第二十三話【探索前夜】
それからの一週間は、バンを含めた四人の連携を熟練させるための日々が続いた。
探索中は、バンとカッツァが先頭を歩き、後方でサンタが魔法陣を展開して周囲を警戒しつつ、いなほが後方を担当する。
そして戦闘になったら、バンとカッツァの前にいなほが出て二人をいなほとサンタで挟むように陣形を形成。カッツァが全体のサポートを、バンはあえて全体の俯瞰に徹することで、敵の奇襲を警戒する役回りとして働く。
B-ランク二人による前衛後衛によって、カッツァとバン、探索では集中力を有する二人への負担はかなり少ない。そしてカッツァとバンが罠をクリアすることで、いなほとサンタの負担も軽い。
この場合カッツァが一番負担が多いのだが、そこはそれ、ダンジョンに慣れ親しんだカッツァは、この程度なら普段よりも楽だと言うくらいであった。
この役割分担は上手く作用し、一週間を過ぎたころには、Eランクダンジョンですら半日もかからずにクリアできるほどにまで成長していた。
「いなほちゃん達と組んでからというもの、見たこともない素材や魔獣に出会えるから、人間何が起きるかわからないもんだねぇ」
バンはこの一週間のことを思い返して、そうしみじみと呟いた。罠に関する知識はあれど、Hランク程度の実力しかもたないバンでは、やはり見ることはない存在との戦いが多かったはずだ。
それでもこうして気楽にそのことを話せるのは、いなほ達の圧倒的な実力が安全を保障しているからだろう。
「でも、墓穴に入れば、今までよりももっと貴重なお宝が手に入るのは間違いない。俺だって墓穴に入るのは始めてだからねぇ。今から驚いてちゃ驚きすぎてショック死するよ?」
そう返したのはカッツァだ。遠まわしにバンへの警告を含んだ言葉だったが、酒が回っているバンは言葉のとおりに受け止め、まだ見ぬお宝に期待を馳せていた。
やや呆れた面持ちでカッツァはその横顔を見る。そんな二人のやり取りを見守りつつ、いなほ、サンタ、コリンも雑談に興じていた。
「やっぱいなほさんってば素敵だわ。来るたび来るたび高いものばっか頼んでくれるんだもん」
いなほの腕に体を押し付けて、酌をするコリンは、うっとりとした瞳でいなほに流し目を送った。だが男の情欲を駆り立てるようなその視線も、アイリスが時折見せていたとてつもないエロ攻撃すらびくともしなかったいなほにはどこ吹く風。注いでもらった酒を一口含むと、なんでもないようにつまみを食べ始めた。
そのつれない態度にコリンが若干むくれるが、それこそ知らないといった風に、いなほは隣でナッツをリスのごとき勢いでちまちま食べるサンタを見た。
「美味いか?」
「うん」
「そっか」
どうやらサンタはナッツに夢中らしい。隣のコリンに「フラれちまった」と冗談っぽくつぶやけば、「じゃあ慰めてあげる」と腕を包む弾力がより押し込まれる。
「それでいなほさん。本当に墓穴の攻略に行くつもりなの?」
「あぁ。まぁ依頼っていう名目はあるが、端からやるつもりだったからな」
「もしかして、一人でも?」
「そりゃな。いっそ一人ってのもありとは思ってもいたさ」
だが、こうして仲間とともにダンジョンを攻略していくのも悪くはない。むしろ一人では得られなかった充足感をいなほは感じていた。
「そうねぇ。いなほさんはどちらかと言うとクールな一匹狼ってイメージだもんね」
「となりゃそんな俺に絡むテメェは餌ってわけか?」
「わかってるのに意地悪な人。いなほさんになら私、いつでも食べられていいのに」
「気をつけろよいなほちゃん! そんなの食ったら腹下してしめぇだぜ!」
「テメェは黙ってろ! ゴブリンの餌にするわよ!」
「ちょ! マジになるなって!?」
「っるっせぇ! 今度こそ締めてやるわ!」
バンの横槍に怒りの形相で怒鳴りつけたコリンは、その怒気に恐れをなして逃げ出したバンを追いかけだした。そんなやり取りを声を出して笑ったいなほは、ナッツを食べる手を止めて、神妙な顔で考え込むサンタに気づいた。
「まだ、怖いか?」
「というか、緊張、かな? 明日からいよいよ血色の棺桶に行くんだよね」
「あぁ、ど真ん中だな」
「いなほはまっすぐだね」
「それしか能がねぇからな」
「でも……これまでもそうだったけど、次からはさらに余裕なんてなくなっていくね」
血色の棺桶。地下に広がる墓穴への挑戦権を得るための登竜門であるそこは、斡旋所の規定によるとC+ほどの難易度を誇る。それは、この一週間でいなほ達が攻略してきたダンジョンと段違いの難しさだ。
戦意の行軍の一件で、恐怖心をある程度克服したサンタだが、だからといってなんにでも臆せず乗り込めるというわけではない。むしろ戦いの恐怖を知ったことで、恐怖に怯えていたときよりも慎重になってさえいた。
そんなサンタの気持ちは、これまで臆するという言葉と縁がなかったいなほには良くわからない。だが、やや弱気なサンタの言葉を真っ向から否定するつもりはなかった。
「だけどよ、行かなきゃいけねぇんだろ? 一番奥にあるっていうお宝がテメェには必要なんだろ?」
「うん」
「なら、胸を張れよ。緊張も不安も、何だって胸張って、これだって言うテメェの真っ直ぐを信じれば振り払えるはずだ」
「そんなもの?」
「そんなもんだよ」
いなほは自信たっぷりに断言した。迷いなく、いなほは墓穴の向こう側へと突き進む。
だがそれを強制するつもりはない。自分のはあくまで一意見でしかないのだから。
「だけどよ、もし、テメェがビビッてんなら、俺が背中を押してやる。少し疲れたら代わりに進んでやる」
だから安心しろと、いなほはサンタの頭にその無骨で大きな手のひらを乗せて、そっと撫でた。
その子どもをあやすようないなほの態度に、サンタは少し不満を覚えた。けれど、それ以上に心地よい手のひらの感触に抗えず、そっと目を閉じて堪能する。
「おっ? 随分といい雰囲気じゃないか、色男君に不思議ちゃん」
そんな二人に目をつけたカッツァが冷やかせば、サンタは慌てて頭の上の手のひらを強引に退かした。
「そ、そんなんじゃないよね! いなほ!?」
「ん、あぁ、じゃれてただけだ」
「……そんなはっきりと否定しなくてもいいじゃない」
「お前はどっちなんだよ」
わけわかんねぇと呆れるいなほの肩をカッツァが小突く。
「まっ、そこは複雑乙女心ってね、わかってやりなよ色男君。いいんじゃない? 美女と野獣は見ていてむかつくけど、サンタちゃんは見た目はそこまでじゃないからねぇ。珍獣と野獣なら組み合わせとしては最高だ」
「テメェのそれこそご大層な乙女心ってのをわかってねぇ発言だろ」
見た目は十人が十人普通と言うだろうサンタの容姿だが、それを指摘するのははっきり言って最低だ。
といっても、この荒くれ者達、しかもそいつらに酒が入ってる時点で、自粛などするわけないのだろうが。
しかし女の子としては酷い言われを受けたサンタだが、特に怒っている様子はなかった。むしろ不思議そうに自分の顔をぺたぺたと触って首をかしげているくらいだ。
「そうかなぁ。結構愛嬌あると思うんだけど」
「……おいおい、流石に自分を可愛いとか自惚れる発言はフォローできねぇぞ」
「へ? あ……ち、違うって! そういうのじゃないから!」
顔を真っ赤に染めて慌てふためくサンタに呆れた視線を送るいなほ。そうして一通り賑やかな飲み会をしてから、ようやく落ち着いたカッツァが静かに切り出した。
「明日から血色の棺桶に入るけど……覚悟は……もう決まってるか」
カッツァはいなほとサンタの瞳を見て、聞くのも野暮だなと悟った。だからここからは覚悟をいっそう引き締める説明に移ることにする。
「血色の棺桶は全三十階層のダンジョンだ。最上階までクリアすれば墓穴へと続く黄金の鍵を手に入れられるけど、そこまで行った記録は、一番新しいもので二十八年前、そして、墓穴に関してはさらに過去へと遡る」
「つまり、どういうこった?」
「ダンジョンは定期的にその全容を変貌させていく。本来、危険な高ランクダンジョンほど、定期的にもぐりこんでマップの更新をするんだが……今回に限っては一切のマップが意味をなさないと言ってもいいだろう。罠も、魔獣も、ある程度の推測は昔の資料を照らし合わせてできるけど、ほとんど未知数といってもいい」
単純に難しいというだけの話ではない。情報が不足しているというのは、冒険者にとって致命的だ。
だがその分見返りは大きい。最新の血染めの棺桶と墓穴のマップを手に入れれば、それだけで一攫千金は得られるだろう。
しかしいなほ達の目的は、ダンジョンの最深部までの攻略だ。一攫千金にはほとんど意味がない。
「攻略可能ランクに届いているから大丈夫、などという思い上がりはもうないと思うけど、気だけは引き締めておいてくれよ?」
「あぁ」
「わかった」
いよいよ、そのときが来たのだ。依頼を開始するまで随分と遠回りしたような気がするが、始まるとなればそれはあっという間に迫り来る。
そしてその翌日、数年ぶりとなる血色の棺桶の門の扉が、シェリダン最強のメンバーの手によって静かに開いた。
次回、血色の棺桶。