第三話【溜まり場にて】
そんないなほを従えるようにして先頭を歩くバンは、まるで自分が強くなったかのような気分になって得意げになっていた。まさに虎の威を借る狐といった感じだが、これも役得の一つと変な納得をする。
「しっかしごちゃごちゃしてるな」
マルクも充分ごちゃごちゃとしていたが、マルクのそれは商店や人が道一杯にいる故に感じるものだ。だがシェリダンのそれは、散乱するゴミなどによる不潔なごちゃつきであった。
だがスラムの如き雰囲気とは裏腹に、浮浪者などの類は感じられない。そういう落ちぶれた者は、瞬く間に魔獣の餌食となっているのだろう。
まさに弱肉強食。弱ければ排斥され、強ければ肩で風を切って堂々と歩ける。そんなシンプルでありながら常人には生き辛い空気を、いなほは気に入った。
「着いたぜいなほちゃん」
そうこうしている内に到着したのは、路地裏に入ったところにある小さなバーのような店だった。薄汚れ、爪の引っ掻き傷もあるぼろぼろの看板には『センス』と書かれている。バンがドアを開けて入り、いなほもそれに続いた。そろそろ空も赤くなりそうではありながら、まだ充分明るいというのに、路地裏という場所はやはり暗い。だが日差しの入らない場所にありながら、店内は灯りが無数に点在し、充分な明るさだった。
「いらっしゃいませー。ってバンじゃん。さっさとツケ払いなさいよ」
店員の女性がにこやかに声をかけるが、バンの顔を見た途端に露骨に顔を顰めた。長い栗色の髪をひとまとめにした勝ち気そうな女性だ。店の看板娘なのだろうか、充分に整った綺麗な容姿で、頬のそばかすが可愛らしくあった。彼女はずけずけと恐れることなくバンに詰め寄るが、だがバンは悪びれることなく「へへ、まぁ今日は新しい客連れて来たんだから許してくれよな、コリン」と言って、入ってきたいなほを指差した。
「わ……い、いらっしゃいませー……」
「おう」
バンにコリンと呼ばれた女性は、そこでようやくいなほに気付いたのだろう。やや気まずげに笑顔を浮かべると、カウンター席に二人を通した。
入るときに潜った小さなドアの見た目に比べ、中は意外に広かった。カウンター席とテーブル席が十、カウンターには隅のほうに小さな少女らしき人間が一人、そしてテーブル席には数人の屈強な男が酒を飲みながら談笑している。
「ま、座れよ」
バンはカウンター席の椅子を一つ引くと、そこにいなほを座らせた。ぎしりといなほの重量に椅子が軋むので、体重はあまりかけないようにする。その隣にバンが座って、「旦那、いつものと、つまみ適当に頼むわ」そうカウンターにいる老齢のマスターに言った。
無言で注文を聞いたマスターは、淀みなく棚に並んだ酒瓶の一つとグラスを二つ取り出していなほ達の前に置いた。
「ってもまぁ安い酒なんだけどよ。悪いないなほちゃん」
バンは申し訳なさそうに笑いながら、グラスに酒を注いだ。向こうの景色も透ける液体から香るのは、キツいアルコールの匂いだ。いなほの分を注いだバンは、続いて自分の分にも注いだ。
「それじゃ、我が救世主に!」
「あぁ、へっぴり冒険者に」
乾杯、とグラスを打ち鳴らすと、二人は一息で中身を飲みほした。喉と胃を焼くアルコールが体に沁み渡る。味はないが、酔うという一点だけは合格ラインの酒は、シェリダンという都市を象徴するような味だった。
バンはいなほのその飲みっぷりにますます気を良くして、さらにグラスに注いだ。なみなみと注がれた酒を、今度は舐めるように楽しみながら、いなほは室内にも響く喧騒を聞いて機嫌よく目を細めた。
「悪くねぇな」
「ははは! いなほちゃんならシェリダンを直ぐ気にいると思ったぜ! 最近は小奇麗な冒険者が多くて、シェリダンを聖地なんざと憧れるが、大抵そういった奴らはここに来た途端冒険者稼業なんて止めちまう。何でかわかるかい? 冒険者なんて所詮そこらのごろつきだっていうことに気づくからだよ。まっ、実際俺らみたいな職の奴らは、大抵長生きなんざ出来ねぇ。そんな馬鹿げた職に何を憧れるってんだかねぇ」
一気に己の持論を捲し立てたバンの話を話半分に、いなほは丁度時間なのか、次々に店に入ってくる冒険者達の姿を怪しまれない程度に探っていた。
どれもがやはり強い。実際、目の前でお気楽に話すバンも、物腰は弱々しいが、充分に体は鍛えられ、脱いだ鎧から覗く腕には幾つもの裂傷がある。充分な死線を潜った戦士であるのには疑いようがなかった。
等と一人感心していると、不意に後ろから頬に冷たい何かが押し当てられた。
「ん?」
「ちょ、そこはびっくりするとこですよー。あはは、でもその反応も見た目通りかなー」
後ろにいたのは先程こちらを出迎えたコリンだった。人懐っこい笑みを浮かべて、いなほの頬に当てたグラスを持ってその隣に座る。
「おいコリン、いなほちゃんは今俺と話してる最中だぞ」
「何よぅ。アンタみたいな万年金欠のへたれ冒険者と話すよりも、私みたいな可愛い子と話したほうがいいに決まってるでしょ? ね、いなほさん!」
「だな。いい加減その臭い口から出る言葉に疲れてたとこだぜ」
「そ、そんなぁ……嘘だろいなほちゃーん」
ワザとらしく落ち込むバンを見て、二人は同時に吹き出した。
「私、コリン。コリン・テイルって言うの。一応センスの看板娘でーす!」
「けっ、何がでーす、だ。んな可愛らしさとは無縁のくせしてよ」
愛くるしい笑顔を浮かべたコリンにいなほを挟んで反対側にいるバンがぼやく。途端に怒気の籠った視線をバンに送るコリンの視線。
だがバンは構わずに続けた。
「すげーんだぜこいつ。前自分のケツ触ってきた客のキンタマ蹴りあげた上に「アタシのケツぁ安くねぇんだよ!」って叫んでトドメにワンパンで鼻陥没させたんだぜ? しかも後で聞いた話じゃ、やられた相手、Hランクの冒険者だってんだから驚きだ」
「て、テメェ! その話はするなって言ったろが!」
コリンが顔を真っ赤にして、慌てていなほに向き直ると「ち、違うからね。私、見た目通りに可愛い女の子だから」と目をキラキラさせて上目遣いに言ってきた。
だがいなほはむしろそんなコリンの武勇伝に機嫌を良くしていた。コリンのグラスに自身のグラスをぶつけて笑う。
「ケケっ、俺ぁ強ぇ女のほうが好きだぜ」
「え、ホント!? やーん、アタシ嬉しい!」
そう言っていなほの腕に抱きついたコリンは「見る目あるいなほさんと一緒に飲みたいなぁ」と流し目で呟いた。
腕に伝わる柔らかい感触を楽しみながら、いなほはその商売根性の強いコリンのやり口に呆れつつも、その根性に好意を感じた。
「ったく、んなことやんなくても酒くらい奢ってやんよ。とりあえずここで一番美味い酒、ボトルでくれ」
いなほは持っていたカバンから金貨の詰まった袋を取り出した。その量を見て、コリンの瞳が一層輝きを増す。
「キャー! ありがとー! 大好き愛してる!」
コリンはそのままいなほの頬にキスをすると、スキップしながらカウンターの奥に消えて行った。
「ひょえー、女って怖いねぇ」
バンがお茶らけて言う。いなほは同意するように頷いた。
「まっ、それはともかくテメェにも飲ませてやるから安心しろよ」
「本当かよ! って、俺が奢るつもりが奢られちゃ仕方ねぇな」
申しわけなさそうに頬を掻くバンの肩を軽く小突くと、気にするなといなほは言った。
「どうせここにゃ一人も知り合いなんざいなかったんだ。ダチが出来ただけでもいいってもんよ」
「いなほちゃん……くー、このバン・バット! もうアンタについて──」
「いなほさーん! お待たせー!」
男泣きするバンの声をかき消すコリンの嬉しそうな声。その手には如何にも高級そうなボトルが一本あった。
ちゃっかり新たなグラスを持ってきているのだから、抜け目がない。店の客も、普段はお目にかかれないボトルに興味津津といった様子だ。
そんな彼らの視線にニヤリとコリンは笑うと、見せつけるようにグラスに注いだ。金色の輝きを放つその酒は、さながら黄金酒とでも言おうか。続いてコリンは自分の分を注いで、乾杯をしようとしたが、その前にちょっと落ち込んだバンのグラスに、いなほはその黄金を並々と注いだ。
「優しいんだね、いなほさんったら」
コリンは僅かに頬を染めてそう小さく呟いた。当たり前だろと答えるいなほの返しが面白くて吹き出しつつ、三人はグラスを捧げて、改めて打ち鳴らした。
そして暫く、コリンはバンといなほの関係を聞きだして、それにバンが脚色混じりに応えて行く。
「はー、そりゃ凄いわ。いなほさんってば強いんだね」
「ったりめぇよ! 何せあのトロールナイトの一撃を難なく防いで一撃だぜ!?」
「はいはい、それはもう何度も聞いたから」
「いーやまだまだ話し足りないね! 簡単な依頼だとばかり思っていた俺の前に現れたオークの──」
大分酔いが回ってきたのか。顔を真っ赤にしながらこれで何度目になるか分からないいなほの活躍を語りだすバン。
「ありがとね、いなほさん。あの馬鹿助けてくれてさ」
コリンは唐突に、そう静かに言った。いなほは照れ隠しに酒を一気に飲み干して、穏やかに笑うコリンから視線を逸らす。
「気ぃすんな。たまたまだよあんなの」
「それでもだよ。あいつ、実力はそこそこにある癖に、あんな性格だからここぞってところでドジしちゃうからさ」
コリンが瞳に浮かべる感情は何なのか。いなほはその横顔を見つめて苦笑する。
「ったく、折角の酒の席で何だその湿っぽいのはよぉ」
「あ……ははは! うんうん! そりゃそうだ! ほら、あんなバカは放っておいてどんどん飲もう!」
金の輝きがグラスで踊る。酒とつまみの美味さに舌鼓を打ちながら、酔っぱらったバンの相手をしつつ、時折注文を取るために席を外すコリンとの話を楽しむ。
マルクでアイリス相手に飲んでいたのとは違う楽しさがあった。むしろいなほの気性に合うのであれば、バンとコリンはアイリスよりもいなほの相手には相応しい。そうしてシェリダンという街の雰囲気を楽しんでいる時、けたたましい音を立てながら店の入り口の扉が開いた。
次回、ヒロインとか。