手を右腕にまとわりつく鎖にあてがうと、迸る虹色の魔力を鎖に注ぎ込んで、その効力からは考えられないくらいあっさりと、鎖の封印を解放した。
それに引っ張られる形で右腕の包帯も解けて、鎖と共に地面に落ちる。合わせて滂沱と溢れる虹色が収束して、燃えるような赤色へと変貌を遂げた。
「……獣と奴隷相手に戯れる趣味はない」
トールの剥き出しの右腕は指の先まで真っ赤に染まっていた。いや、よく見ればそれは肌に隙間なく刻み込まれた魔法陣。肌色がなくなるまで、腕の皮膚に余すことなく術式を刻み込んだ恐るべき魔装。
まずその異変を感じたのは、本能で動くトロールナイトであった。トールの右腕に束ねられていく魔力の激流とも言えるものを感じ取って、獣として、戦士として瞬時に悟る。
「だけど、襲われたからには相応の対応をさせてもらう」
──目の前の男は、自分達が束になろうとも決して敵う相手ではないのだと。
そしてトールの魔力が右腕の魔法陣を励起させた。最早魔法陣としての形も成していないその術式は、腕一本丸ごと全てが唯一つの魔法を使用する、ただそれだけの式である。
紅蓮の腕が魔力を貪り食らって赤熱の炎を吹き出す。あらゆる魔性を燃やし尽くさんとするその炎に当てられて、空を舞うヴァンパイアの群れがギーギーと悲鳴をあげて狂い舞った。驚くべきことに、その炎は決して草木を燃やしてはいない。燃やしたいものだけを燃やすとされる白銀の炎、それに近い性質をトールが今放っている炎は宿しているためだ。
その後ろで熱風に煽られながら、決して恐れることなくリリナは笑っている。その笑みは己の従者を絶対と信じているからこその余裕。その全幅の信頼を、目が見えなくても感じ取ったトールは小さく口を吊りあげると、底を見せぬ魔力をさらに右腕に叩きこんで空に掲げた。
「逃げようとか思うなよ? 盛大に燃やしつくしてやるからな!」
そして夜に太陽が生まれる。内に秘めた激情を吐きだすように、トールはヴァンパイアとトロールナイトの群れへと突貫するのであった。
そして、数分後。戦いは、一方的に完結をした。森には一切の危害を加えずに、黒焦げの死骸だけが幾つもトールとリリナの周りには転がっている。二人にはこれといって怪我をした様子はなく、ましてや疲労すらしていないようだった。
「お疲れ様お兄ちゃん。リリナとっても怖かったよぅ」
リリナがトールに労いの言葉をかけるが、本人は包帯と鎖を巻き直しながら、何とも言えぬ苦笑を浮かべるばかりだ。
「リリナが大声出さなければ怖い目もみなかったんですけどね……というか、いつまでそのキャラでいくつもりですか?」
「えー? キャラとかそういうのリリナちっちゃいからわかんなーい」
「あっそ。じゃあいいわ」
餅のように柔らかな頬に指を添えて子首を傾げるリリナに、最早何を言っても無駄と悟ったのだろう。トールはこれ以上の問答は諦めて、改めてリーゼロッテの森の出口へと歩いていく。
わざわざ大陸を再び渡ってきてまで訪れたというのに、見事空振りだ。リーゼロッテという偽名を使っていると推測したのだが、それはどうにも勘違い。
「やっぱり人伝の情報っていうのがあれだよなぁ……リリナ、さん──じゃなくてリリナ。もういい加減『塔』のほうから情報貰ったほうが手っ取り早いと思うんだけど」
「駄目。それじゃすぐ終わっちゃうでしょ?」
リリナはトールの提案を間髪いれずに却下した。だがトールに気落ちした様子はない。というのも、このやりとりももう何度繰り返したのかわからないくらい行ったのだから。
この二人はとある目的のために世界中をさすらっている。それこそ数年規模という話しではなく、長く長く、随分と長い間旅をしてきていた。
「でも、心配しないでお兄ちゃん」
森を抜けだしたその時、唐突にリリナはそんなことを呟いた。
「リリナ?」
「『これはあくまで直感だけど』、お兄ちゃんの目的は近い未来に果たされるよ。それで……ぬふふ」
少女は何を知っているというのか。遠くを見つめて妖しく微笑む姿を見ることは叶わないが、それでもリリナという少女がいやらしく笑っているという事実に、トールは嫌な予感を覚えずにはいられなかった。
「それで?」
だが聞かずに放置すればさらに面倒なことになると、経験上わかっているからこそトールはあえて聞く。
「悲しいけど、アタシ達の珍道中はもうすぐ終わりになるわ……うん。でもそれってとっても素敵なことの前触れで、出会いがあれば別れがあるのは必然でしょ? アタシとお兄ちゃんは暫くバイバイしちゃうけど、その代わりにトールお兄ちゃんはとても素敵な出会いをするわ」
それは直感で済ませることは出来ないくらい、具体的な未来予想だった。
リリナ・ジェイルビー。その幼い少女が見るものは何なのか。百戦錬磨たるトールですら背筋に冷たいものが流れる感覚を覚えるほどの嫌な空気。
だが少女はそんなトールに構わずに、夜の月を見上げてただ静かに微笑みを浮かべるばかりであった。
その翌日。トールが街に戻って手にした新聞の記事が、彼の運命を決定づけることになる。
そしてそれからさらに一か月後──
「お?」
「ん?」
寂れた村の門の前。出会うべくして出会った二人の男の会合はあまりにもあっけなさ過ぎて。
その様子を後ろから見ていた幼い少女は、嬉しそうに小さく吹き出したのであった。
次回、村の現状についてとか。