第六話【依頼】
シェリダンには夜というものが存在しない。基本的に生活習慣がバラバラな冒険者達のため、各種店もその殆どが大手のギルドの活動時間に合わせ、小さなギルドはそれらの店の時間に活動を合わせているが、やはりばらつきは発生する。
さらに昼夜問わずにダンジョンからあぶれる魔獣の脅威があるために、哨戒につく冒険者のため、灯りが消えることはない。
なのでここで眠るときは厚手のカーテンで光を完全に遮り寝るのが基本だ。いなほも例に漏れずにカーテンを閉め切り、暗闇となった室内で眠っていた。
体内時計を頼りにいなほはゆっくりと起き上がる。軽く体を伸ばしてから、隣で衣擦れの音が静かに響いたのを聞いた。
「あー……」
頭を抱えながら布団を引っぺがせば、そこにいるのは兎のぬいぐるみを抱きしめたカッツァが幸せそうな面で眠っていた。
いなほは無言でカッツァを蹴りだすと、ランタンにポケットに仕舞っていたライターで火を点けた。
床には散乱した酒瓶とつまみ、先程蹴り飛ばしたカッツァと、それに潰されて寝苦しそうに唸るバンがいる。
「これならコリンのとこ行けばよかったぜ」
呆れて溜息を吐きだしたいなほはランタンの光を頼りにカーテンを開けた。
人口の光ではなく、空から降り注ぐ朝日を浴びて欠伸を一つする。先日は、結局その後も飲み続け、いなほも雰囲気に酔っぱらってしまい、何故か野郎三人で火蜥蜴の爪先の宿舎で二次会を行うことに。コリンは最後まで行きたがっていたが、店のマスターに明日の仕入れをのことを言われたため、渋々店に残ったのであった。
「こいつらがうざくなったらいつでも部屋に来ていいからね!」
顔を真っ赤にして言っていたコリンのことである。行ったら行ったで色々危ないことになっていただろうが、流石に野郎二人と飲むよりかはマシだったはずだ。
「まだ朝か」
今のところいなほはシェリダンに来たはいいがやることもなかった。一応、昨日の二次会で明日の、つまり今日の夜に火蜥蜴の爪先で改めて歓迎会を行うとカッツァは言っていた。どうやら少しの間、ギルドはフリーの時期らしく、火蜥蜴の爪先のギルドメンバーはほとんどいるらしい。
だがそれ以外にやることがなかった。知らない場所なので散策すれば暇を潰せそうだが、シェリダンは都市の特性上、土地が入り組み、なお且つ広大だ。方向音痴と言う訳ではないが、もしかしたら夜に戻れない可能性もある。
それなら少しくらいはいいかもしれない。そう思ったいなほは、早速部屋を出て行こうとして、
「ちょっと待った」
そんなカッツァの声に呼びとめられた。
振り返れば今まさに起きたばかりの、寝癖が酷いカッツァが寝ぼけ眼でいなほを見ている。
「何か用か?」
「用、と言えばそうかな。昨日の内に相談しておくべきだったことなんだけど、すっかり忘れていてねぇ」
適当すぎるカッツァの言い分に失笑してしまう。アイリスからいなほのことは聞いていたはずなのに気付かないことも含め、ギルドマスターには向いていないのかもしれない。
カッツァはそんなことを思われてるとは露知らず、伸びをしつつ立ち上がると、ポケットから折りたたまれた一枚の紙を取り出して、いなほに投げ渡した。
「これは?」
「依頼の紙だよ」
大きく欠伸を一つするカッツァ。
「シェリダンの依頼斡旋所にそれを持って行けば、依頼主と会うことが出来るはずだ。一応大手のギルドマスターと一部の優秀な冒険者には渡されてるんだけど。今のとこその依頼を受けようとした者はいない。もし君がその依頼、受ける気があるなら、歓迎会まで時間もあるし、散歩がてら聞きに行ってみるといい……最も、幾ら君でもその依頼は手に余ると思うけどね」
「へぇ……」
いなほは面白そうに弧に口を歪めた。紙を広げても描いてある文字はさっぱりなので内容はわからない。
だがどうでもいい。自分を早森いなほだと知って、尚手に余ると思ったのなら、それは、何よりも渇望したものではないだろうか。
「ちょっくら散歩に洒落こむわ」
「いってらっしゃい」
ひらひらと手に持つ兎を振られて見送られながら、いなほは鞄を担ぐと、早速シェリダンの街へと繰り出した。
昼夜のないシェリダンとはいえ、流石に朝は静かなものだ。ダンジョンの隙間から射す光は暖かく、まるでかつて住んでいた日本の街の朝のような静けさがある。散乱したゴミが風に舞い、酔っぱらった冒険者や、今からダンジョンに挑もうとする冒険者、それらに声をかける露店の商人が、静けさに若干の彩りを加えていた。
いなほはその露店の内の一つに目をつけた。装備の修理に必要な道具や、食料などが売られている。
「らっしゃい! っと、お客さん、ここらじゃ見ない顔だね。最近来たばかりかい?」
店の店主が近づいてきたいなほににこやかに声をかけた。いなほは「そんなもんだ」と軽く答えると、昨日の飲み会のお釣り分の銀貨を一枚取り出して店主に投げ渡した。
「とりあえず適当にさっさと食える飯くれ。腹減って仕方ねぇんだ」
「あいよ。保存食ばっかだがいいのかい?」
「あぁ、それと飯はつまめる分でかまわねぇ。釣銭もいらねぇから依頼斡旋所の場所教えてくれよ」
店主はにこやかに応じると、袋に幾つかの保存食を詰め込み、ついでに水の入った水筒もいなほに渡した。
「兄ちゃんは羽振りがいいねぇ」
「別に、適当なボケをぶちのめせばテメェも羽振りがよくなるさ」
「あはは! あっしは残念ながら腕っ節はてんで駄目でね。あぶれる魔獣をせこせこ狩るので手一杯さぁ。それで斡旋所の場所でしたっけ? こっから道沿いに真っ直ぐ行きゃ猿でも着きますわ」
右手で店主は道の奥を指差した。少し離れた場所に、大きな円形のドームのような建物が見える。おそらくそれが斡旋所なのだろう。
いなほは「邪魔したな」と一言告げると、袋を鞄に突っ込んで再び歩き出した。
あまり美味しくもない固い干し肉を噛み切りながら、水でそれを一気に流し込む。それだけでまどろんでいた思考も随分とマシになった。
「よし。とりあえずちゃっちゃと行くとするか」
くだらなくも面白い連中とも会えて、喧嘩も花と笑える空間が堪らない。やはりしっくりくる。いなほが望んでいた混沌がここにはあった。
であれば、そこで待ちうける依頼とは一体どういったものなのか。シェリダンにあるダンジョンと比べても見劣りしない大きなドームを見上げたいなほは、残りの肉を咀嚼して流し込む。
ドーム中央の入り口は十人横一列で歩いてもまだ余裕があるくらいの大きさだ。その円形の壁からは、幾つもの橋のようなものが伸びている。それらは遠く別のダンジョンの入口へと続いていた。視線を戻すと、門の両側には衛兵らしき者が直立不動で立っている。
いや、よく見ればそれは生物ではなかった。人間のような生気を感じないそれは、確か以前アイリスに聞いた……
「あれがゴーレムって奴か」
鎧甲冑を全身に身にまとった巨大な大剣を携えた衛兵の名称をいなほは思い出していた。定期的に魔力を補充すれば、半永久的に稼働できるとされる機動魔法具。曰く、安いのでも一体でトロールと一対一を演じることが出来るらしい。
この門を守るゴーレムがどの程度の規格かはわからないが、それでも充分に立派な出で立ちだ。いなほは面白そうにゴーレムを眺めながら、それでも足はさっさと門の内側へと向かっていた。
依頼斡旋所の中は随分と人で賑わっていた。ドーム中央には大きな柱が一本立っており、その柱を削って受付が幾つも作られている。二階からはドームの外周に沿う形で通路が出来ており、五階まで突き抜けた柱へ続く橋が幾つも設置されていて、見上げるとまるで幾つもの風車が重なっているように見えた。一階には大きめの休憩所や、施設の一角を丸々と使った依頼を張られた掲示板が幾つも存在していた。そこには冒険者が何人も集まり、思い思いの依頼を見つけては紙を千切り受付へと持って行っている。地下への入り口も幾つかあった。そこからは、薄汚れた冒険者が現れてきていたので、あれが地下迷宮への入り口なのだろう。
マルクとの違いは、大きさとダンジョンへの道があることくらいなものか。大きさには驚いたが、その程度のものだ。いなほはさっさと受付に行くことにした。
「おはようございます」
受付の女性が爽やかな笑顔を浮かべていなほに挨拶する。いなほも軽く会釈すると、持ってきた依頼を女性に手渡した。
女性も手なれたもので、「お預かりします」と言うと、手元の魔法具を依頼の紙と照らし合わせて、一瞬、その営業スマイルを凍りつかせた。
「えっと……申し訳ありませんが、少々お待ちください」
女性はそう言うと、机の下に潜り込み、何かを探り当てた。
その手に持つのは、箱に入った黒い水晶だ。以前いなほも使ったランク測定用のものである。女性がそっと水晶を手に持つと、水晶は薄い茶色の光を放った。
「良かった。随分と使ってなかったけど……あ、申しわけありません! 失礼ですが、依頼を受ける前にランクの測定をしていただきます!」
女性は慌てて頭を下げると、水晶を木箱に仕舞っていなほに差し出した。水晶は既に元の黒い色に戻っている。
ここに来てからあの時と同じようなことが起きてばかりだ。いなほは思い出し笑いを浮かべながら、気負った様子もなく水晶を手に掴んだ。
そして、水晶は変色する。黒かった水晶の中央から、小さく、だが強い光を放つ銀色の輝きが浮かび上がっていて、女性は初めて見るその輝きに絶句していた。
次回、再会