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最終話:問題は、無かった
…………
そのあと、
私は何も言わなかった。
言葉にしなかったから、
誰も立ち止まらなかった。
立ち止まらなかったから、
流れはそのまま進んだ。
進んだから、
何も起きなかったことになった。
そして――
問題は、無かった。
その言葉は静かで、整っていて、いつも正しい。
誰も叫ばず、誰も傷を訴えず、誰も明確には壊れていない。
そう見えている限り、それは成立する。
記録は簡潔で、判断は迅速で、結論は一行で足りる。
感情は主観として退けられ、違和感は誤差とされ、
沈黙は同意として処理される。
問題は、無かった。
それは「何も起きなかった」という意味ではない。
起きたことが、問題として認識されなかったという事実だ。
誰かが削れていても、
誰かの中に空洞が残っていても、
それを証明する言葉は、どこにも残らない。
だから世界は前に進む。
正しさだけを携えたまま。
振り返る理由を、最初から失って。
問題は、無かった。
そう記された瞬間に失われるのは――
声ではない。
否定する権利、そのものだ。
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