第四十三話【しゅーてぃんぐやんきー】
「くおらぁ!」
拳が振りぬかれる。乾坤一擲。サンタの射出の勢いも乗せたその拳は、斧を弾くのはおろか、呼吸する鉄で出来たその刀身に、僅かな皹を走らせた。
代償に左拳にも亀裂が走るが、ここを勝負どころと考えたいなほは、おそらく最後となる覚醒筋肉を開放して修復を強引に治した。
「ぎぃやぁ!」
励起した肉体が体を圧迫する痛みに苦悶しながら、全開のフルパワーが、オレンジ色の太陽が顕現する。
白熱する世界。停止した全て。残り戦闘時間は体感で五分。
その五分で、決着をつける。同じく遥か下で新たな魔法を展開したサンタは、魔砲の着弾による衝撃で体を揺さぶられながらも、いなほに負けじとさらに思考を加速させる。
今このとき、この瞬間。B-という規格外二人が、A-ランクという頂上に対して最強の牙を剥く。
行け、行け。俺たちを馬鹿にしたこの木偶に、今こそ無敵を見せ付けろ。
「『この時にこそ至れ』」
ハウリングの斧が左右からいなほを襲う。虚空にいる状態では回避は不可能。しかしそれは常人の常識であり、いなほは大気を踏みしめるという荒業にて迫る圧倒を回避。代償に右足が潰れようとするが、骨が砕け、肉が裂けるまでの僅かな時間。その間にハウリングとの距離を詰めることは出来る。
再び大気を蹴った右足が裂け始めるのにも関わらず、いなほは傷ついた右足を天高く振り上げた。
反応させる隙も与えない。発生する真空の刃すらも砕く、神速の踵落とし。いなほ得意の筋肉断頭台が、ハウリングの右手に激突した。
「『破壊の鉄槌。金剛の一撃』」
魂の踵落としは、ハウリングの右手の甲の中心にめり込んで、亀裂を発生させていく。
そして、ついに耐え切れなかった堅牢が、最強の肉体の前に敗北した。手のひらの機能が活動を停止させる。代わりにいなほの右足は骨と筋肉ごと持っていかれた。噴出す鮮血。ぐちゃぐちゃに折れ曲がった足。
それでも哄笑は止まらない。苦痛すらも前へと己を押し出していく。
その背中には、背中を押してくれる暖かい手のひらがあった。
だから、加速できる。
だから、白熱できる。
隣にいる少女とは違って、不器用に積み重なっていった信頼があるから。
お前が後ろに居る。
君が前に居る。
だから、信じられる。
「おぉぉぉぉぉぉぉぉ!」
動かない右足を置いていき、傷ついた右腕で砕けようとする手のひらを打った。ある程度力を緩和したために、まだ動く。代わりに捕捉されてしまい、ハウリングは冷酷に左腕の斧を、自身の腕もろとも潰す勢いで振り下ろした。
しかもそれが切り札だったのか。斧の背部から巨大な魔力ジェットエンジンが展開。そこから吐き出される魔力ブーストによって、斧は先の一閃を越える勢いで放たれた。
先程の一撃を布石にする。人形の癖にやるじゃねぇかといなほは笑った。しかしその程度、俺はもっと速いものを体験してきた。
握る。握る。強く、握る。腰溜めにされた右拳が、その握力に耐え切れずに手のひらから出血を開始。それにもかまわず全力に向けて拳を強く握っていく。
力は、限界まで溜めるからこそ力となる。脱力も何も要らない。この状況で必要なのは、拳という最強兵器に、どれだけの力と願いをたくせるか。
さぁ疾走しろ。無敵の弾丸。極限の我がまま。自慢の拳は、負けはしない。
「ぬるぁぁぁぁぁぁ!」
刀身を砕いていく拳が破裂した。辛うじて原型は留めているが、最強の一撃の代償として、最強の拳が散っていく。
「『神罰の一撃を虚空より、安易たる彼らの咎をひたすらに凍り焼く』」
残り、左足と左拳。残弾二つの極限状態。しかも斧を砕いた反動で、いなほは重力に引かれるがまま落ちていく。偽りの翼は捥がれて、焼かれた体は力なく──
「まだだ!」
それでも瞳は燃えていた。なけなしの魔力が、魂の火が轟き叫ぶ。
燃えていけ。蒸気を発する肉体。復元される最強。崩れた右腕と右足が元の奇跡の形へと戻った。
そんな、奇跡のような再生を、惜しげもなく破壊する。大気を砕いた右足がひしゃげて、繋がっているだけの肉の塊へと変貌。その結果、再度いなほはハウリングの元へと飛び出した。
超絶空中戦の第二回戦。全身の砲門を輝かせるハウリングに、男一匹握り拳。百万馬力を鼻で笑う強力が、百の破滅に飛び込む。
破壊の意思を込められた魔砲が覚醒した。鮮烈の並列。いなほの体を、逃げ道を、ありとあらゆる場所へと放たれたそれらは、当たれば自慢の肉体ですら削られ、今度こそ地に落ちる。
ゆえにいなほは魔砲の上を滑っていく。どういう理屈なのか。エネルギーの塊である魔砲を右拳で叩きつけ、その反発で加速。右手の拳が焼け焦げて、肩までの肉が切り裂かれる。
かまわずにいなほは拳を叩きつけた。体の損傷程度で、今のいなほが止まるわけがない。光線の上を転がり、弾け、逸らし、穿ちながら、砕けていく右拳と共に間合いを詰めていく。
「『大いなる者よ。大いなる英知よ。満たせ、溢れさせ、力を与えよ』」
それでも、いや、それゆえに、ハウリングの咆哮はいなほを寄せ付けない。際限なく放たれ続ける魔砲の光。網膜は焼けて、本当に視覚が繋がっているのかもわからない。
光だけが全てだった。紫色と白色。その二色の向こう側、おぼろげながら僅かにての届かないところにいるハウリングの気配を見る。
あと少しが遠い。拳とともに削れて行く意識。それでも繋がっているのは、負けん気と、絶対に勝てるという強い確信が背中を押すから。
だが、そんないなほの強靭な意志すらも、現実の光は削り取っていく。触覚は焼かれ、痛覚は失われ、味覚は燃え、嗅覚は焦げ、視覚は消えて、聴覚も。
「『罪人の額を焼け、罪人に印を記せ』」
あぁ、その声だけは、まだ聞こえてる。
「うるぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁあああああああああああ!!!!」
この魂の叫びと、お前の声だけは削れさせやしない。
いなほは目を見開いた。見えない世界で、見えない何かを拳に掴んだ。
この手に掴むもの。この手で掴むもの。きっと全部、全部がきっと。
己の血肉で、最強へと届いていく
「サンタぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
その叫びをサンタは聞いている。光の濁流に弄ばれながら、それでもいなほが呼んでいる。
叫んでいる。私の名前だ。ここに来て、君と出会ってから名乗りだした、君の中の私の名前だ。
サンタは僅かに寂しそうに微笑んで、しかしその感情もすぐに彼岸へと飛ばし、さらに魔力を放出した。
桃色の魔力が、空を埋め尽くす紫色すら侵食する。まるでいなほを包み込むように広がるその色は優しさ、抱擁。
慈愛の女神の温もりは、このとき、世界を凍らせる神罰の一撃へと変貌していく。
最大出力を常に放ち続けながら、サンタの顔に疲労はなかった。ぶれていく。その体がどんどん元のサンタからぶれていく。
天で戦い続けるいなほに、サンタは杖をそっと伸ばした。届かないけど、繋がっている。でも、この繋がりの代わりにぶれていく自分の体を見て、サンタはやはり寂しさに包まれた。
強く強く繋がっていくにつれ、遠く遠く離れていく。
だけど仕方ない。仕方ないから。
きっと、これで最後だけど。
「『咎を許さぬ断罪の光よ』」
見上げた先で、いなほは光の中を突き進む。ゆっくりと、少しずつ、でも確実に、前へ、前へ、進んでいく。
「『破滅の牙を持って』」
いなほは灼熱を行く。身を削られることすらも恐れずに、より苛烈を増していく光を砕け。
貫け。
突け穿て。
その向こう側。後少しでこの拳が届く先まで。
お前が背中を押してくれる。
「『今こそ柱となり、彼のものを凍り尽くせ』!
二人の魔力が混ざり合って、紫の光を消していく。灼熱のオレンジと、慈愛の桃色。そしてその中心で咆哮する史上最強の肉体が、今ここに、神話の世界へ突入していく。
さぁ、加速しろ。
さぁ、飛翔しろ。
届け。
届け。
届いて掴んで。
さぁ、叫べ。
「『神罰氷槍』!」
ハウリングを挟み込むように、その巨体すら包み込む魔法陣が現れる。手に持った杖が溶けて消え、魔法陣の中に魔力を限界まで吸い取ったそれが組み込まれた。
最早、ハウリングの迎撃は遅い。咄嗟にいなほではなく、体を挟み込む魔法陣をかき消そうとしたが、それよりも早く、サンタ・ラーコンが持つ最大最強の兵装が、最大の想いとともに解き放たれた。
「『三度凍える未知の黄昏─フィンブルヴェッド・ラグナロック─』!」
不壊の装甲を凍り貫く破滅の一撃。終末に送る予言の権化が、ハウリングの胸から背中までを一気に貫いて、無感動な白色の大地へ叩きつけた。
瞬間、世界が緑色に染まる。あらゆるものを凍りつかせる緑の氷は、巨大なドームの天井までその氷の柱を生み出した。
そして、サンタの体が崩れ落ちる。これ以上ない最強の一手、最早サンタに余力はなく、虚ろな目で顛末を見るしかない。
サンタの前で氷が砕け散る。キラキラと幻想的な光景が広がっていく中心。氷に貫かれ、凍りつくされたはずのハウリングは、体の中心に巨大な穴を開けながらも、未だに動いていた。
これがAランク用に製造されたゴーレムだ。伊達に神話を相手にしようと作られたわけではない。
たかが神罰を受けきれずに、神話は語れない。ぎこちなくなってはいるが、それでも瞳の輝きを強くするハウリングが、傷つき倒れるサンタへと近づいてく。
サンタは動けない。何もかも使い果たした今、もう指一本だって動かせる気がしない。
なら死ぬのか。地に落とされたハウリングの残った砲門が開く。半数は砕けたが、残りの半数もあればサンタを百回消し炭にしてもお釣りがくるだろう。
だけど恐怖はなかった。こんな小さな自分を消し飛ばそうとする光が放たれようとしているのに、サンタはハウリングを見るでもなく、そのさらに上を嬉しそうに見上げていた。
そして小さく、口を開き、遠くを見据える向こう側。
「いっけぇ……いなほ」
空から落ちる、流星があった。
「うぉおおおおおおおおおおおお!!!!」
オレンジ色の閃光をまとって、早森いなほが落ちていく。墜落ではない。人々の願いを託される流星のように落ちていく。
その輝きがあるから、サンタは怖くなんてなかった。闇のような紫色を引き裂くのは太陽の輝き。
託された願いが、いなほの拳を重く、硬くしていく。無事な左足で大気を蹴ってさらに加速。
残った左拳が焼けに熱い。
一撃だけだ。
一撃も、残っている。
思考が白くなっていく。だが、思考はこれまでのように自分だけのことだけではなかった。
願いが、いなほの拳を支えている。
これまで関わってきた仲間達の顔が次々に浮かんできた。それは仲間だけではなく、死闘を繰り広げた強敵達の姿もそこにはあった。
全てが早森いなほを構成している。決して一人なんかではない。この拳は一つだけど、積み重なった想いがこの一撃を強くしていく。
落ちていくいなほの視界を横切っていく、自分に託し、また自分が託してきた人の数。
それら全てが行けと言っていた。いなほの肩を押して、行け、進め、走っていけと託していく。
言葉にならない何かが背中を重くし、心を支え、拳を強く。
「必ッッッ殺ぅぅぅぅ!!!」
故に後は全てを叫べ。全員が託してきた。彼らが願ったその想いは。
「のぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!」
お前の拳が、最強だ。
線が走った。弾丸筋肉がハウリングの脳天に突き刺さり、音もなく股下から突き出ていく。
閃光のように乾いた一撃ながら、何よりも激烈な一撃だった。体を真っ赤に染めながら、砕けた両足で地面に踏ん張り、崩れ落ちるハウリングを背中にして、早森いなほは血染めの拳を天に掲げる。
「ヤンキーパンチ、ってな」
直後、背後で盛大な爆発が起きた。神話に潜む最強無敵の巨人が瓦解する。筋肉と魔法の二連撃が、最強の盾を砕いて散らす。
その爆風を一身に受けながらも、いなほは微動もせずに倒れたサンタのほうを見た。
サンタもまた、体をあぶる熱風すら意に返さずにいなほを見つめている。どちらもぼろぼろで、見るに耐えないくらい顔も薄汚れているけれど。
「カカッ」
「へへっ」
そんな傷だらけの姿が誇らしくて、いなほとサンタは互いの顔を見て笑いあった。
次回、お前は俺のもんだ。