第十八話【不良、覚醒】
もうすぐ日が落ちるという中、いなほとカッツァは転移陣から出たサンタを軽く探して、近場にいないのを確認していた。
「どうだった?」
「いや、こっちもいねぇ」
カッツァといなほは、誰ともなく溜息を吐きだした。
「色男君もさぁ、色男なんだからもっと女の子の扱いは優しくしないと」
「うるせぇ。そういうの苦手なんだよ」
カッツァの苦言に、いなほは苦し紛れの一言を返すのが精いっぱいだった。
いつもなら軽く返せることが出来ない。思い出すのは、自分が引きずり戻すのに失敗した少女、メイリン・メイルーのことだ。
また、間違えてしまったのか。そんな思いが浮かんできて、いなほはそれを振り払うように顔を振った。
違うはずだ。戦いの恐怖を乗り越えるために、一人で考える必要があるだけ。だから、サンタは今、少しだけ悩んでいるのだと。無理矢理考えて、だから何だと自嘲する。
「クソっ……」
「自嘲もいいけど、一応ケアくらいしておくんだよ? そりゃ君のスパルタは男の子ならありかもしれないけどね。不思議ちゃんは女の子なんだ」
「んなことぁ!」
「わかってないだろ。同じB-ランクだから大丈夫だって、思っていたはずだ」
「ぐっ……」
返す言葉もない。特別なのなら、殺し合いの恐怖だって一人で乗り越えられるはずだと、自分と照らし合わせていなかったとは言えない。
「何もかも、それこそ人を見極めるときですら自分本位すぎるんじゃないかい。色男君はさ」
カッツァの言っていることは事実だ。だがそれもいなほの存在からすれば、無理もないだろう。
かつて地球で過ごしていた頃、いなほは自分が特別だと確信していた。何せ、格闘技の世界チャンピオンだって出来ないような一撃を容易に振るえ、あるいはその戦力は当時の時点で、小規模な完全武装の集団ならば、生身で葬れたほどだ。
そんな彼がここに来てから出会ったのは、異常な自分に近いことが出来る者達ばかりだった。最強を疑いはしないが、自分が世界でたった一人の特別であるという考えはなくなり、こいつらは自分と似たようなことが出来る同類だと、心の奥底では考えていたかもしれない。
さらにサンタは、ミフネと同じくその能力値が自分にほとんど追いすがるような稀有な存在だった。なら、その在り方に自分を投影しないわけがない。
「……」
「特別故の共感ってものかな……でも色男君、彼女は、君と同じ生き方をしてきたわけじゃないし、ましてや君と同じ生き方なんて出来はしない」
カッツァの言葉は重い。心に響き、沈殿する。
「君に必要なのは、以心伝心の同類ではなく、手探りで知り合っていく他人なのかもしれないね」
そう締めくくったカッツァは、まるでそれまでの重い空気などなかったかのようににこやかに笑うと、いなほの肩をばしばしと叩いた。
「まっ、女の子を泣かせただけの話だ! むしろここで慰めて、不思議ちゃんのハートキャッチってのが定石だね!」
「お前は……ったく、気が抜けるぜホント」
カッツァの気楽さに釣られて笑ったいなほ。そうだ、失敗なんて幾らでもある。いなほは自分が完璧な人間ではなく、むしろ正しさから程遠い人間だと自覚している。そんな奴が、一人前に失敗を悩み、何が最善だったのかと悩むのは、あまりにも馬鹿らしい。
少しだけ楽になった肩をぐるりと回したいなほは、とりあえずサンタが行っているだろうセンスに足を運ぼうとして。
「いなほちゃん!」
そんな二人を大声で呼んだのはバンであった。息も絶え絶えに、強化魔法をかけたままかけてくるバンを二人は嫌な予感を感じた。
スッと臨戦態勢に入るいなほとカッツァの前に出てきたバンの体は至る所に火傷があり、傷がかなり目立っている。
「どうしたんだい?」
「クソ、畜生。あいつらだ、戦意のクソ野郎共が報復しに来て、俺の仲間が殺された」
「何だって!?」
カッツァが驚きの声をあげる。原則として、冒険者同士の殺し合いは特に規制はされていない。というのも、シェリダンはある意味治外法権とも言える場所で、自身の命には自分で責任を持つのが当然とされている。
だがそれでも暗黙のルールとして、冒険者と冒険者が争うことは良しとされておらず、商人達は商人たちで組織を組んでいるため、仮に襲われた場合、犯人には武器、道具類の一切が売られなくなり、さらに契約したギルドによる粛清が行われる。
冒険者もこの例に漏れず、ギルドの冒険者が殺された場合ギルドを上げて報復するのが基本だ。しかし、弱小ギルドに関しては、バンのように報復するための実力がないので、泣き寝入りするしかない。
勿論、だからと言って好き好んで弱小ギルドを潰しまわるような者は、大手ギルドに粛清されるのが常であり、そも弱小ギルドや商人を襲うよりも、ダンジョンに潜って稼いだ方が旨味が遥かに高いため、そんなことをする者はいないのだが。
「やったのか。あの自惚れギルドめ……!」
カッツァの腕の毛が、その怒気に呼応するように逆立った。バンのギルドは、弱小ながらも罠に関する知識が豊富なため、火蜥蜴の爪先にダンジョンマップを提供するといった点で世話になっていた。何よりカッツァや火蜥蜴の爪先のギルドのメンバーはおろか、彼らを知る者達全員が、才能がないながらもシェリダンで頑張る彼らのことが好きだった。
それを殺されたのだ。これまではちょっかい程度ならあしらうくらいで我慢していたが、今回に関しては我慢の限界を振り切ってる。
バンが嘘をついているとは思わない。軽薄で弱々しい男だが、実直で、素直な男だ。そんな男が、ぼろぼろになって、仲間も殺されたというのに、数日前に知り合ったばかりのいなほに警告するために汗だくになって都市を駆けた。
それだけで充分だ。いなほもバンの心を受け取って、いたわるようにその肩に手を置いた。
「い、なほちゃん……」
「大丈夫だ。仇ぁ、俺が取る」
「って待てよ……おい色男君! 確か前にダルタネスといざこざあったとき、不思議ちゃんも突っかかったって言ったよね?」
「ッ……! クソ!」
カッツァに言われて、いなほはサンタの身にも危険が及ぶ可能性に至り、その場から一気に飛び上がった。
ダンジョンの壁を蹴って、商店あや宿屋の屋根に着地、下から聞こえるカッツァの声を無視して、いなほはセンスまでの最短距離を駆けだした。
「サンタ……!」
B-ランクの彼女を心配する必要がない、などとは思わない。サンタはキングはおろか、クイーンの咆哮ですら集中を切らす程に、殺気に慣れていない少女だ。それがキングの殺気を浴びて恐怖をしみ込まされた今、その状態で戦えば、圧倒的格下にすら苦戦する可能性すらある。
胸を焦がす嫌な予感を、さらに加速することで振りきる。だがこの時点でサンタは既に戦意の行軍の手に落ちていて、コリンすらも今ダルタネスに追われていた。
「いなほさん……!」
いなほの驚異的な聴覚が、助けを求めるコリンの声を聞いた。聞こえるのは後少し、センスの奥に広がる路地裏の狭い道からだ。
「間に合えよ!」
言葉の空虚に苛立つ。サンタも心配だが、コリンの助けを無視するわけにもいかず、いなほはその声の元へと急いで駆けだした。
「見つけた……!」
屋根を伝って数秒、建物と建物の間で、壁を背中に追い詰められたコリンの前に、いなほは一気に降り立った。
普通なら着地の瞬間に骨が砕けても当然だが、持ち前の肉体はこの程度の衝撃ではビクともしない。楽々と降り立ったいなほは、コリンを背中に目の前のダルタネスを睨み上げようとして、目を疑う。
「……会いたかったぜぇ。不意突いてやったからって図に乗ってるんじゃねぇかって不安でよォ。思った通り図に乗ってまたそっちからノコノコ出てくるとは思わなかったぜ!」
いなほが怯えているとでも思ったのか、ダルタネスは腫れたままの頬を軽く叩いて、凄惨に笑いかけた。だが殺気をまき散らすダルタネスでなく、その後ろで可哀想にと言った様子でこちらを見る女性の持っているものに、いなほは目を奪われていた。
それは、杖の先に美しい宝石の輝く魔杖だった。決して見間違えるわけがない。それは、確かに、あいつの。
たちまち、ぎりぎりで冷静を保っていたいなほの怒りが一気にリミットを振り切り、体の中をどす黒い何かが埋め尽くす。
いなほは、その持ち主を知っている。
ついさっきまで一緒にダンジョンで戦っていた。飯を作るのが上手くて、笑顔が似合っていて、話すと楽しくて、だっていうのにそれが自分には縁がないと思うような馬鹿で、魔獣にビビるような情けなさもあって、それでも根っこには折れない強い芯があると信じている仲間が使っている、大切な杖を──
「テメェら……」
いなほの堪忍袋が、完全に千切れ飛ぶ。怒りが突き抜けた。ここまでキレたのは、この世界に来てから初めてのことかもしれない。
自分ならまだいい。自分に突っかかるのなら、キレはするが、ある程度自制の効く怒りで抑えられただろう。
だが、それは駄目だ。バンを傷つけ、その仲間を雑草を刈るように奪い去った挙句、その手に持つそれは、つまりお前達があいつを襲ったという証拠に他ならない。
本能の奥に眠る悪意が絶叫する。
──ここに、かつての本性を完全に取り戻した『不良』早森いなほが、完全に目を覚ました。
次回、凄惨な描写ありにつき、閲覧注意。冗談ではなく。