第四十一話【その最強を天に掲げろ】
『ざわつく巨砲─ハウリング─』。
全長二十メートルのその巨体は、おそらくアースゼロ全域にあるゴーレムでも最大級の大きさを誇るだろう。
そして、その戦闘能力もゴーレムの中では最強に位置する。
外部装甲、および内部機関の全てが、魔力によって硬度を変え、そして自動で修復を可能とする『呼吸する鉄』と呼ばれるもので構成されている。
対Aランク用のゴーレムという名は伊達ではなく、少なくとも実験段階でのその強度においては、A-ランクに匹敵するほどの性能をはじき出していた。
だがそれに反するように、機動力についてはあまり高くはない。試験用という名目からか、安全性を重視されたハウリングには、戦闘行動に必要な、最低限の機動力と装備しか搭載されていなかった。
「くぅッ!?」
だがそんなことを知っていようがいまいがサンタには関係はない。人のように柔軟な動きをしながら、手に持った螺旋剣を振るうハウリングに対して、サンタは防御魔法陣を展開する無駄を悟って、暴風のような攻撃から必至に逃れていた。
サンタにとって運がよかったのは、装甲のみがAランク水準なだけであり、機動力、攻撃力、そして戦闘システムの水準が、Bランクを目安に設定されていたことだろう。
そしてサンタにとって不運だったのは、その装甲があまりにも硬すぎるということだった。
「このぉ! 『落雷』!」
攻撃の合間を縫って魔法を放つが、鉄すら溶かす炎は、触れた瞬間に散り散りとなり。家屋を瓦礫にする氷の散弾は、障害にすらならず。オーガすら絡めとる樹木は、巻きつく間もなく千切られ。
そして今放った落雷は、敵を貫くどころかその装甲に弾かれる。
どれも、言語魔法と魔法陣による重複を経て撃たれた魔法だった。オーガナイトであれば重傷を受けていてもおかしくない威力の数々は、本物の不壊の前には塵芥の如きでしかない。
試作、試験運用とはいえ、それはAランクを相手にするために、正確にはAランクに対する足止めを目的として作られたゴーレムだ。B-ランクとはいえ、渾身の威力のこもっていないサンタの魔法程度では足止めにすらなりはしない。
対してサンタは、一撃でも直撃を受ければそこで敗北してしまう。武人の技術を持つオーガナイトほどの技の冴えはなくとも、単純な質量と機械の馬力は、それだけで圧倒的な殺傷力を弾き出す。
サンタが生きているのは、これまでの戦いで得られた経験値によるものだ。不慣れであった近距離戦闘をこなしてきたからこそ繋いだ命。
だが、打つ手がない。大きさはそれだけで圧倒的な武器であり、このまま続けば、サンタの集中力は切れ、いずれその螺旋剣の餌食となるだろう。
機械と人の差。燃料の続く限り一定の能力を出せる機械と、心のあり方で性能が上下する人間。
そして今、サンタの気分は、本人に自覚がなくても最低ラインを漂っていた。
「まだ……!」
一種の恐慌状態からは脱したものの、動きにどこか精彩がない。いつもと同じように動いているようで、その実、心が沈んでいるのでは、その本来の実力の全てを発揮できるわけがなかった。
魔法には深い理解が必要不可欠で、その理解のために心が最も重要だ。
だから常よりも一撃が細い、一撃が薄い、一撃が弱すぎる。
どうして、という気持ちが駆け巡る。もっと強いはずだ。自分は、あの強い背中と同じ強さを持っているはずだ。
だったら、こんな相手なんてすぐにでも倒してみないといけない。
だったら、あんなでくの坊なんて鼻で笑わないといけない。
『黙れよ……!』
瞬間、脳裏に過ぎったのは、怒りに染まったいなほの顔だった。
「あ……」
その隙を突かれる。その巨体を揺るがして一歩踏み込む巨体。ドーム全体を揺るがしながら、それ以上の圧力を伴って、冷酷な殺気が白色を引き裂いてサンタへと襲い掛かる。
動けない。動けないんだ。その瞬間にサンタは気づいた。
自分はまた逃げたんだ。
また、あの背中から逃げたんだ。
いなほが自分を見捨てるという現実を直視したくなくて。
私は、あそこから逃げたんだ。
「……」
死の足音が聞こえてきた。心臓の音が馬鹿みたいに五月蝿く聞こえて、だというのに周りの音の全てが消えて、無音の静寂にいるような錯覚。
結局、惨めな最後を迎えた。
思えば、ここに来るまでの過程も、逃避の結果であった。
外に出たい。
束縛されない世界に行きたい。
一人の少女として、サンタ・ラーコンとして生きていたい。
ただ、現状をどうにかする気にもなれないから外に出た。その事実からは目を背けて。
本当は、こんな依頼をこなすつもりなんてなかったんだ。本当は、少し時間がたったらシェリダンから逃げ出そうと、そんなことを思っていた。
──だけど、出会ったのだ。強くて、立ち向かうことを恐れない大きな人の背中に出会って。
依頼という建前を通して、その背中が羨ましくなって。
隣に立ちたくなって。
そんな人に憧れたから。今の、『偽りの自分』のままでは、隣に立てないって思ったから。
だから、だからこの滅茶苦茶な依頼を終わらせて、ありのままの自分で会おうと。
そういうつもりではなかったのか?
「馬鹿だなぁ……」
停止した世界で自嘲する。
決意があって、思いがあって、そのためにこの依頼に意味をもったというのに。
だというのに、その願いから逃げるために、また逃げ出した場所に逃げ込もうというのだから。
そんな気持ちで、逃げ切れるはずがなかったのだ。
死は近い。その瀬戸際で、ようやく自分の愚かさに気づいた少女は目を閉じる。逃げ続けるだけだった人生。意味のなかった全てに決着をつける無機質な殺意は──
「サンタぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
魂からの叫び声によって、吹き飛ばされた。
轟音が炸裂する。咆哮と激烈は同時、少女の命を散らすはずだった螺旋の剣は、振り落とされた拳の苛烈によって白い床へとめり込んだ。
「えっ?」
そっと瞼を開いたサンタは、我が目を疑った。
「ったくよぉ。先におっぱじめるなんて我慢のならねぇ奴だぜテメェは」
背中越しに、振り返りもせずに悪態をつく背中。体中に刻まれた生々しい傷から溢れる鮮血、特に右拳はおびただしい量の血を流し、指は幾つか曲がってはならぬ方向に曲がっている。
全身がぼろぼろだった。傷だらけのその体は、押せばすぐにでも倒れそうだというのに、どんなことが起きても、その背中は決して倒れることはないと吼えているようだった。
「あ、あぁ……」
サンタは杖を取りこぼして、両手で口を覆い、あふれ出そうな嗚咽を堪えた。それでも、その瞳からは次々に、勢いを増して涙をあふれ出していく。
幻ではない。こんなに強くて頼りになる背中が幻なんかのはずがない。
来てくれたんだ。追いかけてくれたんだ。あんな別れ方をして、それでも君は、そんなにぼろぼろになっても来てくれたんだ。
言いたいことは沢山あった。でも伝えたい気持ちは一つしかなかった。それらを全部しまいこんで、無謀に挑んだ愚かな自分を、君はその大きな拳で助けてくれたんだ。
嬉しい。
ごめん。
ありがとう。
ごめん。
でも、嬉しいな。
結局、喜びが勝った現金な自分を嘆くよりも、その奇跡に感謝して。今は、今は君を、君の名前を呼びたくて。
「……危険。危険度上昇。」
一方ハウリングは、突如現れた男に対しての警戒からか、雑音のような音を漏らしながらその紫色の瞳を何度も点滅させている。
観客は、普通の少女と巨大な人形。二つの視線に晒された男は、ニッと口元を弧に描く。
「さて……積もる話は色々あるが」
唯一無傷の、このときのためだけに温存しておいた自慢の左拳を握りこむ。
その拳を見てきた。その拳に追いつきたいと思ったから。
だから少女は万感の思いを叫んだ。
「いなほぉ……!」
声に答えるように、拳は遠く、天高く。
空に掲げる最強無敵。
「行くぜ。こっから全部、俺のもんだ」
早森いなほが、ここに居る。
次回、勇者ロボ。