第三十八話【頭】
状況はいなほが考える以上に危険なところまで行っていた。
血色の棺桶をクリアしたことで得られる報酬、黄金の鍵と四つの槍に再び分かれた心身合刀『武空戦』。このうち、武空戦については火蜥蜴の爪先が厳重に保管しているものの、黄金の鍵については依頼主であるサンタのところに預けていた。
一応、ギルド本部内であり、魔力枯渇と負傷があったとはいえ、B-ランクであるサンタが持っているほうが安全だとカッツァが判断したのだが、それが悪い方向に流れた結果である。
「すまない。俺の責任だ」
まずはそう一言謝罪したカッツァに対して言いたいことがなかったわけではないが、それよりも今は消えたサンタと黄金の鍵についてである。
「十中八九、不思議ちゃんは墓穴の向こう側へ突入したと思われる。先ほど、依頼斡旋所内にある墓穴への入り口に、彼女が行くのを見たという証言が幾つも得られた」
そして、それは今から二時間ほど前の話だ。いなほとカッツァが話し合っている最中に、サンタは独断で墓穴の向こう側へと行ったことになる。
「状況は厳しいとしか言いようがないね。黄金の鍵はサンタちゃんに預けた一つしか俺達にはない」
「だったら」
いなほは怒りをぶつけるように手のひらを握りこんだ。
「その門をぶち壊して先に進む」
今にもそうしそうないなほの肩をカッツァは押さえつけた。
「それは止めてほしい。仮にそれが上手くいったとしてだ。あの門は選ばれた者のみを通すための門であると同時に、中に蔓延る危険な魔獣が外に出ないように封じ込めている障壁の役割も持っているんだ。もしあれが壊れてみろ。血色の棺桶の周りに溢れた魔獣よりもさらに凶暴な奴らが蔓延ることになるよ」
「だったらどうしろっていうんだ!」
いなほはカッツァの手を振りほどいて激昂した。こうしている今も、サンタは一人でB+ランク迷宮、墓穴の向こう側に突入しているのだ。
カッツァは、「だからこそ冷静になれ」といなほを諫めた。何も、焦っているのはいなほだけではない。彼も、そしてバンだって、この状況に焦りを覚えていた。
「こういうときこそ焦りは禁物だ」
「ッ……クソ!」
いなほは吐き捨てるように叫ぶと、瞼を閉じて深呼吸をした。
落ち着け、そう、落ち着くことが大切だ。
「……で、どうすりゃいい?」
表面上だけではあるが落ち着きを取り戻したいなほ。
カッツァはその顔を見て頷きを一つ返した。
「過去の資料を見る限り、血色の棺桶の攻略後、半年以上はボス部屋の敵は現れなくなったらしい。なので、今すぐに駆けつけるなら色男君の言うとおり、扉をぶち壊すのが最善だが……それは最終手段にすらならない。今後のシェリダンが、高ランク魔獣の徘徊する場所となり、いずれは近隣の町や村にも被害を及ぼすことになる」
ならばどうするか。カッツァは意を決すると、静かに切り出した。
「竜の息吹に残された黄金の鍵を貸してもらうしかない」
「なら、さっさと貰いにいくぞ」
話は済んだとばかりにいなほはギルドを出て行こうとするが、そんないなほをカッツァは肩に手を置いて引き止める。
いなほは何か言いたそうに振り返った。だがカッツァの問答無用な眼差しに見つめられ、ため息を一つ。再びもとの場所に戻った。
「おそらく、貸してください。はいそうですか、で、済む話ではない。何かしらの交換材料が必要になるはずだ」
黄金の鍵を使う者はいないが、黄金の鍵の希少さはここにいるものならば誰にだってわかる。
だから、それを借りるだけであっても相応の対価がいるのだ。いなほは考えるのが難しいのか、頭を掻いて顔をしかめるだけだ。
カッツァは、覚悟を決めた。
「棺桶クリアのときに貰った報酬。あの四つの槍を差し出す」
そのことにざわついたのはいなほとバンではなく、彼らの周りにいた火蜥蜴の爪先のメンバーだった。
使い辛さはあるが、しかし既存の武装に比べて遥かに鋭利で鋭く、しかも切り札たる巨大な槍への変化機能もある。
ランクにしてB-ランクもある貴重な武器を、黄金の鍵を借りるためだけに差し出すということに、メンバーは不満を隠せずにいながらも、誰もが口を噤んだ。
「すまない」
カッツァが彼らに頭を下げると、それだけでメンバーの顔に笑顔が戻ってきた。口々に「仕方ない」「マスターのことだからどうせこんなオチだとは思っていた」「今度何かおごってくださいよー」などという声が所々から上がる。
火蜥蜴の爪先が久しぶりに手に入れたレアアイテムではあるが、あくまでも所有者はいなほ達にある。ならばそれをどう使おうが、それは所有者の権利というものであろう。
「ありがとう、皆」
それでもカッツァは感謝の言葉を送った。
もちろん、カッツァだからこそ許されることなのだろう。彼だから信頼できる。仕方ないと思える。
その信頼を見て、いなほはカッツァがどうしてギルドマスターをしているのか、ようやくわかったような気がした。
「それじゃ、早速アレを持って竜の息吹のギルド本部に行くとしよう」
時間の猶予はあまりにも少ない。
シェリダン最大のギルド、竜の息吹目指して、いなほ達は足を運ぶことびした。
─
竜の息吹。B-ランクギルドとして、シェリダン内で最も規模の大きなギルドである。
このシェリダンに夢を持って来た若者達が挫折した後、それでも夢を追いかけるためにここに入るというのがほとんどの新参者の行くべき道だ。中にはバンのような隙間産業的な感じで小規模ギルドでこつこつと頑張るところもいるが、それはあくまで例外である。
強い者の庇護に入る。あるいは同族同士で傷を舐めあう。竜の息吹というギルドは、そういう意味で今もなお加速度的に人数を増やしているギルドだ。
来るものは拒まずの姿勢である竜の息吹は、驚くことにシェリダン内における冒険者の半数の数を保有している。
そのほとんどは現実に打ちのめされた冒険者がほとんどだが、そのトップに君臨する者達は毛並みが違う。
竜の息吹内における精鋭チーム。竜の吐息。カッツァクラスのメンバー五人で構成されたこの面子は、いなほが来るまでは血色の棺桶に最も近いチームとして注目されていた。
「で、そのうちの一人が槍使いだから、多分交渉は上手くいくはず。だと思う」
「随分と微妙な言い方だな」
「まぁね。だってポッと出の俺達が血色の棺桶を攻略したわけだろ? 根に持つとまではいかないけど、思うところは随分あると思うんだよねぇ」
現在、いなほとカッツァの二人は竜の息吹のギルド本部前に来ていた。
周りのダンジョンと比べてもなお巨大なビルの如き建築物。しかもこれは本部なだけで、シェリダン内外に支部がまだ幾つもあるのだから驚きだ。
入り口の門の前には、門番らしき冒険者が二人、門を挟むようにして立っている。
どちらも直立不動、というわけではなく、冒険者らしく、装備もばらばらで足踏みしたり欠伸したりと、名目上門番としていますよ、というところでしかないのだろう。
「御託はいい。ちゃっちゃと話つけて墓穴に突っ込むぞ」
そういなほは言うと、今度こそ制止も聞かずに門のほうへずかずかと進んでいった。
「待て」
「何の用だ?」
当然、門番が武器に手をかけながらいなほに詰め寄ってくる。しかしいなほはそんな二人のことなど意に介さずに門の前に立った。
「開けろ。火蜥蜴の爪先……いや、早森いなほだ。ここで一番偉い奴と話つけに来た」
門を壊す。まではしない。一応、交渉ということがわかっているのだろう。それでも怒気を噴出して話しかけてくるいなほの圧力に怯え、門番達は言葉なく頷くと、慌てて門の奥に逃げていった。
その様子を後ろから見ていたカッツァが、呆れた様子で話しかけてくる。
「乱暴は止めておこうよ」
「これでも堪えたほうだぜ?」
そう得意げに言ういなほに呆れて何も言えない。だが、その強引さを見習う部分もあるのは事実だ。
「こ、こちらに来てください」
暫くすると門が開いて、先ほどの門番が迎え入れてきた。堂々と歩を進めるいなほに追従するようにカッツァも付いていく。
竜の息吹のギルド本部は、まさに外見通り高層ビルの受付のようだった。広い玄関口は、上に続く螺旋状の階段が左右に二つ。その間に受付が一つ。
いなほ達は受付に行くことなく、門番の背についていき螺旋の階段を登っていった。
高層ビルと違うのは、エレベーターがないということか。そのため、最上階まで登るのに随分と時間がかかった。その時間がいなほにはじれったい。逸る気持ちとは裏腹に、時間は無常にも流れるばかりだ。
だがここで焦ればさらに時間がかかるだけだ。いなほは奥歯をかみ締めてぐっと堪え歩き続け、ようやく最上階にある会議室の扉の前にたどり着いた。
「……では、俺はこれで」
門番はそういい残すと足早にその場を後にした。いなほの押さえ切れない怒気に怯えての行動だが、謝る気はさらさらない。
そして無遠慮にいなほが扉を開くと、その向こうの広い会議室に二人の男女が待ち構えていた。
奥の席に座る女性と、その隣に立つ男性。まるで貴族とその従者のような立ち位置だ。
男性は鎧も着込み、剣に片手をかけて、いつでも戦闘に入れるようにしている。一方女性のほうは、机に肘を付いて手を組み、ふてぶてしいとも取れる態度でいなほを見据えた。
「穏やかではないね」
女性はあまり好意的ではない一言を呟いた。手を解いて椅子に背中を預けたその顔には、手で見えなかったが額から鼻筋を通って顎まで走る大きな切り傷があった。それでもなお魅力をふんだんに振りまく、十分に美しい顔を僅かに笑みに変えて、いなほとカッツァを睨む。
「悪いが、穏やかでいられる状況じゃねぇんだよ」
自己紹介も抜きにいなほはそう吐き捨て、カッツァが持ってきた武空戦を奪いように引っつかみ、机の上に置いた。
布から開放された四本の槍が机に転がる。遠目から見てもわかるほど恐るべき武器を見て、どういうことだとばかりに女は首をかしげた。
「頼む。これと、お前らのところが持っているっていう、墓穴を開く黄金の鍵を交換してくれ」
「……へぇ」
女はいなほの考えを覗き込むように目を細くした。それを真っ向から見返す。裏表も何もない、澄んだ瞳を見て、女は何故か拍子抜けとばかりに肩を竦め、隣にいるカッツァに視線を移した。
「どういうことだいカッツァ?」
「どうもこうも……姐さん。仲間がヤバイんだ。墓穴に一人でつっこんでいっちまってさ」
「墓穴にねぇ……血色の棺桶に挑んでるってのは聞いてたが、まさか棺桶まで攻略したとは……で? 自分の実力を過信したアホが勝手に突っ込んでいったって話かい?」
「それは……」
「そいつは違ぇ!」
カッツァがいうよりも早く、いなほが声を荒げて女性に詰め寄った。そんないなほとの間に男が立とうとするが、女性は男を片手で制した。
そして、女性の前にいなほは立つ。怒りに目を染めて、拳を震わせ、今にも殴りかかりそうになったところで──
『ごめんね……ごめんね、いなほ』
ふと、ぼろぼろのサンタの顔が脳裏をよぎった。
「ッッ……!」
「どうした? その手で、私を殴るのか?」
「おい、いなほ!」
カッツァが慌てて制止に入ろうとした直後、いなほは突如その場に膝を着いた。
「頼む。あいつを、助けてやりてぇんだ」
おそらく、頭を下げる以上に初めてのことだっただろう。生まれて初めていなほは誰かに土下座をした。それも、今初めて会ったような人間にだ。
それほどに必至だった。床に沈んだ表情は見ることは出来ないが、思いは何よりも伝わる。
女はいなほの小さくなった体を見て、呆れたようにため息を吐き出して「クロウ」と隣の男に声をかけた。
「はい」
「鍵持ってきて頂戴」
「ッ!」
いなほの顔が跳ね上がる。女は苦笑すると「聞いていたよりもいい子じゃない。あなた」そう言って、煙草を取り出して吸い出した。
「いつまでも頭下げてなくていいわよ。正直ね、あなたの頭一つだけでも、鍵を渡す気に誰だってなるわよ」
「じゃ、じゃぁこいつは」
「あ、それはそれでいただいておくわ」
毎度―。と華やかに笑いかけてくる女の笑顔を見て、カッツァが涙を流して男泣きした。
一方、自分を置いて動く状況に困惑しながらも立ち上がったいなほに、女は右手を差し出した。
「アングラム・カリオストロよ。商談成立でよろしいかな?」
「……早森いなほだ。助かった。ありがてぇ」
その手を握り返したいなほは、直後にクロウが持ってきた黄金の鍵を大切に手に取った。
巨大な錠前を外すような巨大な鍵だ。いなほの手のひらでも包み込めないその鍵を握り締め、いなほは挨拶も早々にその場を後にする。
「おい、色男君! 待ってくれってば!」
いなほの背中を追って部屋を後にするカッツァ。残されたアングラムとクロウは、静まり返った室内で、嵐のように過ぎ去ったいなほの背中を思い返す。
「うーん……彼、火蜥蜴に置いておくには惜しい男ね」
「勧誘しますか?」
無表情で応えるクロウの返事を、鼻を鳴らして一笑する。
「よしときなさいな。あぁいう男は一つ所に置くなんて不可能だから。にしても、箱入り娘っていうのは奔放な男に惹かれるのが常なのかねぇ」
「……悪い趣味ですよ。人のことを勝手に覗き込むのは」
クロウが疲れたように目を細めてアングラムに注意するが、そんな言葉などどこ吹く風と、アングラムは虚空に魔法陣を展開。
魔法陣から浮かび上がるのは階段を駆け下りていくいなほの姿だ。
「さて、面白いのはここからね。愛国心なんてクソほどもないが、こういうシチュエーションなら協力するのは大歓迎よ……さらに言えば、彼に協力するのは『最初から決まっていた』ことだから」
魔女の瞳が見つめる先は果たして何処にあるのか。依頼斡旋所に向けて走っていくいなほの姿を見る瞳には、隠しきれぬ喜びが混じっていた。
「ねぇ、レコード様」
その体がぶれる。美しき女戦士の表情の裏側、瞳の奥に宿るのは陰鬱な輝き。
「そう、これでいい。もっと、もっと、可能性を高めていけ、我が愛しきゼロ地平」
いずれ我が運命の輪からすら超えていくために。
未だ、不倒不屈はその手のひらの上でもがくのみ。
次回、敵性存在の置き土産。
例のアレ
アングラム・カリオストロ
竜の息吹の実質的なトップ。未来を予知できるとも言われている女傑だが、その経歴については一切が不明。その瞳の奥に、陰鬱な男の影を見たという証言が出ているが、その真偽もわかっていない。