すべての因果を貴方に。
「パパ、夕飯には間に合うの?」
一昔前の携帯電話の通話ボタンを押した瞬間、
私の耳に届いた言葉は愛娘からの日々の雑多な
界隈にまみれた中でほっと一息つけるものだった。
「ああ、勿論だとも。ママにも伝えといておくれ。」
「うん、おくられるー。」
私はおもわず吹き出しそうになるような感覚を
覚え、その余韻に浸りながら通話ボタンを切る。
このころが可愛い年盛りというものなのだろうか。
……まだまだ9歳、悪い虫はつきそうにはないが
大きな害虫が食いつきそうな年令だ。
GPSでももたせようか。
そんなことを考えながら私はいつもの大通りから
外れた住宅街の道を歩く。さりげなく時間をみると
時刻は午後5時。この爽秋のさなか、日が暮れる
時刻はとっぷりと遅くなり、それに対応しきれていない
市の街灯は点っておらず薄暗い闇がじょじょに
この道に染み出していた。
その時である。私の”もうひとつの”携帯電話に連絡が入る。
今週で2件目か。腐っているな、この世の中は。私は
おもわずそうはきだしたくなるような衝動を抑えながらも、
それとは矛盾した軽やかな慣れた手つきでポケット奥から
最新タイプである”もうひとつの”携帯電話を取り出し、
通話ボタンを押す。
よっ、と私は電信柱によりかかってリラックスする。
そのとたん、電信柱の上にある街灯がパットと点り手元を
照らした。
そして、私はいつもの業務用フェイスとボイスをつくってこういった。
「Hello. We are a trading company ,
the strawberry of desert.
(こんにちは。貿易会社、
”ストロベリーオブデザート”です。)
You have the password ?
(パスワードはお持ちで?)」
「a once in a lifetime chance.
(一期一会)」
「こんにちは。貴方の憎き者を法的手段で社会
抹消を承る、有限会社”又度因果”です。」
「ああ、わかっている。そのために電話したんだ。
用件は……。」
荒い合成音の声が耳に届く。ひどく不快だ。
私は声には出ないようにしながら、顔をひきつらせる。
携帯の音声が常に聞こえるように型と耳の間にはさみ
ながら、私は荒い合成音の言ったとおりの事柄を
システム手帳にペンを走らせながら、書き綴る。
きちんと用件は耳に届き、まるでロボットのように言われた
事柄を反射的に書き続けてはいるが、心の中ではひどく
上の空だった。いつも同じ心を常に抱く。
すべての要件を聞き、記述が終了したと見計らうと
いつもの定型文句が意識もせずに口から勝手に
滑り落ちた。それは電話のマイクを越して、電子記号と化し
相手に全て言い終わらないうちに伝わったようである。
「承りました。あなたの利益は最大限に、
秘密はすべて最小限に。
そしてすべての……。」
ブチッ。
すべて言い終わらないうちに通話は切れた。なんて
節操な野郎だ。こいつも他と同じだ。しょせんその程度
なのだ。
私はいつも同じ心を常に抱く、そう、所詮私に依頼してくる
ような連中は金の亡者、それか権力に飢えたただの
醜い毒虫だ。
権力の毒虫たちはいつも同じ土俵にいる。
土俵いっぱいの毒虫たちは常に殺し合いを行い、
食い殺し合い、そして最後に生き残った一匹のみが
すさまじく強力な毒をその体内にため込み、同時に食い
殺された毒虫たちの怨念、毒をすべて背負って生きていく。
いずれそのため込んだ毒が己をも食い殺すとも知らずに。
いつから……私はこうして生きてきたのだろうか。
すべてが変わったのがきっかり今日で1年前ぐらいだった、
私はしがないサラリーマンである。家族もいる。
だからそのために毎日毎日、上司のご機嫌をとりながら
デスク上での作業にいそしむ。こんな生活を社会人に
なってからずっと続けてきたのだ。
1年前までは。
ある時、トイレで私は不意に目の前が真っ暗に
なったことを覚えている。気が付いたら私はたいへん
珍妙不可思議かつ何とも言い難い能力と、手には
システム手帳、最新機種の携帯電話が握られ、自宅前で
つったっていた。何をされたかもよくわからないまま、ぼぉっと
回らない頭で立っていると電話がかかってきた。
その声は荒い合成音に加工された男の声、そして
その声を聞いているとなぜか聞く気もないのに言った
内容がすべて頭に入っていた。まるで最初から
知っていたかのように。
男は言う。
「君に与えられた能力は仕事をこなす上での、”資格”だ。」
と。
その男は私は仮にボス、とでも呼んでいる。彼は本当に
ボスらしいボスだ。ろくに素性すら明かさずに私との
唯一の接触点は、依頼が来る事を事前に告げる
電話の合成音と、私が仕事用携帯電話からかける
依頼完了の連絡だけ。
最初のボスからの電話、それが私の新しい職と仕事の
始まりだった。新しい、まるでコミックのような超能力
じみた”資格”とともに。
―――――――
「ここ、か。」
私は夜風に吹かれて、住宅街をさまよってようやく腐った
依頼人の告げた住所の場所へ辿りついた。見上げると、
まぁ、なんとまぁ豪勢な住宅だろうか。
ここはもともと高級住宅街であったが、そこら一帯の
家々全てが色あせて見えるほど金を費やしている
ようだ。至る所に無駄、ともいえるほどの装飾が施された
玄関柵、家の窓から明るい光がこの夜の世界へ差し
込み、とてもとても裕福そうな印象を受ける。
時刻は8時30分を指していた。もうそろそろ夕食も終わって
人間が一番、油断をしている時間と言っても過言では
ないだろう。さて、仕事の始まりだ。私は慣れた足取り
でするすると歩いていき、玄関柵横にあるインターフォンを
押す。
もう、こういう豪邸のインターフォンを鳴らすのにも
慣れたものだ。この仕事を始めた時とは考えられない
くらい、私は冷静に思考をし行動しており、私自身
それが恐ろしく感じられる。慣れってのは、怖い。
「はい。」インターフォンを押すと同時によく通る声の
ご婦人がでた。ふと、私はこのインターフォンのマイクの
横にカメラがあるのを見つける。それに目を向けいかにも
誠実そうな部下、という面持ちをつくり自分でも馬鹿馬鹿しいと
思うほどの作られたスマイルを浮かべた。
「夜分遅く申し訳ありません。私、貴公、金豪雨社社長へ
提携進言をしにまいりました黒幕商事の臼井という者で
ございます。」
「……わかりました、どうぞお入りください。」
その声と同時に門はぴすーっといかにも重そうな
外見とは違う、見かけ倒しな間抜けな音をたて、
内側に向け開く。
簡単なもんだ。ターゲットの会社よりも権力の強く、
今株が上昇中のどんな権力者たちにも目に付けられる
ような会社を名乗ればいい。そうしてだいたい提携進言、今後の
仲の発展を、親睦パーティーへのお誘い、こんな奴らが飛び付く
経済進展の欠けらが見えるようなセリフを吐けば、扉はこうも簡単に
開くもんだ。アポなしでも問題ない。なにせこちらはあちらなんか
より格上だからだ。
私は門を通り、玄関に立つ。まもなく扉は開き、夫人が私を
招き入れた。
「はじめまして、黒幕商事の臼井と申します。
金豪雨社長はいらっしゃいますか?」
「ええ、夫なら応接間でお待ちしておりますよ。
中へどうぞ。」
「それはよかった。私ども、黒幕商事と金豪雨社は
両社とも利益ある関係が組めれば、2社とも素晴らしい
躍進を果たせることもできますお話ですしね。」
私は巧妙に練られたセリフを、それまた鏡の前で何回も
練習した巧妙に細工した満面のスマイルで吐きだし、
呼応するように夫人は私に幾人ものここに訪れた人々に
送ったかのような笑顔を送る。その笑顔はいったいどれほど
此処に訪れた人々へ、どのような形式で送られたか。
ご機嫌取りに来た部下を馬鹿にしたような嘲笑か、はたまた
尋ねた社長を夫に持つような夫人たちへの表面上、親しみを
浮かべた様なわざとらしい笑顔か、私の様な自分の生活が
さらに経済的な意味で明るくなるような引き金を持つ者に向ける
愚妻を呈した”むかつく”表情か。
きらびやかな玄関を通り、豪勢なリビングを通過していく。
途中で丸丸と肥えたビーグル犬が舌を出しながら私のスーツの
すそを舐めようと、ヨタヨタ歩いてくる。可哀そうに、いらない愛を受け、
健康さえ害された犬の幸せとは本物か?
心の中で、憐れみと嘲笑を繰り返しながら下に通じる階段を
下りていき、地下の部屋の前へと通された。
社長ご夫人は私の前を行き、ノックして扉を開けてくれ私に
入るように勧め、私は一礼して会釈をしながら部屋の中へ足を
踏み入れた。
地下室は応接間であった。四方は白のシンプルな壁紙でかこまれ、
もたれることのできるソファーが4個ほど、床にぴっちりと計算された
ような位置に配置されている。
「はじめまして、黒幕商事のお方ですね。お噂はかねがね。
ええっと臼井さん、でしたかな?」
「こちらこそ初めまして、臼井です。いえいえ、金豪雨金次郎
社長。貴方がた企業の最近の急成長ぶりは目を見張るものが
ありますよ。一つよろしくお願いします。」
「ワハハハッ。わが社も黒幕商事さんと提携なんぞとったら
おおわらわですわっ。」
私は名刺を差し出しながら適当に調べた情報をもとに
馬鹿馬鹿しい褒め言葉を舌先三寸で並べていき、今回の
ターゲット、である豪快な笑い声の金次郎に礼をしながら
目をやる。
あのビーグル犬同様、こいつも丸丸と太っていてまるで七面鳥だ。
がっちりとした体型にちょこんとのった金欲に飢えてそうな、
細い眼。顔全体のパーツが皺くちゃになり、まるで潰れアンパンだ。
憎々しい嫌な金の亡者の顔、見るために吐き気がする。だが、
その吐き気を抑えて私は依頼人からの公には公表できない、
黒の任務、ブラックオプスを遂行しなければ報酬は出ない。
そして報酬、それが私の原動力だ。
どっちにしろ、私も金の亡者なのかもしれない。金のために
やっているから。だが、これが仕事だ。これしか仕事はできない。
それに亡者だとしても私の生活はごくごく一般的な収入しか
得てはいない。月に数十万円のはした金が手元に残る程度、
家族を養っていくためには十分な金額だった。
それにこいつらは、例えば金豪雨社は多額の利益を
株操作で上げている。その裏事情には株取引場の人間と通じて、
インサイダーが行われている、とのうわさもあがっている。
その汚い金を、私利私欲のために行使していたのだ。仕事を、
行わなければならない、もっともけがらわしい、金の亡者だ。
仕事は一つの礼の後、ただの握手ですべてが決まる。
私は礼をした後、金豪雨の方にむかって手を差し出した。握手の
サインだ。こうすれば、大概の者は握手をし返す。
そして、金豪雨はその私の握手を握った。この握手こそ、
私がボスにあった日から得ることのできた素晴らしい仕事に必要な
”資格”であった。
金豪雨が私の手をひしゃげたアンパンの様な笑顔で握った、
その瞬間。
彼の瞳は、ついさっきまでの輝きを失い、急にうつろでどんよりとした
表情になった。仕事の成功だ。私は悪役にふさわしそうな、いびつな
笑いを顔に浮かべる。
私は握手した手を離し、満足げにゆっくりと今までの幸せそうな
歪んだ笑い方を浮かべる金豪雨から、ただただ虚ろな視線で空を
見つめるだけ、がらんどう人間になり変わった金豪雨。
そいつを一歩下がって、見つめる。
彼は、今はただの人格を無くした、さなぎ、とでも言えるだろう。
だが、このままでは時間がたてばこの”資格”の効力は失われ、
普通の金豪雨に戻ってしまう。いわばこれは一時的な空っぽだ。
依頼人からの依頼、それはこの金豪雨に会社の社長という
レッテルを下ろすという事。簡単な事であった。この空っぽな彼に
この”資格”を持って新しいレッテルを上書き保存するのだ。
だが、それは決して記憶の上書き保存ではない。私は虚ろに
空を見つめる潰れアンパンの耳元に近寄る。酷い、悪臭、
加齢臭か。思わず目を細めた。
まるでとってつけたかのような小さな耳元に口を近づけ、
私はささやくように。
「お前はこの世の中には不要、いわゆる廃人だ。もう立ちなおる事は
絶対に不可能だ。大人しく病院のベッドで……ハハハ、天井でも
見てるんだな、この潰れアンパン野郎が。」
呟いた。この瞬間が、一番楽しい。最高だ。権力に溺れる者を
こうして私はレッテルを自在に張り直し、全て一からリセットできる。
私は自分でも引くほどの、ざまぁみろ、全てを見下したかのような
最高の嘲笑を浮かべ心の中でけなしまくった。その感情に
そぐわないほど、目の前の金次郎はこの応接間の淡い光を
浴びて、ただ口を開け光に反応してるとは思えない死んだ目で
天井を見つめる。
この資格は、記憶を上書きするのではない。今までの記憶
というモノはあっても、この人物自体の心理に直接植え付け、
いわゆるマインドコントロール、洗脳だ。
金次郎は、今この瞬間、心を付け変えられたのだ。
潰れアンパンの小さく虚ろな瞳は、何も語らない。
廃人となった。
彼はその頭で何を思うか、それは誰も知りえずにそして、
知る必要は全く持ってない。
――――――――――
私は、金豪雨を下ろす一仕事終えて自宅への帰路へつく。
先週、今週で2件。今月でもう3回目だ。いつもは月に1度、
それで中堅程度のサラリーマンが得ることのできる給料は
得られた。ボーナスくらいは、欲しいものだ。あんな金豪雨の様な
金の亡者ばっかり見ていると、心底胸の内が憎たらしさと
いらつきで沸騰してしまいそうな気持だ。
しかし、つい先に社長というレッテルから引きずりおろした
金次郎とは、真逆のタイプの人間のレッテルを、先週私は
剥がした。そいつはただの会社員。普通な収入、普通な家庭。
普通な生活。なにも引けを取らない堅実で普通な人間の人生を、
私は消した。
依頼人がどうこの男と関係していたかは知らないが、関係
しているとしたらこの男の妻だろう。私を出迎えた妻は、たいそうな
美人であり普通な男とはちぐはぐなほどであったが、かなり円満な
家庭を築いているように見え、きっと心身とも美人という事だ。
そんな魅力的な女性を落とした男だ。敵も多い事だろう。
依頼人は女性を愛しく想う、一途な思いからおおかた依頼した
のではないか、私はそう思う。
あの男には一生精神病院のベッドの上で寝る、というレッテルが
はられたが、今思えばかなり可哀そうな事をしたかもしれない。
だが、そんな後悔も楽な仕事とはひけをとらない。
我ながら私は悪役だ。
私は実を言うと仕事は嫌いだ。どうせなら職なんて付かず
にぐうたら一日、過ごしてみたいものだが、愛する妻と娘の
ためという大義を負っている時分、そんなわけには決して
いかない。
一日デスクに向かい、上司の機嫌をとって好きでもない
酒を飲む。だが、今はそんなことはない。会社を辞めて、
この仕事と”資格”を得てから月一、二度の仕事で精を出す。
なんとまぁ合理的な生活だろうか。
そんな事をにんまりと考えながら、夜の道を歩いていく。
辺りは冷え冷えとした風が吹き込み、住宅街の2車線の狭い道
だとその風の勢いが増し、衣替えをしこそねた夏のスーツの隙間に
ひどく寒さを感じる。私は身をよじって、その寒さをなんとかしようと
するが、もうそろそろ我が家が見え始めるころだろう。
私はにわかにその寒さを忘れた。帰れば可愛い盛りの
娘が迎えてくれるか。
その時である、私の携帯が音をたてた。それが愛娘から、
だったらどんなによかったことか。私は顔がひきつるのを
感じた。その原因は明らかである。この携帯の着信音は
”仕事用”の携帯からだった。
私はにわかに寒さがわが身に舞い戻ってきたと
感じながら、携帯をとりだそうとポケットの中をのそのそと
漁る。全く、最悪だ。
チラリと、もうそろそろ見える我が家の方向を見る。少し
遅くなりそうだが待っていてくれよ。もうひと仕事のようだ。
私は視線を下に落とし、携帯の通話ボタンを押して、
定型文句が口から半自動的に滑り出た。
「Hello. We are a trading company ,
the strawbe...
(こんにちは。貿易会社、”ストロベ…)」
「私だ。話がある。」
荒い合成音。耳に残るような、だがどこか知っている
ような感じがする無機質なザラザラとした声。
嫌だが、この電話番号でいきなり「私だ。」
なんて言う人物は一人くらいしかいないではないか。
……ボスだ。私は額に汗がしのぶのを感じる。今までの
仕事とは違う、全く持って異形であり異常でもあり異質な
存在。圧倒的感覚。
「君の自宅前に居る者と話をしろ。」
ボスの声は耳にしっかりと、そして何処か生理的嫌悪感を
も想起させる。だが、虫の様なうごめき混ざり合ってグロテスクな
嫌悪感とは違う。
ただ、その圧倒的な存在感から濁り水のようにじんわりと
湿る、悪意。
というモノが人間に直接働きかけてくる時に覚える、吐き気。
私は思わず体を前かがみにして、カハッ、と息だけを地面に
吐きだした。急に寒気が全身にまとわりつき、体全身から
噴き出すものは鳥肌と冷たい色をした何処までも透き通る汗。
「嫌。」私ののど元まで上がってきたその言葉。
だめだ、行きたくない。私は心の中で否定し続けた。そして、
くるりと右回りして一気に脇目も向けずに走り去りたい、
全てを無かった事にして走りだしたい、そのような逃避の
想いがしんしんと頭に降り積もる中。
だが、無情にも私の体はマリオネットのように、ぎくしゃく
ぎくしゃくと自宅前に歩を進める。
糞、どうにかなんないのか!こんな状況、
どう打開すればいい。そんな私の目にまわりの明かりの
点った住居が目に映る。
そうだ、叫んで助けを求めれば何とかなるはずだ。
私はどうにでもなれ、という投げやりな想いで空気を
大きく吸い、声を張り上げた。
しかし、口を開けど、そこから張りあげられたのは
声ではなく、ただ息が低いうなり声でシューと漏れる
ような音。
私は絶望した。さっきのボスの声を私はただただその音源に
関する行為を抹消せずにはいられなかった。手に握ったままの
携帯電話はさらなる悪意がやってくる、ドア。
私はそれを思い切り地面に捨て踏みつぶしてやりたかったが、
その衝動でさえ体は言う事を聞こうとする耳を持っては
くれなかった。
家が見えてくる。不本意な体はただひたすらにそこへ
向かって歩を進める。嫌だ、嫌だ止めてくれっ。叫びたい
ところだが私の声は口を通る事無くただただ無意味に脳内で
反芻されるばかり。
その事実が私の鼓動を異常ともいえるほどの速度で
打ち鳴らし、さながら境内で小坊主が暴れながら
鐘をたたくようだ。
その時、私の視覚が不意に家の前にいる、
黒い影をとらえた。街灯や家々の光を浴びてその黒い影の
際が、不気味なほどに深く、色濃くさせ、まるで暗黒のような、
絶対的黒さだ。
私は本能的に直感する、そいつに近づいてはいけない、と。
だが、それは叶わずに。私はその黒い影の鼻と鼻がくっつく
ほどの距離に立たされた。
すぐ目の前には、家があるというのに。
「っっ!!」
目の前に移ったのは黒いのっぺりとした覆面をかけた、
長身の人間らしき黒い物体。何も言わずに瞳も見せずに
奴は私の事をじっと見つめていた。
目をふさぎたい、目をふさぎたいっ。
だが、私のまぶたは瞬き以外の動作を許す事はさせて
くれず、ただただその嫌な面を目に焼きつけられる。
不意に奴は、私の顔に黒い革手袋らしきものをした
手で顔面を掴んだ。やめろ、やめろ離せっ。
声にならならない叫びが私の精神をおかしく
させるのではないか、そう錯覚するほど酷くガンガンと
響いていく。だが、その響きは目の前にいる長身の黒い
覆面からも放たれているかのようだ。
その瞬間、流れ込んできた音声。その声は荒い合成音、
ボスのものだった。
「残念ながら君個人に対しての依頼が入った。先週、
君がレッテルを剥がした男の妻からのようだ。
仕方ないが、君には”抹消”されてもらう。
これも仕事だ。」
それって……っ。
私はそのボスの声に答えを出す前に、その覆面をかけた
真っ黒の男の手が視界に吸い込まれていく、いや違った。
私がその覆面の黒い影の手に吸い込まれたのだった。
まるで排水溝に流れていく水のように。
スっとこの世界から。
”私の存在”というレッテルが剥がされて。
――――――
今日も一人の男に電話が入る。
「Hello. We are a insurance company ,
the strawberry of island.
(こんにちは。生命保険会社、
”ストロベリーオブアイランド”です。)
You have the ID ?
(IDはお持ちで?)」
「a once in a lifetime chance.」
(一期一会)」
「こんにちは。貴方の憎き者を法的手段で
社会抹消を承る、株式会社”因果応酬”です。」
「ああ、わかっている。そのために電話したんだ。
用件は黒幕商事の重役、渋井咲金助をどっかに
飛ばしてくれ。」
「承りました。あなたの利益は最大限に、秘密はすべて最小限に。
そしてすべての因果を、貴方に。」