第九話【筋肉ぺたぺた】
「結構、サクサクだね」
「だなぁ」
二人は気軽に言い合うが、一階層とはいえF+ランクのダンジョンだ。シェリダンで生活する標準的な冒険者チームならば、ある程度警戒をしながら進むのが当然である。
だがいなほという筋肉ヤンキーと、経験は少ないとはいえいなほに劣らぬランクのサンタの二人には気楽なものでしかなかった。例え魔族が出てきたとしても、二人がかりなら容易に倒すことが出来る。
特に用意することもなかったので、二人はさっさと二階に上がっていった。一階と変わった様子は特にない。迫りくる魔獣を倒して進んでいくと、今度は暗がりから黒い体毛のバウトウルフが五匹現れた。
「ソルジャーバウトだね」
「へぇ」
新たな魔獣を前に戦闘態勢に入る。見知らぬ敵に対して、いなほは喜びを露わにした。
ソルジャーバウトとは、バウトウルフの上位種に当たる存在だ。ランクはHで、能力はトロールと同じくらいだが、力がない代わりにその速度はトロールを遥かに上回る。
ソルジャーバウトは遠吠えをあげると、五匹同時に飛びかかってきた。普通の冒険者なら、その速度に悪戦苦闘する程のものだ。
しかしサンタは慌てた様子もなく魔法陣を五つ組んだ。
「『紫電砲閃』」
乱回転した魔法陣の一つ一つから、ソルジャーバウトを容易く超える光が一直線に放たれた。そのどれもがソルジャーバウトを撃ち漏らすことなく、その頭部を的確にとらえる。その肉体を瞬時に射抜いた雷光は、勢いを消すことなく魔獣の肉体を超えて壁を焦がした。当然、直撃を受けた魔獣はひとたまりもなく、どれもが一撃でその命を絶命させていた。
「へへん。私の大勝利」
「魔法って奴ぁ便利なもんだぜ」
初めて出会った敵との戦いの機会を奪われたことよりも、サンタの使う魔法に感心してしまう。
これまでも、アイリスやキースのように、魔法を主軸に使う者もいたにはいたが、サンタのように、魔法を使った遠距離を専門とする者は初めて出会った。というのも無理はないだろう。基本的に冒険者というのは汎用性に優れていなければならない。戦闘においては、近距離、中距離、遠距離。そして他にも簡単な調理や調合、各種罠や魔獣への知識などなど、いずれもそつなくこなさなければ、多様に及ぶ依頼をこなすのは難しいからだ。
その点、いなほとサンタ。この二人はあまりにも特異と言えるだろう。サンタはある程度迷宮を攻略するうえでの知識を持ち、いなほも以前の経験でそれとなく迷宮で警戒することをわかってはいるが、所詮はその程度だ。知識に乏しく、経験に乏しい。そしてサンタは魔力消費を顧みず遠距離魔法を使い、いなほは魔法なんてそもそも使わないので近距離格闘のみで戦う。
もしもいなほとサンタに実力が伴っていなければ、このダンジョンの一階で絶命していたことだろう。だが、冒険者に必要な汎用性も、この二人クラスの実力となれば話は違う。
何せ、自力が既に異常なのだ。いなほは超人的な身体能力と格闘術。サンタは膨大な魔力量と魔法への深い理解と知識。しかもこのタッグの場合、互いの短所を互いが補っているため、即席ながらも良きチームワークを発揮していた。
二人の進撃はさらに加速していく。あれよあれよと八階まで到達したところで、時間は未だに入ってから二時間程度しか経過していなかった。
「ウオラァ!」
八階ともなると、魔獣の勢いも増してくる。これで何体目になるかわからないトロールナイトを、いなほは遭遇した直後に一撃の元絶命させた。
光の残滓と消えて大きめの魔力結晶が現れる。いなほはそれを、綺麗な石を見つけた子どものように嬉しそうに拾って、鞄の中にしまいこんだ。
「へへ、今度も俺が早かったな」
いなほが振りかえると、少し呆れた様子のサンタがそこにいた。
「いつの間に競争になったのさ。それに君、見つけたらすぐ突撃するから、私、危なくて魔法が撃てないの」
「魔法撃てないから倒せないって? おいおい、言い訳にしちゃ、しょうもねぇじゃねぇか」
「どうしてそうなるかな。君、子どもみたいだよ」
「つまり夢見る男子ってな」
「ばーか。いなほは、調子に乗ってるだけだ」
遊び感覚で戦うものではないと諌めたつもりの一言も、いなほは何処吹く風と聞き流した。
二階に上がった当初は、サンタが出会い頭の魔法で大抵の相手を倒していたので、それにしびれを切らしたいなほが、七階に上がってからというもの、こうして相手が何体いるのかも確認せずに、見つけ次第突撃するというのが繰り返されていた。
危険は、まぁないのだろう。とサンタは思う。トロールナイトやソルジャーバウトが次々に出てきてはいるものの、サンタ自身の魔力は、未だに自然回復のほうが魔獣の量を超えているため、特に問題はない。そしていなほはご覧の通り、嬉々として数が多い方が勝ちと決めつけた魔力結晶を集めている。
試しにと入った迷宮だったが、互いの実力を測るには些か弱すぎたのかもしれない。数分も間をおかずに現れてしまった魔獣を、魔獣よりも魔獣らしい男が葬っていくのを見ながら、サンタはそんなことを考えていた。
「っしゃあ! カモだぜテメェら!」
哀れ、十匹もの群れで出てきたソルジャーバウトが鎧袖一触、ヤンキーの腕が一回振るわれるだけで、木っ端の如く散っていく。
サンタは一応魔法陣だけは待機させておきながら、数秒もせずに殲滅されたソルジャーウルフの落とした魔力結晶を集めるいなほに声をかけた。
「君、そう言えば魔法使わないんだね」
「ん? あぁ、魔法っての俺ぁここに来るまで知らなかったからな」
「知らなかったって……知らなかったの?」
「おう。あ、でもよでもよ。俺にも一応それっぽいのはあるんだぜ」
見てろよ。といなほは言うと、静かにオレンジ色の魔力を放出した。淡く揺らめく魔力の奔流の中に、いなほは己の意志を介在させて、そこに一定の流れを作る。流動するその先には己の肉体が待ち受けていた。まるで貪るように魔力を取り込んだ筋肉は、一回り程膨張して一層力強さを発揮する。
「どうだ?」
覚醒筋肉と名付けられたその魔法を見て、サンタは己の目を疑った。なまじ魔法についての知識があるためか、いなほが使ったその魔法に驚きを隠せずにいた。
そしてその驚きは、たちまち知的好奇心へと切り換わる。興味深そうに、サンタはいなほの上腕に手を這わすと、そこに脈々と 流れる魔力の流れを感じて、感嘆の溜息を吐きだした。
「わぁ……これ、肉体を強化するんじゃなくて、肉体そのものの潜在能力を引き出しているの? 自然魔法の亜種? でも肉体は無色の力だから、意味を持たせたのは、むしろ存在としての肉体ではなく、機能としての肉体……成程、なまじ魔的な部分で捉えてしまう学者では考えられない視点……」
ぶつくさといなほにはわからないことを呟きながら、サンタの手は上腕はおろか首や胸、腰に腹筋と、上半身の至るところに手が及んでいる。
最初は成すがままにされていたいなほだが、その冷たくも柔らかな手の触感にくすぐったさを感じて、堪らず魔力放出を止めて、サンタの小さな手を掴んだ。
「ひゃ!?」
突然手を掴まれて体をびくつかせるサンタ。むしろ俺がそうしてぇよと内心ぼやきつつ、我に返ったサンタの手をいなほは離した。
「ベタベタ触られるとくすぐってぇよ」
「ベタ……ってわわわ! ち、違う! 違うよいなほ! 決して私、その、セクハラとか、そういうの、違う、違うの! やだ……はしたないわ」
「はいはい、わーってますよ」
慌てふためくサンタを落ち着かせるために、その頭を乱暴に撫でつけるいなほ。力任せに撫でられたため、頭が揺れてしまうサンタだったが、おかげで落ちつくことは出来たらしい。恥ずかしそうに顔を伏せると「ご、ごめんね」と消え入りそうな声で謝罪した。
「気にすんなってサンタ。それよりも……そろそろだぜ?」
いなほは前方に待つ九階への階段を指差した。ここを上がれば、その次は頂上に到着だ。
階段の奥から滲みでる気配は、八階の比ではない。F+ダンジョンの真骨頂がこの上では待ちうけているのだ。
サンタも気を引き締めて階段を見据えた。ここまでの戦いを通して、経験も人並みにはこなした。ならば最早、憂いなどはどこにもない。
いなほは不敵に笑う。サンタはその横顔を見て、穏やかな微笑みを見せた。
「よし、行こっか。お腹、そろそろ空いちゃった」
「じゃあ、ケリがついたら飯屋に直行だ!」
勢いよく階段を駆け上った二人を待ちかまえていたのは、二体のトロールナイトだった。ここまで入り口付近には魔獣がいなかったという前提条件があったからこそ、普通ならその強襲に怯み、驚き、隙を見せたかもしれない。
だがその程度のこと、いなほには関係ない。一気呵成に躍り出たいなほは、待ちかまえていたトロールナイトこそが驚くような速さで接敵すると、加速の勢いをそのままに乗せた蹴り足で、兜もろともトロールナイトの顔面を弾き飛ばした。
ボールのように通路の奥に消えて行く生肉の詰まった兜。それが壁に激突するよりも早く、もう一体のトロールナイトの頭上に魔法陣が展開された。
「『落雷』」
杖の先の宝石が光り輝く。五色の眩さが一つに束ねられ、桃色の魔法陣と同調した。
最速の魔法が、最速の紫電をトロールナイトの頭頂部へ落とす。光の瞬きと絶命の刹那は同時だ。放電現象を操る雷の担い手は、雷光一閃の元、魔獣をただの焦げた肉へと変貌させた。
煙をあげるトロールナイトと、生首ホームランをかまされたトロールナイトが同時に倒れ伏す。
しかし束の間の勝利を喜ぶ暇もなく、左右の通路の先から、ソルジャーバウトが群れをなして襲いかかってきた。
いなほとサンタは互いに背中合わせとなる。振りむきはしない。互いが互いを信頼するからこそ、互いのことを見向きもしない。
「何秒かかる?」
「二秒で上等!」
「この会話で二秒だね」
「そいつぁ違うぜサンタ」
まずは先陣を切ったソルジャーバウトの黒い影が、白い牙を剥き出しにして飛びかかる。
いなほは拳を握りこみ、喜悦に瞳を揺るがした。
「こっから二秒だよ!」
次回も阿鼻叫喚