お天気お兄さん
太一君は目が覚めると、パジャマ姿でコタツで寝ていました。
ゆうべはお兄ちゃんと並んで布団で寝たはずなのになあ、と思いながら起き上がり、コタツの上を見ると紙が置いてあります。
「たいちへ。 おとうさんとおかあさんとおにいちゃんは出かけてきます。そとに出ないで、コタツでオヤツをたべてテレビをみてなさい」
これは、お父さんの字です。太一君はふくれっ面になりました。僕ももう大きくなったんだから、お兄ちゃんと一緒に連れてってくれればいいのにと思います。
家の中は静かで何の物音もしません。太一君はおしっこがしたくなったので、コタツを出てトイレに行きちゃんと手も洗いました。少しお腹が空きましたが、コタツの上には太一君の大好きな塩せんべいや、色々なお菓子が積まれています。
いつもはお母さんに「勝手に食べちゃだめ」と言われているので、太一君は嬉しくなりました。
リモコンでテレビのスイッチを入れて、塩せんべいを袋から出してパリパリと齧ります。ジュースが飲みたくなったので冷蔵庫を開けてみましたが、空っぽで何も入っていません。仕方がないので我慢します。
そのままチョコレートを食べながらコタツに入ってテレビを見ていると、足がぽかぽかして何だか眠くなってきました。
コタツにもたれて、うとうとします。テレビからはにぎやかな音が聞こえてきます。
どれくらい眠っていたのでしょう。太一君はふと目が覚めました。部屋の中は薄暗くなっています。
もう夕方かな、と太一君は思い無性に寂しくなってきました。お父さんもお母さんもお兄ちゃんも、早く帰ってくればいいのに。しょんぼりしていると、テレビで天気予報番組が始まりました。音楽の後に、お天気お兄さんが登場してお天気の説明を始めます。
太一君は、ぼんやりテレビを見ました。目がくりっとした、髪をきっちり分けたお兄さんです。赤と銀色の派手なネクタイが目立ちます。
「明日のお天気は、一日晴れで絶好の行楽日和になりそうですよ」
こうらくびよりって何だろう、と太一君が思った時、お天気お兄さんが太一君の方を見て笑顔ではっきりと言いました。
「行楽日和っていうのはね、外に遊びに行くのに最高の日って意味だよ」
「ふうん」
笑顔のまま、お天気お兄さんは手に持った長い棒を楽しそうに振ります。
「太一君は、明日どこかに出かけるのかな?」
「わかんない。でもお兄ちゃんと公園に行くかもしれない」
「ほお、それは素敵だね」
にこにこ笑うお兄さんの優しい笑顔に太一君の胸がほっこりします。お兄ちゃんよりずっと年上のお兄さん。
「お兄さんはなんて名前なの?」
「お天気お兄さんだよ。ちょっと太一君に聞きたい事があるんだ」
「なに?」
「どんな空が見えるか、お兄さんに教えてくれるかな?」
太一君は窓の方を見ました。空は灰色で、雨が降っています。
太一君はあれ? と思いました。
雨が降っていますが、その雨が真っ赤なのです。
「変なの。雨が赤色だよ」
テレビのお天気お兄さんにそう言うと、お兄さんはもう笑っていません。
「そうか。赤い雨が降っているんだね。じゃあこれで全部終わりだね」
お兄さんの言葉を聞いて、太一君は急に悲しくなりました。
「終わりなの? お母さんが帰ってくるまでそこにいてよ」
お兄さんは少しだけ笑ってくれました。
「もう行かないと。これから行かないといけない」
「じゃあ、またテレビに出てくれる?」
太一君の言葉に、お天気お兄さんは一言だけ言いました。
「そうだね、いつかね」
はっと気が付くと、太一君は暗い部屋の中でコタツに入っていました。テレビだけがぼんやりと光っています。
その時、玄関のドアがドンドンドン! と激しく叩かれ大人の声が聞こえました。お父さんが帰ってきたんだ、と太一君が立ち上がるのと同時に、ドアが大きな音をたてて開き、お巡りさんが入ってきました。
立ちすくむ太一君を見て、お巡りさんが何事かを叫びました。後ろから、お祖母ちゃんが「太一!」と言いながら入ってきて太一君を抱きしめました。太一君は意味がわからずぼんやりとしていました。
テレビの画面を見て、お天気お兄さんがいない事がとても悲しくなり、太一君はぽろぽろと涙を流しました。
太一君はお祖母ちゃんに尋ねました。
「おばあちゃん、赤い雨が降ってる?」
――――
強い風が吹く騒がしい音で目が覚めた。
またあの夢を見ていたようだ。父が母と兄を道連れに無理心中した日、アパートに残された私が見た不思議な天気予報番組と、赤い雨。
当時私は5歳だった。幼い私を父は不憫に思い、心中の道連れにしなかった。
あれから私は祖母に引き取られ成長した。父の無理心中の理由は多額の借金だったので、金銭面での苦労はあったが、何とか無事に大学まで出る事が出来た。その後は職を転々としながら小説を書き始め、今は何とか作家として暮らしている。
リビングで朝食を食べながら、テレビのスイッチを入れて天気予報番組が始まるのを待つ。
私はずっと独身だ。好きな人がいなかったわけではないが、自分は無理心中の生き残りという事を思い浮かべてしまい心のどこかが常に重苦しい。だから最後まで一人でいようと決めている。
両親と兄が死んだ日にテレビに現れた、お天気お兄さん。
お兄さんは、私が死ぬ時もテレビに現れてくれるだろうか。いやそのためには、テレビを見ながら死ぬ必要があるな、と私は苦笑する。けれど「そうだね、いつかね」と言ってくれたお天気お兄さんを忘れた事はない。
やがて天気予報番組が始まった。感じのいい若い男性が、日本地図を指しながら天気の解説をしている。明日は一日雨降りの天気のようだ。
あの時、お天気お兄さんがテレビの中から私に言った言葉。
――どんな空が見えるか、お兄さんに教えてくれるかな?
私があの時見た、赤い雨。あれは私の両親と兄の血だったのだろうか。
自家用車の車内で、父に刃物でめった刺しにされて血塗れで死んでいた母と兄。母は兄を抱きしめて父の刃物から庇い、両腕がぼろぼろになった挙句に胸や顔を刺されて死んだ。8歳にしては小柄だった兄は、背中を幾度も刺されて死んだ。そして最後に車外に出て、自分の首を一気に切り裂いて両目を見開いて死んでいた父。
父は私をアパートに置いて行った。私は父に刺し殺されなかった。父は私を殺してくれなかった。
私はどんな風に死ぬのだろう?
出来れば雨降りの日に死にたい。そしてテレビの中から、私の方を見て笑ってくれているお兄さんに言いたい。
――空は灰色で雨が降っているよ。
<了>




