第三十三話【魂食らい】
血色の棺桶、最上階。そこへ至る扉は、これまでよりもはるかに巨大だ。血で塗りたくったように禍々しい外観と、重苦しい重圧感が一同にのしかかる。
しかしそれすらもまだ可愛いものだった。その扉の隙間から漏れ出るのは、これまでをはるかに凌ぐ圧倒的なプレッシャーだ。濃密な殺気と魔力が混ざり合ったその気配は、限りなく極上。
だがここですら未だ墓穴の向こう側の中盤。その事実を考えると気が遠くなりそうだが、今はそんな余分を意識しない。いなほはといえば、油断すれば突撃しそうな体を押さえつけるのに必死だ。
感じるのだ。この先の魔は、トロールキング、ミフネ、ヴァド、この三人の化け物に通じる『それ』に違いない。
ならば、迷いは最早ない。未知なる強敵への歓喜が、あらゆる迷いを彼岸へと吹き飛ばす。そして静かにいなほは扉を開いた。
そこは、玉座の間だった。これまでの闘技場を倍する広さを持つそこは、煌びやかな装飾品が幾つも並んでいる。その奥には絢爛な雰囲気に相応しい玉座が一つ。
その玉座を守護するのは二体のオーガナイトだ。ただし、このナイトはこれまでと違い、一級品の鎧と武器を持ち、まさに騎士の名が相応しい様相だ。
だがそんな二体のD-すら前座でしかない。一同は二体のナイトが守る玉座に座る、オーガと比べてはるかに小さい、それこそ人間にしか見えない男を見た。
「待っていた……」
立ち上がった男は、その頭から二本の角を伸ばしていた、明らかに人間にはない特徴。だが、それは獣人のそれとは違う。人とは違う獣気に満ち溢れた男は、ナイトより四本の長槍を受け取った。
明らかに手が足りない。しかしそれも問題ないとばかりに、男はナイトを引き連れていなほ達の前に出た。
「……俺はバール。塔を震わせた男は、貴様だな」
男、バールの目がいなほに固定される。呼吸のように殺気を発生させるバールの気に応じて、いなほも一歩躍り出て快活に笑った。
「いなほだ。挨拶代わりだったが、テメェにはちと刺激が強かったか?」
「いや……目覚ましにはちょうど良かったよ」
バールはそう返すと、槍を両手に一本ずつ、残りの二本を『足の指で持つ』と、静かに構えをとった。
瞬間、噴出した魔力がいなほ達をなぶる。とてつもなき魔力を身体強化に当てたその男こそ、文献にもあった血色の棺桶の主。
「こいつ、鬼人か……!」
カッツァが文献で見たことのその特徴から、バールの種族を特定した。
平均ランクD。オーガと同種でありながら、彼らは魔獣としてではなく、独自の文化を持って栄えている。彼らは黒金鬼神と呼ばれる、鬼を産んだ神を信仰し、戦を至上とするその価値観を基準に、魔獣がはびこるような危険な土地にて、小さな集落を作って暮らしていると言われている。
人族と時には交流をするときもある鬼こそ、この塔が産んだ最強の化け物に他ならなかった。
そして、バールの実力は、鬼人の平均ランクを超えるC+。武人としても一流以上の実力を持つ男はただただ喜びの声を、唸るようにあげる。
「ただひたすら強き者を待ち続けてきたこの数十年。ようやく、ようやく来てくれた」
「待ちぼうけたぁな。だったらこんなしけた場所なんて出て行きゃよかったじゃねぇか」
いなほの言い分に、バールは悔しそうに首を横に振った。その瞳に諦めの色を浮かべて。
「俺は、ここで生まれた。いや、このダンジョンに『復元させられた』のだ」
「何?」
「……ここまで来た貴様達には、知る義務もあるだろう」
いなほ、ではなく、その後ろにいるサンタたちを見て、バールは静かに口を開いた。
「血色の棺桶。ここは、他者の命を吸い上げる。その結果として魔力結晶が生まれるが、それはあくまで命の残骸にすぎない。では、吸収された魂はどこへ行く?」
「まさか」
サンタが答えに行き着いて目を見開く。バールは嬉しそうに喉を鳴らした。
「そう、ここで死した魂は、このダンジョンの操り人形と成り果てる。魂の隷属、それが、この迷宮で死んでいったものたちの辿る末路だ」
「じゃあお前も……」
「そう、俺もかつて、遥か昔にここで朽ちたはずの敗北者だ」
「……なら、他の冒険者達も」
「いいや、知恵を持つ者は、その存在を変換され、本来ならば徘徊する魔獣へと変質する……あるいは、永遠に駆動を繰り返す、地下の……いや、これ以上はもう、語るまい」
バールは疲れたようにため息を吐き出すと、針のように突き刺してくる殺気を開放した。
全員の顔が引き締まる。そしていなほが笑った。
言葉は不要だった。生く者が行こうとし、死す者が死を与える。
ならば、これ以上は意味がない。四槍の使い手は、永遠にとらわれ続けるその哀れな命を燃やす奇跡に、歓喜の声をあげた。
「いざ、尋常に」
「かかってこいや」
血色の迷宮。その最上階にて、最後の死闘が始まる。
次回、頂上決戦の1