第三十七話【曖昧ヤンキー】
最低最悪な気分だった。ここまで最悪になったのは、これまでの人生で初めてだっていうくらい最悪すぎて、いなほはひたすらに酒を頼んでは一気に流し込み、そんな気持ちを紛らわせようとした。
シェリダンにある大衆向けの酒場の隅、言語に出来ぬ気配を滲み出すいなほに近づくような者はいない。そも、西地区壊滅をさせたヤンキーの話はシェリダン中に響き渡っているため、そんな化け物にちょっかいをかけようとするものなどいないのだが。
「おい、これと一緒の、丸ごと持って来い」
「すみません。もうその一本が最後でして……」
「チッ……帰る。釣りはいらねぇ」
いなほは袋から金貨を引っつかむと、乱雑にカウンターに置いて店を後にした。
血色の棺桶の攻略から一日が経過していた。ダンジョンから離脱したいなほは、そのまま宿に戻ることもなく、一日中酒を飲み続けていた。
だが、普段ならとっくに酔っていてもおかしくない量を飲んでいるというのに、酔いが回ることはなかった。
許せないという気持ちがあった。戦いの場を汚された苛立ちがあり、それと同じくらい、サンタに対して言い放ってしまた言葉と、そんな自分の罵倒を聞いて謝ってきたサンタの言葉に苛まれていた。
しかしいなほは、自分の内心には気づかない。サンタに対する負い目から目を背けて、一人でこうして管を巻いている。
最低最悪だ。本来なら血色の棺桶を攻略したという喜びを仲間と共有しているはずなのに、何をしているというのか。
「……サンタ。何でテメェは……」
いなほは、自分の手のひらを見つめてつぶやいた。折れた骨はすでに再生を果たしている。覚醒筋肉を使用した超回復によって体の傷は塞がっていた。
それでもなぜか拳が痛んだ。
「何で……」
行き場のない拳が、妙に軽く感じた。自分を疑われたことが悔しかった。
そして、俺は──逃げたのか?
「ッ……!」
いなほは首を振ってその考えを否定した。違う。俺は逃げてなんかいない。ただ、ただ──
「見つけたぞ」
背後から声が聞こえてきた。無意識に振り返ると、そこには体中に札を貼った状態の、ぼろぼろぼカッツァが立っている。
「……なんの用だよ」
いなほは、思わず顔を背けて呟いた。後ろめたい感情が、カッツァを直視させることを拒んだのだ。
そんないなほの態度を見て、カッツァは呆れたようにため息を吐き出す。
「随分と腑抜けてるじゃないか」
「……」
「そんなんだから、女の子に守られるんだよ」
挑発するような一言に、いなほの顔が怒りに染まる。歯を鳴らしてカッツァを睨んだいなほは、「じゃあ、テメェも随分とおんぶに抱っこだな」と苦し紛れの一言を返した。
「あぁ、だって俺たちは仲間だからね。守られもするさ」
だが、カッツァは憤るでも否定するでもなく、いなほの言葉を肯定した。仲間だから守られる。その一言に驚きを隠せないいなほに向かって、カッツァは静かに近づく。
「この先にボスを倒したばかりのダンジョンがある。その頂上で話をしよう」
何かを言うでもなかった。ここで話すことではないとばかりに、カッツァはすれ違い際にそう言うと、そのまま歩き去っていく。いなほは、何かを言い返そうにも言葉が見つからず、結局そのまま付いていくことにした。
カッツァが話の場に選んだのは、シェリダンでも最もランクの低いダンジョンだった。決戦の後とはいえ、この二人ならば散歩がてらに歩けるようなダンジョンの頂上に着くのに、そう時間はかからなかった。
広いと言っても、先日の玉座の間に比べれば随分と見劣りするが、二人だけでそこに立つと、とてつもなく広いなといなほは感じた。
「それで、こんな場所に連れてきて、何の用だよ?」
闘技場の中央に立ったカッツァに声をかけるいなほ。
カッツァは背を向けたまま、静かに持ってきていた鞄からガントレットを取り出した。
「……穏やかじゃねぇな」
「穏やかでいてたまるか」
なんとなく、わかっていたような気がする。
あの時、危機から救ってもらったという事実は事実だ。だというのに、いなほはそのことに感謝せずに、罵倒を言い放った。
そのことにカッツァは怒っている。振り返ったその瞳には、蔑みの色が色濃くにじみ出ていた。
「昨日、君が先にダンジョンを出て行った後のことを教えてやる」
「……」
「泣いてたよ。あの強い子が、今にも意識が途切れそうだってのに、それなのに俺が出て行くときもずっと起きたまま、お前みたいなアホのために泣いてたよ」
その言葉に、いなほは何も言い返せない。悪くないと、裏切ったのはあっちのほうだと言いたいはずが、その言葉は全部喉元で詰まって出てこなかった。
体が重い。怪我は治ったはずなのに、いつもの半分も体が動く気がしなかった。
そんないなほの不調を見抜いて、なおもカッツァは言い募る。
「お前は、一人で戦ってるつもりなのか?」
「……」
「たった一人で出来ることなんて、たかが知れてる。お前ごときの力で届く範囲なんてな! 所詮、近くにいる女の子一人にだって届かないんだよ!」
「吼えるなよ……」
「吼えてるのはお前だろ! え!? ビビッて逃げた弱虫小僧が!」
「ッ! テメェ……もう、冗談じゃすまねぇぞ!?」
いなほは一歩を踏み出した。浮かぶのは怒りの思いだ。
弱虫だと? 俺が弱虫だと!? それだけは、その言葉だけは聞き流すわけにはいかなかった。相手が仲間だろうが関係ない。全力で握りこまれた拳は、カッツァの体を弾き飛ばして余りある威力が込められている。
ほとばしる殺気は本物だ。卒倒してもおかしくない圧力を感じながら、それでもカッツァは怯まない。両手に着けたガントレットを力強く握りこんで、その勢いに負けぬ気迫を瞳に宿して、さらにいなほを断じていく。
「冗談ですますかよ! お前は! 仲間の気持ちを踏み躙った!」
「ッ!」
「いいか? お前はサンタの気持ちを、あの子の優しさを踏み躙ったんだよ! 早森いなほぉ!」
直後、いなほの顔面に拳がめり込んだ。
カッツァの拳がいなほの顔を強かに打ちぬく。動きは見えていた。しかも、カッツァの体は未だにぼろぼろで、魔力もほとんど残っていないその拳は、いなほの肉体を貫くにはまるで至らない。
だというのに、いなほの体は軽いはずの拳に吹き飛ばされた。
激痛が、頬を中心にいなほの体を駆け巡る。脳が揺さぶられ、意識が朦朧とした。
これまで受けた何よりも、重い一撃だった。
「ぐぅ……!?」
「痛いか? その程度、サンタがテメェに言われた言葉には到底及ばねぇんだよ!」
「うるせぇぇぇ!」
いなほは起き上がり際、近寄ってきたカッツァに向かって拳を突き出した。
しかし、それは傷ついたカッツァすら捉えきれず、容易く見切られてしまう。自慢の拳は、このときだけは主の意志に反して、あまりにも遅く、弱く、脆い。
しかもカウンターの拳を鳩尾に受けて、いなほの体は九の字に折り曲がった。再び体を満たす激痛。呼吸すら困難になり、思わず膝をつきそうになったが、その胸倉をカッツァが引き寄せた。
「逃げるなよ!」
「ッ!」
「独りよがりで、そんなんで仲間って言えるのか!? テメェにとっての仲間ってのは一体何なんだよ!」
「俺、は……」
「サンタは泣いてんだよ! テメェの、くっだらねぇプライドのせいでな! 言えよ! 仲間ってのは何だ!? 仲間はな、テメェにとって都合のいい人形なんかじゃねぇんだよ!」
再び、拳がいなほの顔を射抜いた。
痛みが響く。心が、痛む。最低な気分だった。体の痛みなんて、どこにもない。
痛んでいるのは、心だけだった。さっきから、殴られるたびに心が軋む。
体は主たるいなほの言うことを聞き入れもしれなかった。体一つすら、言うことを聞かなくて。
「どうなんだよいなほぉ!」
痛むんだ。
「がっ……!」
吹き飛ばされたいなほは、そのままな術なく床に伏した。
わかっていたんだ。わかっていたはずだった。サンタは自分を助けようとしただけで、自分を信頼していないわけではなかった。
信頼をするというのは、全てを任せるということではないし、頼るだけではない。
命を共に守りあうのだ。仲間の危機には駆けつけ、前を向いて。
「お前は、仲間の気持ちを踏みにじった」
「んなことは……!」
「ないって言えるのかよ? もしもテメェがくたばったとき、残った俺たちがどうなるのか考えたことはないってのか!? 心配で、心配で、無理して立ち向かったサンタの気持ちを考えたんなら、あんなことはいわねぇはずだろ!」
倒れたいなほに対して、カッツァはそう吐き捨てた。
神聖な戦い、一対一の命を張った戦い。そんなことのために、いなほは『仲間を危険に晒した』。
自分が負けるはずがない。その強靭な自負は大切だ。最初から敗北覚悟で戦うようなものに、勝利の女神は微笑まないのだから。
だが、それとは別に考えなければならない。いなほは自分の力に自信を持っているが、その力が周りに与える影響に関しては、あまりにも無頓着だ。
「俺は……負けない」
その言葉は、虚しい響きを孕んでいた。
強さに伴う自信と、強さに伴う責任。それは時として反するものになる。
早森いなほは負けてはならない。その思いは共通しながら、そこに個人的な感情を持ち込むのは、仲間に対しての侮辱だ。
「負ける負けないじゃないんだよ。死ぬか、死なないかなんだ、俺達冒険者ってのはな」
カッツァの言葉は、冒険者としての真実だ。危険の中を、仲間達と力を合わせながら、可能な限り安全を考慮して進む。
それが冒険者の流儀で、いなほの言葉は、その流儀とはあまりにも違う──修羅の思考だ。
「そんなんじゃ、誰もついてこないぞ……勝手に先に進んで振り返った道に、仲間なんていないんだ」
残るのは孤独だけ。
そう、かつてあのコンクリートジャングルに居たときにも感じた。
『早森さん。正直俺達、もうついていけないっすよ』
化け物を見るような目つきで自分を見る、かつての仲間達。
あの孤独しか待っていないというのか。
「……」
俯いたいなほは、そっと開いた手のひらを見つめた。
エリスに誓ったはずだった。ここではない何処かで、見えない何かを掴むのだと。
そして、自分をひたすらに貫き通すのだと。
「間違って、るのか?」
言葉は震えていた。
「俺は、間違ってたのか?」
カッツァを見上げたいなほの瞳には、縋りつくような何かが浮かんでいた。
問いかけて、そして、答えはわかっていた。後味の悪さを常に感じ続け、体すらも自分の言うことを受け付けない。
なら、間違っていたのだろう。それでも聞かずにはいられなかったいなほに、カッツァは膝をついて視線を合わせた。
「間違ってるよ。でもな、正すところはどこにもない」
「……」
「信念があるんだろ? だけどな、その信念に雁字搦めになって、周りにも当たり続けるのは違うんだ。人は人、お前はお前。仲間として助けに入った不思議ちゃんの気持ちを、手放しに否定したのがいけなかったんだ」
カッツァの言葉は、ここに来てから学んだことのはずだった。
サンタはサンタで、いなほはいなほだ。意見はぶつかり合うこともある。それでも、気持ちまで一方的に否定してはいけないのだ。
自分の考えを持ちながら、相手の考えも尊重する。それだけのことが、いなほにはできていなかった。
カッツァは視線を伏せたいなほに対して笑いかけると、ガントレットを外して、その頭を乱暴に撫でた。
「反省したんならそれでいいよ。君はまだ子どもで、間違いだらけで、ぐるぐる考えるのは仕方ないんだ。ぶつかって、反発して……たまにはさ、後ろに下がるのも大切なんだよ。前ばかり行くだけじゃ、本当の『真っ直ぐ』にはなれない」
「……そういうもんか」
「あぁ。間違ったら戻ればいい。後ろに下がれば、少しだけ離れた場所から他の場所を見ることが出来る。そして良いと思ったほうにまた歩いて、戻って……その繰り返しだよ。絶対に迷わない人間なんていたらな、そいつは感情も何もないただのゴーレムさ」
迷わないわけがない。
惑わないわけがない。
間違わない、わけがない。
早森いなほは完璧な人間ではないのだ。これまではたまたま上手く行っていただけで、強くても、無敵でも、最強でも、それでも所詮はまだ二十歳を迎えたばかりの子どもでしかない。
そんなことを指摘されたのは、随分と久しぶりのような気がした。撫でられている頭が妙にむず痒い。
「……とりあえず、謝ってくる」
「そうするといい。まっ、何だ? 俺も大層なことを言ったけど、そんなに人間が出来てるわけじゃないからな。それでも言えることがあって、思ってることがあるんだ」
だから、話を聞くこと、気持ちを汲み取ることだけは忘れてはならない。
いなほは返事をせずに、頷きだけで答えた。
カッツァは静かに手を差し伸べてくる。いなほはそこでようやく乾いた笑いを浮かべて、その手を握り返した。
「って重っ!?」
だが見た目とは裏腹にとんでもない質量を持ついなほを片手で起き上がらせることは出来ずに、カッツァは思わず叫んでいた。
その姿にさらに笑みを深くしながら、空いた片手で地面を叩き、その反動で起き上がったいなほ。
隣に立つカッツァは、いなほの迷いの晴れた顔を見上げて、もう大丈夫かと肩を竦めた。
迷って、惑って、挫けそうになって、だけど、この男は立ち上がる。それだけの強さがあるのだ。
「まっ、無理して突っ込んだ不思議ちゃんにも一応一言くらい言っておかないとね。あれはあれで過剰にやりすぎた……そういうわけで色男君、君、妹さんのことを妹さんだってちゃんと話しておきなさい。不思議ちゃんも盛大に勘違いしてるからさ」
「げっ、マジかよ……ったく、どこをどう聞いたら勘違いするってんだか」
「ははは、いや君。やっぱもう一度ぶん殴っておくかい?」
「うへぇ、勘弁しろよな」
いなほは嫌そうに顔を顰めて、拳を握ったカッツァから距離を置いた。「冗談だよ」と返して、カッツァは笑う。
多分、カッツァには暫く頭が上がらないんだろうなぁといなほは心の隅で考えた。これまで会ってきた大人で、そんなことを思うのはこれで二人目だ。いなほの力には怯えずに、悪いことは悪いと反省させて、真っ直ぐにさせようとする。
大人なんだと思う。いなほと同じく真っ直ぐな一本の芯を持ちながら、それはいなほほど頑固ではなくぐにゃぐにゃだ。
だから、色んな視点で見ることが出来るし、柔軟な考えで見ることが出来る。
そういう大人なのだ。何だか、無性にカッツァと一晩かけてじっくりと酒を飲み交わしたくなった。
そうこう考えているうちに、二人は火蜥蜴の爪先のギルド本部まで到着していた。
「上の客用の部屋にいるから、場所はわかるかい?」
「いや、わかる」
だから、ここから先はまずは一人で行く。いなほは「いってらっしゃい」と言ってきたカッツァに手を上げて答えると、一人客室に向かって進んでいった。
とはいっても、頭の中では思考がぐるぐると回っていた。どう切り出すべきか、どう謝罪するか、そもそもあいつは怒ってるんじゃないか、呆れて、口も聞いてくれないんじゃないか。そんな考えが堂々巡りを繰り返す。
「クソッ……ビビッてるなよ、早森いなほ」
覚悟を決めるために頬を軽くはたいて、いなほは深呼吸を一つ。目の前の客室へと通じるドアを、ゆっくりと開いた。
「あー。邪魔、する……ぜ?」
目を伏せながら入ったいなほは、視線を上げたときに部屋の状態に気づいて首をかしげた。
部屋には誰もいなかった。先ほどまで誰か眠っていたベッドと、開け放たれた窓。そして、机に置かれた書置きらしき手紙。
そう、誰もいないのだ。そのことを遅まきながら理解したいなほは、唇をかみ締めると、踵を返して部屋を後にした。
募るのは焦燥感。
サンタが一人で墓穴に挑みに行った。その考えが、最悪のシナリオをいなほの脳裏に浮かばせたのであった。
次回、土下座。
例のアレ
三度凍える未知の黄昏─フィンブルヴェッド・ラグナロック─
よくある系切り札。願望兵装の模倣品。ちなみに、幕間に出たホワイトフレアも願望兵装の模倣品で、これの正式な名称は『魂を焦がす不細工な終わり─ファウストマキーナ─』である。