第二十五話【圧倒】
ゴブリンといえば、成人を迎えた男なら、農具片手に一対一で倒すことが可能なくらい矮小な魔獣だ。人族の平均身長の半分にも満たない、ずんぐりとした体躯。細い手足と、異様に大きな顔。お粗末な武器防具しか持っていない彼らは、同じランクなし魔獣のバウトウルフ以下とされている。
だが、数だけは異様に多い。一匹みたら三十匹はいるともされるその繁殖力の中、時折現れるソルジャー級やナイト級はHランク程度の脅威であり、クイーンはH+、キングでG-程度となる。だがエース級の冒険者、例えばアイリスクラスならば、疲労はするも苦もなく一網打尽できるだろう。
本来はその程度の、キング級ですら魔族はおろかトロールナイトにも及ばない雑魚の雑魚である彼らは、しかしこのダンジョンにおいてはいなほ達をある意味苦戦させていた。
「何匹いやがるんだこいつらぁ!」
通路を埋め尽くすゴブリンの群れ、群れ、群れ。しかもその全てが最低でもソルジャー級となれば、いなほでも面倒と感じるのは仕方ないだろう。
現在血色の棺桶、四階層。後少しでボス部屋というところで、いなほ達はゴブリンキング五体が率いるゴブリン超連合の物量に足止めさせられていた。
「サンタぁ!」
「『円炎燕想』! いなほ、カッツァ、バン!」
サンタの呼びかけに、前線を維持していた三人はサンタが周囲に張り巡らせた魔方陣の内側へと一度退く。
直後、二十を超える魔方陣の中心に顕現した炎が燕の姿を象って、群れをなすゴブリンの中へと飛び込んでいった。
炎の鳥はすれ違うゴブリンを次々に燃やしていきながら、拡散していく。その炎を操るサンタは、頃合を見て魔力をさらに開放した。
「『爆発』!」
瞬間、至る所から火柱が上がった。遠くにいてもなお感じる熱気を発する炎の渦は、サンタの意思によって一つにまとめあげられ、その渦中にいるゴブリンの悲鳴ごと全てを灰燼へと消し飛ばす。
その後には何も残らない。膨大な魔力量に物を言わせた、爆撃のようなサンタの魔法は、無限に湧き出ると思われたゴブリンを完全に消滅しきってみせたのだった。
「ふぅ……これで三度目のラッシュだね」
「あぁ、しかもこの階に入ってからの数字ときたもんだ」
バンは精神的な疲労からため息を吐き出した。
一階からここまで、次々に数を増してくるゴブリンキング集団は、彼らの体力ではなく、その心をすり減らしていた。とはいっても、それは害虫を延々と駆除する無常さからくる疲れであり、体力は有り余っているのだが。現に、この程度ならバンも前線をある程度は張ることができている。
「どうやら今回の血色の棺桶の五階層までの敵はゴブリンで固定みたいだね。これなら固体で強いのが出たほうがまだマシだよ」
「そっか? まとめて来るなら楽なもんじゃねぇか」
唯一いなほだけは疲れの色をまったく見せていなかった。むしろゴブリン討伐に乗り気というのはどういうことか。最早床に転がる魔力結晶を拾う気にすらなれない一同は、筋肉馬鹿の馬鹿みたいな精神構造に呆れるほかなかった。
そんな一同の呆れなど知らないいなほは、焦土と化した通路の向こう側を見つめた。
「それより、ようやくだぜ」
いなほの視線の先には、上に続く階段がかすかな光源に照らされて怪しく彼らを誘っていた。
四階層までのおおよその難易度はEランク程度だ。ならば五階のボスは、最低でもEランク以上の危険な敵が待ち構えているに違いない。
覚悟を決めれば、疲労など跡形もなく吹き飛んだ。そんな仲間の気迫を背中に受けていなほが先陣を切って進んでいく。駆ける足は速く、体から飛び出しそうな心と並走するようにいなほは一気に階段を駆け上がると、迷いなくボス部屋への扉を蹴り開いた。
「騎兵隊のおでましだぁ!」
奇襲的ないなほの登場に、中にいたキングバウトを含む、バウト全種族は一瞬だがその動きを凍りつかせた。
その隙をいなほは逃さない。蛇のように雑多の狼達の間を掻い潜ると、当惑の表情を浮かべるキングの真下に到着。迷いなくそのわき腹に砲弾よりも凶悪な右拳を炸裂させた。
あまりの衝撃に床が奮え、王の体が宙に舞う。血反吐を撒き散らしながら上空へと飛ぶ王を視認して、ようやく配下の狼が怒りの形相でいなほめがけて殺到した。
四方八方から迫り来る牙の群れ。体捌きでは回避できぬ肉の壁は、しかし遅れて到着したサンタの放った氷の飛礫によってその一角がなぎ払われた。
「おっと」
その隙間に体を滑り込ませて、いなほは狼の包囲網から抜け出すと、一転無防備な背中を晒すことになった狼に横一文字。触れれば金剛石だって切り裂く真空波の一振りを放った。
広範囲を狙って奮われた右足は、狙い通りに大多数の狼の体を上下で泣き別れさせる。その過程で減衰した真空波を、クイーン二体と致命傷を負ったキングが辛うじて回避した。
「だがな」
「まだだよ!」
強化の魔法を使用して加速したサンタが、攻撃直後で動けないいなほの前に飛び出した。その手に持つ杖の先が虹色の輝きを放つ。叩き込まれたのは四大属性を孕んだ原初の一。
混沌を具体したその魔法を、強靭な意志と魔力で操作して、サンタは残存戦力に閃光を解き放った。
「『穿て、牙』!」
濃縮された杖の先の魔力が、七本の鋭利な牙へと変貌した。サンタの周囲を囲むように展開された虹色の牙は、その切っ先を回避直後で動けない狼達へと向ける。
美しき残滓を残しながら、サンタの号令の元一斉に放たれた牙は、その意味するところのとおり、獲物を食いちぎると、一気に殲滅して見せた。
「完了、だね」
「おう」
カッツァとバンが合流したとき見たのは、そこから先の光景だった。杖と拳を突き合わせて勝利を喜ぶいなほとサンタ。その周りには、彼らの勝利を祝福するように魔力結晶が小さな輝きを放っている。
「適わないねぇ」
「だな。だけど、そんなあいつらだから、期待しちまうんだな」
カッツァとバンは、その理不尽な戦闘力に嫉妬するでもなく、先への希望を見出していた。
この先、ダンジョンはさらに過酷さを極めていくことになるだろう。それでも、自分達がサポートをし、はびこる敵をこの二人が倒していくのなら。
「いけるな」
「あぁ」
そして、誰よりも己を信じる男の背中があれば、自分達は絶望せずに走っていける。
歌うように掲げられた拳に誘われるように、カッツァとバンも歓喜の雄たけびをあげながら二人の下へと駆け寄っていった。
ゴブリン「ダンジョンから来ました」
次回、胸の痛み。サンタの気持ち。




