第三十五話【加速世界の魔法少女】
同時刻。死闘を繰り広げるカッツァと逆に飛ばされたサンタは、オーガナイトの剣技を前に防戦一方だった。
曲りなりとも近接戦闘を心得ているカッツァと違って、サンタには近接における技術がほとんどない。一応、護身程度には格闘をこなせるが、それは魔法に比べるとあまりにも稚拙なものだ。
故にサンタがオーガと戦うには、距離をとらなければならない。その初手をバールの初手で崩されたのは、手痛い失敗だったといえるだろう。
何重にもサンタが展開した防御用の魔法陣に叩きつけられるオーガの大剣。一撃ごとに削れる防御の修復と、牽制のための魔法の処理に追われて、サンタは特大の一撃を与える機会を得ることが出来なかった。
「ッ……この!」
面を撃つ氷の散弾を放つが、その程度の障害では、オーガの肉体どころか、その身にまとった鎧すら貫けない。
しかも、散弾を撃った隙を突かれて、魔法陣がさらに削られた。一撃で五枚、一枚あればトロールの渾身を容易く防ぐそれを、連撃だというのに五枚だ。
その事実に心胆を冷やしつつ、魔法陣を修復。さらに並行して脚部へ強化の魔法陣をさらに刻む。すでに体全体の強化は済んでいるが、それだけではオーガの攻撃から逃れきれないのだ。
どんなに動けど的確に捉えられる。魔法陣越しに体を震わせる衝撃と圧力。精神をすり減らす呵成の攻撃に対して、あくまで冷静に思考を張り巡らせて行く。
重要なのはタイミングだ。この拮抗状態を崩すタイミング。両足の強化魔法の処置は完了した。後はこれを発動すれば、おそらく一瞬だけだがオーガナイトとの距離を開くことができる。
だが、代償は大きい。強化の重複は、本来なら使用が禁じられている危険な方法だ。使えば、回復魔法で修復するまでの数秒は動けなくなる。
しかしこの拮抗をいつまでも続けていれば、後は千日手なのだ。リスクを負わなければ勝つことは出来ない。
タイミングだ。タイミングを捉えろ。集中してオーガナイトの剣戟に集中するが、サンタを遥かに上回る技量を持つオーガナイトの動きは、サンタに隙を見つけさせない。
焦りが体の内側からこみ上げてくる。早く、早く、早く彼の元へ。そんな気持ちこそ戦闘の隙となるのだから、サンタは必死に己の心を殺しながら機会を疑う。
粘れ、確実な好機を捉えろ。もっと思考を加速させて、もっともっと、全てが停滞するくらいに加速しろ。
思いが、信念が、サンタの体を突き動かす。瞳に浮かぶ魔法陣。内側から直接、眼球へと作用する強化魔法。足りないなら、補填しろ。魔力を吸い出せ、足りない全てを、魔法で上乗せするのだ。
「『加速』」
「■■■■ッッ!」
「『加速』」
「■■■■ッッ!」
「『加速』!」
サンタの世界が遅くなっていく。眼球に浮かぶ魔法陣が光り輝いて、その速度を加速させていった。
自身の加速と世界の遅滞は同義だ。徐々に軌跡を囚われ始めるオーガナイトの剣閃。残像も見えなかったその一撃が、今では水の中で動いているかのように遅い。
それに伴って、感覚のみ加速したサンタの体もまた、もどかしいくらいに遅くなっていた。オーガナイトの動きと比して、圧倒的に動かない体。
それでいい。軌道を捕捉したサンタは、体を動かすのではなく、魔力を動かす。加速した脳髄が、魔力へと作用する。
体が動かなくてもいい。自分の長所は肉体ではなく、あふれ出る魔力。であれば、加速するのは思考だけで十分だ。
展開する。並列する。もっと強く、もっと前へ。今だから、ここだから、この瞬間で、越えていく。
「……」
言語では遅すぎる。音が空気を揺らすタイムラグは、この敵相手にその遅滞は致命的だ。
なら、全てを魔力と陣で補う。一刀は未だに直撃の手前だ。サンタはさらに意識を加速させて、その速度を停止させていく。
一方で、意識の加速に追随する魔力が、遅くなる世界でなお衰えぬ速度で魔法陣を展開し始めた。
もっともっと。加速し続ける意識に肉体が悲鳴をあげて、目と鼻から出血が始まるのを知覚した。しかし、その血が体外に流れ出すのは、体感時間で換算したら『およそ十分後だ』。
肉体が意識の命令に反応するのは五分後。
オーガナイトの一刀が着弾するまで残り一分。
魔力だけは、世界を光速で駆け抜けている。今、サンタは世界から切り離された場所にいた。あらゆる全てが遅い。だというのに加速する意識と魔力は、思うとおりにこの停止されたかのような世界を、何の束縛もなく動けていた。
これが自分のいるべき世界なんだと、漠然とだが理解する。天才ですら至れない高位ランクの化け物が住まう常識に、今サンタはようやく到達したのだ。
その視界の片隅で、サンタはこの外界と切り離された世界を動く二つの体を捉えた。
いなほとバールだ。意識と魔力しか動けないはずの世界を、今のサンタですら辛うじて目で追えるほどの速度で動いている。
その背中は、まだ遠い。いなほの戦闘力は同じランクのはずのサンタの、二歩、三歩も離れた場所にあった。
だから、突き進む。隣にいたいという気持ちがあるから、せめて、その横顔をいつまでも見ていたいから。
魔法陣が積み重なる。今やその量たるや、百を越えた圧倒的物量。それら全てをサンタは同時に操りながら、オーガナイトの全方位に展開したその全てに、無言の号令を送った。
「いっけぇ!」
世界が等速に戻る。あんなにも遅かった剣が、まるで見えなくなった直後、その剣を越える速度で放たれた一斉砲火がオーガナイトの体を閃光に包み込んだ。
しかし、振りぬく一撃だけは止めない。オーガナイトは閃光に包まれながらも、振りぬくはずの一刀だけはサンタの防御魔法陣へと叩きつけて、その体を吹き飛ばした。
「あぅ……!?」
鼓膜を震わせる衝撃。脳髄まで響き渡ったそれが熾烈に意識を混濁させる。
攻撃に意識を向けすぎた。己を省みぬオーガの一刀は、サンタの防御ごとその体を吹き飛ばすには十分で、肉体の能力はそこまでではないサンタを一時的に動けなくさせるには、十分すぎた。
思考がまとまらない。それでも強引に構築した防御魔法陣を展開。酒に酔ったような視界で、渾身の集中砲火が生み出した煙幕の向こう。
大気が破裂して、遠吠えがあがった。
「■■■■ッッ!」
恐るべき魔性が猛る。殺意に燃え上がる瞳。口内から血を吐き出しながら笑みを浮かばせる口。鎧は木っ端となり吹き飛んで、その体にはあらゆる裂傷と火傷、そして突き刺さった氷柱と樹木があり、さらに左腕は根元からごっそり消滅している。
重傷を超え、致命傷。確実に死に至るその傷では、残り数分の命すら残されていないだろう。いや、これ以上戦闘行動を行うならば、その命はもって十秒。
だがそれでも、オーガナイトは生きている。あの包囲網の中、左腕を消し飛ばしながら生き残り、今、ついに得た必殺の機会に歓喜していた。
この死地を乗り切った。
あの絶殺を踏み越えた。
ならば、次は己がお前に死を与える番である。
「ッ……!」
サンタは震える体をどうにか起こそうとして、しかしその初動はあまりにも遅すぎた。
魔が猛る。傷だらけの体を、その一歩ごとに死へと加速させながら。半ばで折れた大剣を握り締めて迫るその速度は、これまでと比べて遜色もない。
迫る。数秒あれば回復をして、十全に防御用の魔法陣を展開できるというのに、その数秒の時間があまりにも長かった
なら、少しでも時間を稼ぐしかない。震える体を杖を支えに立たせる。そして苦痛に歪んだ頭を回転させて、魔力を放出。定まらぬままに魔法陣を作り出して、その全てをオーガナイトへと向けた。
「『収束』!」
最大で五つ、緩い構成を補うように、魔力をさらに継ぎ足し補い収束させ、今ここに、最後の迎撃を開始する。
来る。魔が己を射程に収めるまでおよそ十歩。最後の気力を振り絞り、踏み出すまでの時間と、ここまでの距離を詰めるのに二秒と半。十歩の距離は半秒程の猶予をサンタに与えた。
まず一歩目。加速の限界に入ったオーガナイトの体は既に霞んでいる。先ほどまでの集中力は望めない。消えるように走るオーガ。余裕がないために、最短距離を突き進んでくれたことが、サンタには幸いする。
二歩目。進路を予測。歩幅から逆算する残り時間は、予測よりさらに少ない。死に際の覚悟が、オーガに限界の壁を超えさせたのだ。追い込み、そこでトドメをさせなかったゆえの失態。恐るべき魔剣は、地獄への道連れにサンタの体を引きさかんとする。
三歩目。座標を固定。殺気の圧力に怯みそうになりながらも、サンタはあくまで冷静に、しかし朦朧とした中で、半ば直感によって魔法陣を叩き込む座標を選択する。それが正しいのか否か、後は全て神のみが知る。
四歩目。魔力を凝縮。狙いは直線の一本。順次魔力を補填した魔法陣にて、襲い掛かる地獄をはじき返す威力を叩きつける。
そして五歩目。いざ、全てを賭ける。轟々と燃え上がる火球が浮かびあがる。まずは初手、炎熱の一閃にて、最後の攻防を開始しよう。
「あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
吼える。そこからは、生へと繋ごうと足掻く少女の叫びが終わるまでの刹那。叫びと共に火球はオーガに惹かれるようにして、その腹部へと着弾を果たした。
それでも、六歩目。鍛え上げられた腹筋を炭と化しながらも距離は詰められる。なんという意地。なんという気迫。執念のなせる業は、これしきでは止まらぬという意思をその瞳に宿していた。
だから、その意思こそを折りに行く。魔法陣が四つに減る。直後、頭上に起き上がった魔法陣から生み出されたのは、お得意の氷の散弾だ。相手の進行を抑える点では最良とも言っていいその魔法が、魔力に物を言わせた強引な構成によって、常と同等の威力でもって炸裂する。
しかし、七歩目。回避の余裕も、迎撃する気力も、全てを最後の一振りに込めたオーガは、氷の飛礫をその身のほとんどに受けながら、動く。片目が潰れ、開いた傷口に飛礫がめり込んで、さらに傷を広げるが、それでも走る。踏み込む。一歩を行く。
やらせない。サンタは次に足元に展開した魔法陣をたたき起こした。桃色の光がサンタを下から照らし出す。そしてその光に導かれるようにして無数の樹木がオーガに向かって伸びていった。
襲い掛かる意思ある木々。オークキングの行動すら留めた木々の群れは、それでも今はただ一つの魔法陣から分散して現れているゆえ、一本一本があまりに細い。絡めとろうと分散させたサンタのミスだ。散弾も含め、この敵の進行を止めるには面ではなく点。一撃で敵手を仕留めるものではなくてはならぬ。
ゆえに、八歩目。止まらない。体にまとわりつく木々など、障害にもならない。走る勢いで拘束を振りほどいたオーガ。それでも僅かに進行は遅れ、サンタに瞬きのさらに半分以下の猶予を与える。
そして残弾は後二つ。サンタはその猶予の全てを魔力を込めることに使用して。四つ目の魔法を発動する。
回転する魔法陣が紫電を走らせる。耳につくようなざわめく音を立てながら、紫電は一つの光となった。雷光一閃。文字通り電撃の速度を誇る光の軌跡は、オーガの回避すら許さずにその胸を貫いた。
心臓は──外してしまった。左胸に穿たれた穴は急所を僅かに逸らしている。であれば、動く。この鬼は、それだけでは止まらない。
九歩目。死地を幾つも踏み越えて、ついにオーガは敵を死地へと引きずりこんだ。振りあがる剣。防御を施していないサンタ程度ならば、その胴を下半身と泣き別れさせることすら容易な一撃を持って、今ここに、死闘の終焉代わりの一振にて馳走する。
だが、まだだ。サンタの胸の前に最後の魔法陣が移動する。火、水、土、風。四大属性を使い果たしたサンタに残された渾身の魔法は残り少ない。この最短で作りえる最強最速の一閃はこの胸に。抱きしめるように、サンタは魔法陣の中心に杖を突き入れた。
純粋魔力が攻撃性のみを持たされて射出される。桃色の光は、収束を重ねたためにか細い。
最後に頼るのは、意味などほとんど持たないただの魔力頼り。十歩目を踏み出される前に、この一撃にて幕切れを切ってみせる。
「ッぁ!」
「■■■■ッッ!」
閃光が世界を包む。時を同じくして世界を染め抜く白い炎の輝きを感じながら、サンタとオーガナイトは、互いの死を突きつけて、白の中に消え去っていく。
貫く。十歩目はない。相手を圧する攻撃性を最大までもたされたサンタの魔力砲は、オーガナイトの体を吹き飛ばして、そのまま大地に伏せさせた。
「ッ……! か、勝った?」
白が収まったサンタは、向こう側に倒れているオーガナイトの死体を、未だに信じられないといった面持ちで見ながら、続いて白が膨れ上がったその爆心地を見る。
炭のような何かの隣に、至る所に裂傷と火傷を負いながら、それでも膝をついて息をしているカッツァがそこにいた。限界の後、本来はそのまま気絶してしまうところを、未だぶつかり合う殺気と殺気を感じて、繋ぎとめている。
安堵のため息を吐いた。どうやらカッツァは地力でオーガナイトの迎撃に成功したらしい。しかし、見た目は随分と疲弊している。ならばまだ戦いが終わっていない今、先にカッツァを回復させて戦線に戻るのが先決だ。
それまで、少しだけ頑張っていなほ。信じているから。
ちらりと見たいなほとバールの激闘は、サンタの祈りなど関係ないとばかりに白熱している。
互いに笑っている。喜びの殺気でぶつかり合うと異常に、サンタは僅かに気おされるものの、自分の役割を思い出して、倒れそうなカッツァへと駆け寄った。
「カッツァ!」
「あ、あぁ。不思議ちゃんじゃないか……ったく、どうやらまた俺は勝手に暴れたみたい、だね」
「動かないで、今、回復する」
痛みに引きつりながらも笑みを浮かべたカッツァの体を支える。隣にはバンも戦況の変化を読み取ったのか駆け寄って、ありったけの回復の魔法陣が刻まれた札をカッツァい貼り付けて、魔力を通した。
「おいおい、危ないから下がっててもいいんだよ?」
「怖いのはあるけどな。ここで動かなきゃまだ危ない状況だってのはわかってるつもりだ」
バンはそう言いながら、サンタと共にカッツァの怪我の治療を進めていく。
そんな彼らをおいていき、激化するいなほとバールの闘争。崩れぬはずの床と壁は一撃ごとに砕け、一合ん度に、互いの体に傷が増えていく。
回復を進めながら、サンタはその戦いをじっと見つめていた。回復されるがままのカッツァもその戦いを見て、バンも半分以上はいなほ達に意識を向けている。
その瞳にあるのは、いなほへの信頼と、仲間としての使命感だ。危険に一人で行かせるつもりはない。仲間だから、強敵がいるなら力を合わせてアレに立ち向かうのだから。
「いなほ」
信じている。だけど、その体が傷つくのが見ていられない。精神的な疲労で痛む頭とは別に、それ以上に痛む胸をきゅっと押さえつけ。
「ッ!」
直後、驚愕に目を見開く暇もなく戦場へと飛び出した。
疲労など何処かに吹き飛んだ。苦痛も何もかもが消えて、ただただ駆り立てられるような衝動のままに、再び意識を加速させたサンタはそこへと赴いた。
次回、罵声。