夢を見た。目の中でわたしは、犬に襲わレていた
夢というものは、ときに現実よりも雄弁に、私たちのあやふやな存在理由を語りかけてくることがあります。
本作は、目覚めと眠りの境界線に迷い込んだ一人の人間と、一匹の犬の少しばかりおかしな「夢の領域侵犯」を描いた小さな物語です。
もし今夜、あなたの夢のなかに思いもよらない訪問者が現れたなら――どうか邪険にせず、その不躾な闖入を笑って許してあげてください。
さあ、どうぞ物語の続きへ。
『夢を見た夢の中でわたしは、犬に襲われていた。』
「はっ……!」
跳ね起きた瞬間、荒い息が喉を焼いた。夢か。心臓が早鐘を打っている。
夢の中で、わたしは獰猛なドーベルマンに襲われていたのだ。鋭い牙が喉元に迫り、死を覚悟したところで目が覚めた。……本当に恐ろしい夢だった。
「ふぅ、助かった……」
額の汗をぐっと拭い、枕元のスマホで時間を確認しようとした、その時。
カサ……。
布団の足元で、何かが蠢く気配がした。
ゆっくりと視線を落とすと、掛け布団の隙間から、ぬっと現れたのは黒く濡れた犬の鼻先。続いて、夢の中でわたしを追い詰めた、あのドーベルマンが姿を現したのだ。
「ひっ……!? なんで部屋に犬が――」
驚愕で固まるわたしに向かって、ドーベルマンはゆっくりと口を開き、低い声で言った。
「おい、起きるなと言ったろ。ここもまだ、俺の夢の中だ」
――え?
「ちょっと待って、あなたの夢?」
「そうだ。俺がいま爆睡して見てる夢の中に、お前が勝手に侵入してきたんだよ。なのに途中で『夢から覚める夢』を挟んで尺を伸ばすな。ややこしいだろ」
ドーベルマンは深いため息をつき、前脚で頭を抱えた。
「俺はただ、人間をガブッと噛むシンプルな悪夢が見たかっただけなんだ。それなのに『夢から覚めたと思ったら実はまだ夢でした』なんて不必要な伏線回収みたいな展開、頼んでないんだよ」
「そ、そんなこと言われても……!」
「いいか、次はちゃんと二度寝しろよ? 俺の睡眠の質に関わるからな」
呆然とするわたしをよそに、ドーベルマンは「ふあぁ」と大きなあくびをすると、部屋の隅で丸くなり、スースーと寝息を立て始めた。
部屋の中に、静寂が戻る。
わたしはそっと自分の頬をつねってみた。……痛くない。
(……待って、じゃあ今のわたしは『犬の夢の中に勝手に登場して勝手に二重夢を作っている、ただの邪魔な存在』ってこと……?)
襲われる恐怖よりも、他人の夢の邪魔をしている申し訳なさのほうが勝ってしまい、わたしは静かに布団をかぶり直した。今度は、ちゃんと犬の期待通りの恐怖展開になってあげよう、と心に決めながら。
【了】
本編を最後までお読みいただき、ありがとうございました。
どこかの夜で迷子になっていたあの犬も、あなたの温かな読書の時間のおかげで、無事に自分の住処へ帰ることができたようです。
ふとした瞬間に訪れる小さな不条理や、言葉のないぬくもりが、あなたの日常の片隅をほんの少しだけ柔らかくできていたなら嬉しく思います。
今夜はどうぞ、心地よい眠りと素敵な夢を。
また次の物語でお会いしましょう。




