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温度差のあるふたり  作者: 絵夢


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6/10

4℃

「……あぁ、目がチカチカする」


藤井は新しい部署のデスクで目頭を押さえた。


合格した資格がきっかけになり、彼は社内の「DX推進チーム」という部署に異動していた。

名前だけは威勢がいいが、実態は新しいことを片っ端から押し付けられる便利屋に近い。


周りは二十代半ばの若手ばかり。

横文字を当たり前のように並べて話す連中だ。


三十五歳の新参者。


正直、以前の部署にいた方がずっと楽だった。


それでも藤井には、以前より一つだけ増えたものがあった。


わからないことを、わからないと言う勇気。


溺れないように必死に水をかくだけだった頃より、

少しだけ前に進もうとする意地がある。


そんな一日の終わりに辿り着く場所は、結局いつも同じだった。




『おおきに』の暖簾をくぐる。


カウンターの端に、見慣れた横顔があった。


「久しぶりですね」


凛がジョッキを持ったまま振り返る。


あの夜の重たい空気は、もうどこにもなかった。

視線は鋭く、姿勢もいつも通り隙がない。


どうやら彼女は、自分の力であの暗い海から浮上してきたらしい。


「……凛さん。元気そうで良かった」


「見ての通りです」


置いていた鞄をどかし席を示す。


「隣、どうぞ」


藤井が座るのを待たず、凛は続けた。


「あのミス、自分で全部リカバーしました」


ジョッキの氷が小さく鳴る。


「徹夜して、理論武装して、文句を言わせないだけの結果を出しました。……上司、最後は黙りましたよ」


「はは。君らしいな」


藤井は笑う。


「かっこいいよ」


「お世辞はいりません」


凛はちらりと佐藤を見る。


「……それより、藤井さん。顔ひどいですよ」


「そうか?」


「前より老けました」


「手厳しいな」


藤井は苦笑してハイボールを飲む。


「新しい部署で、毎日二十代の連中に鍛えられてるんだ。

少し油断すると、すぐ置いていかれる」


言葉とは裏腹に、どこか清々しい顔だった。





「……あの、藤井さん」


凛が少し声を落とした。


「はい」


「私、最近ここ毎日来てたんです」


「昨日も、一昨日も」


「……奇遇だね」


佐藤は言った。


「俺も、今週は皆勤賞だ」


二人の間に、妙な沈黙が落ちた。


今までは「たまたま会う」という偶然に乗っていた。

けれど、その偶然の確率を上げるために、互いに同じ場所を選び続けていたことに気づいてしまった。


凛が小さく息を吐く。


「……非効率ですね」


「そうだな」


藤井も笑う。


「店の売り上げには貢献してるけど」





「……藤井さん」


「ああ」


「スマホ、出してください」


凛は自分のスマホを操作し、QRコードを差し出した。


藤井は少しぎこちない手つきでそれを読み取る。


画面に表示された名前は、ただ一言。


Rin


「……これで」


凛は言う。


「たまたまを待つ必要はなくなりました」


ハイボールを飲み干す。


グラスの氷が静かに転がった。


「じゃあ、次は約束して来ましょう」


凛は立ち上がる。


「例の、合格祝い」


コートを羽織る。


「藤井さんが高い肉奢ってくれるって話」


藤井は少し笑った。


「覚えてるよ」


一拍置く。


「……高い肉とは言ってなかった気もするけど」


凛は小さく肩をすくめた。


「今、言いました」


暖簾の方へ歩きながら言う。


「じゃ、明日も若い人達にしごかれてきてください」


少しだけ振り向く。


「……お疲れ様です、戦友さん」


そう言って、店を出た。


暫くして佐藤のスマホが震える。


画面には短いメッセージ。


『土曜 19時 北新地』


『おおきに』ではない場所。


初めての、外での約束だった。


「新地って…」


藤井は通知を閉じ、ハイボールの残りを飲み干す。


まだ2杯目の酒で、今日は不思議なくらい酔いが回った。

お読みいただきありがとうございます!

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