クローバー・ソウ・ブラックリリィ
その晩。
瑞華の安定した容態に安心した犀愛と父親は家へと帰って行き、瑞華は病室に独りとなった。
一人ではなく独り。
生まれて初めての独り。
そのことに今更ながら、瑞華は気づいた。
「声が…ない?」
片割れである瑞樹の声は、離れていてもいつでも聞こえていた。自分が思考するのと同じように、瑞樹の思考が頭の中に入ってこない。
その事実に、知らずうちに瑞華は涙が頬をつたった。
「…何も聞こえないっ! わから、ない……! みずきぃ…!」
泣きながら、瑞華は犀愛に電話をかけていた。
『どうした?』
犀愛はすぐに電話にでた。その声を聞いて瑞華はさらに涙が溢れる。
「さい、あいちゃん…」
『ん、なんだ?』
「声が、しないんだ」
犀愛はその言葉に、だまって頷くだけだった。瑞華は続ける。
「瑞樹の声が聞こえない…、存在が感じられない…、いつも、二人で一緒だったのに。そばにいなくても、いつでも身近に感じてたのに、今は誰もいない。ねぇ、犀愛ちゃん? 僕は一体誰なの?」
言葉を重ねるごとに、瑞華は喪失感に襲われていた。もう一人の自分を失ったことにより、自己の崩壊を起こしかけている。
『しっかりしろ! お前は吉井瑞華だっ! このあたしが保証してやる!』
「でも、瑞樹がいない僕は、瑞華じゃないよ。瑞樹がいて初めて瑞華がいるし、瑞華がいて初めて瑞樹が存在してるんだ。じゃあ、片割れを失った僕は、誰? あははっ、そんな僕は亡霊なのかな。」
涙を流しながら、乾いた笑いをもらす。その顔は、もう無表情だった。
犀愛はそんな瑞華の言葉に、
『ばかやろうっ!!』
と病室に響くくらい電話から罵声を吐き出した。
『瑞樹がいなくなったらお前も死んだのか? ふざけるなっ! お前はまだ生きているんだろう! なら、瑞樹の分まで生きろよっ! 今からそっちに行ってそのふざけたことを考える頭をかち割ってやろうか!?』
電話だからこうして怒鳴りつけることが出来ているが、犀愛もまた涙があふれそうだった。
『もがけよ! 意地汚く生きろよ! お前はお前なんだ!』
犀愛の激に、瑞華は笑う。無表情なりにも。
「ありがとう、犀愛ちゃん。でも僕は…」
これからどう生きていいかわからない。そう言って通話を切った。
◆ ◆
瑞華は無事退院し、あの事件から一週間がたった頃に学校に出てきた。しかしそこで瑞華を待っていたのは、絶望だった。
教室に入り最初瑞華は自分の目を疑った。瑞樹の席がなくなっているのだ。 犀愛から瑞樹は目の前で消えたというのは聞いていたが、誰も覚えていないという事実は、知らなかった。
私もまだ確信してはいなかったが、学校に出勤して驚愕した。瑞樹の名前が消えていた。教室の展示物から、在校者名簿。名前だけではなく彼女に関係した物まで消えていた。机、ロッカーの中身、上履き、残っている物は何もなかった。
まるでとある小説の世界のようではないか、と私は思った。そう、瑞樹は存在を消されてしまったと言うことだった。
瑞華ははじめ、なにかの冗談かと思った。しかし次第に、真実だということに気づいてきた。教師はおろか、友人、先輩、後輩、さらには親友である笹ノ木までもが瑞樹の存在を、否定した。教師の言葉が、友人の一言が、瑞華を絶望へと追いやった。
そして世界は瑞華をさらなる絶望の淵へと追いやる。
「………なんで?」
ヴァーチャルの授業で自分のパラメーターをみた瑞華は、もはや溢れ出す涙を止められなかった。
属性が、『 』になっている。
なぜそんな事になっているかとかそんな事はどうでも良かった。大事なのは、瑞樹がいたという証がこれで何一つ残っていないと言うことだった。
「瑞樹は、死んだんじゃなく、存在を抹消された…?」
瑞華の心は、この出来事によって完全に壊れた。
◆ ◆
私は、その日瑞華の家にあがらせてもらった。なぜかと言うと瑞華が授業中突然家に帰ってしまったからだ。
瑞華の両親に挨拶をしてからヴァーチャル部屋にノックをしてから足を踏み入れた。
瑞華は―――
「ダイブ中か」
机に座っていた。しかしパソコンと有線で繋がっているからおそらくは、ダイブ中だ。向こうに会いに行ってもいいが、さてどうするか。
「まあ、様子を見にきただけだからな。ダイブしてるなら大丈夫か」
瑞華の頭をなでてから、部屋を後にする。
私はまだ気づいていなかった。瑞華がどれだけ傷ついて、絶望していたかを。
その夜。
自宅で学校関係の書類整理をしていると、ふいに携帯が鳴った。
「はい」
『古空さんの携帯電話でしょうか?』
電話先の声は聞き覚えのある女性の声だった
「ああ、こんばんは。瑞華のお母さん。ええ、私です」
『夜分にすみません。あの、瑞華が…』
「瑞華がなにか?」
『ネットから帰ってこないんです」
「…! あれからずっとですか?」
『はい』
「わかりました。すぐにそちらに向かいます」
私は電話を切るとすぐに家から飛び出した。
瑞華の家につき、中に入ると瑞華の両親がヴァーチャル部屋の前に立っていた。
「吉井さん。こんばんは。すみません、勝手にあがらせてもらいました」
「ああ、構いませんよ。それより瑞華はいったいなにをしているのでしょうか?」
お父さんがそんな事を聞いてくる。
もちろん、瑞華がこうなる理由は瑞樹がいなくなってしまったからだけど、この二人は瑞樹がいたことを覚えていない。
「…わかりません。とりあえず私が中に呼びに行ってみます」
別に自分の家からでも構わなかったが、この家からダイブした方がダイブ先が固定されているので、なにかと便利だったりする。
「すみません、面倒をかけてしまって」
「なに、構いませんよ。他ならぬ瑞樹の為ですから」
そう言って、私は部屋に入りパソコンと自分を繋ぐ。
どこにいるかはわからないが、引きこもっているなら引きずり出してやる。
私はそんな事を思いながら、ダイブした。
◆ ◆
犀愛の予想通り、瑞華はヴァーチャルに引きこもっていた。
それも、瑞華の家からダイブしたその先にいた。
この場にいるのは、ここが休憩所を兼ねているからである。この部屋なら、他の誰も入ってこれないし、何も考えなくていい、と。
部屋の隅で瑞華はうずくまっていた。何をするわけでもなく、ただ座っているだけ。
(このままここにいれば)
(すぐに死ねるのかなぁ?)
考えているのは、死ぬことだけ。犀愛によって一時は生きようとも思っていたが、瑞華は瑞樹のいないこの一週間でもはや精神が擦り切れてしまっていた。二人は、互いに依存していたと言って良い関係だったため、寄りかかるべき相手が唐突にいなくなってしまったせいで、瑞華は心が病んでしまったのだ。そして、そこで今日の出来事。あれが決めてだった。
もう瑞華の頭の中に生きるという選択肢は消えてしまいそうだった。
「へぇ、どんな人かと思いましたが、普通の女の子ですねぇ」
誰も入れないはずの部屋に(厳密には瑞華の家のヴァーチャルルームからは入れる)聞き慣れない声が響く。その声は高く澄んだ綺麗、とも可愛い、とも思える声だった。
瑞華が声の方へ目を向けるとそこには可憐な少女がいた。
映えるような金髪のストレートヘアーを髪先から十センチほどのとこでまとめている。格好は金色の髪とは対象的にダークブラックのドレスだった。
「あらあら、死んだ人のような目をしてますねぇ。こんな人が私を呼び出すなんて、なにかのバグでしょうか?」 少女は可愛いらしく小首をかしげる。仕草こそ可愛いが、その声はどこか威厳のあるものだった。
「………君は?」
瑞華の質問に少女は笑って答える。
「ふふ、私が誰かということなど些細で、そして些末事です。フラワープルーフさん。いえ、吉井瑞華さん」
少女はなんてことの無いように瑞華の名を呼んだ。リアルがバレているのだ。
しかし少女はそんな事気にせず話を続ける。
「今最も重要なことは、あなたが私を呼び出した、ということです」
今度は瑞華が首をかしげる番だった。自分はこうしてヴァーチャルに引きこもっているだけなのだ。なにかのイベントに関わった訳ではない。
「そうですか。自覚がないんですね。まあ良いでしょう」
とりあえず、というと少女は瑞華の方に向かい歩き始める。そして、瑞華の前で止まると、スカートの端をつまんで軽くおじぎをする。
「初めまして。私の名はクローバー・ソウ・ブラックリリィ。吉井瑞華さん」
少女は名を名乗った後に瑞華の名を呼ぶと、顔を上げてこう言った。
「私はアナタを許しません」
すべての歯車が動き始めるのは偏に、ここから。
クローバー・ソウ・ブラックリリィ。
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