幕間【黒衣、進撃】
破壊の跡を見たことがあるだろうか。
完膚なきまでの破壊の跡である。
大地は抉れ。
家屋は焼かれ。
空は砕かれ。
兵士の死骸がそこらにへばりつき。
文明の亡骸が散乱している。
かつてサンキングダム王国と言われていた小国の敗北の跡地がそこには広がっていた。
事の顛末は簡単だ。
異世界から召喚された勇者、工藤ミツル。太陽の勇者として、大陸を脅かす悪鬼に挑んだ。だがエヘトロス帝国が支配者、始原英雄ローレライ・ブレイブアークの圧倒的な力を前に、仲間達と共に焦土へ溶け、死亡。
それでもまだ抵抗を諦めていなかったサンキングダム王国の王都へ、エヘトロス帝国は戦力を派遣。一気に殲滅を果たし、ここに小さな王国の小さな定刻が終わりを告げた。
たったそれだけの話。
だが、問題なのはそこではなかった。
「カッ! カカッ!」
死肉を貪る鴉のような笑い声を上げる、細身の女性が破壊の跡に立っていた。彼女が着ている煌びやかな黒のドレスは、背中の部分が大きく開き、健康的で、扇情的な白い肌を覗かしている。まるで舞踏会にでも出そうな衣装を身にまとった少女は、ドレスの黒よりも存在感を放つ、足首まで伸びている黒い髪を、業火の残り火に震わせて、舞踏会にいるようにその場でくるくる踊っていた。
まるで、ここで死した彼らを導く天使として、その魂を鎮める祈祷の如く踊っている。
などと。
そんなわけがあるまい。
それは、まさに悪魔だった。紫外線の影響など知らない白い肌は、乾いて張り付いたどす黒い血に染まっている。そして未だに誰かの鮮血を滴らせるその細く、柳のような腕の先には、苦悶の表情で悶死した、この国の王族の頭が三つ。お弁当箱のようにその手に持たれ、可憐な少女に振り回されている。
「弱ぁい弱い。君たち死んだ。頭をもぎもぎくたばった。頼りの剣も頼りの魔法も、みんなみぃんな意味なしで。君たち全員クソったれ。カカッ! カカカッ! 死んだぁ! 死んだぁ! 全員んんんん死んだぁ!」
リズムを取りながら、恐ろしい歌詞を口ずさむ。死地の中心で、生きている人間など存在しない場所で、一人生きている少女は、死霊を観客に踊り狂う。
狂気的なその光景は、あまりにも美しい光景でもあった。未だに業火が燃え上がっている世界で、熱に浮かされたように少女は踊る。狂ったように、踊って笑う。
「カカッ! カカカッ!」
その少女の目は、生き生きとしていた。喜びを歌い、この世の幸福に絶頂すら覚えていた。
あぁ、こんなにも世界は美しい。どんなにぶん殴っても、どんなにぶっ殺しても、どんなに蹂躙しようが潰そうがすり千切ってぼこぼこのぐちゃぐちゃに何もかも全部破壊の限りを尽くしてまだまだ足りないこの渇望を他の場所にぶつけたところで。
「全部、大丈夫だぁ! カカカカカカカッ! カッッッッカッカッカッカッ!」
少女は、掴んでいた三つの頭を地面に落とすと、その頭を躊躇なく踏み潰した。
「ッッッッッ! あ……はぁ……」
直後、頬を染めて僅かに体を震わせた少女は、体を弛緩させて恍惚とした溜息を漏らした。
状況が異常すぎる。そして、正気の事態ではなかった。
小国、そして勇者を失ったとはいえ、その最重要地点である王都。
そこが、ここにいるたった一人の少女によって先程殲滅されたという事実を、誰が信じよう。
「……ほぅ、これはまた随分とやりましたね」
欲情しきった少女の顔が、その声を聞いて途端に顰め面に変わる。業火の向こう側から、その声の主は、炎に燃えることなく、炎の海を抜けて少女の前に現れた。
黒いフードを被って、その顔が伺えない男だ。全体的な雰囲気は細く、それこそ少女よりも儚げで頼りない。吹けば飛ぶような、という言葉がよく似合うほど、弱弱しい雰囲気の男だった。
だが僅かに覗いた口元は笑みを浮かべており、男の不気味さを表している。弱そうでありながら、その男は決して容易く相対してはいけない相手であった。
「ネルブよぉ! テメェのそのうざってぇ声は、俺の頭の奥にざわつくから話しかけるなって言ったよなぁ?」
外見の可憐な雰囲気とは裏腹に、少女の口調はまるで山賊のように柄が悪くドスが効いていた。
男は、そんな声を出す少女の指摘に肩を竦めると「あぁ、それはすまない。だが生憎と、今動けるのは私しかいなくてね」そう返した。
少女は舌打ちをすると、血に汚れるのもかまわずその手で頭を乱雑に掻き毟った。
「んで? わっざわざ何しに来やがった? 自殺の手伝いだったら得意だから任せておきな」
「怖いね。だが私は愛しき女王が真の英雄となるまでは死ねぬのだ。もしも彼女が英雄となったとき、そのときは喜んで君の手に抱かれよう」
「相変わらず気持ち悪いなテメェ。安心しな。さっきのは冗談だ。頼まれたってテメェをぶっ殺すなんて気持ち悪いことはしねぇよ」
「それはそれは、残念だなぁ」
「けっ……それで? 俺ぁこれからローレライのクソに、いい獲物だけとってったことの文句言いに行くんだが……何だ? その前に殺しに来たか?」
呼吸同然に殺気を振りまく少女に、そんな意思はないと男、ネルブは演技をするように両手を挙げながら少女の傍に近づき。
「来るな。死ね」
その余波だけで周囲の業火を消し飛ばす一撃が、ネルブの顔面を破砕した。
突き出した拳は、ネルブを射程距離に収めたわけではない。それは空気圧を飛ばした一撃でしかなかった。無造作に放たれたそれだけで、炎熱は消し飛び、ついでに顔面も吹っ飛ぶ。
常識は何処にもない。そしてこの異常空間にいる以上、そこいる者が常識の枠内にいるはずがなかった。
「あぁ、怖い。危うく死ぬところだったじゃないか」
「チッ」
少女は、いつの間にか後ろに回りこんでいたネルブを睨みつけ、突き出した拳をやる気なく解いた。
吹き飛んだはずの顔面は、そんなことがなかったかのように現れたときと同じようにフードを被った状態で、傷一つもない。
「テメェの相手すると疲れる。用件だけいいな。面白い冗談だったら、ローレライぶっ殺しにいくのも少しだけ時間が延びるぜ?」
「四大王国の同盟は知ってるかい?」
「あ? なんだそりゃ?」
世俗のことなど興味はないのか。とはいえ、一応エヘトロス帝国に属する立場である。目下最大の敵である王国同盟のことを知らないというのは、本来あってはならないことではあるが。
この少女に関しては、それも仕方ないだろう。ネルブは、わかっていた答えに内心やや呆れながらも続けることにした。
「最近、そこで面白いことが起きていてねぇ」
「……へぇ」
少女の目つきが変わった。飢えた野獣のように殺気をにじませて、舌なめずりをしながらネルブの言葉を待つ。
ほら、食いついた。飼い主の喉すら食いちぎる狂犬だが、餌さえあればある程度のコントロールは可能である。
「どうやら、トロールキングを一人で倒した男がいるらしい」
「んだよ……その程度の奴なら少なくとも十はいねぇと暇つぶしにもならねぇよ」
だが、続いた言葉で少女のやる気は途端に失われた。尻尾でもあったらペタンと地面にへたれてでもいるだろう。
その反応も、予想通りだ。しかし、その次は、逃せまい。
「『生身』らしいよ。魔法も使わず、素手でトロールキングを倒したらしい」
そのまま背を向けて去ろうとした少女の肩がピクリと震えた。
背中越しに振り返る。ドレスを翻し、暗黒のような瞳を輝かせて。
「おいおい、そいつぁ……」
「名前はもう調べている」
「……カッ」
「早森いなほ、と言うらしい」
瞬間、頭を狂わせるような哄笑が、崩壊した死地に響き渡った。それは恐ろしい響きだった。あらゆる混沌を混ぜ合わせたような声だった。
「カカッ! カカカカカカカカッ! おいおい! マジかよ!? えぇ!? そいつはないぜ! カカカッ! もしかしてよぉ、もしかして当たりかぁ? ようやく来ましたってやつかよぉ?」
「あぁ、多分そうだろう」
「カッ!」
そうと決まれば話は早い。少女はその細腕を顔の前に掲げると、壮絶な笑みを浮かべながら握りこんだ。
堪え切れなかった激情が、少女の拳を通じて吐き出される。直後、直下に向けて振るわれた拳が、着弾と同時に、巨大なクレーターとひび割れを王都全域に発生させた。
そして、終わりを迎えた王都の跡地すら消え果る。広がった亀裂に、瓦礫となった家屋などが引きずり込まれ、次々に奈落の底に沈んでいった。
残ったのは、巨大なクレーターとひび割れの跡のみ。爆撃でも起きたような場所の中心、その惨劇を引き起こした──国家を一人で壊滅させた化け物が笑っている。
その周囲に人影はない。いつの間にか、ネルブはその場所からいなくなっていた。
だがそんな些細なことなど気にせずに少女は肩を震わして笑っている。楽しそうに、嬉しそうに。
「面白いなぁ」
だからこの世界は面白い。
「早森、いなほ」
恋慕する相手の名前を呼ぶように、可憐な唇から熱い吐息を吐き出しながら、少女は男の名前を呼ぶ。
「頼むぜぇ。今度こそ、当たりであってくれよぉ?」
エヘトロス帝国が食客にして、ローレライ・ブレイブアークすら手を焼く化け物が喉を鳴らす。
「今、会いに行くからね」
愛らしい笑顔と声色で囁きながら。
目指す先は遥か彼方。
ぎらつく殺意を瞳に宿して、黒衣の殺戮者が進撃する。
次回、旅立ちの少女勇者。
例のアレ
ネルブ
ローレライを狂信している変態。
黒衣の少女
スーパー貧乳。猫好き。犬は嫌い。巨乳も嫌い。