第二話【迷宮都市シェリダン】
迷宮都市シェリダンと言えば、大陸きっての危険地帯の一つであり、そして大陸中の冒険者が憧れる冒険者の聖地である。
迷宮の名に相応しく、この都市は無数のダンジョンが密集した場所に都市が作られている。螺旋状のダンジョンが、高層ビルの如く大小幾つも立ち並び、地下に作られたダンジョンは入り口が無数に存在し、気付けば都市のすぐ近くに新たなダンジョンが発生する。そのダンジョンのどれもが最低でもGランク以上のダンジョンであり、さらに都市内には日常的に迷宮から溢れた魔獣が現れており、実力のない者は、入って一日もせずに死んでいく。
だがそんな危険地帯でありながら、その賑わいは四カ国の人々が入り乱れるマルクと比べても遜色なかった。何故なら、ここのダンジョンから得られる貴重な素材の数々は、各地の商人にとって喉から手が出るものであり、さらに高位の冒険者が入り乱れるため、高価な薬や武器防具が飛ぶように売れて行く。冒険者達は一攫千金を夢見てシェリダンを訪れ、その数は決して減ることはなかった。魔獣の脅威にさえ気をつければ、ここで商売を始めるということと、冒険者として活動することのメリットは充分以上にある。さらにその難易度から、貴族の鍛錬場としての役割もあり、冒険者の中にはそんな貴族に取り入って成り上がろうと夢見るものも多い。
ハイリスクハイリターン。危険を冒せば冒すだけ、この迷宮都市では名を上げることが出来るのだ。
「っても俺みたいにこっそりひっそり、上手く馴染んでる奴もいるんだけどな」
シェリダンまでの道を歩くバンは、隣にいるいなほにそう言った。
「へぇ……ったく、アイリスも人が悪いぜ」
話を聞いたいなほは、まさに自分に打ってつけの都市の話を聞いて嬉しそうに喉を鳴らした。
「だけどよいなほちゃん。アンタみたいな強い奴がシェリダンのこと知らないなんて意外だったぜ」
「まぁな。ここに来たのは数カ月前でよ。それまで日本から出たことねぇしな」
「ニホン? ふぅん。どっかの小国かそれ?」
「あー……確か島国とかって言ってたっけ」
「うはー、超田舎じゃん」
感心したように目を丸くするバン。いなほは疲れたように肩を竦めて共に歩く。
マルクを出てから一週間、いなほは特に何かあったわけもなくシェリダンに到着した。その道中でバンと会ったのは偶然でしかない。何となくエリスと初めて出会ったときのことを思い出して苦笑したが、ふと、あいつらはどうしているのかと、そんなことを思った。
変な感傷だ。どうせ俺がいないから楽しくやってんだろ。含み笑いを浮かべたいなほを、バンは訝しむように覗きこんだ。
「どった?」
「いんや……ちょっと、前にいた所のことを思い出してな」
「おっ、いいねいいね。俺っち、他人の、特に強い奴の武勇伝ってのに興味があるんだ」
楽しそうに聞いてくるバンに、いなほも得意げになって胸を張ると、これまでのことを一つ一つ、宝物を見せびらかすように語りだした。
「……そこでエリスがアイリスのケツに指を──お?」
暫く話していると、木々を抜けたいなほはその先に広がる光景に目を輝かせた。
空に輝く太陽の下、広がる草原の中心にその都市はあった。
まず目に付いたのは天へと伸びる大小幾つもの赤い螺旋状の建物だ。遠目からでも禍々しい雰囲気を放つその建物の下に様々な建物が立ち並んでいる。マルクに比べて、都市を囲む外壁は土嚢が適当に詰まれているだけで、あまりにも雑にすぎた。だがそれもシェリダンという都市の特性上仕方ないのかもしれない。最低でも数年に一つ、新たなダンジョンが発生するその都市は、ダンジョンが出来る度にどんどん巨大化していく。一々堅牢な壁を作る必要がないのだろう。
そして、それはシェリダンに住む者達の自信の表れでもあった。魔獣と魔族の脅威が来ても容易に追い返して見せるという自負があるからこそ、シェリダンは解放的だ。
混沌の坩堝とでもいえるその都市の威容を見て、いなほは臆することなく、むしろ嬉々として眼光を鋭くした。
「へぇ、やっぱしアンタ、シェリダンにぴったりだ」
いなほの威圧感を横目に、バンはそんなことをぼやいた。
「そうか?」
「そりゃもう! 俺っちみたいなシェリダンの美味い汁にたかるゴブリンみたいな奴とは違ぇ。アンタみたいのがきっと、シェリダンが誇る超難関ダンジョン、墓穴の向こう側で活躍するんだよ」
「墓穴の向こう側?」
聞き慣れぬ単語に首を傾げるいなほに、忘れていたと言わんばかりに目を開いたバン。馴れなれしくも、決して不快にならないようににじり寄ると、わざとらしくシェリダンでも特に大きな螺旋の建物を指差した。
「あれだよいなほちゃん! シェリダンが誇る大陸きっての高ランクダンジョン! 貴族ですら徒党を組まなきゃ挑めねぇB+ランク迷宮! あれこそ上層三十階層、そして地下二十階層にも及ぶ、貴族だって裸足で逃げ出す最強のダンジョン、『墓穴の向こう側』よぉ!」
得意げに語るバンの説明を聞きながら、いなほは遠目でも一目でわかるその異様な大きさのダンジョンを見た。
他にも幾つもの螺旋状のダンジョンは並んでいるが、その中でも一際大きな建造物。赤黒いその見た目はまるで血をたらふく吸い取ったようにすら見えた。まさに、数多の冒険者の死体が眠る墓標の如きその異様。
バンの説明は続く。まずは目につく三十階にも及ぶ建物、通称『血色の棺桶』を昇りきった者に渡される黄金の鍵を持つ者のみ、その下に広がる墓穴へ突き進む挑戦権を得られるのだと言う。
「ってもまぁ今のところ墓穴の挑戦権持ってるのは零なんだけどねぇ。一応、大手ギルドなんかは過去に鍵を手にした奴の分がちらほら残ってはいるけど、実力不足で挑めば意味ないし、そもそも血色の棺桶で取れる素材や、戦う敵でも充分難敵だしよぉ、ここ数十年は挑戦者が皆無らしいぜ? なんせ血色の棺桶の一階ですら、推奨ランクは総合F+だ! 最低でもGランクがチーム組んで行かなきゃ入った瞬間首が飛ぶって寸法よ!」
それを考えればいなほちゃんは最高だ。と、バンは人懐っこい笑みを浮かべていなほの腕を小突いた。
「何せあのGランク魔獣のトロールナイトを一撃ってんだからな! そいやいなほちゃん、ランク幾つなのよ?」
「ん? あー……確かあの水晶っぽいのやったときめっちゃオレンジだったな」
「ってことはD+か!?」
たはー、とバンは片手で目を覆った。
「そいつはスゲーや。D+って言ったら貴族連中ともタメ張れるくらいじゃないか! 貴族の連中は来たとしても鍛錬が目的だからそこまで深く潜らねぇし……こいつはひょっとするとひょっとするかもなぁ」
「あ?」
「血色の棺桶の攻略だよ! いなほちゃん、ギルドとかどっか入ってるの?」
「オウ、火蜥蜴の爪先ってところだ」
いなほの言ったギルド名に心当たりがあるのか、バンは「カァー! 火蜥蜴んとこはここ数年逸材ばっか引きやがるぜ!」と悔しそうに叫んだ。
「火蜥蜴知ってるのか?」
「知ってるも何も、あそこは一応Cランクギルドだからなぁ。ここ十年は随分と衰えたって話だったが、いなほちゃんみたいな逸材が入ったってんなら話は違うだろうさ」
「ふぅん」
さして興味のなさそうないなほの態度にバンは苦笑するが、気を取り直して、ようやくその元に辿りついたシェリダンを前に、改めて一礼した。
「ようこそシェリダンへ! とりあえずギルドへの挨拶はあるだろうが、その前にちょいとお礼をさせてもらってもいいかい?」
いなほはニヤッと笑みを浮かべると、しょうがねぇなぁとバンを追い抜いてシェリダンへと入りこむ。
「ちょ、いなほちゃーん! 勝手に行っても道わかんねぇだろー!」
慌てて追いついてきたバンが先導する。いなほはとりあえずその背中についていきながら、マルクとはまるで別の賑わいを見せるシェリダンの街並みを興味深そうに眺めた。
鼻をつく酒と煙と芳香剤が混ざり合った独特の匂い。立ち並ぶダンジョンのせいか、露天の並び立つ道はほの暗く、昼間だというのにじめじめとした印象を与えた。
すれ違う者の殆どが屈強な者達だ。あるいはいなほのように筋肉の発達した者や、柄の悪い山賊のような者達、魔力の漲る魔法使いや、身なりの整った騎士の如き者。いずれもそこらの魔獣では相手にならない実力を持っているのだろう。
喧騒の中、時たま響く人間のものではない雄叫びは、おそらくバンが説明したダンジョンより漏れ出た魔獣のだろう。随分と刺激的な叫びに混じって、聞こえるのは魔獣だけではなく、人間の悲鳴や喧嘩の怒声、茶化す歓声などなど、荒くれ者ばかりの声の数々に、いなほは何故か居心地の良さを感じていた。
常人なら不快に思う光景の数々も、かつては荒くれ者共の中で生きていたいなほにとっては、むしろ古巣といってもいい。
道行く者達は、堂々と大股開きで歩くいなほを見ては視線を逸らして道を譲った。一々人を掻い潜っていくのを嫌ったいなほが意図的に吹き出した威圧感は、マルクに初めて来たときなど比ではない。低級の魔族ならば抗えぬ程の実力を持つ男の実力を、シェリダンという都市に巣くう冒険者は敏感に感じ取っていた。
次回、飲み屋にて。