第十一話【ヤンキーやけ酒】
アイリスが気取った風に一礼すると、ゆっくりとドアを開いて入るように促した。
ギルド、火蜥蜴の爪先の建物の中は、ちょっとした酒場のような感じだった。全てが木製の壁やカウンターにテーブルと椅子、ここでは珍しくもないのだろうが、いなほとしては新鮮な感じだ。いなほ達が入ったことで入り口の鈴がなり、珍妙な客を見て飲食等をしていたギルド員達が興味深そうに彼らを見た。
慣れたとはいえ、狭い室内で幾人もの屈強な人に見られるのは恥ずかしいのか、エリスは四方に目線を泳がせる。一方いなほはこういう雰囲気に慣れているのか、堂々とした態度で進むと、適当に空いてるテーブルの椅子に腰かけた。
ついでに肩車したエリスを下ろして隣の席に座らせる。アイリスはといえば、カウンターで老いを感じさせながらも屈強な老人と話していた。
「……」
「どうしたエリス?」
待っている間手持無沙汰のいなほは、何処か緊張した様子のエリスに声をかけて、無理もないかと頭を振った。
「皆、来てるんですかね……」
エリスの不安にどう答えればいいかわからず、いなほは虚空を仰いだ。店内を照らすランプの火を目で追う。
大丈夫と楽観的に言うこともできた。だがいなほは下手な希望を与えるのは逆効果であるだろうと思ったため、エリスの望む言葉を言うことができなかった。
多分、全員死んだだろう。いなほは可能な限りトロールを殺したが、森のほうまで人を追ったトロールがまさか自分の所に全員集中したとは考えづらい。村人もばらばらに逃げただろうし、トロールもばらばらに追っただろう。そして襲撃があったのはいなほがこの世界にくるより前の話で、村の惨状を見る限り襲撃から随分経過した後のはずだ。
あえてあの日、トロール殲滅後、周りを探索するという選択をいなほは取らなかった。もし他の死体を見て、エリスにそれを隠し通せるとは思えなかったからだ。
「待たせたな」
痛い沈黙の空気を裂くように、アイリスが席に座った。エリスがすがるような眼差しでアイリスを見る。
アイリスは、ただ申し訳なさそうに目を伏せた。
「君の村からの依頼所への依頼はなかった。事が事なら緊急を要する事態だ、ここまで逃げのびたなら、即座に報告していただろう。つまり、残念なことだが……」
「……そう、ですか」
エリスはどうにか口を笑みの形にしつつ、顔を伏せ、肩を震わせる。
声を漏らさずエリスは泣いていた。唯一の希望は容易く奪われ、冷たい井戸の底に落とされたような絶望感が彼女を包む。
「……エリス、二階にプライベートルームがある。防音もしてあるから、そこに行こう」
アイリスは、静かに泣くエリスの肩を掴むとそっと立ち上がらせた。言われるがまま、促されるまま、エリスはアイリスに引かれて二階へと上っていく。いなほは追わなかった。いや、追えなかった。
「ケッ、ザマぁねぇ」
鼻を鳴らして自嘲する。自分は、全く持って無力だ。現実を叩きつけられていなほは無性に悲しくなり、酒が欲しくなった。
すぐにアイリスが二階から下りてくる。そしてカウンターの老人に一言話すと、黄金に透き通った色の飲み物の入ったグラスを二つ持っていなほの対面に腰かけた。
「エリスには暫く一人にしてくれということで、そのままにしておいた」
グラスの一つをいなほの手前に置く。グラスを手に持ち、仄かに香るアルコールの匂いを感じて、躊躇いなく一気に口に流し込んだ。
強めのアルコールが喉を焼く。通った個所がわかるくらいに酒の通った場所が熱を帯びた。胃にまでたどり着いた酒がわかる。だが熱い体と裏腹に、心は未だ冷めきったままだ。
「随分いける口じゃないか。というか、乾杯もなしなのはいただけないな」
「そういう気分でもないし、これはそういう酒じゃないだろ」
「そうだな。これはやけ酒だよ」
アイリスも一息でグラスの中を空にする。そして老人に「ボトル一つ。丸ごといただく」と言った。
無言で先程の黄金がなみなみと入ったままのボトルを老人がテーブルまで持ってくる。いなほはボトルを掴むと、アイリスのほうに注ぎ、続いて自分のに注いだ。
「エリスみたいな人は、こんな稼業だ、たまに出くわすよ。そんな無力に泣く彼らを見る度、知らない他人は救えなくても、せめて自分の周りでは、この町にいる者にはそんなことが起きないようにと、鍛錬に励んだ」
口を付けて、アイリスはグラスを弄んだ。ほのかに赤い頬とグラスを見ているようで、遠くを見ている眼差しは、どこか扇情的だ。
「だが、どうしてかな。ついさっきまで私の周りの存在ではなかったエリスの涙が、こんなにも苦しい。その他大勢を助けることが出来ないのはわかっていて、割り切ろうとしたのに……いいようのない無力感に自分が情けなく思えてしまうよ」
アイリスの無力感は、いなほとは少し違うかもしれない。だが、その気持ちだけは共感できた。いなほは再び酒を一気に飲み干す。冷たい心を少しでも熱くする熱が今は欲しかった。
「ところでいなほ。君は……何であの場所に居たんだ?」
互いにグラスを再び空けると、新たに杯を自分と相手の分を注ぎながら、アイリスがいなほに尋ねた。
質問の意図がわからないといなほは目を細くして、無言で続きを促す。先程とは違い、彼を警戒しているかのようにアイリスの声は固い。
「トロールは本来、数十体の群れになることはほとんどありえない。何せ奴ら自身が群れの中心となる存在だからだ。多くて三体程度、配下はゴブリンやオークといったランク無しの魔獣なのがほとんどだ。さていなほ、ここで不思議なのは、君達の話が本当だとしたら、あり得ない程の群れで行動するトロール達が襲撃した村の傍に、『偶然』君がいたということだ」
「そりゃつまり……」
「重なり合った偶然は必然とも言う。さて、もう一度聞こうかいなほ。何であの場所に君は居たんだ?」
氷のように冷たいアイリスの視線がいなほに突き刺さった。肌が沸きたつような感覚とは別に、否応なしに燃え上がる闘争心。
いなほは再び杯を一飲みした。吐きだす息はアルコールの匂いを放つ。あるいはそれは、内の熱気なのかもしれない。
「気付いたら村の近くの森に居た。陰気臭ぇ野郎に飛ばされてあそこに来たんだ……止めようぜアイリス。俺はそういう面倒臭いのが大っ嫌いなんだ」
常人なら思わず目を逸らしてしまうようなアイリスのプレッシャーを真正面から受け止めていなほは答えた。
偽りを感じない強い眼。アイリスは観念したようにため息を吐きだした。
「……ハァ。まぁ君が裏で何か企んでるような人ではないのはわかっているからな。すまない、試すような真似をしたね」
「気ぃすんな。そういうのは嫌いじゃねぇよ」
体を弛緩させ、苦笑する。試されるような立ち位置にいるということぐらいいなほだってわかってはいる。
アイリスもいなほの理解を得られて安堵していた。正直必要な行動だったが、一瞬漏れた殺気は、間違いなく自分を狙っていた。冷たくなったのは自分のほうだ。アイリスは冷えた肝を温め直すために酒を飲んだ。
「とりあえず村のことについては、私が個人的に調べに行こう。正直、トロールの大量発生で村が滅んだなどという話を信じてくれる者などいないだろうからな」
「テメェは信じたじゃねぇか」
「私はどうにも人を信じやすいタチでね」
「さっきは俺を疑ったろ?」
「君はまず、信用されたいなら見た目をどうにかしたほうがいい」
「俺の顔は悪党以外に見えはしねぇからな」
いなほの自虐がツボにハマったのか、二人は同時に笑った。
「自覚があるとは思わなかったよ」
「これでも根っからヤンキーだからな」
「ヤンキー?」
「喧嘩しか能のねぇ糞ったれのことさ」
「でも、君は彼女を助けた」
「あんなのはただの気まぐれにすぎねぇ」
「それで、気まぐれが終わった今、君はこれからどうするんだい?」
会話が途絶えた。エリスを安全圏に届けたことで、もうこれ以上いなほが関わる必要はない。トロールの件もアイリスがどうにかするだろう。
ならばいなほがこれ以上エリスに関わる必要はない。冷たい話かもしれないが、エリスは所詮、どこにでもいる村娘なのだ。エリスとこれからも一緒に居ても、メリットはない。
「エリスはいい女だ」
いなほはアイリスの質問に答えずに、そんなことを口走った。
「あんな小さいなりの癖に、親やダチがいねぇのによく踏ん張ったよ。だから俺は……」
一度言葉を止めてグラスの底を覗く。黄金の液体の表層は光を反射し、僅かに揺れた。いなほの心もまた、あの少女が見せてくれた強さに揺れ、何もしてやれない無力を恥じた。
「目的がねぇんだ。だったら折角知り合えた奴とわざわざ別れる必要もないだろ? それに、知り合いは大切にするほうでな」
俺は、の後に続く言葉は呑み込み、腹の底に沈める。いなほはわざと明るい素振りで
言った。
「だったら、さっさと行ってやれ」
アイリスがエリスのいる二階のほうを見る。
「大切にするんだろ? だったら早く泣きやませるんだな。私は吐いた言葉を撤回するような奴は嫌いでね」
「言ってろアホが」
いなほは席を立つと、その足で二階へと向かう。
「全く、普通は泣いた時点で慰めるのが男の甲斐性だろうに」
グラスを傾けるアイリスは、まるで女心をわかっていないいなほを思って、なんとも言えないため息を漏らすのだった。
次回、ヤンキーと約束