第十六話【すれ違い】
「さってと。休憩も終わったし、そろそろ上に行くとするかい?」
食後の休息もそこそこに、カッツァは二人にそう声を掛けた。
「あぁ、問題はねぇぜ」
「私も、特に異論はないかな」
装備が軽装なこともあり、用意に時間がかかることなく三人は上への階段を上ることにした。危険はさらに募る一方だ。十一階に入ってからは、カッツァの技能とサンタの知恵を持ってしても、罠を完全に回避できるというわけではなくなっていた。矢や槍がトラップとして迫るのは当然で、さらにその切っ先には毒までご丁寧に塗られている。休憩用に見せかけたモンスターハウスや、宝箱を模した爆発物も当然として存在した。
いなほならばその全てを問題なく力技でクリアできるし、カッツァも危機への対処は心がけている。だがサンタだけは、膨大な魔力量はあり、強化魔法で身体を強化して罠も防げるとはいえ、心は少女のそれでしかない。度重なる戦闘と罠解除などのストレスは、一度の休憩だけでどうにかなるものではなかった。
「サンタ?」
「大丈夫だよ」
呼びかければ、温和な笑みを返してくれるものの、その笑顔もどこか元気がない。精神的な疲労はそろそろピークに達するといったところだろう。
だがそれもあと少しの辛抱だ。罠と魔獣の攻撃をかいくぐり、三人はようやく十三階にある巨大な門の前に到達した。
「……着いたか」
およそ半日程だろうか。Eランクダンジョンの攻略にかかる時間と考えればあまりにも早すぎるが、それでもいなほは随分と時間がかかったと思っていた。以前サンタと入ったときは、それこそ散歩感覚で行けたのが大きいだろう。
一方で、運が良かったとも思っていた。このEランクの迷宮ですら、そのトラップの総量と来たら、いなほ一人であったらそのほぼ全てにはまっていたはずだ。それらを経験できたというのは、これから墓穴の向こう側に挑もうとしているいなほはもちろん、サンタにとってもいい経験になった。
「さて、準備はいいか?」
いなほは門を背にして決意の証に拳を握りこんだ。サンタもカッツァも自身の獲物を強く握り締める。
覚悟は十分だ。いなほは門へと振り返ると、躊躇いなくその拳を叩き込んだ。
「行くぜぇ!」
いなほの全力に耐え切れなかった扉が、留め金を千切り吹き飛ぶ。その勢いのままに闘技場へと進入したいなほ達は、待ち構えていたのは、クイーンバウトを上回る巨躯の狼を守護する黒狼の群れ。
眼光鋭く鎮座するのは、金毛を逆立たせて臨戦態勢に入った、狼の王、キングバウトだった。
吹き飛んだ扉は、キングバウトの腕の一振りで鉄屑と化し、明後日の方向に飛んでいく。
「気ぃ、引き締めろサンタ!」
「うん!」
いなほの激励に答えてサンタが魔方陣を展開する。その桃色の光を背中に疾駆するいなほとカッツァ、まずはカッツァがガントレットより拳大の火の玉を三つ顕現させて、応じるように襲い掛かってきたソルジャーバウトへと放った。
三つの炎は狙いたがわず、確実に三匹の狼を燃やし尽くす。しかし狼は仲間の屍を超えて飛び掛ってきた。
「ツラァ!」
それらを迎撃するのはいなほの足だ。真一文字に振るわれた居合抜きの一振りからカマイタチを発生。残像も残さぬ神速の一振りが烈風を呼び込んで、見えぬ斬撃は無謀にも襲い掛かってきたソルジャーバウトを一網打尽にした。
しかしキングバウトだけは見えぬ切っ先を頭上に飛んで回避する。天井高くまで跳んだ狼は器用にも虚空で反転、天井に四肢を貼り付けると、蹴り砕かん勢いで天井を跳ね、サンタ目掛けて流星のごとく落ちていった。
速い。カッツァでは反応がぎりぎり可能な加速域を、いなほは追えるにも関わらず見逃した。
忠告は最初にした。後はお前がやれ、サンタ!
「はぁぁぁぁ!」
キングバウトの飛翔を察したサンタは、その射線上に新たな魔方陣を展開する。それは休憩中に三人が座ったあの柔らかい魔方陣だ。
それが突撃したキングバウトを絡めとる。中央に浮かぶのは蜘蛛の紋章。張り巡らされた蜘蛛の巣は、魔方陣をへこませつつもサンタの手前でキングバウトを押しとどめた。
「■■■■ッッ!」
「『落雷』!」
キングバウトが拘束より逃げ出した直後、その頭上に展開された魔方陣から落ちた雷が、虚しく地面を焦がした。枯れ木が割れる音を響かせて散った落雷の紫電が散逸するよりも早く、後退して体勢を立て直したキングバウトがサンタ目掛けて突撃する。
新たに作り出す魔方陣は、蜘蛛の陣が三つと炎が二つ。幾ら神速を誇るキングバウトとて、サンタの作り出した魔方陣を抜くことはできずに、再び絡めとられた。
「っっ!」
だが目前まで迫り、口を何度も咀嚼するように開くキングの威容にサンタはひるんだ。眼前から放たれる殺気がサンタの動きを硬直させる。
直後、援護のために走り出していたカッツァを抜き去ったいなほがキングバウトの懐にもぐりこんだ。
「シッ!」
呼気を僅かに漏らして、地を縫うように放たれたアッパーがキングバウトの腹部へ直撃する。肉と骨と臓物をひき肉にしたいなほの拳によってキングの身体が虚空に浮かび、その口から血反吐を撒き散らした。
だがまだ終わらない。いなほは空に舞うキングの頭上へ飛翔した。天高く伸びるのは空前絶後のつま先だ。180度を超えて開脚された右足は、いなほの頭の後ろまで伸びきった直後、激痛に身動きできぬキングの鼻の先へと、烈火の勢いで炸裂した。
肉をハンマーで叩き潰したようないやな音の直後、地面に落とされたキングの体があまりの勢いに千切れ飛ぶ。舞い散った血飛沫が頬に当たるのをサンタは自覚した。
「へっ、ざっとこんなもんよ」
ご機嫌ないなほの言葉は耳に入らない。サンタは頬についた血を拭い取り、それすらも光の残滓となってダンジョンに吸い込まれていくのを見届けた。
助けられた。あの瞬間、キングの放つ殺気に怯んだサンタは、僅かにだが魔方陣の構成を甘くしてしまった。もしもいなほが助けに来るのが遅かったら、あるいはあの口の中に身体の一部を持っていかれていたかもしれない。
「っ……こんなんじゃ……!」
サンタはいなほには聞こえないくらい小さな声で自身の未熟への憤りを吐き出した。負けるどころか、一撃を受けることすら本来ならありえない相手だった。
だが本物の殺気に怯えてしまった。これまで安全圏からただ魔法を撃っていただけえ、戦いになれたつもりになっていたことを自覚させられた。
「サンタ」
自省するサンタの元にいなほはそっと近寄った。不安げに見上げてきたサンタは、何かを言いたげないなほの顔を見て悟る。
「驚いちゃった、かな?」
愛想笑いを浮かべても、それは長く続かない。数秒後、サンタは肩を震わせた。
「怖かった」
「……」
「目の前に来たとき、殺されるって、怖かった」
「そうか」
いなほは、情けなくも震えているサンタを攻めることはしなかった。
その恐怖は、感じて然るべき恐怖だ。殺し合いという場面にいるという自覚を促す、大切な薬となる。
そして、サンタに求められるのが早い段階での豊富な経験なのだとしたら、いなほがここで叱咤してサンタをたきつけてはならない。危険だが、自力で恐怖から這い上がる気概こそが重要だ。
「どうする?」
だからいなほは聞くだけだ。突き放すように、今にも誰かに縋り付きそうなサンタとの間に見えない壁を張る。
「色男君!」
そんないなほの冷たい態度を諌めようとカッツァが割り込んだ。だがそれはあまりにも遅すぎるタイミングでしかない。
サンタはいなほの冷たい視線にさらされ、どう答えようか迷って、何度か口を開いては閉じてを繰り返し。
「ッ……」
唇をかみ締めて、サンタは現れた報酬に目もくれず、脱出用の魔方陣に逃げるように入っていった。
次回、葛藤と襲撃。