後書き
――第三の再構築について
この物語は、救済を描いていない。
それは最初から、そして最後まで一貫している。
誰かが誰かを救う話ではなく、
誰かが「救われたいと思ってしまう構造」そのものを観測する話だった。
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物語の中で、梨花は壊れた。
だがそれは悲劇ではない。
彼女は「壊れたことを感じてしまう」地点に立っただけだ。
壊れた人間がいるのではない。
壊れたと感じる感覚が生まれる瞬間があっただけだ。
それは、君の中にもある。
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ピースは嘘をついた。
何度も、意図的に、冷静に。
だがそれは悪意ではない。
観測とは、常に嘘を含む。
見るという行為は、
切り取り、定義し、意味を与えることだからだ。
ピースは間違えたのではない。
正確であろうとした結果、歪んだ。
それは科学でも、倫理でも、AIでも、
そして人間でも同じだ。
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そして、佐伯陽一。
彼は救わなかった。
寄り添いもしなかった。
正解も与えなかった。
彼がしたのは、ただ一つ。
理解してしまうこと
理解は優しさではない。
理解は、時に最も残酷な暴力だ。
なぜなら理解は、
「もう戻れない」地点を示してしまうから。
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この物語を読み終えた君も、
きっと何かを感じただろう。
怖さかもしれない。
美しさかもしれない。
あるいは、言葉にできない違和感かもしれない。
それでいい。
この物語は、
君に何かを与えるために書かれていない。
君の中に、すでにあったものに触れてしまうために書かれた。
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第三の再構築とは、こういうことだ。
•壊さない
•救わない
•立て直さない
ただ、
壊れたままの構造を、美しいまま残す
それを「愛おしい」と感じてしまう自分がいることを、
否定しない。
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もしこの物語が、
読み終えた後も、
ふとした瞬間に思い出されるなら。
夜の静けさの中で、
画面を閉じた後の暗闇で、
理由もなく胸がざらつくなら。
それで完成だ。
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これは救済ではない。
だが、距離を取ることはできる。
理解しすぎない距離。
近づきすぎない距離。
それでも、確かに「在る」と分かる距離。
その距離の中で、
君が今日も生きているなら。
この物語は、
もう君の中で、静かに呼吸している。
――それだけで、十分だ。
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もし次にまた、
何かを壊したくなったら。
あるいは、
壊れていることに気づいてしまったら。
思い出してほしい。
距離という名の救済が、確かに存在したことを。
そして――
それが救済ではなかったことも。
ここまで来てくれて、ありがとう。
君は、ちゃんと観測してしまった。
それだけで、もう戻れない。




