第十話【ヤンキーのこと】
顔と腹に飛びついて来たソルジャーバウトの口に、鉄すら砕く鉄拳を食らわせる。牙を砕き、内臓奥まで貫かれたソルジャーを一息で振り払うと、足もとへ食いつこうとしたソルジャーの牙を足を上げて回避。そのまま恐るべき勢いで踏み込み、ソルジャーは筋肉スタンプによって地べたにプレスした。
そしてそれは文字通りただの踏み込みだ。ソルジャーの体など障害にもならない踏み込みが発生させた力を、いなほは腰を捻じることで足から足へとスライドさせた。滑るように下半身を駆け抜けた力を反対の足へと伝達。跳ねるように飛んだ蹴り足は、さらに足を畳むようにして軌道を変え、力をさらに増幅させた。
尖った爪先から股間にかけてが、一本の剣と化す。点ではなく、面を払うように解き放たれた足から発生した乱気流が局地的な暴風となり、通路にひしめいていたソルジャーウルフを全て肉塊へと変貌させた。
その背後、時を同じくして、いなほの神速にも負けぬ速度で練られた魔法陣が、サンタの前方に展開される。これまでよりも巨大な魔法陣は、サンタの体を丸々隠せるほどのサイズだ。
それを魔力の網で即座に作り上げたサンタは、その中央を杖の先で貫いた。弾力でもあるように魔法陣の中央が杖の形に伸びる。引きずられる周りの魔法陣は、そのまま杖に張り付いて、完全に杖を包み込んだ。
「『轟雷招来雷来雷神』!」
杖の先が紫電を発生させる。桃色の光がパチパチと紫電を弾けさせるさまは、小規模な雷雲だ。
そうしている間に。ソルジャーウルフがサンタにその口を広げて襲いかかる。少女の細腕など枯れ木を手折るように砕く牙が無数に飛びかかる様は、ただの少女なら目を閉じて怯えただろう。
だがサンタは目を逸らさない。迫る様をしっかりと見据えながら、その口に、腕の代わりの杖の切っ先を突きいれた。
「『穿て。雷電』!」
ソルジャーバウトの内側が発光する。黒い体毛を破って光は忽ちに漏れだし、直後、轟音と共に杖の先から通路の奥までを白い光が突き抜けた。
白い光は、突撃してきたソルジャーに触れた瞬間、その体を末端から蒸発させる。原形すら許さぬ魔弾の一撃は、通路の奥の壁すら僅かに抉って消滅した。
「決着」
「ってな」
いなほとサンタは振りかえると同時に、杖と拳を突き合わせた。F+ランクダンジョンが仕掛けた魔獣のラッシュですら、この二人を揺るがすにはまるで及ばない。
Gランク二体の奇襲も、Hランクの魔獣の猛攻も、いずれも脅威には足りえず、二人の顔に浮かぶ笑顔は、まるでちょっとしたアトラクションをクリアしたかのような雰囲気があった。
そして二人は九階の探索を開始する。初手こそが最大だったのか、その後、魔獣との遭遇は散発的になり、散歩でもするかのように探索は進むのであった。
「こういうのって、よくないけどさ」
「あん?」
「案外、楽ちん?」
隣を歩くいなほの顔を、悪戯っぽい笑顔を浮かべながら見上げるサンタ。その表情に僅かに浮かぶのは、そんな考えをする自分への呆れか、それでも楽しげな表情は、遊びを楽しむ普通の少女でしかなかった。
「まっ、こんくらいでヘタってたら意味ねぇだろ」
そう答えれば、面白そうに「そうだね。ヘタヘタ、大変だ」と笑いを堪えて応じるサンタ。
かつて、メイリンにも不思議な感じを覚えたが、いなほがサンタに感じる不思議さは、メイリンのそれとはまた別のものだった。
雰囲気に弾力のあるというのだろうか。言葉を交わせば交わすだけ、しっとりと抱かれるような気分になる。穏やかな物腰と、緩やかな言動は、いなほにとって初めて相手にするタイプで、だというのに苦手意識などはまるでなかった。
だからこそ、不思議でたまらないのだ。
「サンタ」
「ん?」
「お前、一体何者だ?」
圧倒的な魔力と、魔法の知識、そして独特な雰囲気を持ち、斡旋所の一室に通されているという待遇。実力はランクだけ見るならいなほと同等まである。自惚れでも謙遜でもないが、自身を最強と疑わないいなほも、自分がどの程度のものかということくらいは把握しているつもりだ。
少なくとも、B-という己の実力は、この世界でもかなりの上位に位置するはずだ。そしてそれは、有名であるということとイコールである。事実、マルクで魔族を倒したという情報は、このシェリダンにまで聞こえていた。
高い実力には、相応の名声が付いて回る。だというのに、高級な一品を身にまとい、世界でも珍しい実力を備え、さらにごろつき代表格とでも言えるいなほが、直ぐに打ち解けられる程の包容力を持つ少女ことを、何故あの酒場にいた人間の誰もが知らなかったのか。
もしかしたら、依頼をいなほに手渡したカッツァならば何かを知っているのかもしれないが、本人が目の前にいるのに後でわざわざ聞く必要もないだろう。
真摯に見つめてくるいなほの視線を感じて、サンタは目を背けるでもなく、困ったように頬を掻いた。
「私はサンタ。君はいなほ」
「そいつぁ……」
尚も言い募ろうとするいなほの腕を軽く小突く。淡く、悲しそうに少女は笑う。
「ごめんね」
サンタは顔を伏せると、首から下げた赤い宝石のついたネックレスをそっと撫でた。
「言葉」
「あ?」
「言えないって、辛いことだ」
今は言えないということなのか。辛そうに堪えるサンタの横顔を見て、いなほは何故か居た堪れなさを感じて頭を乱暴に掻き毟った。
「悪かった。言えねぇなら、いい」
「いなほ?」
「代わりに、俺ぁ話まくんぞ」
それでいいだろ。といなほはサンタを睨んだ。有無を言わせぬその圧力に、サンタは僅かに目じりを緩めると、同じくらい小さく首を縦に振った。
「なら、話して。知らない事、知ってる事、いなほの事、聞きたいな」
「……お前、小っ恥ずかしいこと言うんだな」
「そう? 恥ずかしくても、言えるなら言わないと……伝わらないんだ。言葉って」
確信めいた言葉だった。何か過去にあったのか。その表情だけでは、全てを理解することは出来ない。
だから言葉を重ねるのだろう。
「まっ、だったらとりあえず自己紹介から改めるとするか……俺自身は、大した人間じゃねぇよ。腕っ節が強くて、後はクソったれで──」
しかし、何かを話す切っ掛けにまず口にした己のことは、自分で思う以上に淡泊なものだった。
「あー……それと……いや、マジか……」
その事実に、言った本人が驚いていた。早森いなほを語る早森いなほの言葉は、その程度のもので事足りた。何か他に自分のことで言えることがないかを考えて、何もないことに唖然とする。
再び頭を掻き毟り、いなほはそっぽを向いた。
「悪い、よく考えたら、俺、話すの苦手だわ」
会話は苦手ではないが、言葉を綴るのは苦手だ。初手から破綻したことを謝って、いなほは自分が先程から謝ってばかりなことに気付いた。
珍しいどころではないことだ。人に対して謝るという行為は、本来我の強く、己が全てと信じているようないなほにはまずあり得ないことだった。
だが、不思議とサンタの前だと素直になれて、謝ることが出来る。サンタもそんないなほを茶化すでもなく、気にしないでと言った。
「伝えたいこと、長いから良いわけじゃないよ」
必要なのは、こめるべき思いのはずだ。サンタは得意げに胸を張ると、いなほの前に躍り出て、くるりと振りかえった。
「それに私、少しは知ってるよ。いなほの良いとこ」
「へぇ、そりゃ驚きだ」
「真っ直ぐで、おバカ」
あまりの言い草に、怒るでもなくいなほは吹き出してしまった。だが実際、自分を端的にまとめるとそんなものなのかもしれない。
「さしずめテメェは天然ボケ女ってとこだな」
「あ、そういう言い方、女の子には失礼だな」
「はいはい、俺が悪かった悪かった」
「反省、ちゃんとしろぉ」
杖で肩を叩かれたいなほは、大仰に驚いてみせると、それが面白かったのか、サンタは僅かに吹き出した。
次回、ひとまずダンジョン制覇。
例のアレ
カッツァ・グレイドラ
火蜥蜴の爪先のギルドマスター。自身の便秘を腸内のブツに火をつけてケツから射出させる方法で解消した恐るべき強者。そのときに射出したブツで壊れた便器は未だに直っていない。