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温度差のあるふたり  作者: 絵夢


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2/10

8℃

深夜近く、土砂降りの雨。

雨宿りのために逃げ込んだオフィス街のコンビニの軒先で、彼は缶コーヒーを握りしめていた。


「……あ。この前の」


隣から聞こえた声に、藤井は肩を揺らした。


そこには、一ヶ月前と同じく隙のないコートを着た凛が立っていた。

しかしその手には、骨の折れたビニール傘が無惨にぶら下がっている。


「……あぁ、先日の、戦友さん」



「雨降らないと思ってたのに」


凛は濡れた髪を面倒そうにかき上げると、藤井の持っている缶コーヒーをちらりと見た。




「傘、壊れたんですか」


「見ての通りですよ。買ったばっかりなのに」



藤井は持っていたビニール傘を広げる。

決して大きくはないが、二人ならなんとか入れるサイズだ。


「駅まで、入れますよ。……下心じゃなくて、単なる資源の有効活用と思ってください」


「……ありがとう。助かります」


二人は並んで歩き出した。




「あの時のウコン、飲みました?」


藤井が尋ねると、凛は前を向いたまま小さく頷いた。


「飲みました。おかげで翌朝、後悔せずに済みました。……でも、あんなもの渡してくる人、初めてでしたよ。普通はLIMUとか聞くじゃないですか」


「俺みたいなのは、相手の明日の健康を願うくらいしか、やれることがないんですよ」


「それ、三十五歳の矜持ですか?」


「ただの諦めですよ」


凛は少しだけ、傘を差す藤井の手に視線を落とした。

その手は節くれ立っていて、長く社会に揉まれてきた男の重みがあった。


「私、あの後、職場で少しだけ言い返したんです」


「……へぇ」


「無理な納期を押し付けてくる上司に。『私はあなたが耐久力をテストする機械じゃない』って」


藤井は思わず吹き出した。


「それはまた……。それで、どうなったの?」


「一週間、無視されました。でも、空気が変わった。少しだけ、息がしやすくなった気がします」




駅の改札が見えてきた。


凛は傘の中から一歩外に出た。

雨に濡れるのも気にせず、藤井を振り返る。


「藤井さん」


「はい」


「あなたは自分のことを『しがない』って言いますけど、あなたのその諦め方は、誰かを少しだけ楽にする種類のものだと思います」


「……褒められてる気がしないな」


「褒めてはないです」


凛はバッグから一枚のショップカードを取り出した。

あの日の居酒屋『おおきに』のカードだった。


裏面にさらさらと何かを書きつけると、そのまま藤井の手に押し付けた。


「……気が向いたら、またあそこで」


「……名前、一回で覚えてください」


凛はそれだけ言うと、改札へ向き直った。


藤井は手の中のカードを裏返す。


そこには、小さく「凛」とだけ書かれていた。


藤井は小さく息を漏らした。


「了解です。ウコン、また持っていきます」


凛は振り返らないまま、わずかに口元を動かした。


「そうですね。あれ、意外と役に立ちましたから」


凛はそれ以上何も言わず、改札へと吸い込まれていった。

一度も振り返らない後ろ姿は、相変わらずクールだった。


藤井は手の中のカードを見つめ、それから缶コーヒーを一口飲んだ。


雨の匂いと、微かな鉄の味。

明日もまた、代わり映えのしない満員電車が待っている。


それでも、手帳に挟んだカードが、ほんの少しだけ彼の日常を軽くしていた。


お読みいただきありがとうございます!

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