第二十一話【気持ち】
その頃、外では戦意の行軍のメンバーである女性、メリル・メイスンが目を疑っていた。
彼女は、戦意の行軍でも良識のある人間だ。だが出世欲が強く、そのために戦意の行軍へと入って、悪事にも目をつむっていた。
だが今、そんな自分にツケを払う時が来たのだと悟っていた。彼女の役目は、サンタを救いに来た奴が、用意したHランク百人に倒されたころ合いで彼らを制止してギルドまで男を連れて行く役目だった。
しかし現実は、遠目でもわかるくらいの殺気を吐きだす男が降り立ち、歩き出しただけで、屈強な冒険者が軒並み気絶していくという、信じられない光景だった。
「あ、あ、あぁ……」
手に持った魔法具の片手剣を握るが、愛用してきて、何よりも信頼していた愛剣は、木の棒よりも頼りなかった。
男はゆっくりと近づいてきている。その目に浮かんでいるのは、濃縮された殺気だ。それが誰かの視線にぶつかるだけで、ぶつけられた者は泡を吹き出して気絶する。この時ばかりは、それなりに実力があるためにその殺気に耐えられる己の身をアリアは呪った。
格が、生物としての格が違う。あれこそ、本物だ。本物の、化け物。強いという言葉が空虚になるほどに常識外な生き物が近づいている。
逃げようにも、足は動かなかった。男が許さないのだ。降り立った瞬間、全員にぶつけられた気当たりは、動いた瞬間そいつから殺すという意志表示だった。
早く気絶したい。意識を手放して楽になりたいのに、それが出来ない。涙が溢れてきて、小さな悲鳴が漏れだした。体は地震でも起きたかのように震え、着装した装備がカチャカチャと耳触りな音を上げている。
「テメェ」
そして男、早森いなほはメリルの前に立った。身長はダルタネスよりも低いというのに、その存在感は血色の棺桶にすら見劣りしない。遥か高みから見下ろされているのを自覚する。矮小な己に絶望する。
返事は出来なかった。脳が正常な働きをしていない。いなほは震えるだけの彼女の胸元に付けられた、見覚えのあるマークを見つけて喉を鳴らした。
「お前も戦意の行軍か」
「あ、ひぃ……」
殺される。頭にそっと乗せられたいなほの掌の重みを感じて、メリルは滂沱の如く涙を流した。
嫌だ。ここで死にたくない。まだまだ自分は世界に名を残してはいないのだ。こんなところで終われない。嫌だ、嫌だ、嫌だ!
「た、助けてくださぃぃぃぃぃ!」
瞬間、驚異的な生存本能が土下座の姿勢を取らせた。
そのまま彼女はこびるようにいなほを見上げると、その足に縋りついた。
「し、知らなかったんです! あんな女の子を攫ってくるだなんて思わなくて! こ、ここにいたのは誤解を解くためなんですぅぅぅ! 何とか女の子を解放するようにしますので! どうか! 私だけは助けてください! な、何でもします! 貴方の言うことなら何でも聞きますから!」
「じゃあ死ねよ」
「ひぃぃぃぃぃぃ!」
顔面を叩きつけるようにして地面に付けたメリルを見下ろしたいなほは、しゃがみこむと強引に頭を掴んで上げさせた。
恐怖と涙と鼻水と土にまみれた顔を、いなほは無表情で見つめる。だというのに、その瞳にこめられた殺気は、顔に浮かぶ表情以上に、その内心を雄弁に語っていた。
「ダルタネスの末路を聞きたいか?」
「ひぇ?」
「全身の関節を踏み潰した。もう二度とまともに体を動かすことは出来ねぇ。付き添いのあの女は時間がねぇから何もしなかったが、サンタを助けたらあいつにも落とし前をつけさせる。いいか、俺の目をよーく見ろ」
「あ……」
「テメェらはな、やっちゃいけねぇことをしたんだ。分かるか? もう一度言ってやる。テメェらは、『やっちゃいけねぇことをしたんだよ』。ちょっかいくらいなら許してやる。軽く吹っ飛ばしてそれでしめぇだ。だがな、俺に直接くればいいところを、バンのダチに当たって殺した上に、俺の仲間にまで手ぇ出した」
そこでいなほは軽く深呼吸をした。
「これぁな、戦争だ。喧嘩なんてもんじゃねぇ。テメェらが先に吹っ掛けた戦争だ。もう止められねぇ、誰に責任があるとか、こいつを倒せば終わりって話じゃねぇんだよ。テメェらが全員くたばるか、テメェらが俺をくたばらせるか、それ以外の解決方法はねぇんだ。助けてくれ? そう言えばバンのダチは助けて、サンタを襲ったりしなかったのか! あぁ!?」
「あ、が……!」
メリルの頭がい骨に罅が入る。無意識に普段は行っている手加減が出来ないほどにいなほは怒っていた。
「いいか、テメェが戦意の行軍ってだけでもう終わりは決定だ。『まともな人間でいられると思うなよ』? 殺してくださいってねだるまで徹底的だ。わかったな?」
メリルは最後まで話を聞くことはなかった。すでに頭に走る激痛で意識を手放していたのだ。
その醜態に僅かに溜飲を下げたいなほは、二回深呼吸をして心を落ち着かせて、担いだバンを隣に降ろした。
「バン、テメェは」
「わかってる、ここで待ってるよいなほちゃん」
バンは疲れた顔で拳を突きだした。
「だから、後は任せたぜ?」
「おう」
いなほはその拳に自分の拳を突き合わせ、バンの思いを受け継ぐと、戦意の行軍のギルドへと続く扉を思いっきり蹴破って侵入した。
「出て来いやぁ!」
咆哮がギルド内を揺るがした。窓ガラスが破砕し、振動が並ぶ家具を揺らす。遠慮なく入りこんだいなほは、部屋の奥にある大仰な扉の先から気配を感じた。
これも躊躇いなく蹴り飛ばす。そして中に入ったいなほは、飛び込んできた光景に目を疑った。
「やぁ」
手錠で拘束され、布で口も封じられたサンタの首元に刃を押し当てたクレインがにこやかに声をかけてきた。その前には立ちふさがるようにシードが立っている。
「サンタ!」
「おっと、動くなよ」
駆け寄ろうとするいなほを制止させるために、クレインはサンタに押し当てた刃をさらに深く押し込んだ。
いなほは苦渋の表情で停止する。魔力を解放しているならいざ知らず、生身の状態のサンタは殆ど人間と代わりない。
「そう、それでいい」
その様子に満足したクレインは、弄るようにサンタの体に手を這わせた。
ふざけた態度にいなほの殺気が噴き上がるが、動くことはない。クレインは内心で冷や汗をかきながらも、いなほが手を出せないことを確信して喜びを隠しきれずにいた。
「サンタ……!」
いなほは、いいように弄ばれるサンタの顔を見た。蹴られ、踏まれ、痣のある顔には涙の痕がある。何をされたのかは知らないが、サンタを見たことによるいなほの憤怒は、それだけで部屋が軋みをあげるほどだった。
だがそれでも優位は自分にある。クレインは、ここでいなほを殺せば全てが上手くいくなどという確信を持った。いなほの殺気を浴びて平静でいられるわけがない、彼もまた、圧倒的という言葉すら生ぬるいいなほの戦力に余裕を失くしていた。
「さて、とりあえずお前にはこれを着けてもらおうか」
そう言ってクレインがいなほに投げ渡したのは残り二つの魔力封じの手錠だ。サンタは必死に首を横に振っていなほにそれを装着しないように訴えるが「邪魔するな」と言ってその顔をはたいたクレインの手によって動きが止まる。
「……つけりゃいいんだな」
「あぁそうだ」
いなほは躊躇いなく二つの手錠をその手にかけた。
「シード」
「……」
シードが慎重にいなほに近寄り、手錠の封印機能を発揮させた。
直後、クレインはサンタを後ろに突き飛ばして高笑いをあげた。
「ははははははは! この馬鹿が! そいつは魔力を吸い出して魔法を使えないようにする魔法具だ! 幾ら強くても魔法が使えなければ能力は半減だろ! シード!」
「『戦いの力をこの身に』」
「『戦いの力をこの身に』」
二人が強化魔法を唱えた。仮にもG+ランクとFランクの全力だ。魔力を封じられて、さらに手の自由もきかないいなほにはなす術もない。
「『衝撃』!」
クレインは勝利を確信してその手から見えない真空波を放っていなほを吹き飛ばした。部屋の壁を突き破って奥に消えて行くいなほを、喜悦に歪むクレインとシードが追う。
その光景を見ながら、サンタは己の無力を呪った。全部、自分が悪い。殺気に怯え、死の恐怖に震え、その結果がこれだ。
「んー! んー!」
何なんだ。自分は何なんだ? 肩書の何もない自分には何もないのか? 違うはずだ。自分には力がある。皆を守れる力があるくせに、未だに塞ぎこんでいるのは何だ。
ここで何も出来ないなら、最早自分が自分である意味なんて、何処にもない!
「んぁぁぁぁぁぁ!」
サンタはあらん限りの魔力を放出し始めた。それら全てが手錠の力に抑えつけられコントロールを失うが、そんなのは知らない。サンタは魔力を放ち続ける。無色の力はその髪を揺らし、部屋全体を揺るがした。
手錠の一つに罅が入る。サンタの魔力出力は限界を見せない。もう何も考えない、ごちゃごちゃ考える必要なんてなかった。
助けるんだ、こんな馬鹿な自分を助けに来てくれた人を助けるために。
「ん……ああああああああああああああ!」
口を塞いでいた布が解ける。サンタは声を張り上げて魔力出力をさらに高めた。限界なんてない。そもそも限界に至る前に恐怖で制限をかけていたのだから。
その程度のことだ。自分を襲う恐怖よりも、いなほが殺されるかもしれない恐怖のほうが恐ろしい。なら動け、いなほを助けるために、恐怖なんて超えて見せろ!
手錠が砕ける。亀裂が入った直後、サンタが放出するギルド内では収まりきらぬ魔力の濁流に、ついに手錠の力が耐えきれなくなったのだ。
そして、結末は一気に訪れる。瞬く間に三つの手錠を破壊せしめたサンタは、体に魔力で強化の術式を刻みこんで部屋の外に飛び出した。
「止めなさい!」
その声に反応したクレインとシードが振り向く。その目は驚愕に見開かれていた。
「な、何でお前……手錠が……!」
「女の子を手錠プレイなんて、最低だ」
「く、くそ! この雑魚が!」
「もう君なんて、怖くない」
サンタは魔力の大津波を二人に叩きつけた。それだけで二人の顔色は真っ青に染まり停止する。恐怖を超えたことにより本来の実力を発揮したサンタに隙などない。たかがFランクとG+程度の実力で、サンタの放つ魔力に耐えきれるわけがないのだ。
サンタは手についた手錠の痕を摩りながら、クレイン達の様子に何処か違和感を覚える。
驚きはある。だがその驚きは、まるで立て続けに襲いかかってきた理不尽に困惑しているかのようであった。
そしてサンタもその原因を知った。クレインの背後、攻撃によって出来た煙幕の向こう側から、ぬるりと飛び出す黒い影。
「おい、もうおしまいか?」
「な、なんでお前は生身の癖に無傷なんだよぉ!」
「鍛え方が違ぇんだよ」
「そんな滅茶苦茶なことがあるかぁ!」
「キーキーうるせぇもやしだなテメェらは」
もう終わりだ。そう言って、いなほは手に着いた手錠を、ただの腕力だけで引きちぎった。
その体は、クレインとシードの猛攻を受けたにも関わらず、服が破れているだけで、その黄金以上の価値を持つ肉体には傷一つついていない。それこそ、クレイン達が最初から動揺していた理由だった。
もし敗因をあげるならそこだろう。いなほの筋肉と、サンタの魔力を侮った。B-という異常者の本領を軽視したことが、最初にして最大の過ちだった。
「いなほ!」
「お、サンタ、無事かよ?」
戦意を消失して膝をつくクレインとシードを追い抜いたいなほに、サンタは駆け寄ると同時に抱きついた。
「っと……どうした?」
「馬鹿……私なんかのために、無茶、駄目だよ」
「なーに言ってんだ。依頼主がいなきゃ依頼解決しても意味ねぇだろ?」
いなほは照れ隠しにそう言うと、鮮烈な魔力を容易に吐き出し続けるサンタの瞳を覗きこんだ。
「今度は、大丈夫みたいだな」
「……うん。もう、大丈夫」
その言葉に安堵しつつも、いなほは視線を外して頬を掻いた。
「その、悪かった。なんつーか、いきなり大物相手にさせんのは、よくなかった。だってのに、何もフォローしねぇで、追いこんで……その、あれだ。悪い」
「気にしないで。だっていなほ、私のためにしてくれたんでしょ? それに私も謝らないといけないんだ。守るだなんて言っていたけど、自惚れだった。いなほが言ってた、自分を守れっていう言葉は正しくて、だからごめんなさい」
「だけどよ……」
サンタはまだ何か言い募ろうとするいなほの唇をそっと人差し指で塞いだ。
「気持ち、伝わってるから」
「そうか」
「だから、ありがと」
痣があって、鼻血の痕もあり、お世辞にも綺麗とは言い難いその顔。だがその笑顔は、これまでいなほが見たサンタの笑顔の中で、一番輝いて見えた。
なら、それでいいのだろう。不器用に言葉を綴って、少し思いがずれて、だけど互いの気持ちはわかっていて。
「あぁ」
これが伝わるということなんだ。そう感じた。エリスのように、何ともなしに阿吽で通じるのではなく、見えない相手だから、言葉を重ねる。そうすることで得られる確かな共感。
またすぐに互いが互いの気持ちをわからなくなるけれど、それでも今感じるこの暖かい思いは、きっと互いに同じだと──
「ふざけるなぁ!」
いなほとサンタは、その叫びを聞いて思い出したかのように項垂れるクレインのほうを見た。
「ふざけるなよ! 俺はこれからの男なんだ……! ラングルス家の名を世界に知らしめるために、俺はこの一年、こんな場所で待ち続けたんだ。まだだ、試練が始まって、それを手助けして、王に認められるんだ……だから、こんなところで終わっちゃいけないんだよ!」
「やっぱし、君、貴族だったんだ……」
「黙れ平民! 俺を見下すんじゃねぇ!」
子どものように喚き散らすクレインを、哀れと見るサンタ。その視線に憤ったクレインは、実力差も考慮せずに二刀を抜いて突撃したが、いなほの手によって容易くその武器を砕かれた。
おまけとばかりに顔面を蹴り飛ばされて無様に床を転がる。鼻が砕け散り、醜く変貌したクレインは「お、俺の高貴な顔がぁぁぁぁぁぁぁぁ!」と叫んでのたうった。小悪党の末路に相応しい呆気なさに流石に呆れたのか。怒気を引っ込めたいなほはクレインとシードを指差してサンタを見た。
「どーする?」
「こーする」
いなほは良くても、サンタは彼らを許さない。
サンタの瞳が妖しく光る。その目に宿る、顔を踏みつけられ、腹を蹴られ、それはもう足蹴にされまくった女のプライドが、二人の断罪を物語っていた。
次回、中盤終わり。そしてようやく探索開始へ。




