第五話【火蜥蜴の爪先】
「しかし、不思議な子だったなぁ」
酔いが再び回ってきたバンは、体をゆらゆらと揺らしながら言った。
彼女、サンタは、あの後少し共に飲んでから「この後用事があるから」と言い残して店を後にした。
すっかりデレデレになったコリンを片腕に抱きつかせたまま、いなほは片手でグラスを遊ばせながら「そうだな」と同意した。
独特な雰囲気を持つ少女だった。見た目はともかく何処にでもいそうな普通な少女だったというのに、人を惹き付ける包容力があった。のんびりとした口調だが、ダルタネスと対峙したように芯はしっかりしている。話している時間は短かったが、いなほとバンの関心を惹くには充分印象の強い少女であった。
「あれでもう少し可愛かったら俺アタックしてたんだけどなぁ……ったく、見た目だけコリンのアホと交換しないもんかねサンタちゃんは」
「あー? アタシの何処が性格ドブスだってぇ?」
「そこまで言ってねぇよ!」
ドスの聞いたコリンの口調にバンは背筋を震えあがらせた。いなほはそんな二人のやり取りにやや呆れつつも、面白そうに喉を鳴らす。
コリンはそのいなほの態度から何を感じ取ったのか、慌てて腕に抱きつく力を強めた。
「ね、ね。いなほさんは、そんなこと思ってないよね」
「まっ、テメェはそんくらいがいいんじゃね?」
「やーん! もう、女の子の扱いが上手なんだからぁ!」
嬉しそうに顔をこすりつけてくるコリン。店内ではそんなコリンのデレを見て涙を流して自棄酒をする男達がちらほらといたが、ダルタネスを一撃で気絶させたいなほに何も言えるわけもなく、うぉんうぉんと男泣きである。
ダルタネスに巻き込まれて壊れた扉だが、マスターは慣れた手つきで扉を修復して、すっかり元通りである。いなほは迷惑料として金貨を払おうとしたが「慣れてるので気にしないでください」とやんわりと断られた。
どうやら、この程度は日常茶飯事であるらしい。店の中でも、ダルタネスが吹き飛んだことを喜ぶ者はいたが、単純に酒の肴が増えただけで、賑やかなのは最初とまるで変わっていなかった。
「でもホントにいなほさんったら強かったんだね!」
「俺の話し信じてなかったのかよ!」
バンが情けない声を出す。いなほもわざとらしく肩を竦めるが、コリンは申し訳なさそうに小さく舌を出した。
「ごめんね。えへへ、だってさぁ、D+ランクなんてここでも珍しいよ? 最初は金払いのいいお客だなとは思ったけど、まさかホントに強いだなんて思わなかったわ」
「ったくよぉ。いなほちゃんが強いのなんて見ただけでわかるってもんだろぉ」
「そんなのわからないわよ。私はただの女の子だもん」
ねー? と言って両手でいなほに抱きつくコリン。
「おや? いよいよあの鉄壁のコリンにも春が来たのかな?」
そんなコリンを冷やかすような軽い口調に、コリンはいなほの腕から手を解いて、後ろに振り向いた。
いなほも釣られて振り向くと、そこにいたのは如何に軟派な感じの青年だった。金色の髪をオールバックにした浅黒い肌の男は、へらへらと笑いながら黒の瞳をいなほと交差させる。赤いシャツと短パンという軽装から覗く腕には、手の甲から肘まで金色の鮮やかな体毛が生え揃っていた。明らかに普通の人間よりも体毛が多い。
傍から見ればただ軽そうな雰囲気の青年だが、いなほはその内部にある実力を正確に見抜いていた。他の奴らよりも一歩どころか二歩以上、青年の実力は抜きんでている。
堪らず胸の奥から湧き上がってきた闘争心を感じ取ったのか、青年はわざとらしく両手を上げて降参するようにした。
「ちょ、ちょ、ちょ、いきなり殺気まき散らすのは勘弁してくれよ」
「……悪いな。癖だ」
「嫌な癖もあったもんだねぇ」
いなほの殺気が引っ込んだことでホッと一息ついた男は、改めてキザったらしく大袈裟に一礼した。
だが下品と言う印象は受けなかった。軽薄な雰囲気に対して、男のその仕草は堂に入っており、頭を上げた男は人を惹きつけるような優しい笑みを浮かべた。
「さて、まずは名前を教え合うとしようか色男君。俺は──」
ニヒルに自己紹介をしようとする青年。
刹那、その顔面に空いたジョッキが直撃した。
「ボグァ!? ちょ、ちょっと! ちょっとまブケ!?」
折角決まろうとした自己紹介をぶち壊しにされた青年が、ジョッキのぶつかった頬を抑えるが、新たなジョッキが直撃したさらに仰け反った。
「ゴラァカッツァ! テメェ俺の彼女寝とりやがったなこん畜生!」
「テメェカッツァ! テメェが遅れたからコリンちゃんが! コリンちゃんがぁぁぁぁ!」
「おいカッツァ! 昨日の負け分の銀貨まだ払ってもらってねぇぞぉ!」
「オラカッツァ! とりあえずバーカ!」
本人に責のないことから自業自得な理由まで、とりあえず色んな思いの籠ったジョッキをぶつけられる青年の名はカッツァ・グレイドラ。
迷宮都市シェリダンきっての実力者である彼こそ、いなほがこれから世話になる火蜥蜴の爪先のギルドマスターであるなどと、その情けない姿からはまるで想像がつかないだろう。
最初は一方的にやられていたカッツァだが、いい加減に苛立ってきたのだろう。眉間に青筋を立てると、飛んできたジョッキをキャッチして、逆に投げ返した。
「うっせぇボケぇ! つかジェイス! テメェの彼女と寝たのはあっちが誘って来たから俺は悪くねェ! そしてミゲル! あの賭けでの銀貨はなし! あんなんいかさまだ! 後コリンが取られたのはどうせテメェらがへたれたからだろバーカ! 最後! 俺を馬鹿にした奴前に出てきやがれぇ! ケツ穴から火ぃ吹かせてやんよぉ!」
ジョッキやつまみが乱舞する。一気に慌ただしくなってきた店内で、バンも客側に混じってカッツァに何かをぶん投げていた。いなほは喧騒も気にせずに酒を飲み、いつもならこの騒動を止めるコリンはいなほにもたれかかってうっとりと目を閉じている。
まさに地獄絵図とも呼べるその光景は、いい加減にキレたマスターの「おい、そこまでにしておけよ糞ガキ共」の一言で止まるまで続いたのだった。
「えー、改めて、俺はカッツァ・グレイドラって言うんだ。これでも火蜥蜴の爪先っていうギルドのギルドマスターやってるんだよ。よろしく色男」
「いなほだ。こっちこそよろしくな……しかし、すげーなオイ」
いなほは店内の惨状に笑いをこらえられなかった。ガラスが飛び散り、テーブルとイスはあちらこちらにひっくり返り、潰れたつまみと酒が虚しく味を床に沁みこませている。
それらを黙々と清掃する客達。その途中でこっそりいなほに自己紹介をしたのだが、直ぐにマスターに睨まれてカッツァは掃除に戻った。
「これくらい普通よ普通。でもまぁ今日はちょっとはしゃいだかもね。クソデカブツが吹っ飛んで皆機嫌が良くなったのかしら」
しれっと店の惨状を見てコリンは言った。「明日壊れたグラス買い直さきゃ」と呟いて溜息を吐きだすが、その程度である。壊れた分は平等に冒険者全員で金を払い合い、ついでに迷惑料も入るので、収支的にはプラスなのも働いているのだろう。
いなほも大概なもので、コリンの言葉にそんなもんかと納得しながら、酌をしてもらって、黙々と清掃にいそしむ冒険者を他所に酒を飲む。
そもそも最後のほうは理由さえ忘れて投げ合うことに没頭していたガキのような連中を気にかける必要などない。
思い出すのは、先程のバンの言葉だ。ごろつきと自分達を評したバンは正しいし、こんな姿を晒す奴らが強いってのだから、夢見てシェリダンに来た冒険者もショックで止めるのも無理なるまい。
「そう言えば、カッツァの奴、火蜥蜴の爪先のギルドマスターとか言ってなかったか?」
「あぁ、それ本当だよ。あんなんでも実はE+ランクの、シェリダンでも指折りの実力者でさ。いつもはダルタネスが来てもカッツァが追い返してくれるんだけど、今日はあいつ来るの遅くてこの有様だもん。全く、いつも迷惑かけてるんだから、こういうときに役に立たなくてどうするんだって話だよね」
酷い言い草だが、コリンがカッツァを語る姿には嫌悪感などまるでなかった。ともすれば、共に清掃をしている冒険者も、既に談笑しながら掃除をしている。そしてその中心にいるのはカッツァだ。
ある意味これも一つのカリスマなのだろう。慣れ慕われている。誰に対しても友人のような気軽さで応対して、するりと荒くれどもの信頼を得るのだ。
もっとも、慣れ過ぎて騒動になりまくるのは問題だと思うが。いなほはそんなことを考えつつ、コリントの会話を楽しんでいると、ようやく掃除の終わったカッツァがいなほの隣に、バンはコリンの隣の席に座った。
「騒がしくしてすまなかったね。でも勘違いするなよ? いっつもあんなんじゃないんだからさ」
「おうよ! 普段はもっと分別持ってるんだぜ?」
「結局殴り合ってるでしょうに」
コリンのツッコミも何処吹く風。カッツァはあの喧騒で見せた荒々しさとは真逆のクールな面持ちでマスターに酒を頼んだ。
「ところでカッツァ」
「何だい色男君」
いなほは鞄の中を弄ると、しわくちゃになった一枚の紙を取り出してカッツァに手渡した。
「これ、アイリスから預かったぜ」
「アイリスって……もしかして君、アイリス・ミラアイスを知ってるのかい? ってちょっと待てよ……あぁ!」
カッツァは突然立ち上がると、驚いた様子でいなほを指差した。
何事だと驚く一同の前で、カッツァはわなわなと震える。どうしてこの時まで思い出さなかったのか。聞き慣れない名前に印象の強い巨大な男。
そう、随分と前から聞いていたというのに、すっかり忘れていた。
「君がトロールキングを一人でぶっ飛ばしたっていう、あの、あの早森いなほ君か!」
カッツァの叫びに周囲がざわついた。トロールキングと言えば、Cランクの魔族である。マルクより離れたシェリダンの住人とはいえ、数ヶ月前に現れた魔族を倒したという話しくらいは知っている。
もしその言葉が正しいのなら、目の前の男はとんでもない奴だ。事実、Gランクのダルタネスを、戦闘状態に入っていないとはいえ一撃で気絶させたのをここにいる者達は見ていた。
疑う要素は殆どない。いなほはカッツァに指差され、周囲の注目を浴びながらも、さして動揺した様子も見せずに静かに肯定した。
ざわつきはさらに膨れ上がる。魔族を倒した男がシェリダンに現れた。その情報を聞いて、ここで落ちつける程の者はそうはいない。皆慌ただしく身支度をすませると、次々に金を払って店を後にした。
「どうしたんだ?」
「魔族を倒した化け物が迷宮探索に来たってんだ。なら、迷宮が荒れると思って今後のことを話しあいにギルドに帰っていったんだろ」
バンが代わりに応える。だったらお前は良いのか? そう思ったいなほの考えを察したのか、軽く肩を竦めて答える。
「俺はいいんだよ。俺んとこは一階層とかで小銭を稼ぐくらいだからな。俺以外のこの店の常連は、俺と違ってまともなギルドに入ってるしよ。動かないわけにはいかねぇんだろ」
「俺はそもそもギルドマスターだし、色男君は俺のとこのギルド員だからねぇ。いやぁ、アイリスもいい拾い物をしてくれたよ」
さておき、とカッツァはアイリスがいなほに持たせた手紙を受け取ると、ご機嫌な様子で手紙の中を読み始めた。
最初はニコニコと笑いながら読んでいたが、しかし暫くすると徐々に顔は暗くなっていき、最後はどんよりとカッツァは項垂れた。
「ど、どうしたんだよ」
「……貴方のような軽薄な男のいる場所になど行けません。こっちはこっちで勝手にやります。代わりに貴方よりも畜生な男を送りましたので、精々使い潰すように。それと告白とかキモいのでもう止めてくださいだって……クソぅ。これで振られたの五十回目だ!」
「一体どうやったらそんな手紙の内容になるくらい酷い告白をしたのか逆に気になるぞ」
号泣するカッツァを見ながらいなほはそうぼやいた。アイリスはなんやかんやと基本は誠実な女性だ。そう酷い言い草はしないはずだが、何となくまだ話して数分程度でしかないこの男に対しては、そういうこともあるかもなと、いなほは内心で酷いことを考えた。
「にしても、そっか。いなほさん。火蜥蜴の爪先で頑張るんだね」
だったらすぐに会えるね。そう言ってコリンは嬉しそうに頬を緩めた。
「どういうこった?」
「あぁ、火蜥蜴の爪先のギルドはこの路地出てすぐのところにあるんだ」
未だに泣いているカッツァの代わりにバンが答える。そして隣のコリンはいっそう抱きつく腕に力を込めて、その体をこすりつけてきた。
「でもでもぉ、いなほさんが良かったら私のとこに泊まってもいいんだよ?」
「止めとけよ。こいつの部屋、ゲロの匂いするから」
直後、バンの後頭部に鋭い蹴り足が飛んだ。座ったまま、抱きついたまま、華麗に伸びた生足が直撃するさまはいなほですら感嘆するほどだ。
勢いでテーブルに顔面もぶつけてバンの意識が刈り取られる。
「正直言って、今のはテメェが悪いぜ」
「ふんだ!」
まるで悪びれもなくそっぽを向くコリン。いなほは最後の一杯を胃に流し込んで、マルクとは違った賑わいをみせるシェリダンという街の賑わいに、今後への期待を膨らませるのであった。
次回、依頼斡旋所にて。