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温度差のあるふたり  作者: 絵夢


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9/10

1℃

半年後の金曜日、十九時。


天満の路地裏。

居酒屋『おおきに』の暖簾は、今夜もくたびれた色で客を迎えていた。


「……ここ、やっぱり日当たりが微妙です。却下」


「いや、俺は朝からそんなに太陽を浴びたいタイプじゃないんだが」


画面をスクロールする。


「それに、こっちは少し予算オーバーじゃないか?」


カウンターの端。

いつもの席。


二人の間に置かれているのは、ビールでも厚揚げでもなくタブレットだった。


画面には不動産検索サイト。

スモウ。


2LDK・駅徒歩10分圏内


そんな条件が並んでいる。


「予算なんて、私たちの合算で考えれば端数みたいなものです」


視線を上げる。


「……昇進したんでしょう?」


「それくらいの甲斐性、見せてください」


向かいの男は苦笑した。


「昇進って言っても係長止まりだよ」


グラスを軽く持ち上げる。


「君のボーナスの方がよっぽど夢がある」


半年という時間は、確実に何かを変えていた。


かつて自分を「しがない」と呼んでいた男の顔から、その卑屈さは消えている。

代わりにあるのは、仕事に慣れた中堅社員の落ち着きだった。


DXチームの忙しさは相変わらずだ。


ただ今の彼は、それをもう泥水とは呼ばない。

自分のフィールドだと笑えるようになっていた。




「……そもそも」


グラスの氷をいじりながら彼女が言う。


「どうして私の更新時期に合わせて、あなたまで引っ越すなんて言い出したんですか」



「君が言ったんだろ」


肩をすくめる。


「一人で飲む酒が、前より味気ないって」


少し間を置く。


「それなら、飲む相手がいた方がいい」


「……それに」


タブレットを指で弾く。


「帰る方向が同じなら効率良いだろ」


「……そうですね」


即答だった。


「私の部屋」


冷たい視線。


「あなたが荷物を置いて狭く感じていたし」


小さく鼻で笑う。


「これからもっと増えそうだったし」



あの夜。


地下鉄のホームから続いた流れは、静かに境界線を越えた。


だが—


甘い言葉はない。

告白もない。


ただ、


互いの耐久力と不器用さ知った結果、

一緒にいる方が合理的だと分かった。


それだけだった。




「……ここ」


タブレットを指差す。


「キッチンが広いです」


メゾネットタイプの築浅マンションだった。


「いいな」


頷く。


「ここなら、君が仕事で荒れて帰ってきても、俺が逃げ込むスペースがある」


「逃がしませんよ」


即答だった。


少しだけ間を置いて続ける。



「朝まで付き合ってもらいます」


ほんの一瞬。


グラスの縁で口元を隠しながら、微かに笑った。


天満の喧騒の中で、

その表情を知っているのは彼だけだった。


変わるもの、変わらないもの



「戦友さん」


向かいの男は少し笑った。



「これからもよろしく」


カチン。


乾いた音がカウンターに響く。


二人の間にあった温度差は、消えたわけではない。


冷静な女。

不器用な男。


ただ今は、互いの熱を奪い合うのではなく、

同じ温度で並んでいる。


「次は」


彼女が言う。


「引っ越しの祝杯ですね」


「その前に」


苦笑する。


「内見だな」




店を出ると、冷たい夜風が二人の頬を撫でた。


駅へ向かう人混みの中、

凛は自然に藤井の腕を掴む。


離れないように、同じ歩幅で夜の街を歩いていく。


天満の赤提灯が、背中で小さく揺れていた。


お読みいただきありがとうございました!

これにて完結です!

"あの時"の話しを0℃として投稿出来たらと思っています!

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