第三十九話【プロジェクト・レギオン】
その選択が最悪なことはわかっている。
それでももう、これ以上誰かが傷つくのを見ていたくなかったのだ。
「……うん」
墓穴の向こう側、第一階層。そのマッピングをしながら、サンタは一歩一歩慎重に歩を進めていた。
あの日、いなほから罵声を受けたことは確かに衝撃的で、泣いてばかりになったけれど、それ以上に辛かったのは、いなほが崩れ落ちたということだった。
大丈夫だと、絶対に倒れないと信じていたあの背中が沈んだとき、サンタは我武者羅に前に出ていた。
その後のことは、色々とショックが重なりすぎて記憶が曖昧だ。だが、曖昧ながらもわかっていることが一つある。
これ以上は、誰かが死ぬ。
その思いがサンタにこんな決断をさせたのだ。黄金の鍵がなければここに来ることは出来ないし、自分が死ぬか、自分で目的を達することが出来れば、ここに挑むことはなくなるのではないか。そんな、浅はかな考えでサンタはここに入っていった。
もしも普段のままのサンタならば、そんな馬鹿げた選択はしなかっただろう。いなほなら目的などなくてもここに挑むというのは、少し考えればわかるはずだ。
思いのほか、あの時いなほに言われた言葉がサンタには強く響いたのだろう。
故の逃避。
故の選択。
サンタ・ラーコンは少女で、その結果がこの無謀だった。
「……ハァ!」
通路の先から迫るトロールナイトの群れを、近づかれる前に魔法で燃やし尽くす。一階ということもあり、まだランクが低い魔獣ばかりだが、それでも一人から来る重圧は、サンタの心をすり減らしていった。
一人ということが辛い。闇のような暗い通路が、いつもなら真っ直ぐに進めたのに、今は吸い込まれるような浮遊感のせいで上手く歩けない。
こんなので、どうするんだ。サンタは自分の心を叱咤して前を向く。
これでは駄目だ。ここでへこたれては、ここまで来た意味がない。
何のために一人で来たのか。
これ以上、犠牲を出したくないからではないのか?
「行こう」
だからサンタは行く。あえて胸を張って、自分は大丈夫なんだぞと訴えるように堂々と。
「……結局、渡しそびれちゃったな」
サンタは四次元マントにしまった封筒を取り出して、寂しげに微笑んだ。何度も何度もやり直して、ようやくこれならと思えた一枚。
それも未練なのか、サンタは腫れ物に触るような手つきで封筒を撫で、未練を振り払うようにそれを破り捨てようとした。
瞬間、サンタの体が浮遊感に包まれる。
「あ……」
落ちる。落下する自分に気づいたときには最早遅く、開いた穴は一気に塞がって、暗闇に支配された世界で、久しぶりに得られた獲物に反応して、遥か下方まで魔法陣が展開された。
その術式をサンタは瞬時に悟る。物理的な攻勢術式。放たれる分厚い槍に串刺しとされる未来を思い描いたサンタは、咄嗟に封筒をしまいこむと、意識を加速させて対応を考えた。
どうやら、起動順は運がいいことに落とし穴の入り口から順。ならば、遥か下方に見える小さな光に向けて一気に突き抜ける!
「『射出』!」
言語に乗った魔力がサンタの体を下に向かって放つ。加速によってかかる圧力にサンタは顔を苦悶にゆがめるが、強化魔法も並列して行うことでダメージを軽減。
背後、正確には上からどんどん巨大な槍が勢いよく展開されて、サンタを噛み千切らんとどんどん迫ってくる。
「『射出』!」
サンタはさらに自身を弾いて加速させる。最早目を開けるのすら困難な風圧の中、徐々に近づく光を見据えて、さらなる魔法陣を展開。
タイミングは一瞬。緩衝材たる魔法陣を着地点に置いて、衝撃を中和する!
「あぐぅ……!?」
防御用の魔法陣が体を柔らかく受け止めるが、それでも反動によってサンタは苦悶の悲鳴をあげた。
それでも、辛うじて怪我はなかった。僅かに朦朧とする意識を繋げながら、サンタは自分が落ちてきた穴を見ようとして、それはすでに閉じられ、何処から落ちてきたのかはわからなくなっていた。
自分は、一体何処まで落ちてきたのだろう。射出の魔法を使って随分と下にまで落ちたような気がする。そこでようやく、サンタは自分が置かれた状況に気づいた。
「っ……ここは?」
これまでの墓穴とはまるで違う異様な光景だった。鉄で出来た通路、サンタは知らないが、至るところに科学的な装置や計器が無数に組み込まれ、それは今もなお静かに起動をしている。
無数に這い回っているチューブを、サンタは恐る恐る触った。これまで見たこともないような材質で出来たそれの内側から、信じられないほどの量の魔力が流れているのを知覚する。
そこは、科学と魔法が入り乱れた禁断の場所だった。通路の一角のモニターが、サンタにはわからない文字を出力する。
『戦闘サンプル投入』と書かれたその文字を読めなかったのは、最大の不幸だっただろう。どこか別の世界にでも紛れ込んだような錯覚を覚えながらも、情報を整理するために、サンタはしばらくの間、可能な限り足元に注意しながら辺りを調べてみた。
全部が全部、自分の常識にはないものだ。見たこともない魔法具、見たこともない文字、あらゆるものが見たことも聞いたこともない。
それでもわかったことはある。ここは、この通路は、正確には檻のようなものであるということだ。慎重に歩いてみたが、一方には赤く光る扉があり、その逆に進んでみたが、突き当たりには壁しか存在しなかった。
一体ここはなんなのか。自身の全身を容易に映す鏡の前に立って、その冷たい感触を確かめる。壊してみようとも思ったが、これが何なのかわからない以上、不用意な破壊行為は危険だろう。
なら、突き進むしかない。電気の明かりが照らし出す通路の奥、赤く点滅を繰り返す扉に向かってサンタは魔力と魔法陣を展開しながら歩き出した。
「システム起動。魔力係数。規定値オーバー。サンプル対象の推定値、最大ランク。装備選択、試作型型がたがたがたがたたたたたたたたたたた」
直後、不気味に通路に響き渡る音声を、最後まで聞き取ることは出来なかった。それでも、不穏な空気だけは感じ取ったのだろう。サンタの顔を疲労からではない嫌な汗が伝う。
「こんな場所が……」
本当にここは、先ほどまで自分が立ち向かっていた墓穴の向こう側なのだろうか? 焦燥感と共に、しかし前に進もうという愚かな考えばかりが体を支配する。
でないと、いつでも真っ直ぐ進んでいた人に、きっといつまでも届かないから。
だから、そう自分に言い訳をして、這い登ってくる恐怖から目を背けたサンタは、自動で開いた扉の向こうに、誘われるがまま進んでいき、思考を停止させた。
「っ……あ」
言葉は出なかった。迷宮の中にあるとは思えないほど真っ白な巨大ドームがサンタの目の前に広がっていた。目も眩むような光、一キロもありそうなドームに、たった一人立つサンタはあまりにも矮小で、そんな部屋の一番奥に目を向けたサンタは驚愕に目を開いた。
いつからそこにいたのか。あるいは『ずっとここにいたのか』。
それは、類まれな魔力を持つサンタだからこそ気づいたようなものであった。例えば、魔法に疎いいなほであればそれをただのオブジェにしか捉えられなかっただろう。
だから、震えた。本能が震えて、全てが真っ白に染まってしまった。脈動する圧倒的な魔力量に、全てを飲み込まれた。
「あ、う、ぁ……」
言葉が出ない。出るはずもない。出るのは言葉にもならぬうめき声で、サンタの前にいるそれは、あまりにも異常な異常であった。
白い壁に縫い付けられているかのような体は、今はこの世界では失われてしまった『呼吸する鉄』と呼ばれるもので作られた最強最硬の肉体。そんな希少金属が、全長二十メートルにも及ぶその全身に惜しげもなく使われている。
柱のように太い両手両足には、サンタも知らぬ未知の術式が刻み込まれ、それらに紫色の魔力が流れ、血管のように鳴動している。
それは人間では、いや、そもそも生物ですらなかった。B+迷宮、墓穴の向こう側の真の姿。『実験場の兵器』。
巨人の瞳が紫色の輝きを灯す。いつ振りになるかわからない獲物の存在に歓喜して、壁にくくられた体をゆっくりと動かし、その傍に立てかけられていた、巨人の体に劣らぬ螺旋状の刀身が二つからまっているような赤い剣を手に持って立ち上がる。
「知、らない……こんな化け物……知らないよ。お父様……」
サンタは、うわごとのように知らないと呟きながら後ろに下がった。
こんな、こんな化け物は『事前の情報にはなかった』。
だがそんなサンタの困惑は置き去りにして巨人は動き始める。墓穴の向こう側の最深部に潜むボスを越えた先に、それはいる。
B+、否。
その化け物は、神話に潜む最悪の巨神兵。
「サンプル捕捉。対象、推定Bランク。試験レベル最大。『崩れ落ちる心臓─ハートレス─』駆動」
誰も知らない。墓穴の向こう側が、かつてとある力の試験場となっていたことを。
無限に及ぶ闘争を繰り返させることで、そこで培われるエネルギーを抽出。群れを成させる永久駆動の力を作り出す実験の、初期試験運用のための場であったことを。
シェリダンが生まれる遥か昔に行われていた、魂を隷属させ、無限の力を得ることを目的としたプロジェクト・レギオン。その最初期段階で、失敗作と打ち捨てられたそれこそ──
敵性存在が一体。『単騎郡体』が誇る最終決戦兵器の出来損ない。
「『ざわつく巨砲─ハウリング─』。戦闘試験を開始します」
試作型『対Aランク用』巨大ゴーレムが、起動する。
次回、ヤンキー流迷宮突破術。
例のアレ
プロジェクト・レギオン
群れなす心臓と呼ばれる永久機関を作る計画。
墓穴の向こう側は、その初期計画段階の実験場であったが破棄。その後、とある魔法使いによってダンジョンとして変貌した。